特別から日常へ、会津の「アウトドア用漆器」

雑誌Wedgeに連載中の「Value Maker」がWedge Infinityに再掲載されました。ご覧ください。オリジナルページ→

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15145

 漆器といえば、お正月やお祝い事など、特別な時に使われる芸術品のような食器という意識が強い。黒光りする漆(うるし)の表面に金や銀の蒔絵(まきえ)が施された椀や重箱を、普段の食事に使うのは「もったいない」という人も多いだろう。ましてやキャンプなどアウトドアに持って出るなんて「とんでもない」というのが、常識に違いない。

 「だから漆器が生活から消えていくんです」と、福島県会津若松セレクトショップ「美工堂」代表、関昌邦さんは言う。漆器に対する世の中の「常識」に歯向かい、「アウトドア用の漆器」を世に送り出した人物である。

 会津若松は「会津塗」で知られる漆器の一大産地で、400年以上の歴史を持つ。ところが、会津漆器の産業規模は今や最盛期の7分の1。それも全体の話で、木から椀などを削り出す木地作りの仕事は13分の1、漆を塗る仕事に至っては32分の1になっている。「特別な時に使うもの」という意識が、消費者だけでなく、生産者の頭にもこびりついた結果、日頃の生活からすっかり漆器が遊離し、一部の和趣味や富裕層が買う嗜好品になってしまった、というのだ。

 「もともと漆は縄文時代から使われていたようで、漆を塗った器に入れた食物は腐敗が遅いなど、古代人は生活の知恵として知っていたのではないか」と関さん。漆器は普段使いの生活必需品として長年使われてきたというのだ。江戸時代までは飯椀といえば漆器だったが、今や会津でも家で漆器を使う人はほとんどいない。

 関さんは「原点に帰って」素材、機能としての漆の意味を考え、カジュアルな生活道具だった漆器に戻そうと考えた。それが漆器復権につながるのではないかと思ったからだという。

 関さんが真っ先に生み出したのが、「NODATE Mug(のだてマグ)」。アウトドアで気軽に使える木製のマグカップだ。木を削り出した筒型の木地に漆を塗り、すぐに拭き取り乾きを待ち、これを繰り返す。漆の下から木目が浮き上がり独特の風合いが出る。さらに器の腰の部分に穴を開け、ヘラジカの革紐(かわひも)を通した。使った後、紐を引っ掛けて乾かすことができる仕掛けだ。漆器の新機軸とも言える商品が出来上がった。

自分が欲しいカジュアルなアウトドア用食器をプロデュース

 「フェスイベントが好きでキャンプに出かけていたのですが、自然の中に行くのに、食器はプラスチックや金属製というのが気になっていました。何とか食器だけでも自然のもの揃(そろ)をえられないかと探したのですが無くて、自分で作ることにしたのです」

 まずは自分が欲しいカジュアルなアウトドア用食器をプロデュースしよう、そう関さんは思い立った。2010年のことだ。実は、漆は熱にも強く、強酸にも強アルカリにも耐える。木を削って作る漆器は丈夫で軽い。アウトドアにもってこいの素材なのだ。このマグカップ漆器が大ヒットする。キャンプ好きの大人たちの間で、人気アイテムになったのだ。

 お茶も点(た)てられ飯椀にもなるやや大ぶりの「NODATE one(のだて椀)」や、エスプレッソにぴったりの小型マグ「NODATE mug tanagocoro(のだてマグたなごころ)」、そしてアクセサリーを兼ねるお猪口(ちょこ)まで、ラインナップを増やしていった。大皿、小皿、箸もある。どれも革紐が付いていて、リュックサックやテントのフックにも引っ掛けられる。この革紐がアクセントになってアウトドア感を引き立てている。

made in Aizu, Japan

 「NODATE」というブランド名を付けたのは奥さんの関千尋さんだった。「茶道に出合った頃から野点(のだて)という日本語の表現が美しいなとずっと思っていた」という。アウトドアでお茶を一服という器に、ぴったりのネーミングだ。関さんは奥さんこそが影のプロデューサーだと笑う。

 問題は価格だった。高級品として売ってきた漆器は高額だ。これをどこまで安くできるか。「理にかなうプライシング」にすることを考えた。職人にもきちんとした報酬を払うが、買う人にも「高いけど欲しい」と思わせる値段にする。何層にも塗り重ねる一般的な艶塗りではなく、最もカジュアルな「拭き漆(摺り漆)」にすることで価格を抑えた。もちろん、それも会津に伝わる伝統的な塗り技法のひとつだ。マグ1つが5500円という価格は、安くはないがべら棒に高くもない。その価格設定もヒットした理由だろう。

 カジュアルとはいえ、「本物の技術」にはこだわり続けている。生活の中に漆器を取り戻すことで、木地作りから漆塗り、蒔絵、といった会津に残る漆器作りの伝統技法を残すことができる。それが「NODATE」漆器を生んだ大きな理由だからだ。器の裏などには「made in Aizu, Japan(メイド・イン・会津・ジャパン)」と刻み、会津産であることを強烈にアピールしている。それは会津の伝統への「誇り」でもあり、会津を守らなければという「焦り」の表れでもあるように見える。

遊び心の中に会津の伝統技法が生きる

 大名道具の弁当箱である「提重(さげじゅう)」を現代風にアレンジした「bento for picnic(弁当フォー・ピクニック)」も、遊び心の中に、会津の伝統技法が生きている。最近では、ストリートアーティストとコラボをした限定品のマグカップや椀を作っている。新しい芸術が伝統的な会津塗りと共鳴することで、新たな魅力が生まれている。

 セレクトショップ美工堂を運営している関美工堂は昭和21(1946)年の創業で、表彰の際の記念品として「楯」を商品化した会社として知られる。長年、トロフィーやカップなどを作ってきた。上質な会津塗りの手仕事の技法を優勝楯という形に変えて付加価値を付け、市場の多様化に活路を拓いた。祖父、父の跡を継いだ三代目の関さんは、漆器の原点に戻って生活の中で使われるモノ、時代に適したあり方を模索し、祖父と同様に会津塗りの多様化を目指している。

 そんな関さんの「NODATE漆器」が女性誌やファッション誌で注目されている。シャネルの特集ページのすぐ後に、「NODATE」の特集が組まれたりするのだ。また、裏千家系の出版社である淡交社のオンラインショップでも、「NODATE one」が扱われた。本家本元に茶椀として認められた格好だ。生活の中で使われる実用性の高い本物に「美」を見いだすのが日本人本来の美意識なのかもしれない。そんな美意識を関さんの「NODATE」は大いに刺激したのだろう。

 「会津は宝の山です」と関さん夫妻は息を弾ませる。関さんは町の中心にある美工堂を、世界のおしゃれな一級品を集めたセレクトショップにした。東京やニューヨークにあるようなお店だった。だが2年半ほど前に店作りの方針を一変させた。「NODATE」漆器を中心に、会津木綿で作った昔ながらの作業服など、会津の手作りの逸品を揃えるようにしたのだ。

 「今は世界で唯一のお店になりました」。そう語る関さんは漆器文化に代表される「会津の価値」に磨きをかけ、国内外に売り込んでいくことが自らの役割だと考えている様子だった。

総務省に徹底抗戦「泉佐野市ふるさと納税」の行方

新潮社フォーサイトに9月2日にアップされた記事です。オリジナルページ→https://www.fsight.jp/articles/-/45811

 「お上」の決定への徹底抗戦が続いている。

 ふるさと納税制度が今年6月から見直されたのを機に新制度から「除外」された大阪府泉佐野市が、総務省の決定に対して不服を申し立て、「国地方係争処理委員会」で審査が続いているのだ。8月9日には4回目の会合が非公開で開かれ、双方の主張が展開された。9月9日までに結論が出される。

総務大臣通知を出しても……

 地方自治体は「自治」という名前は付いているものの、国の沙汰には従うのが一般的だ。というのも地方交付税交付金の配分や様々な許認可権を握る国に抵抗すれば、仮にその件で勝ったとしても、いずれどこかで仕返しをされかねない。江戸の仇を長崎で討たれるることが目に見えているからだ。国の決定を不服としてガチンコで闘うというのは極めて異例だ。

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郵政3社「時価総額」半減で、政府保有株「売却延期」が急浮上のワケ 郵政民営化はどこへ行った

現代ビジネスに8月30日にアップされた拙稿です。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66864

時価総額が「半減」…!

かんぽ生命保険の不正販売問題で、郵政3社の株価が大きく下落している。かんぽ生命株は1455円、ゆうちょ銀行株は947円、親会社の日本郵政は938円と、いずれも8月26日に上場来安値を付けた。

3社とも2015年11月に東京証券取引所に上場、上場直後には軒並み高値を付けた。上場高値は、かんぽ生命が4120円、ゆうちょ銀行が1823円、日本郵政は1999円なので、上場来高値から上場来安値までの下落率はそれぞれ65%、48%、53%ということになる。まさに暴落と言っても過言ではない。

株価に発行済株式数をかけた「時価総額」の3社合計は、ピークだった2015年12月には19兆円を超えていた。8月の安値では9兆5000億円を下回っており、ピークの半分以下になった。日本郵政グループの企業価値が半減したわけだ。

かんぽ生命の不正販売を巡る問題は今年6月に発覚。

保険契約者に契約の更改を勧めるに当たって、単純に切り替えるのではなく、新旧の保険料を二重に徴収する期間を設けたり、無保険期間を生じさせたりするなど顧客に不利益となる契約更改を行っていたというもの。

いずれも契約成績を水増ししたり、それに伴う奨励金を得るのが目的で、現場の営業職員の間で広く行われていたとされる。

不正の「真の背景」

7月31日の会見で明らかになった不正販売の規模は驚くべきものだった。2014年度から18年までの5年間だけで、顧客の不利益につながった恐れがある契約が約13万7000件に上ることを明かしたのだ。

もっとも、全容は分からないため、9月中に3000万件の契約者全員に更新の経緯などを確認するとしている。

現状で、半年以上にわたって顧客に保険料を二重払いさせていた疑いのあるケースが約7万件、特約などの切り替えで済むのに保険全体を乗り換えさせたケースが約2万5000件、新契約への乗り換えを拒んだケースが約1万9000件、予定利率の低い同じ種類の契約に切り替えさせた件数が約2万件、一時的に無保険状態になった契約が約4万6000件にのぼることなどが明らかになっている。

いったい、なぜ、こんな不正販売が全国の郵便局で当たり前のように行われていたのか。

メディアには次々に現場の「過酷なノルマ」の話が溢れた。経営者が設定したノルマを達成するために、不正に走ったという話になっているのだ。

かんぽ生命が設定・販売する保険は、日本郵便が経営する全国の郵便局でも販売されている。日本郵便は2019年度の営業目標として450億円の販売を設定、それが郵便局ごとに割り当てられていたという。

民間企業ならば営業目標の設定は当たり前のことだろう。だからと言って、民間企業で不正販売が横行しているわけではない。

にもかかわらず、日本郵便の経営陣は労働組合から批判を浴びると、すぐさま今年度の営業目標を廃止、かんぽ生命の保険商品の販売を自粛することを決めた。一連の不正販売がノルマを課した経営者の責任であることを事実上、認めたのである。

しかし、経営陣が本当に責任を取るのかといえば、どうも怪しい。日本郵政長門正貢社長も、かんぽ生命の植平光彦社長も、日本郵便の横山邦男社長も「それぞれの会社で陣頭指揮をとり邁進するのが職責だ」として、辞任を否定しているのだ。

とくに日本郵政長門社長は自分自身に責任があるとは思っていないフシがある。というのも、かんぽ生命の植平社長と日本郵便の横山社長は7月10日に謝罪会見を開いたが、その席に長門氏の姿はなく、厳しい批判を浴びた。7月31日にはようやく3人揃っての会見となったが、前述のように辞任は否定している。

「岩田発言、清田発言は非常に重いので、この場をお借りして、冗談ではないということを申し上げておきたい」

長門社長は記者からの質問にこう反発してみせた。岩田発言とは、政府の郵政民営化委員会の岩田一正委員長が記者会見で、「不祥事案は速やかに公表すべきだった。透明性が極めて重要だった」と指摘したこと。

日本郵政は4月23日に、かんぽ生命の株式を大量に売却、日本郵政保有株比率を89.00%から64.48%に引き下げていた。長門社長は、かんぽ生命の取締役も兼ねており、かんぽ生命株を売却する時点で今回の不祥事を知っていたのではないか、という嫌疑を岩田氏が指摘したのだ。

清田発言とは、日本郵政とかんぽ生命が上場する東京証券取引所を傘下に持つ日本取引所グループ(JPX)の清田瞭・最高経営責任者(CEO)が、同様に「適切な情報開示がなかった」と批判したことを指している。

これらの指摘に対して長門氏が「冗談ではない」と開き直ったのだ。

実は、かんぽ生命は3月末までに金融庁に対して保険業法に違反した事例22件を報告していた。その中にも今回のような不正販売が含まれていたという。つまり、長門氏は不正販売が行われていたことを知る立場にあったということなのだ。

こうした疑惑に長門氏は「知らなかった」と繰り返している。現場から情報が上がっていなかったというのだ。

「郵政グループの経営陣は現場をまったく知りませんから」と、同業の民間企業のトップは語る。郵政民営化で経営トップは外部からの人材を据えたが、現場と経営陣の間には大きな溝があるというのである。

だからと言って、郵政の信頼を大きく揺るがす大問題に発展した問題に頰かむりを決め込むことは難しいだろう。全容が解明された段階で、トップの辞任は避けられない。

はっきり言って民営化失敗

問題は、民営化の象徴だった外部からの民間人経営者登用が頓挫することで、郵政民営化が再び遅れていくことだ。

当初、郵政民営化は2017年9月末までに政府の保有株がすべて売却され、かんぽ生命も、ゆうちょ銀行も完全な民間企業になる予定だった。ところが民主党政権時代の郵政改革の見直しで、保有株は「できるだけ早期に」売却するという文言に改められた。その結果、政府保有株の売却は遅々として進んでいない。

また、冒頭で見たように郵政3社の株価は大きく下落しており、そうした中で今年秋にも予定されている日本郵政株の売却がさらに延期されていく可能性が出てきかねないことだ。

今でも日本郵政の株式は国(名義は財務大臣)が63.29%を持ち、その日本郵政がかんぽ生命株の64.48%、ゆうちょ銀行株の88.99%を保有する。日本郵便日本郵政の100%子会社だ。

民営化と言いながら、まだ日本郵政は国の「子会社」、ゆうちょ銀行、かんぽ生命、日本郵便は国の「孫会社」なのである。

かんぽ生命の不正販売問題が、郵政民営化をさらに遅らせることになるとすれば、まさしく改革に逆行することになりかねない。

9万円から毎年値上がりする日本酒

雑誌Wedgeに連載中の「Value Maker」の記事がWEDGE Infinityに再掲載されました。オリジナルページ→

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14936

 1本8万8000円の日本酒(750ミリリットル、税別)が評判を呼んでいる。「夢雀(むじゃく)」。山口県の創業支援などを受けて設立されたARCHIS(アーキス)というベンチャー企業がプロデュースして2016年に生み出した。ターゲットはロマネ・コンティを買うような世界の富裕層だ。

 ビンテージ日本酒は作れないだろうか─。アーキス副社長で夢雀プロジェクトの責任者である原亜紀夫さんの思いつきから話は始まった。

 日本酒といえば、その年穫れた米を原料にした新酒を飲むのが一番というのが半ば常識である。年によって米の出来に良しあしはあるが、だからといって17年産の日本酒を保存しておこうということには普通はならない。時に古酒というのも出回るが、変色し味も日本酒からかけ離れていく。古ければ珍重されるというものでもない。

 この点、ワインとは違う。ワインはぶどうの出来によって年ごとに評価され、価格も付く。いわゆるビンテージものである。それを日本酒で実現できれば、日本酒の付加価値が大きく高まり、業界が成長するのではないか。

 そんなことを考えている時に、岩国の錦帯橋(きんたいきょう)が架かる清流錦川をさかのぼった小さな町、錦町にある酒造会社堀江酒場の杜氏(とうじ)・堀江計全(かずまさ)さんと出会う。「金雀(きんすずめ)」というブランドで低温で長期熟成させる日本酒を開発していたのだ。堀江酒場は江戸中期の1764年創業。家伝の技術を守りながら、新しいものに挑戦していたのだ。原さんは堀江酒造に醸造を委託することを決める。

 原さんが選んだ酒米は一般的な山田錦ではなく、イセヒカリという品種。1989年に伊勢神宮の神田で偶然発見された。その年、伊勢地方は二度、台風に襲われたが、コシヒカリが完全に倒れた中で二株だけ立ち上がったのがこの苗だった。後にイセヒカリ命名され、それが山口県で栽培され続けていたのだ。「嵐にも耐えた奇跡とも言える神酒米は世界一の酒造りにふさわしい」。そう原さんは思ったという。

今までにない華やかで味わいの深い酒

 ところが酒を造ってみると、通常の造り方では辛くて旨(うま)くない。思い切って18%まで磨いてみたところ、一気に味が変わったのだという。「今までにない華やかで味わいの深い酒ができた」という。しかも、堀江杜氏の技術で、この酒は長期熟成してもほとんど色が変わらず、劣化しないという。

 減農薬、有機農法で育てた2015年産のイセヒカリを使って16年に純米大吟醸の「夢雀」を発売した。

 問題は価格だった。イセヒカリ山田錦に比べて面積当たりの収量が少ない。しかも、「農家にも儲(もう)けてもらうため」(原さん)山田錦よりも高値で買い取った。実は、アーキスという会社は社長の松浦奈津子さんが行ってきた古民家再生など地域おこしを主体とする活動から生まれた。自分たちだけが儲けることを第一義にしていない。

 その精魂込めて契約農家が作ったイセヒカリを18%まで磨いたため「原料費は通常の酒の4倍にはなっている」と原さんは言う。しかも粗製乱造しないため、1000本限定とした。

 「1本18万円にしたいがそんな高額の日本酒は前例がない。かといって1万8000円では大赤字になる。ならば8万8000円にしよう、と決めました」と原さん。数字の8にこだわったのは「八」が「末広がり」で吉数だから。日本的な験担ぎである。

 「その値段でどこで売れるんですか」 行政も、酒蔵の関係者も、ことごとく反対した。

 いったい、どこで売るのか。原さんは日本国内で売る気はさらさらなかった。まずは香港。そしてドバイ。世界の大富豪が集まる場所で売ろうと考えたのだ。

 原さんはかつて商社に勤めていた時代の人脈などを頼りに、直接売り込みにかかった。

 イセヒカリを18%にまで磨き込み、蒸し米とこうじ米を通常とは異なる比率で混ぜた「夢雀」は、日本酒とは思えないフルーティーな味わいで、まさに「ライスワイン」と呼ぶにふさわしい。もちろん、ワイングラスに注ぐが、その芳醇な香りは華やかだ。海外のワイン通をうならせた。「これは本当にサケなのか」。

 日本酒の4合瓶は720ミリリットルだが、シャンパンをモチーフに750ミリリットルの深い青色の瓶にした。ラベルは伊勢神宮の神田で発見されたイセヒカリのイメージから、お札(ふだ)のようなタテ型にした。外国人が親しむ「洋」の形に、日本の伝統的な「和」のテイストを織り交ぜたのである。

 結果は上々だった。香港のマンダリンオリエンタルホテルやドバイのアルマーニホテルなど高級ホテルが買い入れた。また、香港の酒販会社のオーナーからまとまった注文も入った。

 ビンテージならではの「売り方」にもこだわっている。

シリアルナンバーをつける

 数量限定でシリアルナンバー入りとしたのだ。購入希望を受け付ける際に、誰が購入したかをすべて把握、商品には鑑定書を付けて発送する。手に入らない限定品ではしばしば空き瓶が取引されたり、偽物が出回ったりする。それを防ぐ狙いもあるが、狙いは「夢雀の価値の劣化を防ぐ」ためだという。

 「夢雀」の2016年物は、その後、10万8000円で販売していたが、ほとんど在庫がなくなったため、販売を取りやめた。8万8000円で売り出したものが、時と共に希少性を増し、価格が上昇していく。これこそ、原さんが思い描いた「ビンテージ」の姿だ。

 17年物はコメの出来が悪く、酒の製造を見送った。今販売しているのは18年物である。今年も米の出来さえ良ければ、仕込みが始まる。

 富裕層の世界では、ワインは飲んで楽しむものであると同時に投資の対象でもある。瓶詰直後にまとめ買いをして自分のワインセラーで熟成させておけば、いずれ時と共に価値が増していく。日本酒もそうした世界標準の「買われ方」をするようになれば、まだまだ需要も増え、価格も上昇する。世界に通用する本当に良いものを作れば、価格は天井知らずだ。

 「いずれ、ロマネ・コンティの横にライスワイン(日本酒)のビンテージものが並ぶ時代が来ればいい」と原さんは夢を膨らませている。

 戦後長い間、日本企業は「良いものを安く売る」ことが使命だと考えてきた。確かにモノの足りない時代はそれで人々の生活が豊かになり、日本全体を成長させてきたのは間違いない。

 ところが日本がモノ余り、カネ余りの時代に突入して長い時間がたつ。いわゆるデフレの時代だ。確かにものは溢れたが、企業は儲ける術(すべ)を失い、人々は低賃金に喘(あえ)いでいる。

 そこから脱出して、再び経済を成長させるには、より良いものを高い値段で売る「高付加価値経営」が不可欠だ。ここでは、最高のものを高く売る商品開発や販売の仕組みなどに挑む全国各地の取り組みを取り上げていく。

「就活」のためにプライバシーは我慢するべきか  リクナビ問題にみる本人同意の意味

プレジデントオンラインに8月27日に掲載された拙稿です。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/29757

閲覧履歴から「内定辞退率」を提供していた

ウェブ上でのサイト閲覧や商品購入などの行動が「データ」として蓄積され、次の行動の予測に使われる。さらに、ウェブ閲覧者個人の「信用度」や「格付け」などが本人の知らないところで行われ、それが価値のある情報として企業間で売買される。もはや個人の行動は「丸裸」といってもいい状況に追い込まれている。

当然、「プライバシーの侵害だ」と感じる人も少なからずいる。だが、大方の場合、ウェブ上のサービスを利用する際に、細かい字で書かれた利用規約にある個人情報の利用に「同意」していることが多い。もはや便利なサービスを使う上での対価としてプライバシーを差し出していると、諦めている人も多いに違いない。

そんなネット上の個人情報を巡る問題が発覚した。

就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリアが、契約先の企業が就職内定を出した学生について、「内定辞退率」を計算して提供するサービスを行っていた。その際、7983人の学生から十分な同意を得ずに情報提供を行っていた、というものだ。

採用活動を行っている企業からすれば、仮に80人の新卒学生を採用したいと考えていたにもかかわらず、40人が内定辞退するとなれば、人員計画は大きく狂ってしまう。内定者のうち何人が辞退しそうか、正確な人数を把握することが極めて重要になってくる。もし、内定者のうち、辞退しそうな学生が分かれば、会社に呼び出して面接を繰り返すなど、フォローすることも可能になる。

「企業と学生の双方にメリット」というが…

リクルートキャリアが提供していたサービスは、同社が2018年3月から始めたもの。契約先の会社A社に対して、A社から内定を得た学生がどれだけA社の内定を辞退しそうか、5段階に分けて判定した結果を提供していた。

判定の仕組みは、前年度にA社の選考・内定を辞退した学生がリクナビ上でどんな行動を取っていたかなどのデータを、分析してアルゴリズムを作成。現在A社から内定を得ている学生の行動と照合していた、という。

問題発覚後、リクルートキャリアが発表したニュースリリースによると、学生が同社の就職情報サイト『リクナビ』に登録した際に同意した「プライバシーポリシー」に基づいて「リクナビサイト上での行動履歴の解析結果を取引企業に対して提供していた」という。

さらにリクナビはこの情報を「合否の判定に活用しないこと」に契約先企業から同意を得ていたとした。つまり、この学生は辞退する確率が高いから内定は出さない、といった使い方はしていない、というわけだ。

リクルートキャリアはこのサービスについて、「企業は適切なフォローを行うことができ、学生にとっては、企業とのコミュニケーションを取る機会を増やすことができます」と双方にメリットがあることを強調している。

もっとも、こうしたサービスに個人情報が使われていることについて、リクナビを利用した学生の同意が不十分だったとして、リクルートキャリアはサービスの休止を発表した。「リクナビの複数の画面で同意を求める設計だったにもかかわらず、一部の画面でその反映ができていなかった」と非を認めている。

中止の理由は「本人同意が不十分だった」から

ウェブ上の行動や買い物などのデータを基に、個人にスコアをつけるサービスは日本国内でも、さまざまな分野で広がりつつある。イーコマースだけでなく、クレジットカードの利用履歴などから、将来の購買動向を予測し、ダイレクトメールを送信することなどは普通に行われている。ウェブサイトを閲覧した際に現れる広告が、自身がかつて閲覧した商品の広告だった経験を持つ人は多いだろう。それも、過去の行動データを基に関心が高いと思われる商品広告を掲示するサービスだ。

リクルートキャリアがサービスの休止を発表したのは、個人データを解析した予測を第三者に提供したからではなく、その「本人同意」が不十分だった、というのが理由だ。つまり、本人同意さえきちんとしていれば、そこに問題は生じない、というわけだ。

もちろん、本人同意といっても、チェックボックスにチェックを入れたり、ボタンをクリックしたりすることで済む。利便性の高いウェブ上のサービスを使うために、同意のチェックが必要となれば、本来はプライバシー情報の提供に乗り気ではなくても、チェックしてしまうだろう。個人情報を提供する積極的な意思を示しているのではなく、他のサービスにつられて、同意しているケースが多いのではないか。

学生の「ブラックリスト」が作られる恐れ

一方で、個人情報が本人の利益にならない形で利用されるケースも予想される。仮に本人が情報提供に同意していたとしても、それをもってその個人が不利益を被るような情報を作成することは問題ないのだろうか。

今回の場合、内定辞退率が高いと判定された個人について、会社が選考過程でそれを利用することはない、とされている。だが、あくまで、利用しないという合意だけで、本当にそうした利用をしなかったのか、疑問は残る。もし、リクナビで記録された学生の行動による判定で、内定が出されなかったとすれば、学生は提供した情報によって不利益を被ったことになる。こうした情報利用は無条件に許されるのだろうか。

実際、クレジットカードの利用代金支払いが遅れたり、支払いが滞ったりした場合、その利用者の信用情報にマイナス評価が付く仕組みがある。Eコマースの利用などでも、支払いが滞れば、問題がある顧客として評価される。いわゆるブラックリストである。一般的に個人情報をこうした顧客評価に使うことは許されてきた。

「だれが、なにを考えているか」も簡単に予測できる

利用するメールアドレスなどから個人情報を「名寄せ」することが簡単にできるようになり、個人の姿や行動をデータとして企業などが利用する頻度は増している。

どこで何を食べたか、どの交通機関を使ってどこからどこへ移動したか、誰と会ったか、何を買ったか。定期的な行動バターンが把握され、次の行動が予測される。便利な情報社会で生きていく対価として個人の行動が把握されることは致し方ない時代になったということだろうか。

だが、個人の嗜好や趣味のデータ把握がさらに進んでいけば、個人の思想信条なども容易にデータ化されることになるだろう。支持政党といった単純なものだけでなく、どういった情報に関心を持つかなども第三者に把握されることになる。すでに国政選挙などでは、こうした個人データをベースに得票を予測する動きも出ている、という。

安倍首相が繰り返し使う「DFFT」の意味

2019年1月、スイスで開かれた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席した安倍晋三首相は演説し、「成長のエンジンはもはやガソリンではなくデジタルデータで回っている」と述べ、ビッグデータ活用の重要性を訴えた。そのうえで、消費者や企業活動が生みだす膨大なデータについて、「自由に国境をまたげるようにしないといけない」とし、基本的なルールをつくるため世界貿易機関WTO)加盟国による交渉の枠組みを提案。WTO78カ国・地域の閣僚による「WTO電子商取引声明」が出された。さらに、6月に大阪で開いた「G20大阪サミット」でも国際的なルール作りを急ぐことが確認され、安倍首相は「大阪トラック」の開始を宣言した。

そうした場で、安倍首相が繰り返し使っているのが「DFFT」という言葉。データ・フリー・フロー・ウィズ・トラスト(信頼ある自由なデータ流通)の略である。医療や産業、交通などのデータの自由な流通によって、経済成長や貧富の格差の解消につながると訴えたのだ。

フェイスブックやアマゾンといった巨大プラットフォーマーを中心とする米国企業は、こうしたデータ活用を積極的に行っており、米国政府もこうしたデータが莫大な付加価値を生み出すという立場を取っている。プライバシーには一定の配慮はするものの、一定の本人同意を得れば、個人情報を利用できるという姿勢だ。

米国型の「積極利用」だけでは不十分

一方、人権意識の高い欧州諸国は、個人情報の利用に神経質になっており、企業のデータ活用にさまざまな規制を加えようとしている。企業がどんな自分の個人データを保有しているかを、個人が知る仕組みを作るべきだ、といった議論がさかんに行われている。

米国のプラットフォーマーによるサービスが国内で定着している日本は、米国型の積極利用へと突き進みつつある。安倍首相は演説の中で、個人情報や知的財産、安全保障上の機密といったデータについては、慎重に保護されるべきだと述べているが、その実現方法について、国民の間で議論が煮詰まっているとは言い難い。

経済成長に結びつけるデータの自由な流通は間違いなく重要だが、常に個人のプライバシーが危機にさらされることになる。米国型の自由利用を進める一方で、欧州諸国と共にプライバシー保護に向けた国際ルールを作り上げていくことにも、積極的に参加していくべきだろう。

早くも「消費失速」が鮮明に、10月消費増税で「底が抜ける」⁉  これで外国人観光客がさらに減れば

現代ビジネスに8月22日にアップされた拙稿です。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66689

失速の内訳

増税を前に消費の「失速」が鮮明になった。8月21日に日本百貨店協会日本チェーンストア協会が発表した全国の百貨店、スーパーの7月の売上高は、いずれも前年同月比で大きく減少した。

全国百貨店売上高(店舗数調整後)は前年同月比2.9%の大幅減、全国スーパーの総販売高(店舗数調整後、既存店ベース)は7.1%減とこれも大きく落ち込んだ。スーパーの店舗数調整前の売り上げに至っては10.9%の減少だった。

今年の7月は例年に比べて気温が低かったこともあり、「夏物衣料」の販売不振が目立った。百貨店の衣料品は6.9%のマイナス、スーパーの既存店ベースは16.2%の減少だった。

天候不順が直撃した格好だが、比較対象になる昨年7月は集中豪雨などが直撃した時期。百貨店の場合、売上高が6.1%減と大きく落ち込んでおり、スタート台はむしろ低かったと言える。それだけに、天候要因だけでなく、全体の消費マインドが落ち込んでいることを伺わせる。

内閣府が7月31日に発表した7月の「消費動向調査」では、消費者心理を示す消費者態度指数(2人以上の世帯、季節調整済み)が、前月より0.9ポイント低下して37.8となり、10カ月連続で前月を下回った。2014年4月以来5年3カ月ぶりの低水準だった。

2014年4月というのは前回、消費増税が実施され、税率が5%から8%に引き上げられた月である。何と、再増税を直前に控えて、前回の増税後と同じくらい消費者心理が冷え込んでいるというわけだ。

しかも、消費動向調査での心理的な冷え込みが、実際の行動として、百貨店やスーパーの売り上げ激減に結びついたことが今回明らかになったわけだ。

駆け込み需要はどこに行った

本来ならば、消費増税を控えて、駆け込み需要が盛り上がっても良いはずだ。実際、前回の消費増税前の百貨店売り上げの推移をみると、2014年1月の2.9%増から、2月3.0%増、そして直前の3月は25.4%増と大きく増えていた。

中でも高級時計や宝飾品、美術品といった価格の高い商品は売れに売れ、百貨店の「美術・宝飾・貴金属」部門は、1月22.6%増→2月24.5%増、3月113.7%増と記録的な販売になった。高級時計などショーケースから物が無くなるほどの売れ行きだった。

足下の百貨店の売り上げの中では、「美術・宝飾・貴金属」は好調には違いないが、5年前とは明らかに様相が違う。7月の同部門の売上高は8.6%増に過ぎない。つまり、駆け込み需要が目立って盛り上がっていないのだ。

ちなみに、こうした高額商品はインバウンドの旅行者のお目当てでもある。2017年4月以降、百貨店の「美術・宝飾・貴金属」売り上げは、2カ月を除いて前年同月比プラスを続けている。

この主因はインバウンドの外国人観光客の購入だ。観光客の場合、免税手続きをして購入するため、消費増税は関係ない。つまり、現状の高額商品の順調な売り上げは、必ずしも消費増税前の駆け込みとは言い切れないわけだ。

なぜ、駆け込み需要が起きないのか。

6月頃まで、多くの国民の間では、安倍首相が消費増税をまたしても見送るために、解散総選挙に打って出るという見方が広がっていた。安倍首相に近い政治家から、増税先送りに国民の信を問うこともあり得るとする観測が流されていたこともある。

ところが7月の参議院議員選挙に向けて準備が始まり、時間的に同日選挙が無くなったころから、国民の間でようやく増税が現実味を帯びてきたのである。

政府からすれば、駆け込み需要のヤマがなくなれば、その反動減は小さくて済むという考えかもしれないが、国民は増税を前にして一気に財布のヒモを締めたということではないか。

それぐらい、実態景気の地合いが悪いということだろう。

外国人観光客減の恐怖

「経済好循環」を掲げていた安倍晋三首相からすれば、過去最高の高収益を上げた企業が賃上げを行い、家計の可処分所得を増やすことになれば、それが消費に向かい、低迷している消費が上向くはずだった。

首相自ら「3%の賃上げ」を経済界に求め、最低賃金も3%の引き上げを続けてきたが、現実には消費を担う若年層の可処分所得を大きく増やすには至っていない。

これまで消費を底支えしてきたインバウンド消費にも先行き不安が出始めている。

7月に百貨店で免税手続きをして購入された金額は281億3000万円と前年同月比3.3%増えた。かろうじて増加が続いているが、かつてのような2ケタ増は姿を消し、今年1月にはマイナスを記録した。6月も0.6%の増加にとどまった。

しかも、免税手続きをした件数は、2014年10月の免税範囲の拡大以降、増加を続けていたが、今年4月に初めて0.2%のマイナスとなり、6月は1.1%減、7月は3.5%減と2カ月連続で減少したのだ。

日本政府観光局(JNTO)が8月21日に発表した7月の訪日外客数は、299万1000人と前年同月比5.6%増加。単月として過去最高を記録した。中国からの訪日客が19.5%増えたほか、フィリピン、ベトナムといった国々からの訪日客が増えている。

一方で、戦後最悪とも言われる日韓関係を背景に、韓国からの7月の訪日客は7.6%も減少した。韓国で日本製品不買運動と合わせて、日本に行かない運動なども起きている影響が出始めているとみられる。訪日客の増加傾向に今後、変化が出て来る可能性はありそうだ。

仮にインバウンド消費が頭打ちになり、消費増税によってさらに国内消費が落ち込めば、日本経済は底割れする可能性も出て来る。さすがにこのタイミングになっては消費増税の先送りも難しい。

来年のオリンピックに向けて、国民の消費マインドが改善し、財布のひもが緩むことで、消費増税の影響が吸収されることを祈るばかりだ。

最低賃金3%超上げでも不十分

Sankei Bizに8月20日にアップされた「高論卓説」の記事です。オリジナルページ→

https://www.sankeibiz.jp/business/news/190820/bsm1908200500005-n1.htm

■企業「内部留保」増、還元余力は十分

 今年も10月からの各都道府県の最低賃金(時給)が大幅に引き上げられる。東京は1013円、神奈川1011円と初めて1000円の大台に乗せる。全国加重平均の最低賃金は901円で、引き上げ率は3.1%。2016年以降、4年連続で3%を超えることになる。

 第2次安倍晋三内閣の発足以来、安倍首相は「経済好循環」を掲げ、円高修正によって過去最高となった企業収益を、賃上げの形で従業員に還元することを求め続けてきた。賃金が増えれば消費増に結びつき、再び企業収益の底上げに結びつく「好循環」がデフレ脱却には必要だとしてきたわけだ。

 毎年の最低賃金引き上げもその一環で、政府の強い意向が背景にある。最低賃金に近い水準で雇用されているパートなど非正規雇用の賃金を底上げしようというわけだ。18年の春闘では財界首脳に3%超の賃上げを求め、大企業を中心に賃上げが実現したが、最低賃金を底上げすることで、なかなか賃金が上がらない中小企業にも賃金アップを迫る格好になっている。最低賃金は、第2次安倍内閣が発足する直前の12年には850円だったので、7年で160円、19%も上昇することになる。

 こうした流れに真っ向から反対の声を上げているのが、日本商工会議所全国商工会連合会全国中小企業団体中央会といった中小企業団体である。政府の経済財政諮問会議最低賃金の大幅引き上げを求めたのに対して、5月末に連名で反対の「要望書」を提出した。その中で、「政府は賃金水準の引き上げに際して、強制力のある最低賃金の引き上げを政策的に用いるべきではない」とした上で、「生産性向上や取引適正化への支援等により中小企業・小規模事業者が自発的に賃上げできる環境を整備すべきである」とした。賃上げは企業がそれぞれ判断して行うものだ、というわけだ。

 生産性の向上で利益が上がったら賃金を引き上げるのか、賃金を引き上げることで企業は生産性の向上に取り組むのか。立場によって考え方は真っ向から対立する。

 だが、企業はもうかったからといって、賃上げに力を入れるとは限らない。法人企業統計によると、17年度の人件費総額は206兆円と2.3%増加したが、企業が生み出した付加価値のうちどれだけ人件費に回したかを示す「労働分配率」は66.2%。11年度の72.6%からほぼ一貫して低下している。

 一方で、企業が持つ「利益剰余金」、いわゆる「内部留保」は446兆円と前年度比10%近く増えた。人件費や設備投資、配当に回すよりも、内部にため込む傾向が鮮明なのだ。残念ながら企業の自主性に任せておいても、大幅な賃上げが実現することにはならない。

 実は、経済財政諮問会議の民間議員を務める新浪剛史サントリー社長は、3%という最低賃金の引き上げ率は不十分で、5%前後の引き上げが必要だとする意見を述べていた。

 また、自民党の賃金問題に関するプロジェクトチーム(PT)では昨年来、都道府県別になっている最低賃金を、全国一律にすべきだという意見が出ている。政府は働き方改革の一環として「同一労働同一賃金」を掲げており、同じ労働に対して県が変わるだけで最低賃金が変わるのはおかしい、というわけだ。

 人口減少が鮮明になる中で、高齢者や女性の働き手が増え、人手不足を補ってきた。今後、人手不足が本格化する中で、賃金を大幅に引き上げ、それを吸収できる付加価値を生み出す企業だけが、生き残っていくことになるだろう。