6兆円近い売り越し…!海外投資家はもう日本株を見限ったのか 「日本の特殊性」への懸念?

現代ビジネスに1月17日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59422

やはり日本は変われない
2018年1年間に海外投資家が日本株を大量に売り越していたことが明らかになった。

1月9日に日本取引所グループが公表した投資部門別売買状況(2市場1・2部合計)によると、海外投資家の売り越し額は5兆7448億円。第2次安倍晋三内閣がアベノミクスを打ち出して以降、最大の売り越しとなった。

日本株アベノミクスに期待する海外勢に買い支えられてきた面が強いが、日本株から資金が逃げ始めたとすれば、今後の株価への影響は甚大だ。

海外投資家はアベノミクスが始まった2013年に15兆1196億円も買い越し、それが、日本株が本格反騰するきっかけになった。2014年も8526億円の買い越しだったが、2015年になって2509億円の売り越しと、売り買いトントンの状態になった。

アベノミクスの「3本の矢」として打ち出した政策の中で、海外投資家には3本目である「民間投資を喚起する成長戦略」が最も期待を集めたが、そこでなかなか成果が上がらないことに、海外投資家が不信感を抱き始めたのがひとつの理由だった。

「やはり日本は変われないのではないか」という見方が強まり、2016年には3兆6887億円の売り越しと、まとまった売りが出された。

2017年には3年ぶりに7532億円の買い越しとなっていたものの、前述の通り、2018年は6兆円近い売り越しだった。

2018年10月に日経平均株価は27年ぶりの高値を付け、市場では楽観ムードが広がっていた。そんな中で、海外投資家は日本株をせっせと売っていたわけだ。

経済の先行きは怪しいが
もちろん、米中貿易戦争などによって世界的に株式市場が動揺している中で、世界の投資家が株式離れを起こした面もある。為替が円高に振れたことで、日本株が売られるといういつものパターンと見る向きもある。

だが、ここまでまとまった売りには、海外投資家が日本株を見限る、日本独自の理由があったと見るべきだろう。

そのひとつは「ファンダメンタルズ(経済の基礎的要件)」の悪化、つまり日本経済の先行きが怪しくなってきたことがある。

日本経済は緩やかに回復しているというのが政府やエコノミストの見方だったが、予想以上に消費が弱い状態が続いている。今年10月に迫った消費増税の影響を克服するために政府は様々な経済対策を打ち出しているが、増税を機に消費が失速する可能性は捨てきれない。

アベノミクスによって日本経済が再び成長路線に乗るとする海外投資家たちの期待を裏切りそうな気配になってきたのだ。

2020年には東京オリンピックパラリンピックも控えていることから、そう簡単に日本経済が失速することはない、という見方もある。海外からの訪日客も2018年には3000万人を突破、2020年には4000万人を見込んでいる。そう先行きを読む投資家は、株価が大きく下がって割安感が出れば、再び日本株を買ってくる可能性はある。

ゴーン・ショック
だが、ここへきて、世界の投資家が眉をひそめる問題が立て続けに起きている。

ひとつはカルロス・ゴーン日産自動車会長(当時)の突然の逮捕劇。現役の経営者が寒い拘置所で身柄を拘束され、クリスマスも年末年始も勾留が続いていることに、世界の経営者や投資家は目を丸くしている。強欲なゴーン容疑者に同情するというよりも、日本の司法制度のあり方に、「日本は特殊だ」と感じているのだ。

かつて海外金融大手の日本法人が不正な金融商品を販売したとして事件になった際、外国人トップが逮捕され、身柄を拘束されたことがある。「当時も、日本法人のトップは引き受けるな、いきなり逮捕されるぞ、という声が外国人経営者の間に広がった」と外資系金融機関の幹部だった人物は振り返る。まさに、今、ゴーン容疑者逮捕で同じことが起きつつある、という。

日本は特殊だ、ということになれば、世界の常識では「リスク」が判断できない。何せ、いきなり現役のトップが会社からいなくなってしまうリスクを見せつけられたのだ。日本株への投資が慎重になるのは当然といえば、当然だろう。

時を同じくして起きた産業革新投資機構(JIC)の役員報酬を巡る騒動も、世界の常識では考えられない日本の「特殊性」を示す結果になった。政府系ファンドの経営者と報酬契約を結んだにもかかわらず、いきなり政府がダメ出しをして白紙撤回する。日本にはそうした「リスク」が潜在的にあるのだということを世界中の投資家が知ることとなった。

政府統計も信用できないとなると
年を明けてからも驚くような話が飛び出している。日本政府の基幹統計のひとつである「毎月勤労統計」の調査方法がいい加減で、しかも長年にわたって放置していたことが明らかになったのだ。この統計には、エコノミストも注目する「現金給与総額」などが含まれており、このタイミングでは、日本経済の現状を知る「注目点」だった。

というのも、安倍首相は繰り返し「経済好循環」を訴え、企業収益の好調が給与増などに結び付くことを政策の柱として訴えていた。そんな中で、給与が大きく増え始めたのではないかと見られる数字が、この統計に表れていたのだ。結局、その数字は統計手法の問題で、過度に大きく表れていたことが判明している。

海外の投資家からすれば、日本は統計数字も信用できない国なのか、ということになるわけだ。統計数字まで政治家や官僚が操作することができるとしたら、危なくて投資など出来るものではない。「調査方法のミス」「不適切な調査」で済む話ではないのだ。

他の経済指標の調査方法も精査するという話になっているが、投資家の信頼を回復できなければ、日本株への投資が大きく増えると期待するのは難しいだろう。

日本が「特殊な国」だというレッテルを世界の投資家から貼られないことを祈るばかりだ。

「勤労統計問題」で露呈した霞が関「お手盛り」「忖度」体質を徹底改善せよ!

新潮社フォーサイトに1月15日にアップされた拙稿です。無料公開されています。オリジナルぺージ→https://www.fsight.jp/articles/-/44758?st=

 厚生労働省が公表している「毎月勤労統計調査」で、全数調査が必要な対象事業所の一部を調査せずに集計していることを認識しながら長年にわたって放置し、あたかも正しい手法で実施したかのように偽装していたことが明らかになった。

 厚労省では昨年、安倍晋三首相の国会答弁用にまとめた裁量労働を巡る調査結果が不適切だった問題が発覚したばかり。今回の毎月勤労統計調査は、賃金や労働時間の動向を把握する調査だが、これで算出した平均給与額を基に雇用保険労災保険が支払われているため、保険の過少給付が発生していることから、大きな問題に発展している。

 根本匠厚生労働大臣は1月11日の閣議後会見で、過少給付の対象が、延べ1973万人、30万事業所にのぼり、過少給付の総額は567億5000万円に達することを明らかにした。問題の調査は2004年から行われていたといい、不足分の支払いも2004年に遡って行うとしている。

「忖度」を否定するつもりが
 今回、問題発覚のきっかけになったのは、毎月勤労統計調査の結果数字がおかしいという「疑念」が昨年の夏ごろからエコノミストや経済記者の間で囁かれていたこと。昨年11月5日付の拙稿でも「統計数字も『忖度』好調過ぎる『現金給与』のからくり」と題して取り上げたから、お読みいただいた方もいるだろう。

 毎月勤労統計調査の現金給与総額の対前年同月比伸び率が2018年5月に2.1%増、6月には3.3%増と急激に上昇していた。これは調査対象企業の入れ替えによる影響が大きく、共通サンプルだけで比較した場合、5月は0.3%増、6月は1.3%増に過ぎなかったことがその後判明している。

 6月分の速報を厚労省が発表したのは8月7日で、ちょうど自民党総裁選に向けた候補者の動向などが注目されていた時期だ。速報では3.6%増とさらに高い伸びが発表されていたため、新聞各紙は 「名目賃金6月3.6%増、伸び率は21年ぶり高水準」(日本経済新聞)と、そろって報じていた。

 毎月勤労統計調査を巡っては、第2次安倍内閣以降の数字がサンプル入れ替えによって低く出ているとして、麻生太郎・副総理兼財務大臣が是正を求めていたことも明らかになっていた。つまり、本来は実態を正確に把握するための統計数字が、政治的な思惑で左右されていたのではないか、という疑念が生じていたわけだ。

 そんな中で、今回、厚労省が明らかにしたところによると、毎月勤労統計調査では、本来500人以上の規模の事業所については全数調査を行うことになっていたものを、2004年から東京都だけ、全数ではなく3分の1程度の抽出調査を行っていたことがそもそも「不適切」だったとした。大企業を除外するのだから、その分、現金給与は本来の統計数字よりも小さくなる。結果的に、失業保険などの支給額が本来よりも少なくなったというわけだ。

 政治への「忖度」を否定しようと調べたら、そもそもルール通りの調査が行われていなかったことが表沙汰になり、しかも、それに連動する保険の過少給付まで問題になってしまった、ということなのだろうか。

「横置き」との命名
 そもそも厚労省は、何のために調査対象を除外するようなことを始めたのか。
 サンプルの見直しなどを恣意的にやれば、数字が意のままに作れてしまうことは統計のプロならば十分に理解していたはずだ。にもかかわらず、統計の信頼性を揺るがすようなことをなぜやったのか。その動機などは未だはっきりしていない。

 前述の通り、厚労省は2018年の通常国会冒頭で、データを巡る大失態を演じている。

 安倍首相が1月29日の衆議院予算員会で、「平均的な方で比べれば、一般労働者よりも(裁量労働制で働く人の労働時間が)短いというデータもある」と発言したが、その前提になったデータは、調査方法が違う2つの結果で、本来は単純に比較できないものだったことがその後、明らかになった。安倍首相は答弁の撤回に追い込まれ、裁量労働制拡大を「働き方改革関連法案」から削除する事態にまで発展した。

 統計数字は、様々な政策決定の「前提」として使われている。ところが、霞が関の現場では、自分たちがやりたい政策に都合の良いデータを示し、都合の悪いものは伏せるといったことがしばしば行われている。安倍首相の答弁用に厚労省が出した裁量労働のデータは、この典型例だろう。野党が発言に疑問を持ち、首相を追及したからデータのインチキさが暴かれたが、これが国会答弁でなかったら、そのまま気が付かれずにデータとして一人歩きしていたかもしれない。

 裁量労働のデータでなぜそんなインチキをやったのか、結局、うやむやのまま終わっている。役所が自分たちの出した法案を通すためには多少のインチキも構わないと思っていたのか。「働き方改革」を最重要法案としていた安倍首相や官邸幹部に対する「忖度」だったのか、藪の中である。

 ちなみに、こうしたデータの改ざんは厚労省だけの専売特許ではない。2016年末には、経済産業省の繊維流通統計調査が長年にわたって改ざんされていたことが明らかになった。外部から指摘を受けても放置し続けていた。繊維統計では対象企業が減少していたにもかかわらず、回答数があるように見せるために、過去の回答をそのまま使っていたという。前回の数字をそのまま隣の欄に写すためか、それを「横置き」と言うのだそうだが、そんな命名までされているところを見ると、改ざんがあったのは本当にこの統計だけだったと断言できるのか、怪しくなってくる。

 実際、繊維統計は2001年以降の歴代担当者27人が、問題を把握しながら代々引き継いでいたことが分かっている。担当者個人の問題ではなく、霞が関の「体質」の問題なのだ。

天に唾する行為
 菅義偉官房長官は、1月11日に首相官邸で開いた事務次官連絡会議で、政府の基幹統計全体を点検するよう指示した、という。

 まずは、なぜ、毎月勤労統計が本来の統計手法と違う「不適切」なやり方になったのか、そのきっかけは何か、指示をした、あるいは承認をしたのは誰か、徹底的に調べる必要がある。そこに政治的な意図や忖度が働いた可能性はなかったのかを洗い直すことが重要だ。さもなければ、日本の統計は役所や大臣の胸三寸でどうにでもなる、ということになりかねない。

 今回は、保険の過少給付という「被害」が国民に生じているため、問題をあやふやに済ますことはできないはずだし、してはなるまい。

 だが、問題の本質は、過少給付ではない。問われているのは、統計に対する霞が関官僚たちの姿勢である。

 統計は、「国」の実態を正確に把握するための健康診断数値のようなものだ。それを自分たちに都合が良いように「改ざん」することは、実態を見えなくする「犯罪行為」である。企業で言えば「粉飾決算」であり、「背任」だ。

 粉飾決算は会社の実態を良く見せるために数字を改ざんする行為だが、それを続ければ、いずれは会社が存続できなくなる。

 国家の粉飾も同じだ。実態を良く見せるために統計データをいじれば、その数字を信じて打つ政策を大きく間違えることになりかねない。健康診断で本当は重病が疑われるのに軽度だと信じて放置すれば、命に関わる事態に直面する。

 毎月勤労統計調査は、日本の経済状況を把握する上で、世界の投資家も注目している。その数字が全く当てにならないということになれば、日本への信頼は失墜することになる。

 言うまでもなく、日本の株式市場での売買代金の過半は、海外投資家によって占められている。海外投資家が「日本は信用できない」と見限れば、日本の株価がどうなるかは、火を見るより明らかだ。

 日本の官僚は隣国の経済統計をあてにできないとしばしば批判するが、まさしく天に唾する行為ではないか。

 何よりも、日本の統計に官邸や役所の恣意性が入り込まないよう、統計の手法を再度徹底的に見直すべきである。また、各省庁が行う統計を総務省統計局に再度集約することなども早急に検討すべきだ。

 日本政府の統計はあてにできない、と言われないうちに手を打つことが必要だ。

報酬1億を"カネの亡者"と呼ぶ官僚の理屈 "ゾンビ企業"を助けたかった経産省

プレジデント・オンラインに1月11日にアップされた拙稿です。オリジナルぺージ→https://president.jp/articles/-/27243

「高額報酬に政治がストップ」という構図のウソ
2018年の年末も押し詰まった12月28日、官民ファンドの産業革新投資機構(JIC)は、田中正明社長ら民間出身の取締役9人が一斉に退任した。前身の産業革新機構(INCJ)を引き継いでJICが発足してわずか3カ月、経済産業省と田中社長の対立が表面化して1カ月で、JICは事実上、空中分解し、休止状態に陥った。

「いまだに経産省の幹部が、高額報酬にこだわり続けた田中氏らはカネの亡者だといったネガティブな情報をメディアに流している」と辞めた取締役のひとりは呆れる。あくまでも高額報酬にこだわった民間人たちと、国民のおカネを運用する機関に高額報酬は許されないとする経済産業省の対立という構図を、霞が関は強調したいのだろう。国の機関で成功報酬を含めた1億円超はおかしい、という論理を展開すれば、国民世論を味方に付けられると考えているのかもしれない。

ちょうど同じタイミングで起きた日産自動車カルロス・ゴーン会長(当時)の逮捕でも、高額だった報酬の一部を有価証券報告書に記載していなかったことが容疑とされた。JICの高額報酬に政治がストップをかけた、という構図は非常にわかりやすい。

「素晴らしすぎる組織」を潰す口実ではないか
だが、菅義偉官房長官が「1億円を超える報酬はいかがなものか」と言ったことが、経産省が態度を豹変させるきっかけになった、というのは本当だろうか。

菅氏がそう言ったのは事実だろうが、菅氏が自らJICの報酬に関心を持っていたとは考えにくい。誰かが菅氏にそう言わせるようにJIC問題の情報を入れたのだろう。実際、9人の取締役の中には菅氏と直接面識を持つ人が少なくないが、菅氏から直接そう言われた人はいない。「本当に菅さんが卓袱台返しをしたのか」と訝る人もいる。

おそらく経済産業省の幹部に卓袱台返しをする動機があったのだろう。高額報酬は田中氏らが作り上げた「素晴らしすぎる組織」を潰すための口実だったのではないか。

辞めた取締役が異口同音に言うのは、副社長だった金子恭規氏がJICのキーパーソンだったということ。米西海岸でバイオベンチャーとして大成功を収めた「レジェンド」とも言える金子氏が、「薄給」でJICに加わったことが他の取締役たちを本気にさせた、というのだ。

JICの下に子ファンドを作る構造だったが、そこには創薬ベンチャーで成功を収めた若手のキャピタリストら「世界で通用するレベルの人材」が含まれていた。それも金子氏だからこそ引っ張ってこられた人たちだった、という。彼らに世界標準の報酬を支払う体制を作りたいというのが9人の取締役たちの思いだった。決して田中氏や金子氏が自分たちの高額報酬にこだわっていたわけではない。「日本のため」を思って駆けつけた、というのが本音だったことは明らかだ。

最大で1億2500万円は「高額」ではない
成功報酬を含めて最大で年1億2500万円前後という報酬も決して「高額」とは言えない。しかも長期連動の成果報酬が手に入るとしても、成果が上がった後なので数年後の話だ。年額の固定給は社長が1550万円、副社長が1525万円、専務が1500万円。これに短期業績連動報酬として、年額4000万円を上限に四半期ごとの業績に応じて支払うことになっていた。長期業績連動報酬は最大7000万円を支払うというものだった。

短期的には最大で年間5500万円程度の支払いなので、日本企業の社長に毛が生えた程度。金融界の常識からすれば破格に低い報酬と言っていい。業績連動の報酬が得られるのは、ファンドが膨大な利益を上げた場合に限られるので、国にとっても悪くない条件だったのだ。

民間取締役9人が辞任を表明した後に出た報道でも明らかになったように、実はJICの前身であるINCJでも業績連動の高額報酬が約束されている。JICの傘下に置かれたINCJファンドは2025年に解散する予定だが、その段階での累積利益に応じて、取締役に数億円の報酬が支払われる見込みだ。つまり、経産省がINCJには高額報酬を認めておきながら、JICにはダメ出しをしたわけだ。

経産省幹部が手のひらを返した本当の理由
世耕弘成・経産大臣は会見で、「旧機構は、旧機構自身が投資判断していた。JICは(傘下の)各ファンドを監督する立場。その報酬として業績連動が必要かどうか、あってもかなり抑制的であるべきだ」とその理由を説明していた。子ファンドを形成してそこに運用させるのもJICの取締役たちの知見と判断によるわけで、そこには業績連動はいらない、という説明は何とも苦しい。

経産省の幹部が手のひら返しをした本当の理由は、おそらく、自分たち官僚のコントロールが効かなくなることを恐れたのだろう。出資者は国なので、取締役をクビにするなどガバナンスを効かせることは可能だが、いわゆる以心伝心で官僚機構の思う通りに動いてくれる「第二のポケット」にならないことが分かった段階で、ダメ出しに動いたに違いない。

前身のINCJは、危機に直面した日本企業に出資することで、良く言えば産業政策の一翼を担った。投資するかどうかの判断は、リターンが期待されるかどうかよりも、現実には、日本として必要な産業かどうか、だった。しかもそれを決めるのは経産官僚だったのだ。

これにはゾンビ企業を生むとして批判的な声もあったが、官僚たちにとっては、それこそが国益にかなう行動だった。報酬も、官僚の天下りや現役出向で自分たちにメリットがあるうちは文句を言わなかったのだ。だが、新生JICは本気で専門家集団になり、官僚が割って入る余地はなくなる。だから「高額報酬はけしからん」となったのだろう。

官僚機構にとって「国」とは自分たち自身のことで、決して「国民」のことではない。官僚が思うようにできず、自分たちに利益も来ない組織は、「国」のためにならない、と考えても不思議ではない。

潰えるべくして潰えた夢だった
もともと9人の民間人取締役、特に社外取締役たちは、そもそも「国」にあまり期待していない人たちだった。辞任にあたって各取締役が公表した文書にもそれははっきり現れている。

社外取締役だった米国の大学教授である星岳雄氏は、もともと日本の官民ファンドには否定的で、「成功するはずのない政策の一つが官民ファンド」だと切り捨てている。それでも社外取締役を引き受けたのは、「田中正明氏を中心に金融のプロとして世界的に信頼された人達を経営陣に揃えるのを見て、もしかしたら、日本の政府・経産省も、旧態依然とした産業政策から離れて、日本の成長を取り戻すための政策に真剣に取り組み始めたのか」と思ったからだという。

もしかして日本の「国」の行動が、JICによって変わるかもしれない、と他の取締役も考えたという。それを経産省が物の見事に裏切ったのだ。星教授はJICが「ゾンビの救済機関になろうとしている時に、私が社外取締役に留まる理由はありません」とまで言い切った。

もちろん、9人の民間人が、もしかしたら、と考えたことは否定しない。あるいは、国の枠組みの中でも、グローバルに戦えるファンドが作れるという期待を抱いて、官僚組織の中で挑戦しようとしたことも大に価値のあることだった。おそらく経済産業省の中にも革新的な人物がいて、新生JICに民間の力を取り込む夢を抱いたに違いない。だが、残念ながら、世界で戦える組織を、国主導で作るという発想自体に無理があったのではないか。やはり潰えるべくして潰えた夢だったように思う。

このままでは日本ではベンチャー企業が育たない
「では誰が今の日本でリスク・キャピタルを出すと言うんだ」と民間人取締役だった大物経済人は言う。地域金融機関は資金の出し手としての機能を失い、リスクをとって投資する資金は出てこない。そうなると日本ではベンチャー企業が育たないので、日本全体の成長が止まってしまう、というわけだ。

2018年9月に財務相が発表した法人企業統計によると、2017年度の企業(金融・保険業を除く全産業)の「利益剰余金」いわゆる「内部留保」は446兆円と過去最高に達した。しかも「現金・預金」として保有されているものが222兆円に達する。日本企業は資金を貯めこむばかりで、投資しようとしないのだ。

つまり、日本にお金がないわけではないのである。民間企業は資金を貯めこんでリスクを取らない。その一部がベンチャー投資に回れば、わざわざ国が投資ファンドを作る必要などないだろう。

世界水準の成果報酬と霞が関の枠組みは相容れない
そもそも国の枠組みの中で民間並みの組織を作ろうとしたこと自体が「同床異夢」だったのだ。国家公務員は自らの意思に反してクビになることがない身分保証の上に成り立っている組織だ。しかも終身雇用で、年功序列。降格されることもない。つまり働く場としてはリスクがゼロなのだ。

民間企業は、いつクビになったり降格されたりするか分からないリスクを背負っているからこそ、報酬は高いのだ。終身雇用・年功序列賃金が急速に崩壊している中で、成果報酬が導入され、活躍する人たちの報酬が高くなっているのは、ある意味当然のことだろう。

逆に言えば、終身雇用・年功序列の体系を維持している霞が関の枠組みが続く限り、グローバル水準の成果報酬の仕組みは決して相容れないということだ。JIC問題はそれが表面化したに過ぎないとも言える。JIC問題の教訓は、民間の経営者や投資家が「もう国には頼まない」という覚悟を持つことではないか。

「国家破綻処理法」を制定せよ 2019年度の予算案、一般会計総額が初の100兆円突破

日経ビジネスオンラインで1月11日にアップされた拙稿です。シリーズ最終回となります。オリジナルページ→https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/011000092/?P=1&prvArw

参議院選挙も予算膨張に影響
 ついに日本の一般会計予算が100兆円の大台を突破した。

 政府は12月21日に2019年度予算案を閣議決定した。一般会計の総額は101兆4564億円と7年連続で過去最大となり、当初予算として初めて100兆円を超えた。1月末から始まる通常国会で審議され、3月末までに可決成立する見通しだ。

 2018年度当初予算の一般会計総額は97兆7128億円だったので、1年前と比べて3兆7436億円も増加した。2019年10月からの消費増税に向けて、経済対策費として2兆円を積み増したことが大きいが、社会保障費だけでなく、防衛費も過去最大となった。

 当初予算で100兆円の大台を超える意味は大きい。財務省が予算編成する際の心理的なボーダーラインとしてここ10年ほど意識され続けてきた。100兆円を超えたことで、心理的抵抗線が消え、今後ますます予算の膨張が進むことになりかねない。

 今年の予算編成が大盤振る舞いとなったのは、安倍晋三首相の姿勢が大きい、という。経済財政諮問会議の関係者によると、10月の消費増税によって経済が失速することを何としても避けるという安倍首相の強い意志が働き、経済対策の2兆円を含め、積極的な財政出動を許す予算編成になった。

 基礎的財政収支プライマリーバランス=PB)の黒字化目標を、昨年6月に、それまでの2020年度から2025年度に先送りしたこともあり、歳出削減や財政再建といった観点が安倍首相から消えた、という指摘もある。

 景気を腰折れさせないという強い姿勢の背景に、今年7月の参議院議員選挙があることは間違いない。参議院選挙は業界団体などの集票力がモノを言う選挙で、各種予算の増額はそうした業界団体の要望を受け入れたものになった。

 こうしたムードを受けて各省庁も目いっぱいの予算要求を繰り広げた。

 厚生労働省の一般会計予算は32兆351億円と過去最大になった。8月末の概算要求は31兆8956億円だったが、それを上回る着地になった。「働き方改革」や「人づくり革命」と言った安倍内閣が掲げる重点課題に関連付けた予算は、かなりすんなり通ったと関係者は言う。医療関係の予算でも、2018年度の当初予算を軒並み上回る額が確保された。

 防衛費も5兆2574億円と1.3%増え、7年連続で増加し、5年連続の過去最高となった。東アジアの安全保障情勢が引き続き緊迫していることもあり、防衛装備予算の積み増しなどが盛り込まれた。

税収はバブル期のピークを超える
 こうした大盤振る舞い予算を可能にしたのは景気の好転で税収見込み額が増えていること。税収は2018年度より3兆4160億円多い62兆4950億円と見込む。10月からの消費増税で半年分が増収になる効果も大きい。税収はバブル期ピークの1990年度に記録した60.1兆円を上回ることになる。

 そう、税収はバブル期のピークを超えるのである。

 それにもかかわらず、国債費などを除いた単年度の政策経費すら賄うことができない、というのだ。長引くデフレで物価も下がった上、国のサービスを受ける日本の人口自体も2008年をピークに減少に転じている。予算案でのPBは9.2兆円の赤字。前年度の10.4兆円の赤字からは減少するものの、単年度赤字を垂れ流し続ける。大盤振る舞いの予算に歯止めをかけない限り、国の財政は立ち直らない。PBが黒字になっても、国債の利払いや元本償還があるので、財政黒字になるわけではない。

 消費増税の必要性を訴える際に、決まって財務省が持ち出してきた「国の借金」も増え続けている。国債と借入金、政府短期証券の合計額は2018年9月末で1091兆円。初めて1000兆円を突破した2013年から5年で1割近く増えたことになる。

 税収が過去最高になるのに財政赤字が続き、借金が増え続けるのはなぜだろうか。政治も官僚も、赤字を減らし、借金を減らすことに「何のインセンティブ」も働かないからである。官僚の権力の源泉は予算を配分すること。その歳出規模が大きくなる方が、権限が増えるわけである。役所の中では予算を取ってこれる課長が尊敬される。予算が取れなければ、いずれ人も減らされ、その部署は消滅の危機に直面する。つまり、官僚は誰も不要な事業であってもそれを減らそうとは考えないのだ。

 政治家も同じである。与党の政治家にとっても予算規模が大きくなればなるほど、自らがその利益分配の恩恵にあずかれることが多くなる。地元への公共事業の誘致などが典型だ。緊縮予算になれば、地元に落ちる国のお金が減るわけで、下手をすれば選挙で負ける。つまり、政治家にとっても歳出削減は何のメリットもないのである。

 国家財政を健全化するのを使命だと考えている官僚もいる。主に財務省の官僚たちだ。官僚の中の官僚と言われてきたのは、各省庁への予算配分権を握っているからではない。国家のことを考えるのは官僚多しと言えど財務官僚しかいない、という一種の尊敬に裏打ちされてきた。そうした気概を持った財務官僚も昔は多くいたものだ。

 「安倍内閣になって官邸は財務省の言うことを聞かなくなった」と嘆く財務官僚もいる。確かに、今の安倍官邸は経産省出身者の首相秘書官や経産省からの出向官僚が牛耳っている。だが、安倍首相が財務省の言うことを聞かなくなったのは、2014年の消費増税が大きな端緒になった。

 当時、アベノミクスへの期待から、一気に景気が回復する気配を見せていた。2014年の4月から消費税率を5%から8%に引き上げたが、その経済へのインパクトを財務省は読み間違えた。消費への影響が出ても早晩、それは収束すると当時の財務省幹部は安倍首相に説明したのだ。だが結果は大外れ、消費の低迷はそれ以降、長く続いた。財務省は「増税」をしたいばかりに、その負の影響をあえて軽視したのである。

国の債務の支払い順位を決めるべきだ
 景気を良くすれば税収は増える、と言う安倍首相や安倍シンパの経済学者の「路線」に財務省は抵抗したのである。財務官僚は、財政再建がしたいのではなく、ただ増税がしたいのではないか、という疑念が安倍首相の周囲で高まった。以来、財務省が排除される結果になったわけだ。

 財務官僚の政権への影響力が小さくなる中で、財政再建を本気で安倍首相に進言する人たちがいなくなった、という副作用が生じている。歳出削減は政治のリーダーシップがなければできないのに、首相が関心を示さない、という事態に直面している。税収が増えて歳出を見直す好機なのに、税収増を再び歳出に振り向ける大盤振る舞いに陥ったのだ。PB黒字化の新目標とした2025年には別の人物が首相の座に就いているだろうから、PB黒字化も達成できるか分からなくなっている。

 では、どうするか。「国家破綻処理法」を作るべきだ。

 会社は倒産した場合、誰の債権が優先されるか順番が明らかになっている。国への税金支払いが最優先で、その次は労働債権、つまり未払いの給与などが優先される。その次が一般の債権で、金融機関などが引き受けている劣後債はそれよりも支払い順位が低い。もちろん破綻すれば株式価値は毀損し、最悪、紙切れになる。

 国が破綻した時、誰が最も損をするのかがはっきりしていないのだ。例えば、米国の場合、予算が確保できなければ真っ先に政府が閉鎖される。2019年の年頭にも続いているガバメント・シャットダウンである。つまり政府で働いている職員が収入の道を断たれることになる。日本の場合、国はどんどん国債を発行できるので、政府機関が閉鎖されるルールはない。しかも公務員には身分保障があるから、クビになることもない。仮に国が破綻したとしても、公務員の未払い給与や年金はカットするルールにはなっていない。

 国の債務で何が最も優先されるのかを支払い順位を決めておくことが重要だろう。外国人投資家も保有している国債をデフォルトさせることは難しいと考えて、最優先債権とするのもよい。次には国民への社会保障費が優先されるべきだろう。公務員の給与はその次だろうか。国が破綻した場合、当然、公務員はリストラされることになる。もちろん政策経費もゼロベースから見直すことが必要だろう。

 誰もそう簡単に国が破綻するとは思っていない。だが、国を破綻処理して再生軌道に乗せる作業をした場合、誰が最も損をし、誰が守られるのか、を明確にしておくことは意味がある。

 仮に、公務員は全員クビになり、公務員年金も支払われない、ということになれば、官僚たちは本気で国家財政を破綻させないようにするにはどうすべきか、を真剣に考えるに違いない。

 人事制度でも、財政再建に力を振るった官僚が多額のボーナスをもらえるようにするなど、財政再建インセンティブを作ればよい。そんな頭の体操をするためにも破綻処理のやり方を考えておくことは重要ではないか。

公務員「定年延長論」と「給与引き上げ勧告」に覚える強い違和感 時代に逆行する霞が関の「身分保障」

現代ビジネスに1月10日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59354

いつの間に
「公務員、60歳から給与7割」という1月9日付けの日本経済新聞朝刊1面トップ記事をみて、複雑な心境になったのは筆者だけだろうか。

国家公務員の定年が60歳から65歳に引き上げられることが、ほとんど議論らしい議論が行われずに、事実上決まっているようだ。

国家公務員の給与水準を見直す人事院は、2018年8月に、5年連続となる給与引き上げを「勧告」したが、オマケに定年を現在の60歳から65歳に引き上げるべきだとする「意見書」を出した。

5年連続の引き上げ勧告は年末の法改正を経て、この1月から実施に移されている。正確には2018年4月に遡って給与が引き上げられ、その分が1月に支給される。同時に政府は定年引き上げの「意見書」についても勧告同様に受け入れ、2019年中に法案を提出する方針だというのが日経が報じたところである。

この間、国家公務員の人事制度を巡る議論はほとんど行われていないに等しい。昨年末の給与法改正にしても、多くの国民は可決成立したことを知らないだろう。

「公務員は5年連続で賃上げだそうだ。うらやましいな」といった会話をした人がいたとしたら、細かいニュースをきちんとフォローしていたか、知り合いに公務員がいるかの、どちらかだろう。

公務員の給与は「民間並み」を前提としている。5年連続の引き上げも、民間給与が上がっているから国家公務員も引き上げた、という理屈になっている。

もちろん、「民間」として参考にされているデータが大企業だけであることなど、問題点を指摘する声もあるが、自らも公務員である人事院の役人たちは一向に気にしない。

国は1000兆円を超える巨額の借金を抱え、なおかつ毎年の歳出を歳入で賄えない赤字垂れ流しだが、そこに務めていても、給与が民間並みに増えるのが「当然」というのが霞が関の論理なのだ。

このままでは財政破綻するので、消費税の引き上げが不可欠だ、と国民には言いながら、自分たちの給料を削ることなどまったく考えないのだから不思議である。

再雇用でなく定年延長
それだけでは済まない。さらに定年も延長せよ、と人事院が言い出したのだ。

民間は65歳まで働けるのだから、公務員も65歳まで働けるようにすべきだ、というのが人事院のロジックだろう。

確かに民間企業には65歳まで働けるようにすることを求めた高年齢者雇用安定法があり、希望する人は全員65歳まで働けるようになった。

もっとも、企業にはいくつかの選択肢がある。まずひとつは定年を65歳に引き上げる方法。確かに60歳から65歳まで延長した企業もあるが、それは少数だ。

もうひとつの方法が、「定年後の継続雇用制度」を設けるというもの。いったん定年を迎えるものの、その後は給与や職種などを見直し再雇用などの形で働き続けるというものだ。

一般には給与が半分以下にガクンと減るなど、待遇は大きく変わる。実は、民間企業のほとんどがこの「再雇用」である。

もうひとつ、定年の制度自体を廃止する方法もあるが、これを採用するところは、賃金体系が年功序列ではなく、仕事に応じて賃金が決まっているようなところが多い。
この選択肢の中で、霞が関が導入しようとしているのは「定年の延長」のようである。終身雇用年功序列が前提の霞が関で定年をそのまま延長すれば、人件費がその分増えるのは火を見るより明らかだ。

人事院は「民間並み」を原則としているが、単なる定年延長が「民間並み」の仕組みかどうかは議論の余地がある。

そもそも国家公務員は民間とはまったく違う人事制度をとっている。まず霞が関で働く国家公務員は自らの意思に反してクビになることはない。スト権などがない代わりに身分保証があると説明されているが、首相や各省の大臣といった国会議員が人事介入できないようになっているとも言える。

また、クビはおろか、よほどの問題を起こさない限り降格も不可能だ。日本で最も堅固な終身雇用、年功序列賃金の人事体系が残っているのが霞が関と言える。

そんな身分が保証されている官僚たちに、いつクビになるか分からないリスクを抱えた民間並みの給与を払う必要があるのか、という問題もある。

最も民間とかけ離れているのは
「どこが民間並みなのか」といった批判が噴出することを恐れているのだろう。60歳以上はそれ以前の7割という奇妙な制度を導入しようとしている。

雇用は継続して身分も変らないが、給与だけ年齢によって変わる。政府が旗を振っている「同一労働同一賃金」に抵触するのではないかと心配になってしまう。

終身雇用・年功序列の中で、定年を引き上げるのに、年齢だけで給与を3割減にするというのは、本当に可能なのだろうか。

企業の継続雇用制度で、賃金が減っても働き続けようと思うのは、転職する口が簡単には見つからないということもあるが、再雇用となることで、責任が小さくなったり、勤務時間が自由になるなど、それまでの人事の枠組みから外れるからだろう。会社が提示した条件が嫌なら、再雇用は諦めて別の働き口を探すしかない。

公務員で仕事も変わらないのに、60歳以上は7割にします、と言った場合、その賃金体系は不当だとして訴訟が起きるのではないか。

また、事務次官など要職に就いている人は当然、それまで通りの高額報酬をもらうことになる。エリート官僚の多くは、おそらく、なし崩し的に60歳を過ぎても給与は減らない、ということになるだろう。

日本経済新聞の記事には、小見出しに「民間に波及期待」という一文があった。「政府は民間企業の定年延長の促進や給与水準の底上げにつなげる考えだ」としている。

「民間並み」という原則を超える言い訳を早くも霞が関が用意し、メディアに書かせているということだろうか。

日本だから実現できた「妥協しない」モノづくり

WEDGE 11月号に掲載の「Value Maker」です。

「ありそうで無いもの、長く使っていて飽きないものを作ってきました」
そう語るのは、『ポスタルコ(POSTALCO)』のブランドでステーショナリーや革製品を生み出してきたデザイナーのマイク・エーブルソンさん。妻で同じくデザイナーのエーブルソン友理さんも、モノづくりでは「妥協はまったくしませんね」と笑う。
そんなふたりが作る「ポスタルコ」の品々にほれ込む顧客は、世界に広がっている。

東京に拠点を移した理由

 ふたりが出会ったのは米国ロサンゼルスにある美術大学「アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン」。マイクさんはプロダクトデザイン、友理さんはグラフィックデザインを学んだ。卒業後はニューヨークでデザインの仕事をしていたが、意気投合して2000年にブルックリンで「ポスタルコ」を共同で創業した。
 だが、ふたりは翌年、「ポスタルコ」の拠点を東京に移す。自分たちのデザインを形に変えていくには、技術と熱意を持った職人との共同作業が不可欠だと感じたからだ。東京にはそうした職人が存在していたのだ。
 「例えば、この名刺入れ。開くと口が大きく開きます。そのためには高い技術が必要とされる縫製部分が増える。他の名刺入れにはない縫い方にすると職人さんにとっては面倒なのですが、たくさん名刺が入った時も形が崩れずにきれいに見えます」
 そうマイクさんは言う。そんなデザイナーの注文に根気よく付き合ってくれる職人が日本にはまだまだいる、というのだ。
 エーブルソン夫妻の流儀は、デザインしたら後は職人任せというのではない。職人と共に何度も試行錯誤を繰り返す。ただし、あくまでデザイン先行ではなく、使いやすさが第一だ。
 01年に初めて作った書類ケース「リーガルエンベロープ」は18年たったいまでも作り続け、店頭に並んでいる。何も入れないと薄くたためるが、マチがあってしっかり書類が入る。手で握る部分は革で、耐久性が高い。
 当初は想定していなかったが、最近はノートパソコンを入れる人も増えた。まさしく、ありそうでなかった便利なモノの代表格だ。
 「妥協しないモノ作り」には最適の場所である日本だが、そのの最大の難点は「安いものが作れないこと」だった。
 また、職人の手作業頼みの商品では、難しいものになればなるほど、数が作れない。どうしてもコストが高くなってしまうわけだ。
 例えば、構造の設計を一からデザインしたボールペン「チャンネルポイントペン」は無垢の金属棒から職人がひとつひとつ手作業で削り出している。
 ペンをポケットなどに差した際にクリップだけがネクタイピンのように見えるデザインはシンプルだが、それを実現するのはペンの構造から考える必要があった。
 当然、「ポスタルコ」の製品の価格設定の仕方は、一般のステーショナリーとはまったく違う。

原価を積み重ねて価格を決める

 普通ならば顧客のターゲットを定めて価格帯を決め、それに合わせてコストを絞るようなやり方を大手メーカーなどは採る。
 だが、「ポスタルコ」は、まずデザインを決め、職人と製造方法を詰めた段階で、原価を積み重ねて販売価格を決める。職人にも満足してもらえる対価を払うよう努める。
 「もちろん、無駄なコスト増になることはお客様のためにならないので避けます」と、マイクさん。例えば、数センチの違いで規格から外れコストが2倍になるようなものは、規格内に収めてコストを圧縮する。
 だから、「ポスタルコ」の商品は決して安いわけではない。書類ケースは税込みで3万円ほど、ボールペンは4万円前後だ。名刺入れは1万2960円だ。
 できあがるまでの手間暇や職人の手作りであることを考えれば、相応の値段とも言える。また、長年使い続けることができれば、むしろ安い、と言えるかもしれない。

デザイン、発想を実現するツール
 
 東京・京橋の複合商業施設「京橋エドグラン」の1階に「ポスタルコ」の直営店がある。04年に京橋にショップを開いた後、12年に渋谷に移転。再開発でビルが完成した16年に再び京橋に戻った。ステーショナリーだけではなく、バッグなども置くガラス張りの店舗はオシャレな高級有名ブランド店ばりだ。
 一見、輸入品を扱っているようだが、初めての来店客は「日本の職人の手作り」と聞いて一様に驚くという。
 京橋はショールーム的色彩が強い。「ポスタルコ」は初めから「世界」を視野に入れた販売を展開してきた。使い心地の良いものに対する興味は全世界共通だと考えたからだ。インターネットの普及で、オンラインショップが俄然力を発揮した。
 いま、売り上げの半分近くは海外からの注文だ。ウェブサイトはオシャレだ。製作までのストーリーやデザイナーとしての思いがつづられている。もっぱら友理さんの得意分野だ。
 「ポスタルコ」の最新作は「モーグル・スキー・チェア」。北極圏で使う犬ぞりの形から着想を得た。家具にも領域を広げるに当たって、本物の木の家具にこだわる「カリモク家具」とコラボレーションした。
 カリモクと組めばより良い木材を調達でき、イメージ通りのイスが作れると考えたからだ。受注生産方式で販売する。
 「ポスタルコのお店自体を大きくしようとは考えていません」と、友理さん。ポスタルコはあくまで、自分たちのデザインをモノとして実現するひとつのルート。他の企業などとのコラボレーションに力を入れ、自分たちのデザインや発想がより多く実現すればよい。そう考えているようだ。
 大量生産、大量消費の時代は、「良いものをできるだけ安く」という理念でモノづくりは進んできた。だが、世の中が豊かになり、モノが有り余る時代になって、そうした理念はデフレを加速させることになった。
 その反省もあって、「本当に良いものを作り、きちんとした値段で売る」流れが強まってきている。消費者も、価格一辺倒ではなく、「長く使えるものなら、少々高くても、本物がいい」という志向に変わってきた。
 「ポスタルコ」の品々はそんな日本社会の変化にフィットしていると言えそうだ。

9万円から毎年値上がりする日本酒

WEDGE10月号から始まった新連載「Value Maker」の1回目です。

 1本8万8000円の日本酒(750ミリリットル、税別)が評判を呼んでいる。「夢雀(むじゃく)」。山口県の創業支援などを受けて設立されたARCHIS(アーキス)というベンチャー企業がプロデュースして2016年に生み出した。ターゲットはロマネ・コンティを買うような世界の富裕層だ。
 ビンテージ日本酒は作れないだろうかーー。アーキス副社長で夢雀プロジェクトの責任者である原亜紀夫さんの思いつきから話は始まった。
 日本酒といえば、その年獲れた米を原料にした新酒を飲むのが一番というのが半ば常識である。年によって米の出来に良しあしはあるが、だからといって17年産の日本酒を保存しておこうということには普通はならない。時に古酒というのも出回るが、変色し味も日本酒からかけ離れていく。古ければ珍重されるというものでもない。
 この点、ワインとは違う。ワインはぶどうの出来によって年ごとに評価され、価格も付く。いわゆるビンテージものである。それを日本酒で実現できれば、日本酒の付加価値が大きく高まり、業界が成長するのではないか。
 そんな事を考えている時に、岩国の錦帯橋(きんたいきょう)が架かる清流錦川をさかのぼった小さな町、錦町にある酒造会社堀江酒場の杜氏・堀江計全(かずまさ)さんと出会う。「金雀」というブランドで低温で長期熟成させる日本酒を開発していたのだ。堀江酒場は江戸中期の1764年創業。家伝の技術を守りながら、新しいものに挑戦していたのだ。原さんは堀江酒造に醸造を委託することを決める。
 原さんが選んだ酒米は一般的な山田錦ではなく、イセヒカリという品種。1989年に伊勢神宮の神田で偶然発見された。その年、伊勢地方は二度、台風に襲われたが、コシヒカリが完全に倒れた中で二株だけ立ち上がったのがこの苗だった。後にイセヒカリ命名され、それが山口県で栽培され続けていたのだ。「嵐にも耐えた奇跡とも言える神酒米は世界一の酒造りにふさわしい」。そう原さんは思ったという。
 ところが酒を造ってみると、通常の作り方では辛くて旨くない。思い切って18%まで磨いてみたところ、一気に味が変わったのだという。「今までにない華やかで味わいの深い酒ができた」という。しかも、堀江杜氏の技術で、この酒は長期熟成してもほとんど色が変わらず、劣化しないという。
 減農薬、有機農法で育てた2015年産のイセヒカリを使って2016年に純米大吟醸の「夢雀」を発売した。
 問題は価格だった。イセヒカリ山田錦に比べて面積当たりの収量が少ない。しかも、「農家にも儲けてもらうため」(原さん)山田錦よりも高値で買い取った。実は、アーキスという会社は社長の松浦奈津子さんが行ってきた古民家再生など地域おこしを主体とする活動から生まれた。自分たちだけが儲けることを第一義にしていない。
 その精魂込めて契約農家が作ったイセヒカリを今度は18%まで磨いたため「原料費は通常の酒の4倍にはなっている」と原さんは言う。しかも粗製乱造しないため、1000本限定とした。
 「1本18万円にしたいがそんな高額の日本酒は前例がない。かといって1万8000円では大赤字になる。ならば8万8000円にしよう、と決めました」と原さん。数字の8にこだわったのは「八」が「末広がり」で吉数だから。日本的な験担ぎである。
 「その値段でどこで売れるんですか」 行政も、酒蔵の関係者も、ことごとく反対した。
 いったい、どこで売るのか。原さんは日本国内で売る気はさらさら無かった。まずは香港。そしてドバイ。世界の大富豪が集まる場所で売ろうと考えたのだ。
 原さんはかつて商社に勤めていた時代の人脈などを頼りに、直接売り込みにかかった。
 イセヒカリを18%にまで磨き込み、蒸し米とこうじ米を通常とは異なる比率で混ぜた「夢雀」は、日本酒とは思えないフルーティーな味わいで、まさに「ライスワイン」と呼ぶにふさわしい。もちろん、ワイングラスに注ぐが、その芳醇な香りは華やかだ。海外のワイン通をうならせた。「これは本当にサケなのか」。
 日本酒の4合瓶は720ミリリットルだが、シャンパンをモチーフに750ミリリットルの深い青色の瓶にした。ラベルは伊勢神宮の神田で発見されたイセヒカリのイメージから、お札(ふだ)のようなタテ型にした。外国人が親しむ「洋」の形に、日本の伝統的な「和」のテイストを織り交ぜたのである。
 結果は上々だった。香港のマンダリンオリエンタルやドバイのアルマーニホテルなど高級ホテルが買い入れた。また、香港の酒販会社のオーナーからまとまった注文も入った。
 ビンテージならではの「売り方」にもこだわっている。

シリアルナンバーをつける

 数量限定でシリアルナンバー入りとしたのだ。購入希望を受け付ける際に、誰が購入したかをすべて把握、商品には鑑定書を付けて発送する。手に入らない限定品ではしばしば空き瓶が取引されたり、偽物が出回ったりする。それを防ぐ狙いもあるが、狙いは「夢雀の価値の劣化を防ぐ」ためだという。
 「夢雀」の2016年ものはその後、10万8000円で販売していたが、ほとんど在庫がなくなったため、販売を取りやめた。8万8000円で売り出したものが、時と共に希少性を増し、価格が上昇していく。これこそ、原さんが思い描いた「ビンテージ」の姿だ。
 17年物はコメの出来が悪く、酒の製造を見送った。今販売しているのは18年物である。今年も米の出来さえ良ければ、仕込みが始まる。
 富裕層の世界では、ワインは飲んで楽しむ物であると同時に投資の対象でもある。瓶詰直後にまとめ買いをして自分のワインセラーで熟成させておけば、いずれ時と共に価値が増していく。日本酒もそうした世界標準の「買われ方」をするようになれば、まだまだ需要も増え、価格も上昇する。世界に通用する本当に良いものを作れば、価格は天井知らずだ。
 「いずれ、ロマネ・コンティの横にライスワイン(日本酒)のビンテージものが並ぶ時代が来ればいい」と原さんは夢を膨らませている。

 戦後長い間、日本企業は「良いものを安く売る」ことが使命だと考えてきた。確かにモノの足りない時代はそれで人々の生活が豊かになり、日本全体を成長させてきたのは間違いない。
 ところが日本がモノ余り、カネ余りの時代に突入して長い時間がたつ。いわゆるデフレの時代だ。確かにものは溢れたが、企業は儲ける術を失い、人々は低賃金に喘いでいる。
 そこから脱出して、再び経済を成長させるには、より良いものを高い値段で売る「高付加価値経営」が不可欠だ。
 ここでは、最高のものを高く売る商品開発や販売の仕組みなどに挑む全国各地の取り組みを取り上げていく。