「アスクル・モデル」は少数株主の利益を守れるか

日本CFO協会が運営する「CFOフォーラム」というサイトに定期的に掲載しているコラム『COMPASS』。3月16日にアップされました。オリジナルページ→

http://forum.cfo.jp/cfoforum/?p=14814/

 親会社や支配株主が存在する上場会社の独立社外取締役はどう選び、何をするべきなのか。資本の論理だけで支配株主の一存によりすべてを決められるとなれば、少数株主の利益が損なわれることになりかねない。欧米では珍しい親子上場が数多く存在する日本の資本市場にとっては大きな問題になっている。

 議論の呼び水になったのは、2019年8月の株主総会で3人の候補者の再任が拒否され、独立社外取締役がゼロになっていたアスクルアスクルの支配株主であるヤフー(現・Zホールディングス)が、現職の社長だった岩田彰一郎氏の再任を拒否するとともに、日本取引所グループの前CEO(最高経営責任者)だった斉藤惇氏ら3人の社外取締役もクビにした。


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高級時計の付加価値で得た利益を「よのなか」のために使う

雑誌WEDGE2019年6月号に掲載された記事がWedge Infinityに再掲されています。WEBでもご覧いただけます。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/17031

 200万円で売られている世界を代表する高級腕時計の原価はいくらか。時計の専門家に話を聞いた藤原和博さんは度肝を抜かれた、という。

 ムーブメントと呼ばれる駆動装置は技術の進歩が究極までたどり着いていて、何社かに集約され大量に生産されている。価格は4500円くらいとみられるが、実際にはもっと安いという説もある、という話だった。特殊な貴金属を使わなければケースを合わせても原価2万円。それが200万円に化けるのだ。

 「付加価値を生むブランドの力というのは正直凄いと感心した」と藤原さんは振り返る。

 リクルート出身の藤原さんは、東京都初の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務めるなど教育改革の実践家。「よのなか科」の生みの親として知られる。当時は和田中学の5年の任期を終えたところだった。

 教育に関わるかたわら、藤原さんは日本的な良さと最先端の技術を組み合わせる「ネオ・ジャパネスク(新しい日本風)」を掲げてきた。自宅も和の伝統を重んじながら、現代的な便利さを導入したものを建築家と共に建てている。

 時計は日本を代表する製品に育ちながら、欧米の高級ブランドのデザインに押されている。もっと日本の美を凝縮した時計が作れるのではないか。日本を代表する経済人や政治家が、世界に出かける時に腕にしていって夜の晩餐会で高級ブランドに引けを取らない「ネオ・ジャパネスク」の時計ができないか。

 長年の夢が、原価を聞いた途端、藤原さんの中でプロジェクトとして動き出した。ブランド物と同じクオリティの時計が20万円か30万円で売れるのではないか、とひらめいたのだ。

 問題はどう作るか。そんな折、セイコーを退職して、長野県岡谷市で、純国産の腕時計ブランド「SPQR(スポール)」を企画製造していた清水新六・コスタンテ社長を知る。

 清水社長はセイコー時代、ジェノバやミラノ、香港に駐在。商品企画からものづくり現場、アフターサービスまで、「時計作りに関わるひと通りの仕事を経験させてもらった」と清水さん。自分が欲しい時計を作りたいと一念発起し52歳で退職した。セイコー時代の人脈ネットワークを使って新しい時計が生まれていった。時計製造の日本でのメッカとも言える諏訪地域を中心に、ものづくりだけで30社、販売まで含めれば70社との連携で時計が世に出て行く。いわばバーチャル・カンパニーだ。

 藤原さんは清水社長に会うと、この人ならば自分が考えているものを形にしてくれると直感する。その日のうちに手書きでイラストを描いた時計のコンセプトが藤原さんから清水社長に送られてきた。

 文字盤は藍色の漆(うるし)。長野オリンピックでメダルを作った漆加工職人の手によるものだ。深い宇宙を思わせる、引き込まれるような藍色である。文字盤には機械の動きが見えるシースルーの窓が付いているが、通常とは逆で、向かって右側にある。

 「これまでの時計は大体向かって左、つまり右側にテンプ(振動する部品)が置かれていた。でも時計を人に見立てると心臓は本来、左側にあるべきではないのか」

 そんな藤原さんの発想は時計業界の常識からすると全くの型破りだった。向かって右側にテンプを置くには、針を調整するリュウズを左に持ってこなければならない。左利きならばともかく、右利きの時計はリュウズが右と決まっている。それでも清水社長は藤原さんのリクエストを形にしていった。

 藤原和博プロデュース「japan」プロジェクト。藤原さんが清水社長に会ってからわずか半年で、2モデルが出来上がった。「大手時計メーカーだったら製品化に5年はかかります」(清水社長)というから破格のスピードだ。

 価格はゴールドモデル25万9200円(税込)とシルバーモデル19万4400円(同)と決して安いものではない。それでもそれぞれ限定25本という希少性もあって、予約段階で完売した。ストーリー性のある本物にはお金を惜しまない消費者が確実にいる。藤原さんはそう確信した。

 もともとは一回限りのプロジェクトのつもりだった藤原さんだが、その後もプロジェクトは続くことになる。製造に当たる清水社長の仲間たちが「ネオ・ジャパネスク」の時計にやりがいを感じたからだ。もちろん、完売後も問い合わせが続くなど、「japan」の人気が高かったこともある。

 そんな最中、東日本大震災が起きる。津波の被害にあった宮城県雄勝町の特産品である雄勝石。復元された東京駅舎の屋根に張られている石だ。津波で泥まみれになっていた石をボランティアが掘り出し、洗い清めた。その雄勝石を薄くして文字盤にできないか。

 藤原さんが「japan311」と名付けた限定品が発売されたのは震災から5カ月後のこと。40本作り、30本を31万3200円で販売。10本は地元関係者に寄贈した。また、売り上げから300万円を寄付、津波で流された「雄勝法印神楽」の太鼓や衣装の購入費用とした。寄付付きということもあって、このモデルもあっと言う間に完売している。

 2016年に、日本の磁器が佐賀県有田に誕生して400年を迎えるのに合わせて藤原さんは、有田焼の白磁で文字盤を作れないかと思いつく。藤原和博プロデュースの第5弾は「SPQR arita」と名付けられ、13年に発売された。有田焼の窯元「しん窯」が文字盤用に薄い白磁を完成させた。リュウズの先端にも蛇の目模様の有田焼が付けられている。

 この有田焼の文字盤がセイコーの目に留まる。今秋発売予定の「プレサージュ」匠の技シリーズに採用されたのだ。実は、担当者から藤原さんに「別の白磁メーカーに作らせるのでいいでしょうか」と事前に確認があった。藤原さんは即座に、むしろ技術開発に苦労した「しん窯」を使ってあげてほしいと伝える。自分は一銭もいらないけれど、あとで「セイコーがまねをした」くらいのことは言ってもいいですよねと微笑んだという。

 ネオ・ジャパネスクを広げたい藤原さんにとっては、セイコーからの話は願ってもないことだった。一方で、自分のアイデアをまねされたと言いふらせることは遊び心満点の藤原さんにとって何よりの報酬だというわけだ。

 藤原さんがプロデュースする日本の様々な技術と時計との融合は、ものづくりを守り育てることに大きく役立っている。世界の高級ブランドと同じ品質のものを、きちんとした価格で売れば、携わる職人たちが満足する手間賃を得るだけでなく、企画する清水社長にも利益が残る。

 その利益から清水社長はラオスでの学校建設に寄付をしているのだ。学校建設の基金と出会ったのも、藤原さんの紹介だった。

 付加価値を付けた本物志向のものづくりの利益が循環して、海外での学校建設にまでお金が回る。藤原さんのアイデアから生み出された価値は、とてつもなく大きい。

 

55億円をだまし取られた「地面師事件」が発端 積水ハウスで勃発した“ガバナンス巡る激突”の深層

ITmediaビジネスオンライン#SHIFTに不定期で連載している『滅びる企業生き残る企業』に3月11日に掲載されました。是非お読みください。オリジナルページ→https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2003/11/news022.html

 投資家が企業を選ぶ尺度としてESGが重視されるようになってきた。ESGは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字を取ったもので、海外投資家から始まり、今では日本の機関投資家も重視するようになってきた。中でも日本では、企業のガバナンス不全が長年指摘され続けており、この改善が大きな課題になっている。

 今年も株主総会に向けた「モノ言う投資家」の動きが始まっている。前哨戦ともいえる3月総会(12月期決算企業)では、キリンホールディングスの2%超の株式を保有するとみられる英投資会社フランチャイズ・パートナーズが、社外取締役の選任と自社株買いを求める株主提案を提出、キリンHD側はこれを全面的に拒否し、株主総会で争う構えだ。

 また、4月総会(1月期決算企業)では積水ハウスの和田勇・前会長兼CEO(最高経営責任者)らが、取締役の総入れ替えを求める株主提案を提出。これも会社側は全面的に拒否しており、総会に向けてプロキシーファイト(委任状争奪戦)になることが確定的になった。

前会長「業界の常識では考えられない異常な取引」

 いずれも、ガバナンスの在り方が問われているが、とくに積水ハウスの場合、ガバナンスを巡って両者が激しく対立している。

 実は、和田前会長は2018年1月に、現経営陣によって事実上解任されている。17年に発覚した「地面師事件」での責任を問い、阿部俊則社長(当時。現在は会長)の解任を迫ったところ、逆に返り討ちにあって会長職を追われた。阿部氏ら現経営陣が事件の実態解明を阻んでいるというのが和田氏の主張で、全員の交代を求めている。

 問題の地面師事件は、東京・西五反田の土地に絡んで、積水ハウスが偽の所有者との売買契約を結び、同社が55億円を騙(だま)し取られたもの。本物の所有者から契約は偽であるという内容証明郵便が会社に繰り返し届いているにもかかわらず、取引を強行したことや、7月末までの代金支払いを2カ月前倒しで支払ったり、振込ではなく、預金小切手で支払ったりするなど、「業界の常識では考えられない異常な取引」だったと和田氏は指摘する。

和田氏らは、これを単なる詐欺被害ではなく、阿部俊則・現会長(事件当時・社長)らが「経営者として信じ難い判断を重ねたことによる不正取引」だと断じている。

 これに対して積水ハウスは、3月5日に取締役会を開いて株主提案に反対することを決議。地面師事件については、「不正取引は存在しません」と全面的に否定している。また、調査報告書の公開を拒み続けるなど、「隠蔽(いんぺい)を続けた」と和田氏らが主張していることについても、真っ向から反論して、こう述べている。

 「2018年3月6日付の適時開示文書として、『分譲マンション用地の取引事故に関する経緯概要等のご報告』を公表しており、『地面師事件』の経緯概要、発生原因、責任の所在、再発防止策及び処分の内容に至るまで網羅して記載しております」

 この文書には調査報告書の結論が引用され、阿部社長(当時)の責任について「業務執行責任者として、取引の全体像を把握せず、重大なリスクを認識できなかったことは、経営上、重い責任があります」としている。しかし、事件の具体的な内容についてはほとんど触れられていない。その点については、「地面師事件の模倣犯を生じさせかねないことへの懸念や捜査上の機密保持及び個人のプライバシーへの配慮のため」だとしている。まったく主張が噛(か)み合っていないわけだ。

 果たして、株主総会ではどんな結論になるのか。

phot2018年3月6日付の適時開示文書「分譲マンション用地の取引事故に関する経緯概要等のご報告」で触れられている事件の経緯概要(以下、積水ハウスのWebサイトより)
  phot事件の具体的な内容についてはほとんど触れられていない

海外投資家と機関投資家の判断に注目

 和田氏らが株主提案した取締役選任議案では、和田氏のほか、19年6月まで常務執行役員だった藤原元彦氏、同じく19年まで北米子会社のCEOだった山田浩司氏、現役の取締役専務執行役員である勝呂文康氏の4人の積水ハウス関係者に加えて、米国人のクリストファー・ダグラズ・ブレイディ氏ら7人の独立社外取締役を候補としている。社内4に社外7という構成だ。

 一方、5日に会社側が決めた取締役候補は社内8に社外4という構成。阿部会長や仲井嘉浩社長ら4人の代表取締役はいずれも留任するほか、4人の社内取締役のうち1人を交代させる。退任するのは、和田氏側の株主提案に名前を連ねた勝呂氏だ。

 積水ハウスは、和田氏の解任以降、ガバナンス改革を進めてきたと強調している。実施した施策として掲げているのが、(1)代表取締役の70歳定年制、(2)取締役の担当部門の明確化、(3)議論活性化のための経営会議の設置、(4)取締役会の実効性評価の実施――の4点。また、4月の総会で社外取締役を4人に1人増員するのは、社外取締役の比率を3分の1にするためだとしている。

    phot2018年を「ガバナンス改革元年」と位置付けた積水ハウスグループの「コーポレートガバナンス体制強化への六つの項目」など

 「18年以降、徹底したガバナンス改革によりガバナンスは強化されている」と自らのガバナンス改革に胸を張る。一方で、和田氏らが提案する社外取締役候補者については、「住宅・不動産ビジネスに関する知識・経験を有していることが窺われる候補者が一人として含まれていません」と一蹴している。

    phot株主提案に対する当社取締役会意見に関するお知らせ(以下、積水ハウスのWebサイトより)

 果たして、株主総会では誰が取締役に選ばれるのか。帰趨(きすう)は海外投資家や機関投資家がどう判断するかにかかっている。

 積水ハウスの発行済み株式数は、19年1月末現在で6億9068万株。大株主名簿ではトップは日本マスタートラスト信託銀行の信託口となっているが、「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」が、19年3月末で同社株を5872万9500株保有していることを公表しており、発行済み株式数の8.5%に相当する、実質の筆頭株主とみられる。次いで、もともとの母体であった「積水化学工業」が6.1%を保有する。さらに、米投資会社のブラックロック・グループが合計6.16%を保有していることが分かっている。

 ブラックロックを合わせた外国人投資家の保有比率は、19年1月末段階では全体の22.7%に達している。海外投資家はESGに敏感で、地面師事件のような不祥事を起こした経営者には厳しい。米インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)など、議決権行使助言会社が、阿部氏ら現職代表取締役に反対票を投じるよう推奨するようなことがあれば、海外投資家は再任に反対に動く可能性が高い。

   phot積水ハウスのWebサイトに掲載されている2019年1月31日現在の大株主

「経営権を争う例」が増える

 GPIFは議決権を直接には行使しないが、運用委託先ファンドを通じて議決権を行使している。18年4月から19年3月の間の株主総会では、会社側の提案に対しても10.1%に当たる1万4731件で反対票を投じているほか、株主提案281件のうち4.3%に当たる12件で賛成票を投じていた。

 大株主には、「SMBC日興証券」(2.33%)や「三菱UFJ銀行」(1.97%)、「第一生命保険」(1.76%)などが名を連ねている。国内のこうした金融機関の賛否がどうなるかも注目される。

 4月の株主総会に向けて、会社側も和田氏側も、メディアなどを使って「自らのガバナンスの正当性」を訴えることになるだろう。

 6月には3月期決算企業の株主総会が集中する。3月後半から4月にかけて、こうした企業に「株主提案」が数多く出されることになりそうだ。19年6月のLIXILグループ株主総会では、潮田洋一郎取締役会議長(当時)に社長兼CEOを解任された瀬戸欣哉氏が株主提案を出し、海外ファンドなどの賛成を得て、取締役に復帰した。

 会社側と株主提案側で経営権を争う例が増えることになりそうだ。会社で不祥事などが起きれば、間違いなく株主からガバナンスを問われる時代になり、絶対権力者と思われてきた社長や会長も安閑とはしていられなくなってきた。

 

積水ハウス、ここへきて「前会長 VS. 現経営陣」委任状争奪戦へ  経営責任追及か権力闘争か

現代ビジネスに3月11日に掲載されました。是非お読みください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71009

4月23日、株主総会で激突

積水ハウスで2018年1月に会長兼CEO(最高経営責任者)を事実上解任された和田勇氏らが、4月に行われる同社の株主総会に向けて、取締役の入れ替えを求める株主提案を提出している問題で、3月5日に会社側が取締役会を開き、提案に反対することを決議した。

その上で、会社側として議案にする取締役候補を公表、4月23日に行われる総会に向けて双方が賛同株主を集めるプロキシーファイト(委任状争奪戦)になることが確定的になった。

和田氏らが問題にしているのは、2017年に発覚した東京・西五反田の土地取引に絡む地面師事件。偽の所有者との売買契約を結んだことで、積水ハウスが55億円あまりを騙し取られた。

当時社長だった阿部俊則・現会長らは、本当の所有者から契約は虚偽であるという内容証明郵便が繰り返し届いていたにもかかわらず取引を強行。しかも、振込ではなく「預金小切手」を使うという「業界の常識では考えられない異常な取引」を行なったと和田氏らは指摘する。

単なる詐欺被害などではなく、「経営者として信じ難い判断を重ねたことによる不正取引」だと現経営陣を批判、退陣を求めているわけだ。

双方が社外取締役候補を選定

これに対して積水ハウス側は、真っ向から反論している。地面師事件については、不正取引は存在しないと全面的に否定。また、和田氏らが調査報告書の公開を拒み続け「隠ぺいを続けた」と批判していることについても、『経緯概要等のご報告』を公表しており、隠ぺいではない、とした。

会社側が同時に発表した取締役候補は社内取締役候補8人と社外取締役4人の合計12人。阿部会長や仲井嘉浩社長ら4人の代表取締役はいずれも留任する内容だ。

他の4人の社内取締役は、現役の取締役専務執行役員として和田氏に同調し株主提案の候補者名簿に名を連ねた勝呂文康氏を除く3人を再任とし、勝呂氏の代わりに新任候補をひとり加えた。また、社外取締役候補は従来の3人から4人に増員。ガバナンス改革に取り組んでいる姿勢を強調した。

一方の和田氏らが株主提案した取締役選任議案は、和田氏のほか、昨年6月まで常務執行役員だった藤原元彦氏、同じく昨年まで北米子会社のCEOだった山田浩司氏と勝呂氏の4人の積水ハウス関係者に加えて、米国人のクリストファー・ダグラズ・ブレイディ氏など7人の独立社外取締役を揃えた。社内取締役4人と社外取締役7人という構成だ。

どちらにも不透明さが

果たして、この候補者に、株主たちはどんな審判を下すのか。

持ち株比率などからみて、株主提案が全面的に採用され、会社側提案が否定される和田氏側の「完勝」は難しそうだ。「和田氏はコーポレートガバナンスの不備を理由に現経営陣の再任に反対しているが、自らが候補者になっていることで、返り咲きを狙う権力闘争に見えてしまう」と金融機関のアナリストは言う。

会社側にも反対する理由を示した文書で次のように書かれてしまっている。

「本株主提案は、和田氏が『当社の現状を憂い立ち上がった』(本株主提案の理由)ものではなく、あくまでも提案株主の私的な理由によるものである可能性が高く、当社の企業価値及び株主共同の利益向上を実現するためのものではないと考えざるを得ません」

株主提案は、解任されたことを恨みに思っている和田氏が、取締役復帰を狙ったリベンジだというのである。

和田氏は会見で「代表取締役に就くつもりは毛頭ない」と繰り返していたが、では誰が社長候補なのか、と問われると口を濁していた。

海外投資家、機関投資家の判断は

株主総会で海外投資家や機関投資家がどんな投票行動を取るのか。地面師事件に関して経営責任を問うのならば、賛同するかもしれないが、権力闘争だと見なせば、株主提案に賛成はし難い。

会社側提案にバツを付けるのもハードルは高いが、さらに株主提案にも賛成させようと思えば、よほど説得力がなければ、機関投資家は賛同しない。

積水ハウスの発行済み株式数は、2019年1月末現在で6億9068万株。大株主名簿ではトップは信託銀行の信託口となっている。実際には「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」が、2019年3月末で同社株を5872万9500株保有していることを公表している。発行済み株式数の8.5%に相当する株数で、実質の筆頭株主だとみられる。

さらに、米投資会社のブラックロック・グループが合計6.16%を保有していることが分かっている。

海外投資家は企業の不祥事やガバナンス問題に敏感で、積水ハウスの現経営者に向ける視線は厳しい。米インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)のような議決権行使助言会社が、会社側提案に反対票を投じるよう推奨することになれば、阿部会長や仲井社長らに多くのバツが付く可能性は大いにある。

見通しは全く不明

昨年6月のLIXILグループ株主総会では、前年に潮田洋一郎取締役会議長(当時)に社長兼CEOを解任された瀬戸欣哉氏が、海外ファンドなどの支援を受けて株主提案を行い、賛成多数で取締役に復帰した。LIXILでは会社側提案の候補と株主提案の双方の候補の多くが選ばれる結果になり、「呉越同舟」の取締役会ができた。かろうじて瀬戸派が多数を制して、瀬戸氏がCEOに復帰した。

積水ハウスも似たようなプロキシーファイトの展開になりそうで、「呉越同舟」の取締役会になる可能性もある。ただし、現状では和田氏の取締役復帰に機関投資家が賛成するかどうかは微妙。長年積水ハウスでワンマンと言われてきた人物を復帰させることがガバナンスの強化につながるというのは説得力に欠けるからだ。

一方、不透明感が依然として強い地面師事件に自らも大きな責任があると認める阿部氏や稲垣士郎副会長(事件当時・副社長)が、すんなり再任されるかどうかも分からない。カギを握るのはどちらの社外取締役候補が大株主たちに支持されるかどうか。取締役会の過半を現経営陣側と和田氏側のどちらが取れるかを左右することになるからだ。

社外取締役の多くが過半の議決を得て選任され、事件当時、役員だった積水ハウス関係者は皆、選任されないという異常事態に陥る可能性もありそうだ。4月の総会に向けて、今後、和田氏と会社側の主張がたたかわされることになるのだろうが、それを機関投資家がどう聞くかが帰趨を決めることになる。

日本という国が「想定外の事態」という言い訳を繰り返す根本原因 「最悪」を想定しないという伝統

プレジデントオンラインに3月6日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/33480

突然の安倍首相による「休校宣言」

日本の官僚機構は「想定外の事態」に弱い。今回の新型コロナウイルスでも同じだ。本来、未知の病原体のパンデミックは「いつでも起こりうる事」として想定されていたはずだが、結局、右往左往する醜態を国民に晒している。

安倍晋三首相は2月27日夕、新型コロナの感染防止対策として、全国の小学校・中学校・高校に3月2日から春休みまで臨時休校するよう要請した。その後の報道や国会答弁で明らかになったところによれば、一斉休校は首相官邸が検討、27日の朝に藤原誠文部科学事務次官に、全国で一斉休校した場合のシミュレーションをするよう指示があったという。

萩生田光一文部科学相と藤原次官は午後1時半に首相官邸に駆けつけ、官邸の方針に反対したという。共働きやひとり親家庭の親がすぐに休暇を取ることは難しく、現場の混乱は必至だというのが理由だった。だが、首相は腹心と言われる萩生田大臣や、文科次官の反対を押し切り、方針表明へ突き進んだ。

強いリーダーシップを示そうとした首相

安倍首相からすれば、「無策」のまま新型コロナの蔓延を放置すれば、政権の足元を揺るがしかねない。25日に加藤勝信厚生労働相が公表した新型コロナ対策の基本方針は不評だった。さらに「桜を見る会」や黒川弘務検事長の定年延長問題で内閣支持率が落ちていたタイミングとも重なった。局面を打開するため、首相は強いリーダーシップを示す必要性に迫られていたのだ。

もともと政治家は権力を行使したがる人種である。危機に直面して「無策」だった場合の国民の批判は凄まじい。

かつて水産高校の練習船が米軍の潜水艦に衝突されて沈没した際、のんびりとゴルフをしていたとして森喜朗首相(当時)が批判にさらされ、退陣するひとつのきっかけになった。天災が起きた際に「対策本部」が官邸に設置され、関係閣僚が駆けつけるのはもはや当たり前の光景になっている。今回の新型コロナでも官邸での対策会議を欠席した小泉進次郎環境相らに、首相は「注意」せざるを得なかった。

そんな中で、新型コロナ対策で「無策」を続ければ、批判を浴びるのは火を見るより明らかだった。一方、一斉休校が仮に過剰だったとしても、なかなかそれを批判するのは難しい。科学者の意見よりも、政治的な判断が優先された、ということだろう。

危機発生時の「手順」を整備するのが霞が関の仕事

これを政治家の独断専行、暴走と言うかどうかは別として、そうした行動を封じるために、「法令」を整備しておくのが霞が関の基本である。危機が生じた際、どういう手順で対策を発動するか。それを誰が、どの会議体で決めるのか。

首相が決めれば何でもできるというのは、首相が暴走するというリスクがあるだけではなく、首相が決断できない人物だった場合にも大きなリスクになる。

パンデミックが起きた場合、誰がどういう手順で学校を休校にするのか。学校長の判断や教育委員会の決定を待っていたら、全国一斉の休校は難しいし、学校ごと、地域ごとにバラバラな対応を許せば広範な地域での「封じ込め」はできない。

今回のように学校職員の感染が確認された段階で、仮に1日で判断を下すとしたら、どういう手順を踏むのか。事前にまったく「想定」がされていなかったという事だろう。もし手順が明確に決まっていたなら、厚労相や厚労次官も、より説得力のある対案を首相に示せたろうし、首相も耳を傾けたろう。それでも首相が蛮勇をふるって強硬策を取ろうとすれば、事務次官は職を賭して反対することもできたはずだ。

今の時代に「テレワークできない」厚労省

官僚は、政治家とは逆に、もともと「積極的な対応」を避ける人種だ。無策や慎重な対応で責任が問われることはまずない。責任が問われるのは、何かを踏み込んで行なったときだ。

今回の新型コロナでも後手後手に回っているように見えるのは、「最悪の想定」をして対策を事前に講じておくという文化が霞が関にないからだ。しばしば「想定外でした」という言い訳がなされるのは、霞が関だけでなく官僚機構全体、あるいは役所的な会社の宿命と言ってもいいだろう。

予備費を使ってパソコンを支給したらどうか」

ある省の事務次官厚労省の幹部にそんな苦言を呈していた。加藤厚労相が「テレワークの推進」を呼びかけたにも関わらず、厚労省の課長補佐が業務用のパソコンを支給されていないため、テレワークができないという話が話題になった席でのことだ。

つまり、パンデミックで交通が途絶し、役所に通勤できなくなる事態を想定していなかったのだ。

今の時代、個人用のパソコンやスマホを持っていない人はほとんどいないが、それを役所のシステムにつなぐことは御法度で、自宅から仕事ができないということだろう。民間企業では、時限的に自宅の個人パソコンを会社ネットワークに接続できるようにルールを緩め、テレワークに踏み切ったところも多いが、そうした対応ができていないのだ。

また、外部の識者を集めて開く各種審議会でも、テレビ会議を実践しているのは首相官邸の会議ぐらいで、他省庁の会議は遠隔開催できる態勢にすらなっていない。そもそも日頃の会議でテレビ会議を実施したことがなければ、非常時にテレビ会議での対応などできないだろう。民間では、出張先など遠隔地からスマホで会議に参加するのがもはや普通の光景になっているから、在宅でのテレワークになってもさほど混乱していない。

「縦割り問題」が対応を遅らせている

もうひとつ、霞が関が抱える問題は「権限の所在」が分散していることだ。しばしば批判される「縦割り行政」の弊害である。今回の新型コロナ対策でも担当省庁の縦割り問題が対応を遅らせる一因になったとみられる。

1月30日金曜午後、横浜の港に近い産業貿易センターの大会議室で「横浜港新型コロナウイルス感染症に関する関係者連絡会議」が開かれた。翌週の月曜日には集団感染を引き起こした大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜沖にやってくるのだが、この日の会議は、その後の危機をほとんど予測していない。

参加機関には、国土交通省関東地方整備局や関東運輸局、横浜検疫所などが名を連ねたが、厚生労働省の本省からは参加していない。議事も、国交省からの情報提供、横浜検疫所からの情報提供、横浜市健康福祉局からの情報提供となっていた。この段階では「出先任せ」で本省が出張っていく問題とは思われていなかったのだ。

米国では1万4000人がパンデミック対策を行う

ところが、ダイヤモンド・プリンセスの入港で事態は一変する。港湾は基本的には横浜市国交省の管轄。クルーズ船に関する情報収集も当初は国交省が窓口だった。

しかし船内の感染が拡大していく中で、なかなか情報が伝わらず、ネット上などで「隠蔽しているのでは」といった噂も流れた。

関係者はその実態について、「情報の集約先を厚労省の本省に決め、実施するのに時間がかかった。クルーズ船の運行会社でも情報を国交省に報告するのか、厚労省に報告するのか、混乱が続いていた」と証言する。もともと、こうしたクルーズ船での大量感染時に厚労省に情報が集まる仕組みができていなかったのだ。

米国にはCDC(疾病管理予防センター)があり、トップは大統領が任命する政治任用ポストで、強い権限を持つ。職員は1万4000人、年間120億ドル(約1.3兆円)の予算を持つ。未知の病原体の調査研究を行いパンデミック対策などの司令塔になる巨大組織だ。

一方、日本で感染症対策に当たる政府機関は、国立感染症研究所で、所員は348人、年間予算は64億円に過ぎない。新型コロナのPCR検査に当たる「ウイルス3部」には16人しかおらず、他部署や外部からの応援も合わせて78人がローテーションで対応しているという。圧倒的な貧弱さだ。

非常時こそ「官僚が機能する仕組み」が必要だ

このところ日本でも相次いだ台風被害などに対応するために、米国の「連邦緊急事態管理庁FEMA)」と同様の組織を日本にも作るべきだという声が自民党などからも上がっている。だが、日本でこうした省庁の再編議論はなかなか進まない。新しい組織を作れば、既存の省庁の権限や予算が削られることになりかねないからだ。

CDCのような組織が必要という声が上がったとしても、感染症対策を所管する厚労省から新組織を作るべきだという声は上がらない。厚労省の下に作るとなれば賛成するかもしれないが、それでは省庁横断的な権限集約はままならない。

新型コロナの蔓延が続く中では、独断専行にも見える首相官邸の“リーダーシップ頼み”も致し方ないかもしれない。しかし、本来は、国民を危機に晒す非常時にこそ、専門家である官僚がきちんと機能する仕組みを作るべきではないか。

この感染がおさまったからといって忘れてしまうことなく、さらに強力な病原体のパンデミックが起きた場合を想定して、政治と官僚機構のあり方を整備しておくことが必要だろう。来年の冬にさらに深刻な事態が発生しないとは言い切れないのだから。

「国民負担率」過去最高44%の衝撃〜消費が増えるはずもなく… 江戸時代の「四公六民」上回る

現代ビジネスに連載されている『経済ニュースの裏側』に3月5日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70863

8年連続の上昇

税金と社会保障費の負担が生活に重くのしかかっている。財務省が発表した2018年度の国民負担率は44.1%と過去最高になった。100稼いで税金や年金掛け金、健康保険料などを差し引くと手元には半分強の55しか残らない計算になる。

政府は2019年10月の消費増税後の消費喚起に躍起になっているが、そもそもこの国民負担率が上昇していることに消費減退の根本原因であることは明らかだろう。

税金と社会保障費の国民所得に占める割合である「国民負担率」は、2010年度から8年連続で上昇を続けている。この間に負担率は37.2%から6.9ポイントも上昇、国民負担の総額は44兆円近く増えた。

とくに増加が大きいのは、年金や健康保険などの「社会保障負担」。1989年度に10%台に乗せて以降、ほぼ一貫して増えてきた。2018年度の「社会保障負担」は18.1%に達した。厚生年金の保険料率が2004年9月までは基準給与の13.58%(半分は会社負担)だったものが2017年9月まで毎年引き上げられて18.3%になるなど、13年間で4.72%も引き上げられたことが大きい。

第2次安倍内閣以降

国税地方税を合わせた「租税負担」は1990年代から2012年度頃までは22~23%でほぼ横ばいが続いてきた。ところが、2012年末に第2次安倍晋三内閣が発足して以降、急速に税負担が増えている。2014年に消費税率を5%から8%に引き上げたほか、所得控除の見直しなどに取り組み、2018年度は26.0%に達した。

この傾向は今後も続きそうだ。2019年度について財務省は、国民負担率が43.8%に低下するという「実績見込み」を公表しているが、これは当てにならない。2019年10月から消費税率が10%に引き上げられていることもあり、負担が軽くなるとは考えにくいからだ。

1年前の発表では2018年度の負担率は42.8%と2017年度の実績に比べて低下するとの「実績見込み」を公表していたが、結局、今年の発表で明らかになった「実績」は過去最高だった。分母である国民所得の見込みを楽観的に見積った結果、負担率の予想や見込みが小さく見えるということを繰り返している。

それでも消費増税の影響を無視できないためか、財務省が今年発表した2020年度の国民負担率「予想」は44.6%に達している。予想段階から「過去最高」を財務省自身が公表するのは極めて異例だが、それほど消費増税の影響は大きいということだろう。もっとも44.6%の前提になっている国民所得(分母)は415.2兆円で、2018年度実績の404.3兆円を大きく上回る。

景気鈍化でさらに負担率増

一方で足下の景気は急速に悪化しており、この国民所得が達成できるかは大いに疑問だ。加えて新型コロナウイルスの蔓延による経済活動の鈍化が見込まれており、国民所得の伸びが鈍化するのは必至な情勢だ。財務省が試算に使っている2019年度の国民所得408兆円並みに2020年度もとどまったとすれば、国民負担率は45%を大きく上回ることになる。国民負担率50%時代が視野に入って来るわけだ。

かつて歴史の教科書で「四公六民」あるいは「五公五民」という言葉を習った人もいるに違いない。江戸時代の農民に課される年貢を示すもので、収穫高の四割を「公」、つまり年貢として納め、手元には六しか残らない「重税」に苦しんだ農民の話の論拠として使われる。現在の日本の国民負担率は「四公六民」を超え、「五公五民」に近づいているわけだ。世が世なら百姓一揆が起きていてもおかしくない「重税」だということになるだろう。

「いや、社会保障費は保険料なので税金とは違います」と霞が関の幹部官僚は言う。「年金掛け金は自分のためだ」という思いがあったからこそ、ここまで国民負担率の上昇を国民が受け入れてきたとも言えるが、日本の年金制度は「積立方式」ではないので、自分自身の「貯金」ではなく、現状の高齢者への支給に充てられている「目的税」に近い。

もはや減税に手をつけるしか

政府も増税は言い出しにくいが、年金や健康保険の保険料率改訂ならば打ち出しやすいこともあり、社会保険料負担が増え続けてきた。2017年まで毎年、厚生年金の保険料率を引き上げることを10年以上前の国会で決めたことなど、多くの国民は覚えていない。

さすがに、もはや年金保険料の引き上げは難しいということになって、税収増に向けた税制改正に政府が力を入れているわけだ。

だが、これ以上、国民の負担を増やせば、そうでなくても低迷している消費が一段と冷え込むことは火を見るより明らかだ。日本のGDPの55%は家計消費支出によって支えられている。これが冷え込めば、一気に景気が悪化することになりかねない。

新型コロナ対策で安倍首相は、母親の休業に伴う所得減の穴埋めを政府支出で行う方針を示している。非常時とあって、もはや「何でもあり」のバラマキで景気の底割れを防ごうとしているようにも見える。

景気を下支えする最良の手法は、増え続ける国民負担を抑えるために、大幅な減税を行うことだろう。所得減税では低所得の若年層には恩恵が及ばない。一部の野党が主張している時限的な消費減税なら家計を一気に温め、消費におカネを回すことができる可能性があるかもしれない。

2020年の時計市場、 減速懸念強まる

時計雑誌クロノスに連載されている『時計経済観測所』です。3月号(2月3日発売)に掲載されました。WEB版のWeb Chronosにもアップされています。是非お読みください。オリジナルページ→

https://www.webchronos.net/features/41854/

クロノス日本版 2020年 03 月号 [雑誌]

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2020年の時計市場、減速懸念強まる

 2019年は米中貿易戦争の激化や香港での抗議行動、英国の欧州連合EU)からの離脱問題など、国際情勢が混迷を極めた年だった。中国の景気減速も加わり、世界的に貿易量が縮小傾向になるなど、世界経済にも暗雲が漂った。そんな中でも、世界の高級時計需要は比較的好調に推移したと言ってよいだろう。

2019年の時計市場

 スイスの全世界向け時計輸出額は、3年連続で増加した模様だ。スイス時計協会の統計によると、2019年1月から11月までの累計輸出額は199億4720万スイスフラン(約2兆2518億円)で、前年の同期間を2.0%上回っている。2018年の年間の伸び率が6.3%で、2019年も4.9%程度伸びれば、年間の輸出額としては過去最高だった2014年の222億スイスフランを5年ぶりに更新するはずだったが、伸び率の鈍化で記録更新はお預けとなったとみられる。

 スイスの時計輸出は2014年をピークに、その後2年続けて大きく減少、2016年に194億スイスフランの底を打った。2017年には2.7%増の199億スイスフラン、2018年は6.3%増の211億スイスフランとなっていた。

 2019年の焦点は何といっても、スイス時計の最大の輸出先である「香港」の混乱だろう。1月から11月までの累計で10.6%減と大きく落ち込んだ。2018年は年間で19.1%増と大きく伸びただけに、その変化の激しさが分かる。抗議活動が激しさを増し、空港が一時閉鎖されるなど、混乱が拡大したことから、香港経済にも大きな影響が出た。特に中国から香港への旅行者が減少したことで、高級時計の販売に陰りが出たとみられる。

各国の時計需要

 そんな中で「漁夫の利」を得た格好になったのが、シンガポールと日本。中国人観光客が香港を避け、安全な日本などに旅行先を変えた可能性がある。2019年に日本を訪れた外国人は3188万人と2.2%の増加にとどまったが、中国からの訪日客は959万人と14.5%も増えた。日韓関係の冷え込みで韓国からの旅行者が25.9%減と激減したが、それを中国からの旅行者が補った。

 日本国内は2019年10月からの消費税率引き上げに絡んで、時計や宝飾品、貴金属など高額品は9月までの駆け込み需要が大きく膨らんだ。こうしたことも高級ブランド時計の輸入増につながった。スイスの日本向け時計輸出は1月から11月までで21.4%増と大きく増えた。シンガポール向けも13.8%増となった。

 予想以上に時計需要がしっかりしているのは、米国と中国本土。スイスからの時計輸出額は、8.3%増、13.1%増と大きく伸びた。米中貿易戦争での関税引き上げ合戦などを尻目に、高級品は底堅く売れているということなのだろう。米国では株価が史上最高値を更新し続けたこともあり、「資産効果」から富裕層の財布の紐が緩んだのかもしれない。

 中国も成長率の鈍化が鮮明になっているが、高級時計への需要は大きい。中国国内だけでなく、前述のように日本やシンガポール、旅行先の欧州などで高級時計購買の原動力になっているのは中国人観光客だ。

 成長が鈍化したと言っても、2019年の国内総生産GDP)の伸び率は6.1%。29年ぶりの低い伸びとは言うものの、世界2位の巨大経済国が6.1%も成長するのだから凄まじい購買力を生み出す。明らかに世界の「消費大国」へと変化しており、それがスイス時計の輸出増に結び付いている。

2020年の市場動向

 問題は2020年の高級品市場をどう見るかだろう。最大の市場である香港向けが回復するかどうかも目が離せないが、米国と中国の国内消費の動向が最大の注目点だろう。スイス時計の輸出先という面では、消費増税後の日本の国内消費がどの程度上向くか、中国からの訪日客を中心とするインバウンド需要がどうなるかが注目される。

 先行きへの懸念もある。スイス時計の輸出先30カ国・地域を見ると、2018年にマイナスだったのはわずか6つだったが、2019年は17と過半数が減少となった。明らかに景気が鈍化している国・地域が増えているということだろう。