「紙の新聞」の時代は終わったー17年連続、止まらない部数大幅減 デジタルもマネタイズの方策なく

現代ビジネスに1月13日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91392

もう若者には新聞を読む習慣がない

新聞の凋落が止まらない。

日本新聞協会が発表した2021年10月時点の「新聞の発行部数と世帯数の推移」によると、朝夕刊セットで1部と数えた発行部数は3302万7135部と、1年前に比べて206万部、率にして5.9%減少した。日本での新聞発行部数のピークは5376万5000部を記録した1997年で、2005年に5300万部を割り込んで以降、17年連続で減少が続いている。

特に2018年以降は毎年5%を超える大幅な減少となり、2020年は7.2%も減少、直近では減少率は5.9%に鈍化したとはいえ、下げ止まる気配が見えてきたわけではない。ピークから四半世紀で2000万部減少、この10年だけで1500万部も減っており、「紙の新聞」の時代は残念ながら終わったと言っていいだろう。

筆者は千葉商科大学でメディア論などを教えているが、講義を受ける数百人の学生に「紙の新聞を読んでいるか」アンケートで聞くことにしている。大学生世代で「紙の新聞」を読んでいるのは100人中数人。同居している親がとっている新聞を読むというケースがほとんどで、自分で購読して毎日新聞を読むという学生は1人いれば良い方である。

紙ではなく、デジタル版を読んでいるのではないか、と思われるかもしれないが、これも実は少数である。その理由は購読料。新聞の購読料はだいたい月額4000円以上だから、学生が「情報対価」として払うには高い。新聞しか情報が無かった時代ならともかく、インターネットを介して情報が氾濫している現在、わざわざ新聞を購読して情報を取らなくても良い、ということになる。

30代以下の世代では、毎日、新聞を読むという「習慣」がほぼ消えていると見ていい。1世帯当たりの発行部数は2007年まで1部を超えていたが、今や0.57。新聞をとっていない世帯が半分近くになっている。今後も、宅配で新聞を購読する世帯は減り続け、新聞発行部数も減少が止まらないに違いない。

ニュースの信頼性は高いというけれども

一方で、学生アンケートには面白い結果も出てくる。情報源としての信頼性を聞くと、新聞情報の信頼度が一番高いのである。読まないけれども信頼する、という不思議な状況が存在する。Yahoo!などのネットメディアの情報の信頼度は新聞には遠く及ばない。SNS上の情報となると信頼できないと感じている人の割合の方が多くなる。

インターネットを使った様々なメディアが誕生したが、その情報の信頼性となると、まだ確立できていない。一時、伝統的メディアである新聞や、テレビ、ラジオといった「マスコミ」の情報は「偏っている」「権力に迎合している」と言われ「マスゴミ」などと批判された。だが、新しいメディアはまだ、それを上回る信頼性を獲得できていないのである。

新聞は、そうした「信頼性」をまだまだ武器にできそうだが、それでも「パッケージ」としての「紙」が滅んでいく影響は大きい。現存する最古の紙の新聞は500年ほど前のものだが、それ以来続いてきた紙というパッケージの優位性が失われる中で、マネタイズする仕組みも大きく揺らいでいる。

一覧性の高い大型の紙に印刷したものを自宅まで届けるという情報の受け手にとっての利便性は、明らかにインターネットに取って代わられた。特にスマートフォンの誕生で、いつでも携帯で情報を取得できるようになって以降、宅配新聞の優位性は音を立てて崩れた。スマホの発売された2007年以降、新聞発行部数が鶴瓶落としなのは必然と言えるだろう。

ところが、大手の新聞社は「紙」を前提にした情報提供の形にこだわった。電子版も紙の新聞のイメージをそのまま提供することから始まった。確かに従来の新聞読者を取り込むにはそれも必要だったかもしれない。しかし、スマホの画面と紙の新聞紙面の相性が合うはずはない。

新聞各社が自社のコンテンツを新しいデバイスに合わせた形で提供しようとし始めたのは、まだここ数年の話だ。逆にインターネット・デバイスに合わせた形での提供に力を入れた結果、紙の新聞の発行部数の減り方が大きくなるという事態を招いた。

デジタルでは収入の途がない

紙からデジタル化に切り替わるのだから、良いではないか、と思われるかもしれない。だが、紙の新聞がマネタイズ・モデルとして機能していた一方で、電子版の収益力は明らかに弱い。特に広告の単価の違いは歴然としている。紙の新聞ならば朝刊1ページ当たり1000万円を超える広告料を得ていたが、電子版ではそんな広告は望むべくもない。電子版ならではのマネタイズの方策を新聞各社は探っているが、実際のところ、まだまだ儲かっていない。

電子化で成功していると言われる日本経済新聞でも、過去5年間の売り上げは何とか横ばいを維持している程度。朝日新聞は2017年3月期に4000億円を超えていた連結売上高が2021年3月期には2937億円にまで減少、経常損益は5億円の赤字に転落した。新聞社は電子版で利益を上げる新しいビジネスモデルをまだ見つけ出していない。

2021年の広告費は、新聞・テレビ・雑誌・ラジオのマスコミ4媒体の合計額を、インターネット広告が初めて上回った年になったとみられる。

今後、新聞だけでなく、テレビや雑誌などを含めた伝統的なメディアが、それぞれの枠を超えて合従連衡などに進んでいくことになるだろう。NHKも放送だけでなく、インターネットを通じた番組配信などに大きく舵をきり始めている。「紙」や「電波」ではなく「インターネット」というパッケージを使って、多様なコンテンツを作っていく動きがさらに本格化するに違いない。

新聞で言えば、ネット上の電子版は単に紙の新聞をデジタル化したものではなく、動画や写真、図版などを駆使したコンテンツへと姿を変えていくだろう。そうした流れに乗っていければ、紙の新聞が滅びても、新聞社は滅びないということになるに違いない。

だが、紙の新聞があまりにも強力で完成形のメディアだっただけに、その優位性信仰を捨てきれないところは、紙と共に滅びる道を歩むことになりそうだ。

 

118年続く大日本報徳社の常会 二宮尊徳の教えを学ぶ意義

雑誌Wedge 2021年8月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/24140

 

 

 118年間、毎月続く「常会」で二宮尊徳の教えを学ぶ。昨今はやりのSDGs(持続可能な開発目標)は、200年前の日本にあった。

戦時中も
休みなく続く

 二宮尊徳(1787~1856年)をご存じだろうか。やや年配の人ならば小学校に像が建っていた二宮金次郎のことだろうと思い当たるに違いない。手に書物を持ち、薪を背負って一歩踏み出している少年像だ。その二宮尊徳の「教え」を今も受け継いでいる団体がある。静岡県掛川市にある「大日本報徳社」である。

 日本初の木造復元天守閣で知られる掛川城に隣接した場所にある大日本報徳社では、月に1度の「常会」が開かれる。

 取材に訪ねた2021年6月6日の日曜日の「常会」は何と1748回目。大講堂で行われる常会は、1903年明治36年)から118年にわたって綿々と続いているという。「戦時中も一度の休みもなく続いているんです」と事務局長の綱取清貴さんは言う。

 会場に使われている木造の大講堂が建てられたのが1903年で、今では国の重要文化財に指定されているが、その落成前から続く常会はまさに文化財級ということになる。

 大日本報徳社は尊徳の教えを学んだ岡田佐平治(1812~1878年)が、尊徳の死後19年後の1875年(明治8年)に設立した「遠江国報徳社」が起源で、1911年(明治44年)に「大日本報徳社」に改称された。尊徳の「報徳の教え」を学び、地域活性化を実践する組織として全国各地にできた「報徳社」の代表的組織だ。

「至誠」「勤労」「分度」「推譲」
に集約される教え

 尊徳は江戸末期の小田原(現神奈川県小田原市)藩領で農民として生まれたが、勤勉に働いて困窮から脱し、村々の再建を成し遂げ、藩に見出されて小田原藩士となり、藩の財政の立て直しに手腕を発揮した。その評判が世の中にとどろき、幕臣となって江戸末期の諸藩を財政危機から救った。その教えは「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の四語に集約されて伝わる。

 誠を尽くして、一生懸命に働いて収入を増やし、支出は収入の何割と決め、残りは自家の将来への備えと、世の中の人々への還元に当てる。藩に対しても収入内に支出を抑える「分度」を求め、年貢を減らして農民の勤労意欲を高め、生産性を改善する。そうした「報徳仕法」が大きな成果を上げた。

「学べば学ぶほど、力のある思想だと思います。はじめは説教臭いなとも思ったのですが、『報徳訓』には連綿と循環の大切さと共に、富貴が説かれています。格差云々が言われますので最近は、金持ちになって、しかも心が貴くなる思想だと言っています」と9代目の社長を務める鷲山恭彦・元東京学芸大学学長は笑う。8代目の社長だった榛村純一・元掛川市長に口説かれて、2018年に社長に就任した。

 鷲山社長が言う『報徳訓』は、尊徳の教えを凝縮した108文字からなる訓辞で、大日本報徳社の例会では、冒頭、壁に掲げられた『報徳訓』を唱和することから始める。そこにはこんな一節があるのだ。

「父母の富貴は祖先の勤功に在り 吾身の富貴は父母の積善に在り 子孫の富貴は自己の勤労に在り」

 決して、せっせと働いて倹約せよというケチケチ思想ではない、というわけだ。また、道徳ばかりを重視して、カネ儲けを排除しているわけでもない。

渋沢栄一にも影響を与えた
「一円融合」

 それを象徴的に示しているのが、大日本報徳社にある正門だ。1909年(明治42年)に建てられた花崗岩の2本の門柱には、向かって右に「道徳門」と書かれ、左に「経済門」と刻まれている。2つの門柱は円弧を描く金属棒で結ばれ、道徳と経済が「一円融合」であるという尊徳の考えを示している、という。「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という言葉でも知られている。

 二宮金次郎像も、本を読みながら薪を運ぶ姿から「勤勉さ」だけを象徴しているように思われがちだ。だが、実際には手にしている書物は四書五経の最初に学ぶべき書とされる『大学』で、自ら身を修める道徳を説く。背に負った薪は経済を示すから、金次郎像も「道徳と経済の両立」を具象化しているというわけだ。

 さらに「多くの金次郎像が一歩踏み出しているのは、実践することが何より重要だ、ということを示しているのです」と鷲山社長は言う。

 この「道徳経済一円論」は明治期以降の多くの経営者に影響を与えた。生涯に約500社の会社設立に携わり「日本資本主義の父」とも言われる渋沢栄一もそのひとり。渋沢の書いた『論語と算盤』には「仁義と富貴」という項があり「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」と書いている。また、「私は、あくまでも尊徳先生の残された4カ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことを願うのである」とも述べている。

 戦後の日本経済を牽引したパナソニックの創業者・松下幸之助氏や、多くの企業の再建に尽力し経団連会長も務めた土光敏夫氏、通信事業への参入やJALの再建にも力を振るった京セラ名誉会長の稲盛和夫氏なども尊徳の影響を受けた。彼らは国の財政再建などにも心血を注いだが、それはまさに尊徳の「分度」の実践だった。

 大日本報徳社など各地の報徳社は、相互扶助組織の役割も果たした。協同で積み立てた「報徳金」を運用し、無利子・低利で貸し付けることで、田畑の開墾や新しい産業の育成を支援した。大日本報徳社の2代目社長だった岡田良一郎衆議院議員は、1879年(明治12年)に日本最古の信用金庫である掛川信用金庫(現・島田掛川信用金庫)を設立したが、報徳思想が日本における協同組合運動の思想的な源流になっているとされる。

日本の財政に
「分度」はあるのか?

「まさに今の時代こそ求められている考え方ではないでしょうか」と鷲山社長は言う。利益一辺倒の「強欲資本主義」への見直しが求められ、持続可能な社会を作るSDGsが国連によって提唱され、日本でも企業や行政などに広がっている。SDGsも成長を否定しているのではなく、持続可能な成長を追い求めている。まさに道徳と経済の一円融合である。今、日本ではSDGsがさしずめブームのようになっているが、200年前に活躍した尊徳の思想を見直すタイミングかもしれない。

 1748回目の常会での社長講話で鷲山氏は「国民が権力に『分度』を要求していくことが必要だ」と参加者に語りかけた。

 新型コロナウイルス対策で大型の財政出動を行ったこともあり、国債などの日本の国の「借金」は1200兆円を突破、過去最大となった。国債で借金をして、税収を上回る歳出を続けている200年後の国の姿を、尊徳はどう見るだろうか。

マイナンバーカードがないと使えない…「ワクチン接種証明書アプリ」が不便すぎる根本原因 デジタル庁の"初仕事"のはずが…

プレジデントオンラインに12月29日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/53320

デジタル庁の「初仕事」といえるサービス

「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」の運用が12月20日から始まった。10月に新設されたデジタル庁の「初仕事」といえるサービスだが、さっそく問題点が浮上している。

アプリはスマホに無料でダウンロードするもので、マイナンバーカードを読み込むと、ワクチンを打った日などの接種記録がスマホ上に表示される仕組み。接種証明書には国内用と海外用の2種類あり、国内向けは飲食店やイベントで接種を確認する際などに使うことを想定している。一方の海外向けは渡航する際の手続きで利用でき、パスポートの読み取りも必要になる。

操作は「簡単」という触れ込みだ。ダウンロードしたアプリを起動し、マイナンバーカードの情報を読み取ってカード取得時に設定した4桁の暗証番号を入力。その上で、ワクチン接種をした自治体を選ぶ。職場接種をした人は接種券を発行した自治体を選択する。するとアプリ上にQRコード付きの「接種証明書」が発行され、それを読み取ると、氏名や生年月日、ワクチンの種類やロット番号、接種日などが表示される。海外用の場合、加えて国籍や旅券番号も表示される。

問題の根源は「ワクチン接種記録システム」への入力

当初、アクセスが集中したためか、ダウンロードがうまくできないといったトラブルもあったが、それはまだいい。問題は表示されるデータにかなりの誤りがあるということだ。2回目の接種日が1回目より前になっていたり、ワクチンのロット番号が違っているケースが多いという。

発足から3カ月もたたないうちにデジタル庁が作ったのだから、たいしたものだと思うかもしれないが、実はそうではない。政府が2021年1月になって、それまで厚労省が開発していた「ワクチン接種円滑化システム(V-SYS)」では、接種記録の把握に時間がかかり証明書の発行に数カ月かかってしまうと大騒ぎになり、ワクチン担当相になった河野太郎氏の下で、急遽、「ワクチン接種記録システム(VRS)」の構築が決まった。

それから2カ月あまりでシステムを作り上げたのはお手柄なのだが、接種時に接種記録を新システムに入力することを自治体に求めたことが、今回の「誤データ」の原因になった。河野チームは自治体にタブレットを配布、そのカメラでコードを読み込むことにしたが、カメラの性能が悪く、読み取れずに手入力するケースが多発。最低でも10万件以上の誤りが入力されているとみられる。

紙による証明書、民間のアプリ、都のアプリも登場

そのシステムを引き継いだデジタル庁からすれば、「入力誤りは自治体の責任」ということだが、自治体からすると「新しいシステムに振り回された」ということになる。しかも、デジタル庁から自治体への情報提供が遅く、アプリがいつ運用されるかもなかなか分からずじまいだった、という。結局、データの確認作業も自治体任せで、自治体は作業に忙殺されている。

 

アプリのサービス開始が予想以上に遅くなったことも混乱の要因だ。結局、証明書の発行も、各自治体の紙による発行が先行。飲食店などは、この紙の証明書や接種時の記録シールを撮影した画像などでの確認をすでに始めていた。もちろん、証明書の元データはVRSが使われており、システムの構築自体を無意味だったとは言えない。だが、アプリに関しては国のリリースが遅れている間に、協賛飲食店のクーポンなどがもらえる民間のアプリも始まったほか、10月にはワクチン接種証明を登録する「TOKYOワクションアプリ」もスタートしている。新たに導入されたアプリの国内版がどれぐらい使われるかは未知数だ。

最大のネックは「マイナンバーカード」

しかも、最大のネックなのが、マイナンバーカードが必要なことだ。マイナンバーカードの普及率はようやく4割に達したばかり。しかも「バラマキ」批判を横目に、普及させるためにマイナポイントの付与など大盤振る舞いをしてきた。2021年度補正予算案に1兆8000億円あまりを計上、カード取得者に最大2万円分のポイントを付与することも決めている。

「天下の愚策としか言いようがない」――。衆議院予算委員会で質問に立った立憲民主党小川淳也政調会長はこう批判した。「マイナンバーカードを普及させるのに登録したら5000円、保険証を登録したら7500円、公金口座の登録をしたらまた7500円。2万円もの現金を渡さなければ作ってもらえないカードって一体何なんですか?」

クレジットカードが新規入会者にポイントを付与するのとは訳が違う。クレジットカードなら、その後の利用による収益増でポイント分を回収できる。マイナンバーカードにそれだけの金額を投じて普及させて、どれだけ行政コストが下がるのか、明確な答えは見えていない。「2兆円あれば、どれだけ困窮者支援ができますか」という小川議員の疑問は誰もが感じていることだろう。

「国全体でひとつのシステム」は行政コストの削減になるのか

普及させるなら、健康保険証や自動車免許証をマイナンバーカードに「切り替え」れば済むだろう。健康保険証「としても」使えるという話も予定より遅れている。「切り替え」の方向に進まないのは、各省庁の利権が背後にあるのは言うまでもない。

岸田首相は小川議員の質問に、「マイナンバーカードは我が国の社会全体をデジタル化していく、こうした取り組みを進める上で大変重要なインフラに当たるものであると認識をいたします」「決して無駄なものではなく、意味ある取り組みです」と答えている。だが、予防接種記録など自治体が管理してきたデータをすべてマイナンバーで統合して国が管理する必要がどこまであるのか。

今後、デジタル庁はバラバラになっている地方自治体のシステムを連携させていく「インフラ作り」をしていくというが、そうした「国全体でひとつのシステム」を目指すことが本当に行政コストの削減につながっていくのか。

デジタル庁の設立目的を見失っている

そもそもデジタル庁を新設したのは何のためだったのだろう。生みの親である菅義偉前首相は、「縦割り行政の打破」が目的だと言っていた。つまり、霞が関の仕事の仕方を大きく変えることにつなげるとしていたのだ。まさにDX(デジタル・トランスフォーメーション)である。岸田氏が言う「デジタル化していくインフラ」というのはそのひとつにすぎない。

どうも菅氏が首相の座を去って、何のためにデジタル庁を作ったのか分からない、という声がデジタル庁内部からも聞こえてくる。チーフテクノロジーオフィサー(CTO)など5人いるCxOの役割や役所の中での権限もいまだによく分からないままだ。

証明書がワンストップで取れますというのは、国民には分かりやすい話だが、そもそも証明書が必要になるのは年に数回あるかないか。そのために行政が肥大化するのでは、何のためのデジタル化か分からない。

デジタル化のために膨大な予算を使う本末転倒

企業ならば、デジタル化を進める際に、真っ先に取り組むのは、経理システムと、給与支払いなどを含めた人事システムだろう。企業が戦略を考えるには、まずもって会社の収支の現状を把握することが不可欠だ。国の予算書はいつまでたっても紙をベースにしたPDFで、各省庁縦割りでバラバラに同じような事業を行っている状態は放置されたままだ。

本来、膨らんだ財政支出を一気に削減するのがDXの目的のはずだが、逆にデジタル化のために膨大な予算を使うという本末転倒の動きになりつつあることを、カード普及予算は示している。デジタル庁の意味は本来、D(デジタル化)よりもX(業務方法の見直し)に重心があるはずだが、このままでは肥大化を続けるDのための予算を官民で食いものにすることになりかねない。アプリを作るのがデジタル庁本来の仕事であっては困るのだ。

大丈夫か…岸田内閣の「市場との対話」、失敗すれば「日本売り」に拍車がかかる 大盤振る舞い補正でも株価は上がらず

現代ビジネスに12月25日に掲載された拙稿です。是非ご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90832

マーケットには響かなかった

岸田文雄氏が自民党総裁に選ばれたのが9月29日、首相に就任したのが10月4日だから、まもなく3カ月がたつ。アメリカには政権発足後100日間は政権批判をしないという紳士協定があるというが、まずは最初の100日はお手並み拝見ということなのだろう。果たして岸田内閣の滑り出しはどうだったのか。

岸田首相からは「新しい資本主義」「分配と成長の好循環」と行ったキャッチフレーズが繰り返し発せられているものの、具体的な政策は今ひとつ見えてこない。

臨時国会では慌ただしく補正予算が成立したが、一般会計の総額が35兆円9800億円あまりと過去最大の「大盤振る舞い」となった。もともとの当初予算が102兆6580億円だから、それを1.3倍にするという凄まじい予算膨張である。

新型コロナ対策、経済対策と、誰も反対できない理由を付け、何しろバラまくための原資を用意するというのが岸田流なのか。税収の2倍以上の支出、家計に例えれば600万円の収入しかない家が1300万円を使うことを平然と決めたわけで、財務次官ならずともこの国の財政は、巨大氷山に向かっているタイタニック号だということを予感しはじめているだろう。

そんな国の行末を端的に占っているのが「株価」である。岸田氏が首相に内定した9月29日の日経平均株価は2万9544円、政権が発足した10月4日は2万8444円だった。現状12月23日終値は2万9798円である。

結局、岸田首相の3カ月のマーケットの評価は買いでも売りでもなく「様子見」というところだろう。政権の大きな仕事である補正予算で大盤振る舞いしても、マーケットにはほとんど響かなかったと言っていい。

市場で「岸田ショック」繰り返す

そんな中、安倍晋三元首相がBSテレ東の「NIKKEI 日曜サロン」の収録で、岸田首相の経済政策について「新自由主義を採らないと岸田さんは言っているが、成長から目を背けると捉えられないようにしないといけない」と注文をつけた。ことさら「分配」を強調する岸田首相の政策を、「社会主義的になっているのではないかととられると市場も大変マイナスに反応する」とした。

第2次安倍内閣は2012年に成立した後、年明けから「アベノミクス」を打ち出した。これに市場は反応。就任時の日経平均株価1万230円が、3カ月後には1万2471円へと大幅に上昇した。「進む方向を変えるべきでないし、市場もそれを期待している」と安倍元首相が「アベノミクス」の規制改革による成長路線を継続すべきだと主張するのは、ある意味、自信の裏返しとも言える。

岸田首相は残念ながら、目指す政策の方向性についてだけでなく、具体的な政策でも「市場との対話」に失敗を繰り返している。

総裁戦で打ち出した「金融課税の強化」発言によって、岸田総裁決定後は株価が急落した。さすがに首相になって「当面先送り」と明言して何とか「岸田ショック」は収束した。

ところが、12月14日にも再び「岸田ショック」を起こす。衆院予算委員会で岸田首相が、企業の「自社株買い」を規制するため、ガイドラインの作成を検討する考えを表明したことから、日経平均株価が一時300円以上も下落したのだ。

自社株買いはこの10年、株価が大きく上昇する原動力になってきた。企業が上げた利益で自社株を市場から購入することで、市場に流通する株価が減り、株価が上昇する。企業がその株式を消却すれば、1株当たりの価値も増えるから、当然、1株当たりの株価も上昇するわけだ。

日本企業は過去のエクイティファイナンス(新株発行を伴う資本調達)によって発行済み株数が大幅に増加していたが、この「余剰」株式を吸収することで日本の株価が押し上げられてきた側面も大きい。もちろん、株価操縦につながりかねないような自社株買いもあり、それを帰省するのは当然だが、岸田首相の発言はさらにマーケットに衝撃を与えた。

岸田首相は、新しい資本主義を実現する観点から「大変重要なポイント」と野党議員の質問に応じた上で、「ガイドラインか何かは考えられないだろうか、とは思う」と踏み込んだ。どこまで首相が自社株買いの制度を知っていたかは怪しいが、マーケットは新自由主義批判による規制強化だと受け取ったのだ。

首相は「個々の企業が状況に応じて判断する問題」「画一的に規制することは、少し慎重に考えなければいけないのではないか」と付け加えたが、時すでに遅しの感があった。

第2次安倍政権との著しい落差

安倍内閣は株価の動きに敏感な政権だった。アベノミクスも株価を多分に意識した政策が多く、首相の発言もマーケットに向けたものが多かった。政権発足9カ月後の2013年9月にニューヨーク証券取引所を訪れた安倍首相は約300人の金融関係者を前に「Buy my Abenomics(私のアベノミクスを買え)」と力強く訴えた。アベノミクスを掲げた安倍首相は英国のエコノミスト誌の表紙も飾るなど、世界の投資家から期待された。

その後、成果がなかなか上がらなかったことで、世界の投資家が失望し、日本株が上昇しなくなったが、第2次安倍政権の当初の「投資家との対話」は絶妙で、政権の滑り出しは順調だった。

それに比べると岸田首相の「新しい資本主義」はまったくと言って良いほど、投資家に響いていない。それどころか、「社会主義ではないか」といった疑念が根強く広まっているのだ。

これから岸田首相は「新しい資本主義」の具体的な中味を明らかにしていくという。世界の先進国が行きすぎた「強欲資本主義」の修正に動いているのは間違いない。だが、そう簡単に「新しい」資本主義が生み出せるものでもない。

世界の政治家だけでなく、経済学者や経営者を唸らせる具体的な理念、政策をまとめあげられるのか。投資家の理解が得られなければ、今度こそ、岸田ショックは歯止めがかからなくなるだろう。

大学にガバナンスは要らない?監督強化に抵抗する理事長たちの理屈 このままでは第二第三の田中容疑者が

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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90444

現理事長、三者三様の反対

文科省に設置された「学校法人ガバナンス改革会議」が12月13日、『学校法人ガバナンスの抜本的改革と強化の具体策』と題する報告書を末松信介文科相に提出した。

評議員会を最高監督・議決機関とし、理事の選解任権や予算決算の承認、重要な財産の処分決定などを行わせるなど、経営執行機関である理事会への監督を強化するのが柱。

折しも日本大学の理事が逮捕・起訴され、さらに理事長も逮捕されるという大事件が起き、理事長の暴走を止めることができなかった大学のガバナンス不全が大きな問題になった。

ほとんどの大学が国の助成金を得ている。日大の場合は年間94億円だ。国民の税金から多額の助成を受けているのだから、ガバナンスの強化は絶対命題のはずだが、創立一族などの私学経営者も、教員上がりの理事長も、天下りの大学トップも、そろって会議の改革案に反発している。

いったいなぜ反対するのか。大学経営にガバナンスは不要とでも言うのだろうか。

報告書の提言は、実は驚くほどの内容ではない。財団法人や社会福祉法人などの公益法人ではすでに改革が終わり、当たり前に運用されている仕組みに大学も合わせるというだけの話だ。財団法人は約5000、社会福祉法人は約2万あるが、皆すべて理事会の上にある評議員会が監督権限を持つガバナンス体制をとっているのだ。

ガバナンス改革会議が設置されたのも、政府が閣議決定したいわゆる「骨太の方針」、「経済財政運営と改革の基本方針2019」で、「社会福祉法人制度改革や公益社団・財団法人制度の改革を十分踏まえ、同等のガバナンス機能が発揮できる制度改正のため、速やかに検討を行う」とされた流れをくんでいる。

2021年6月に閣議決定された骨太の方針では、さらに踏み込んで「手厚い税制優遇を受ける公益法人としての学校法人に相応しいガバナンスの抜本改革につき、年内に結論を得、法制化を行う」と明記された。

ところが、そうした流れに大学経営者が抵抗しているのだ。

「現状で問題ない」

大学など学校法人の場合、評議員会は理事会の諮問機関に過ぎず、評議員には半数未満ならば現職の理事が兼務できる。さらに理事会に人事権を握られている現役の教職員も評議員になれるので、過半数を理事会側が押さえることが容易にできる仕組みだ。

ところが、中堅私立大学の経営者団体である日本私立大学協会は、「現行の規定においても評議員会の理事会に対する牽制機能は有効に機能していると言える」という水戸英則常務理事(二松学舎理事長)の見解を公表し、改革に真っ向から反対している。日大のみならず不祥事が相次いでいるのに、現状で問題ないと言うのだから開いた口がふさがらない。

もうひとつの大手私立大学が多く加入する経営者組織「日本私立大学連盟」も反対する。会長の田中愛治・早稲田大学総長は、日本経済新聞のインタビューに答えて、「私大の教育の質の向上につながる提案にはなっていない」とこれも真っ向から批判している。

もっとも田中氏の主張を読むと中身はトンチンカンだ。「私大の意思決定の仕組みは、透明性が高く公正であるべきことは、論をまたない」と言いながら、「私大改革の中核は、監事による監査機能の強化である」と言う。

経団連など企業経営者たちが「監査役」を強化すれば十分で社外取締役を入れる必要はない、と言ってきた姿を彷彿とさせる。企業の監査役はまだ株主総会で選ばれるだけマシだが、大学の監事は理事長が指名するケースが多い。自らを選んでくれた理事長に楯突くことができないと見られ、ガバナンスが働かないと考えることは、組織論をかじらなくても、三権分立の意味を知っていれば分かる話だ。

さらに驚くのは大学のステークホルダーが「学生」だと言い切っていること。学生は確かにステークホルダーだが、大学経営のガバナンス機能を担う存在になるのは難しい。学生を評議員にし、理事を監督させるわけにはいかないだろう。早稲田の総長は学生の信任投票があるから、これをもってガバナンスが聞いていると言いたいのだろうか。

これは企業にとって「顧客」がステークホルダーだと言っているのに等しい。企業経営者はもちろん顧客の意向を無視はできないが、株主でもない顧客が取締役を牽制する機能は持っていない。ただし、顧客はその企業の商品を買わず顧客でなくなる自由がある。学生も同じで、その大学を選ぶかどうかは自由だ。

なぜ、評議員が強い監督権限を持ってはいけないのか。田中総長は「評議員は日常は別の仕事に専念しているので、当該の大学の教育研究内容に必ずしも精通しておらず、学生との接触もほぼない」と決めつける。

だが、どんな人を評議員に選ぶのかは大学次第で、そこまで改革会議は縛っていない。ところが田中総長は「学外の評議員から構成される評議員会に理事会を超える権限を与えると、権力を握って不正を働こうとする人間は、今度は評議員会の会長となって、その私大の私物化を謀るだろう」とまで言う。

こうなると空想の世界だ。経営執行権限を持っていない評議員長が大学をどうやって私物化するというのか。しかも、提言では評議員善管注意義務を課し、損害賠償責任を負わせるとしている。よほど自分をクビにできる評議員会ができるのが怖いのだろう。

前述のように大学は国から多額の助成金を受けている。ところが田中総長は「私大への国からの私学助成金は運営経費の1割未満にすぎない」と言っている。早稲田大学は年間100億円もの助成金を得ているのに、少ないと言いたいのだろうか。一方で早稲田は霞ヶ関の官僚OBを多数教授として迎え、職員にも長年受け入れてきた。建学の精神だったはずの「学の独立」はどこへ行ったのか。

このままでは骨抜きか

大学の理事長はいくつかのパターンに分かれる。

まず多いのは創立者創立者の一族が理事長に就任しているケースだ。他の財団などに比べて、一族支配への歯止めは厳しい。ところが現行制度では理事長の権限が圧倒的に強く、理事長ポストさえ握ればほぼ自由に経営権を行使できる。学校法人の理事長の半数以上は、こうした創立一族だとみられている。

株式会社と違って、財団法人など公益法人は「出資」や「持分」という概念がないため、カネで組織を支配することはできない。だからこそ、理事長を押さえることが重要なのだ。こうした創業一族理事長が、評議員会の権限強化に反対なのは言うまでもない。

次が早稲田のような学者がそのまま理事長になるケース。企業経営をしたことも、組織運営をした経験もない学者が突然経営トップになるわけだから、ほとんどが素人経営者ということになる。

自分を理事長に持ち上げてくれた教員仲間や職員の利益を第一に経営することになりかねない。教員や職員の待遇をどうするかは経営にとって最大の懸案事項だが、まず給与カットやリストラなど手が付けられない。こうした学者理事長も、社会で活躍する評議員が学内に入ってくることを忌避するケースが多い。

もう一つの理事長のパターンは天下り、である。文科省の役人が監督権限のある大学に直接天下るのはこのご時世難しくなっているため、他省庁や日本銀行などのOBが理事長になっているケースが少なくない。特に日銀は信用金庫や地方銀行などの経営が厳しくなり、昔ながらの天下り先が細っているため、大学は良い再就職先になっている。

改革提言が実現すると、卒業生や教員OB、地域社会の代表らが評議員になると想定されるが、そうした人たちが天下りに寛容であるはずはない。これまた天下り理事長たちも改革には反対するのだ。

ちなみに、文科省の官僚も自分たちが直接天下れなくても、省にとっては大きな権益なので、理事長ポストが評議員によって選ばれる制度改正は阻止したいというのが本音だ。

かくして三者三様の理屈ながら、大学経営者はガバナンス強化に反対だ。結局は「今のままがいい」ということなのだ。よほど世論が盛り上がらなければ、政治家も文科省も報告書を骨抜きにするだろう。予定通り法案化作業が進むかどうかさえ未知数だ。

日大は田中英寿前理事長とは「永久に決別する」と言ったが、忘れてはならないのは、田中容疑者は民主的に皆に選ばれて理事長になり、それから5選を続けたということだ。決別宣言をした学長自身、理事として田中容疑者を支えていたひとりだ。ガバナンス制度を強化しない限り、日本の大学には、第二第三の田中容疑者が現れることになるだろう。

「日本人みんなの給与を増やすのは時代遅れ」…岸田内閣の税制改正では賃上げが実現しない理由 "経営者目線"で見れば失敗は確実

プレジデントオンラインに12月15日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/52827

賃上げ企業に税制上の優遇措置を与える仕組み

岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」の柱のひとつとされる「賃上げ税制」の具体的な内容が固まった。12月10日に自民党税制調査会がまとめた「税制改正大綱」に盛り込まれた。賃上げをした企業に税制上の優遇措置を与える仕組みで、実は「新しい」ものではなく、以前からある制度の、法人税から差し引く控除率を拡充する。企業に賃上げさせるために、政府が優遇措置を講じる「太陽政策」だが、果たしてこれで企業は給与引き上げに動くのか。開始前から疑問視する向きも多い。

現在の制度では、大企業や中堅企業の場合、新規採用した従業員の給与やボーナスなどを増やすと「支給額」の15%を上限に法人税から控除できる。さらに従業員の教育訓練費を増やした場合は、控除率が5%上乗せされ、20%になる。また、中小企業では、従業員全体の給与の総額などを増やすと、「増加額」の15%を法人税から控除。さらに教育訓練費などを増やすと控除率は10%上乗せされ、25%になる。

大企業は最大30%、中小企業は最大40%の控除だが…

今回の税制改正では、大企業や中堅企業の場合、控除率を最大30%、中小企業の場合40%にまで引き上げる。具体的には、大企業・中堅企業の場合、給与やボーナスの総額を前年度より3%以上増やすと、従業員全体の給与増加額の15%を法人税から控除できる。4%以上増やした場合は、25%差し引けるようになる。さらに教育訓練費を前の年度より20%以上増やすと5%分上乗せされる仕組みで、控除率は最大30%となる。

中小企業の場合は、従業員全体を対象に給与やボーナスの総額が前の年度より1.5%以上増えた場合、「増加額」の15%分を法人税から差し引けるほか、2.5%以上増えていれば30%分まで控除できる。さらに、教育訓練費を10%以上増やした場合には10%分上乗せし、控除率は最大40%となるという内容だ。

財務省の役人が考えそうな極めて細かい「仕掛け」だが、これで企業経営者が賃上げしようと思うかどうかだ。

「全社員の給与を上げること」を歓迎する経営者はいるのか

言うまでもなく、経営者が賃上げに踏み切るのは「儲け」が増えることが前提だ。しかも、中期的に業績向上が見込めなければ人件費を増やそうとは考えない。たいがいの企業で人件費は最大の経費だから、1%上げてもトータルの増加額は大きくなる。いくら、その分税金を安くすると言われても、負担は確実に増えるわけで、そうそう簡単には踏み切れない。

しかも問題なのは、給与とボーナスの「総額」を増やすことが条件になっていることだ。今、企業はDX(デジタル・トランスフォーメーション)に取り組み、業務の効率化を進めようとしている。できるだけ雇用者数を抑えて、ひとり当たりの付加価値を高め、全体としての利益を上げることが課題になっている。人口の減少などでマーケット全体が大きく伸びない中で、売り上げを増やすことは難しく、コスト構造を変えることで利益を上げようとしているのだ。

もちろん、働きの良い社員の給与は積極的に引き上げようとしている。そうでなくても少子化で優秀な人材を確保するのが難しいから、優秀な社員は厚遇しないと他社に引っこ抜かれてしまう。そういうご時世だ。

同じ社員でも格差が拡大するのがこれからの時代

当然、社員の給与を一律に引き上げるという話ではなく、業績拡大に貢献している人とそうでない人の評価はおのずから異なる。つまり、同じ社員でも格差が拡大するのがこれからの時代だ。つまり、企業経営者からすれば、優秀な社員の給与は思い切って引き上げるが、総人件費自体は抑える、というのが当たり前の経営戦略になっている。一人ひとりの給与は上がっていても、総人件費が減っていては、今回の税制上の恩典は受けられない。

税制改正案を考えたであろう財務官僚は公務員だから、当然、リストラに遭うこともない。入省年次で給与が決まり、キャリアならば昇進速度もほぼ変わらないから、「全職員一律3%アップ」といった発想が出てくるのだろう。一律の賃上げを求めてきた伝統的な労働組合が考える雇用関係が前提になっているとも言える。「全員一律3%の賃上げ」という発想は経済全体が3%以上成長していた時代の遺物ではないか。

だが、今の雇用の形は多様だ。業績を上げている企業ほど、社員の働き方は変わっている。いわゆる年功序列賃金ではなく、年俸制に近い形で働く人も増えてきた。つまり、給与とボーナスの「総額」での上昇を求める今回の政策は、企業の現場から大きく遊離しているのだ。

内部留保を給与に回す経営者はいない

財務省がまとめた2020年度の法人企業統計によると、新型コロナの影響もあり、企業全体(金融業、保険業を除く)の売上高は8.1%と大きく減った。経常利益は12.0%の減少である。人件費の総額も195兆円あまりと3.4%減っている。売り上げや利益の減少率ほど人件費が減らないのはある意味当然だ。ところが、企業の内部留保(利益剰余金)は484兆円と前年度に比べて10兆円近く増え、過去最高を記録した。コロナ下にあっても企業の内部留保は増え続けているのだ。

内部留保をため込んでいるのだから、もっと給与に回せるだろう、というのが政府の見方だろう。だが、利益剰余金は法人税を支払った後の貯蓄だから、それを取り崩して給与に回すということにはならない。内部留保を減らすために、赤字になっても良いというわけに企業経営者はいかないのだ。赤字になれば、経営責任が問われ、経営者のクビが飛びかねないし、当然、株主に配当もできなくなる。

法人税を引き上げれば、賃上げが始まるはずだ

では、どうすれば、賃上げが始まるのか。

企業に対する「太陽政策」を止めることではないか。法人税を引き上げるのだ。法人税率そのものは国際競争の観点から日本だけが高くするわけにはいかないのは分かる。だったら、さまざまな税制上の恩典、租税特別措置と呼ばれる優遇策をいったんすべて廃止したらどうだろうか。本来、税制は簡素でなければいけないと教科書にはある。ところが、日本の税制は極めて複雑だ。まして、今回拡充する「賃上げ税制」など優遇措置が乱立していて、企業の税務担当者もすべてを把握することができない。そうした措置の中には特定の業界だけがメリットを受ける税制もあり、そもそも公平かどうかも分からない。

そうした乱立する「太陽政策」をいったん見直せば、「どうせ税金を払うくらいならば給与を増やそう」という行動に出るのではないか。

さらに、「北風政策」も有効かもしれない。利益剰余金に「課税」すべきだという議論は前々からある。だが、利益剰余金は法人税を払った後の内部留保だから、そこに課税するのは「二重課税」になるため、経済界は真っ向から反対する。だが、企業規模に見合うある一定の利益剰余金の割合を超過した分については、課税しても良いのではないか。そうすれば、無駄に内部留保を積み上げる企業も減るだろう。

「人への投資」こそが利益の源泉だ

「利益剰余金といっても貯金に回っているわけではない」という批判もある。確かにバランスシートの貸方にある利益剰余金の反対側、つまり借方には何らかの資産が符合する。設備や土地、建物などに使われているわけだ。だが、そうした資産が利益を生んでいないのが最大の問題なのではないか。

この20年、経済は成長しなかったとされるが、東京駅周辺の光景は激変した。大企業の本社が軒並み建て替えられ立派なビルになっている。そうした「建物」勘定が資産に計上されているわけだが、この立派な本社が利益を生んでいるのか。

企業がもっと「人への投資」こそが利益の源泉だと感じるようになれば、放っておいても給与を増やすに違いない。だが、それは、一律に全員の給与を引き上げ、人件費総額を増やすことではないだろう。「新しい資本主義」の第一弾は、残念ながら効果を上げることはなさそうだ。

円安政策のツケ:外資続々「激安日本」大売出しだが日本人は「お呼びでない」

フォーサイトに12月15日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://www.fsight.jp/articles/-/48478?s

「シャネル」など海外高級ブランドに目がない方なら、ここ10年ほどの間に国内での販売価格が大幅に引き上げられていることをご存じだろう。とくに最近の値上げは大幅で、「今の値段ではもう手が出ない」といった溜息まじりの声も聞かれる。

 また、仕事から帰ってワイングラスを傾けるのを楽しみにしている方なら、ここ数年でつまみの輸入フランスチーズの価格がうなぎ上りであることに気付いているはずだ。EU欧州連合)との間で経済連携協定が結ばれ、関税は下がっているはずなのだが、販売価格は逆に上昇している。

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