脱「脱原発」に踏み出した岸田首相は世論の風圧に耐えられるか 新増設を強引に進めれば内閣の命取りに

現代ビジネスに8月27日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/99086

岸田首相の「決断」

岸田文雄首相が8月24日、原子力発電所の「新増設」について検討するよう指示した。これまで、安倍晋三内閣も菅義偉内閣も、国論を二分しかねない原発の新増設については硬く口を閉ざしてきたが、この姿勢を大きく転換した。

参議院選挙に大勝し今後3年間は選挙がない「安定期」に入ったタイミングで経済産業省が「勝負」に出た格好だが、さっそく大手メディアなどから反対論が噴出。岸田内閣は旧統一教会問題などで予想外の支持率急落に直面しており、世論の風圧に耐えられるかどうか。強引に議論を進めれば、政権の命取りにもなりかねない。

「次世代革新炉の開発・建設など政治判断を必要とする項目が示された。あらゆる方策について年末に具体的な結論を出せるよう検討を加速してください」

首相官邸で開いた第2回「GX(グリーン・トランスフォーメーション)実行会議」の終わりにあたり、岸田首相がこう発言した。官邸で開く会議での首相の発言は「総理指示」と呼ばれ、政策実行にあたって担当省庁がお墨付きを得た格好になる。各新聞が「政策転換」だと書いたのはこのためだ。

ちなみにこの会議。脱炭素社会に向けた政策を議論する場で、経団連会長、連合会長、学者らのほか、中部電力会長、ENEOS会長などエネルギー産業関係者も参画している。脱炭素のためには原発の活用が不可欠という論理で原発新設に踏み出したい経産省の意向が表れた人選と言える。

過去の政権の棚上げへの憤懣

当初、岸田首相は、原発の新増設や建て替え(リプレース)について「現時点で想定していない」としてきた。ところが、7月27日に開いたこの会議の第1回会合で、「原発の再稼働とその先の展開策などの具体的な方策について、政治の決断が求められる項目を明確に示してもらいたい」と発言していた。「政治の決断」という言葉の裏には、安倍内閣菅内閣が、新増設やリプレースの議論を棚上げしてきたことへの経産省の憤懣がある。

原発を将来も使い続けるのか、国民を二分する議論は内閣支持率に大きく響きかねないので、支持率の高かった安倍内閣ですら、議論を封印してきた」と経産省の幹部は言う。この封印を解くことが経産省の悲願だったのだが、この会議で、それを実行に移したわけだ。

2回目の会議では、「GX実行推進担当大臣」を兼ねる西村康稔経産相が「日本のエネルギーの安定供給の再構築」と題した資料を提出。そこには「『エネルギー政策の遅滞』解消のために政治決断が求められる事項」として、原子力について「再稼働への関係者の総力の結集、安全第一での運転期間延長、次世代革新炉の開発・建設の検討、再処理・廃炉・最終処分のプロセス加速化」という文言が書かれていた。

いずれも議論が「棚上げ」にされてきた問題点である。この資料を前提とした議論を受ける格好で、冒頭の岸田首相の「指示」が出たわけだ。もちろん、この首相の発言もすべて経産官僚が書いたものだ。

3.11後、「自然死」を狙っていたが

原発を巡る政府の方針については、3〜5年に1回改定され閣議決定される「エネルギー基本計画」に盛り込まれる。直近では2021年10月に改定された「第6次エネルギー基本計画」が最新だ。そこには「原子力については安全を最優先し、再生可能エネルギーの拡大を図る中で、可能な限り原発依存度を低減する」と書かれている。

2011年3月の東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故を受けて、当時の民主党政権が「脱原発」に大きくカジを切り、その後、政権交代で返り咲いた第2次安倍内閣では、「安全性が確認できた原発から再稼働する」としたものの、「原発依存度は可能な限り下げる」という姿勢を一貫して続けてきた。

もっとも、現在ある原発の稼働期限は40年が原則で、その後、認められている1回の延長をしても60年で稼働が止まる。今後、多くの原発がこの年限に差し掛かり、このまま「新増設」や「リプレース」をしなければ、いずれ原発依存度はゼロになる運命だった。

安全神話が崩れた後も、「原発はコストが安い」「原発が止まれば電気が足らなくなる」「原油高に対抗できるのは原発」といった主張で、経産省は新増設議論の開始を仕掛けたものの、政権は国民の批判を恐れて踏み出せずにきた。

蛮勇ではなく世論の醸成を

2月に始まったウクライナ戦争の余波で、LNG液化天然ガス)の価格が大幅に上昇するなど、原料不足や調達価格の高騰が大きな問題になっている。経産省にとっては絶好の機会が巡ってきたということになる。「安定的にエネルギーを供給するには原発が不可欠」という議論が大手をふってできるようになったのだ。

さらに原発二酸化炭素を排出しないため、脱炭素に不可欠という理屈も加わっている。そこに国民の審判を仰ぐ選挙がない「安定の3年」を手にする政権が生まれた。経産省にとっては、二度とない「勝負」のチャンスだったわけだ。

原子力を今後どうするのかを議論することは極めて重要だ。老朽化した原発の稼働年限をさらに伸ばすという議論も同時に始まっているが、古い原発よりも最新鋭の原発の方が安全性が高いことは自明だと経産官僚も認める。立地に同意を得たからと言って1ヵ所にたくさんの原子炉を置く(福島第1原発は4基だった)ことをやめ、運転の安全性や災害対応力を高めることも議論すべきだろう。

だからと言って、新増設に賛成しそうな産業代表を集めた会議で、首相が「リーダーシップ」という名の蛮勇を奮って新増設の方向に強引に持っていくことがあってはならない。

迂遠なようでも国民世論の醸成をはかり、真正面から議論していくことが必要だろう。「今は有事だから」とばかり議論を疎かにすれば、必ず国民の反発を招くことになる。国民の不信感が募れば、そうでなくても支持率が急落している岸田内閣の命運が尽きることになりかねない。

 

都合の悪いことはいつも先送り…岸田首相の「補助金のインフレ対策」は最悪の有事対応といえる理由 マーケットに勝てると思っているのか

プレジデントオンラインに8月26日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/60987

「有事に対応する内閣」のはずだが、動きは鈍い

「有事の内閣を速やかに整えていくため、内閣改造を断行いたしました」

8月10日に内閣を改造した岸田文雄首相は記者会見に臨んで、こう改造の狙いを述べた。まさに日本を取り巻く状況は「有事」に他ならない。岸田首相自身、「新型コロナ、ウクライナ危機、台湾をめぐる米中関係の緊張、そして国際的な物価高」を挙げ、「わが国の内外で歴史を画するようなさまざまな課題」が生じているとした。その上で改造内閣を「有事に対応する政策断行内閣」だと位置付けた。

内閣改造前の8月5〜7日にNHKが行った世論調査では、内閣支持率が46%と前回7月の59%から急落しており、急遽前倒しで行ったとされる内閣改造は、支持率のテコ入れも期待された。

ところが、改造を受けて8月20〜21日に毎日新聞が行った世論調査では、支持率が36%と前回の52%から16ポイントも下落、内閣発足以降、最低になった。また、不支持率が54%と17ポイント上昇、支持を上回った。

政権発足時から最大の懸案としてきた7月の参議院選挙で大きく勝利したためか、「有事」という言葉とは裏腹に、内閣の動きは鈍い。新型コロナ対策では明確な方針を打ち出さないまま感染者数が激増、病床の逼迫ひっぱくを招いた。内閣を改造しても旧統一教会関係団体とのつながりが判明する大臣副大臣が相次ぎ、内閣の信頼自体が揺らいでいる。

物価対策で岸田首相が出した3つの指示は正しいのか

そんな中で、国民生活に大きく関わる物価対策については、8月15日に自らが本部長を務め関係閣僚が参加する「物価・賃金・生活総合対策本部」の20分ほどの会合に顔を出し、3つの指示を出した。

1つは小麦の輸入価格の上昇で、政府から国内製粉会社への売渡価格が10月から引き上げる見通しだったものを、「据え置くよう指示する」と発言。「早急に、対応策を具体化」するよう求めた。

2つ目は、エネルギー価格対策。ガソリンなどの「激変緩和事業」つまり、石油元売会社に助成金を出して小売価格を抑えている現在の政策を、期限の9月末で止めず、「10月以降の対策を具体化すること」を求めた。

また、3つ目として、「地域の実情を踏まえた効果的な電力料金対策を講じること」とし、電気代の負担軽減に向けて「地方創生臨時交付金1兆円の増額を指示した。

その上で、「9月上旬をめどに、この本部において追加策をとりまとめる」とした。

ガソリンにも小麦にも政府が資金をつぎ込む

ガソリンに対する補助金については、当欄でも「岸田首相が『ガソリン補助金』にこだわり続ける“危険すぎる理由”」と題して解説したが、案の定、9月末では廃止できず、危惧したように、永遠に「出口」が見えなくなりそうな気配だ。

ところが、今度はガソリンに加えて小麦でも同様に輸入価格の上昇が国内での販売価格に跳ね返らないよう、政府が資金をつぎ込む、というのだ。

もともと小麦の輸入大半は、商社を通じて国が買い取り、国から国内製粉会社に売り渡す「国家貿易」が行われてきた。ウクライナ戦争前までは、輸入価格にマークアップと呼ばれる売買差益を上乗せした価格で製粉会社に売り渡されてきた。その差益は国内の小麦生産に補助金として出されていた。もちろん輸入価格は国際相場に連動するので、年に2回、4月と10月に売り渡し価格が改定され、2022年4月には平均17.3%の引き上げが行われた。

小麦の国際相場はひと時に比べ落ち着きを取り戻しつつあるとはいえ、輸入の平均価格は1年前に比べて高い状態が続いている。本来ならば10月からはさらに20%程度の引き上げが行われる見通しだった。それを岸田首相は「据え置け」と命じたのである。

補助金をどんどん出したツケは国民に回ってくる

小麦の国家貿易による売買差益は農林水産省にとっては、「もう一つの財布」だった。米や麦は特別会計として別枠になっており、麦の売買差益は2019年度に815億円、2020年度に674億円にのぼる。2020年度の麦の損益のトータルは249億円の赤字だが、これは「管理経費」として1000億円近くを使っているためだ。麦と米が別々の勘定だったものを2014年度に統合して「食糧管理勘定」とした。これによって、麦の収益を米の補助金に回すことができるようになった。

小麦価格の高騰は、従来の特別勘定にも大きな影響を与える。売買収益を得るのが当たり前になっていた麦を、コストよりも低価格で売り渡す、つまり「逆ザヤ」になるとなれば、財政が赤字になる。特別会計の枠内でやりくりは難しく、コロナ対策や物価対策を名目に確保してある「予備費」などを使うほか、補正予算を組んで、別枠で予算を確保することになるだろう。そうなると原資は国債しかない。

ガソリンにも、小麦にも、国が補助金をどんどん出してくれることは一見、ありがたいことのようにみえる。そうでなくても小麦価格の上昇でパンや麺類などの値上がりが著しい。これ以上の値上がりを抑えるために、国が安く売るというのだから、こんな良い話はない、というわけだ。岸田首相も、補助金をせっせと出すことが、国民の生活を守ることにつながると信じて疑わないのだろう。

だが、そのツケは確実に国民に回ってくる。ガソリン同様、いつまで国が補助金で価格を統制することができるのか、である。政府が補助金を出せなくなれば、ガソリン価格は一気に国際価格に連動して跳ね上がる。小麦も補助金を出せなくなれば、国際相場に連動して売り渡し価格を一気に上げなければならない。その時の消費者へのインパクト、経済へのインパクトは計り知れないだろう。

オレンジの輸入自由化を思い出してほしい

仮に国内の小麦価格が国際相場並みに上昇し、パンや麺類の原材料費が大幅に上昇したとしよう。当然、企業やお店はそれを製品価格に上乗せする。ギリギリの企業努力もするだろうが、それでも吸収できなければ値上げするしかない。当然、値上げすれば、販売量に影響するだろう。高くて買えないという人が出てくるからだ。その結果、小麦の使用量は減り、価格は下落する。そうなるとどこかのタイミングで需要が増えてくるわけだ。これが経済原理、市場原理である。

政府が補助金でそこに介入すると、市場が歪む。価格を強引に据え置けば需要が減らないから価格も下がらない。企業がコストを製品価格に転嫁するタイミングも難しくなる。

もともと、小麦のような「国家貿易」は極めて歪なやり方だ。国産小麦に多額の補助金を出しているのは輸入品に勝てないと思っているからだ。農家がいくら努力をして高品質で安全安心な小麦を作ろうとしても海外に輸出して国際競争力を持つ商品になっていくことはできないだろう。

かつて、オレンジの輸入自由化で、日本のみかん農家は全滅すると言われたものだ。だが、国際競争に晒された結果、品質で輸入品と戦えるさまざまな高級柑橘類が国内で育った。補助金漬けになっている麦や米も、品質で勝負できるものはあるが、戦いに踏み出せない。

補助金を出せば財政が悪化し、円安に拍車がかかる

ガソリンも小麦も、補助金は一時的な激変緩和対策というのが建前だ。現状は、円安が一服し、国際市況もやや落ち着いているので、危機感は遠のいているが、マーケットは生き物。いつ再び動き出して、猛烈な円安、猛烈な価格上昇が始まらないとも限らない。そうなった時に、政府は資金を注ぎ込んでマーケットに勝てると思っているのだろうか。

もともと日本は巨額の財政赤字の国である。補助金を出し、しかもそれを借金で賄えば、さらに財政が悪化し、円安に拍車がかかるだろう。円安で価格が上昇している国際市況商品の価格を引き下げようと財政を使えば、さらに円安に拍車がかかり、円建ての国際商品価格が上昇するというジレンマに陥ることになりかねない。

世界は物価上昇(インフレ)を抑えるのは中央銀行の役目で、金利の引き上げなど金融引き締めを行うのが常道だ。日本銀行が政府の子会社だというのなら、今こそ、インフレ対策に金利を引き上げるべきで、政府が財政で価格を引き下げようとするのは邪道だろう。

故安倍晋三元首相を「国葬」とする霞が関の「総理の序列」 在任期間という基準の評価は

現代ビジネスに8月20日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/98824

なぜ国葬なのか

9月27日に執り行われる予定の故安倍晋三元首相(享年67)の「国葬」に反対する声が高まっている。東京弁護士会が「国葬に反対し、撤回を求める」とする会長声明を出したほか、有識者からも反対意見が出ている。東京新宿では反対デモも行われた。

法の下の平等に反する」と言った大上段に振りかぶった反対意見から、「弔意を強制するのは問題だ」と言ったものまで反対論は様々だ。

「戦前にはあった国葬令という法令が戦後は無くなっていることから、国葬を行う法的根拠がない」という指摘もある。岸田文雄首相は、内閣府設置法の所掌事務を定めた第4条第3項第33号に「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」との規定があり、閣議決定国葬を行うことは法的に問題はない、という答弁を行なっている。

そもそも、なぜ、安倍元首相は「国葬」なのか。

戦後、国葬が行われたのは、貞明皇后吉田茂・元首相、昭和天皇の3例のみ。安倍元首相が4人目ということになる。岸田首相は、国葬を決断した理由として、憲政史上最長となる8年8カ月の長期政権であったことや、東日本大震災からの復興、アベノミクスをはじめとする経済再生、外交の展開など、さまざまな分野で実績を残したことを挙げている。

安倍元首相の事績を評価したから国葬なのだ、と言ってしまったわけだ。

筆者は、安倍元首相は外交で大きな成果を残し、経済政策も途中で腰が砕けたとはいえ、目指した方向は一定の評価ができると考えている。働き方改革として労働法制に手をつけようとしたことや、筆者と立場は違うが教育改革に着手したことなど、成果を上げたことは間違いない。

だが、それが吉田茂元首相以来絶えてなかった首相経験者の「国葬」に値すると言われると、やはり釈然としない。

霞が関の序列感覚

国葬にすることに関して、岸田首相の強い意志があったとは思えない。少なくとも霞が関が「国葬」に反対したのを首相が押し切った、という話も聞かない。つまり、霞が関国葬に異論を唱えなかったわけだが、それはなぜか。

実は、霞が関には歴代首相の評価軸がある。それは首相経験者たちがどんな勲章をもらったかを見れば一目瞭然だ。

日本の勲章の最高位に「大勲位菊花大綬章」という勲章がある。この勲章を生前に授与された首相経験者は、吉田茂佐藤栄作中曽根康弘の3元首相だけだ。

他の首相の多くはその一格下の勲一等旭日桐花大綬章(現在は桐花大綬章)を生前もしくは死亡時にもらう。生前にこの勲章をもらった首相経験者が亡くなった場合、多くは大勲位菊花大綬章が追贈される。

生前、菊花大綬章を授与された吉田、佐藤、中曽根の3元首相には、死去に際して、さらにその上の「大勲位菊花大綬章頸飾」が追贈された。この頸飾は天皇陛下が即位した際に佩用する究極の最高位だ。

今回、安倍首相にはこの「大勲位菊花大綬章」と「頸飾」が同時に追贈された。その理由は吉田、佐藤、中曽根を超える8年8カ月の首相在任期間ゆえである。霞が関が最も重んじる「前例」に従って、安倍元首相に最高位の勲章が授与されたのだ。

余談だが、安倍元首相が凶弾に倒れていなければ、70歳になったあたりで、「大勲位菊花大綬章」が授与されたはずだ。中曽根元首相が「大勲位」と呼ばれてご満悦だったのと同様、政界の大重鎮になり、隠然たる影響力を持っていただろう。

ちなみに、こうした勲章が授与される「基準」は在任期間の長短であって、行なった政治の中味ではない。ごく短期間でも国家にとって影響の大きい事績を残した首相も、霞が関の評価基準では関係ない。というよりも首相の事績は歴史の中で評価が固まるもので、死去直後、あるいは生前に定まるものではないから、在任期間で測るというのも一つの見識だろう。

もちろん、他の勲章と同様、有罪判決を受けるなど不祥事に関与すると叙勲対象から外れる。しかし、醜聞によって総理の座を短期間で追われた宇野宗佑元首相も旭日桐花大綬章を受賞している。ただし、宮澤喜一元首相のように、叙勲を辞退している元総理もいる。

在任期間というシンプルな基準

ということで、葬儀に話を戻すと、生前に大勲位菊花大綬章を受けていた吉田、佐藤、中曽根の3元首相のうち、吉田元首相は国葬佐藤元首相は「自民党、国民有志による国民葬」、中曽根元首相は、「内閣・自由民主党合同葬」だった。今回、突然、安倍首相が若くして亡くなったことで、どういう葬儀を行うべきか、霞が関は頭を悩ませたに違いない。

吉田元首相を「別格」とすれば、佐藤元首相と同格の「国民葬」にする選択肢もあっただろう。しかし、そうなると「憲政史上最長」の任期を務めた首相を吉田元首相より「格下」と「評価」することになる。それはそれで異論が出てきたことだろう。

官僚機構としては、在任期間という誰も異を唱えられない「基準」を用いておいたほうが、将来にわたって禍根を残さない。大きな勲章をもらうために人気取りの政策を行うといった衆愚政治家を生むリスクが幾分かでも小さくなるからだ。

だが、在任期間を基準にするデメリットもある。都道府県知事は4期務めて引退すると大臣と同じ旭日大綬章を受ける。知事では多選批判の議論が以前から繰り返されているが、3期務めた知事が4期目に出馬する動機のかなりの部分がこの勲章だと見られている。通常の知事より1格上がって旭日大綬章になると、天皇陛下から「親授」される栄誉に浴することができるからだ。

岸田首相も故人へと配慮から「成果」を並べたが、「在任期間が憲政史上最長だった」ことだけが基準だと言っていれば、ここまで反対論が盛り上がらなかったかもしれない。

 

危機をチャンスに変えた歴史 銀座「三笠会館」の新機軸

雑誌Wedge 2022年1月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26112

 

 古くは「鶏の唐揚げ」から、最近では「ペペロンチーノ」や「ティラミス」など、この店から全国に人気が広がったと言われる料理は少なくない。

 銀座の老舗レストラン「三笠会館」。創業者が奈良から東京に出てきたのは大正時代のこと。1925年(大正14年)に歌舞伎座前に氷水屋「三笠」を創業、1927年(昭和2年)には三原橋に移転して「食堂三笠」とし、洋食を始めた。ところが32年、銀座一丁目に出した支店の経営が悪化、危機に直面した。そんな危機を新機軸で乗り越えてきたのが三笠会館の歴史でもある。このときは、創業者が現場のコックを集め、新メニューのアイデアを募った。そのとき誕生したのが、「鶏の唐揚げ」で、その後の三笠会館の看板メニューになった。

 鶏の唐揚げは、オリジナルの洋食として人気が爆発。「猛烈に繁盛し、厨房の一角で鶏肉をさばくそばから料理していったという逸話も残っています」と、創業者の曽孫に当たる4代目社長の谷辰哉さんは語る。戦後には「銀座に来たら三笠会館の鶏の唐揚げ」と言われるようにまでなった。漫画家の手塚治虫氏も三笠会館の唐揚げを愛したひとりとして知られるなど、今もメニューとして引き継がれている。

 戦災で店舗が消失したため、終戦後に現在の場所で営業を再開、51年に山小屋風の3階建てを建設した。当時は、チキンカレーが人気を博した。骨付き鶏と砂肝を入れたオリジナルで、インド独立運動の亡命者から教わったレシピだといわれる。

 その後、高度経済成長期に入ると、銀座の地価上昇に伴ってビル化の流れがあり、創業者も9階建てのビルを建てるチャレンジをした。ところが完成した66年(昭和41年)は「40年不況」と言われた景気悪化の真っ最中。当てにしていたテナントが集まらない。

 そんな苦境からまたしてもアイデアが生まれる。各階ごとに違う種類のレストランを自社で経営する「多業態展開」に乗り出すことにしたのだ。フレンチ、バー、和食、中国料理、宴会場、クッキングスクールなど、今では1社でさまざまな業態のレストランを経営する外食企業は少なくないが、三笠会館はそのはしりと言えるだろう。

 普通、レストラン経営は店舗ごとの独立性が高く、料理長が大きな権力を握っているため、店舗ごとに繁閑の差があっても、なかなか人を融通できないのが一般的だったが、さまざまな経営上の工夫により、徐々にレストランごとの垣根を低くし、人の異動がスムーズになるように改善した。「地下のバーで出すフルーツパフェを2階のフレンチのシェフが作るなど、全体での協力体制が重要です」(谷社長)。そのためには会社の中で情報交流する風通しの良さが必要だというわけだ。

 「社員皆で協力していこうという社風が昔からあるんです」と谷社長は言う。創業の頃から社是のひとつに「店員の福祉」を掲げてきた。戦前の飲食店ではチップ制が当たり前だったものを、生活が安定する月給制に変えたのも早かった。

 また、「向上会」と呼ぶ社員の研修会を週に1回開催、社員が共に学び続けることができる場を作った。この「向上会」は49年から続き、すでに3200回を数える。さらに、62年に始まった参禅会も続く。

 谷社長の父である谷善樹・3代目社長(現会長)時代は、日本人の海外旅行や出張が増えるのに合わせ、米・仏・伊・中の食文化を取り入れ、拡大一途だった。70年代には国道16号線沿線などにもレストランを出店。グループで展開するものも含めて50店近くにまで広がった。

 アーリオ・オーリオ・スパゲッティ(ペペロンチーノ)やティラミスが人気を集めたのもこの頃だ。イタリアの地域で長年食べられている郷土料理こそ本物。日本が豊かになるにつれて本質的に本物が求められるようになると思い、メニューに載せたという。

 アーリオ・オーリオをメニューに加えたときは、「具のないスパゲッティ」と驚かれたこともあるという。それでも徐々に広がっていった。

 ビール業界で働いていた谷さんが呼び戻されて三笠会館に入社したのは2003年。外食産業が縮小に向かい始めたタイミングだった。

 はじめに任された仕事が1階にあった喫茶の業態転換。イタリアの街角にあるバールを作ることにした。実際にイタリアに視察に行き、デザイナーと打ち合わせて店作りをした。三笠会館の「顔」とも言える「ラ・ヴィオラ」だ。オーク調のバーカウンターはお洒落で、ワインを傾けながら、イタリアン、伝統の鶏の唐揚げも楽しめる。ランチにはインド風チキンカレーもある。

危機の時こそ
新しい客層を取り込む挑戦

 07年には東京・池袋パルコに出店した。「三笠会館をご贔屓いただいた方の高齢化が進んでいくことを考え、幅広い客層にご利用いただける場所として西武百貨店に直結するこの立地を考えたんです」(谷社長)。

 4代目の社長に就任したのは、東日本大震災の翌年の12年。リーマンショックの影響も残り、厳しい経済環境の只中だった。不採算店舗を閉鎖する一方で、新しい客層を取り込むための挑戦も続ける。そんな時に新型コロナウイルスがやってきた。

 「厳しい時だからこそ、将来をにらんでいろいろ挑戦していくことが大事です」。そう谷社長は唇を引き締める。

 東京・二子玉川高島屋ショッピングセンター内にオープンしたシーフードとグリルのレストラン「ザ・ギャレイ」は、開店早々、新型コロナの蔓延に遭遇した。もともと37年続けてきたカリフォルニアフレンチレストラン「ヴェルテ・スパ」があった場所で、店の老朽化が進んでいた。幅広い年齢のファミリー層を狙ったレストランだ。

 売りモノが豊富なサラダバーなどビュッフェカウンターだったが、新型コロナの感染防止でビュッフェ営業が難しくなった。そこで導入したのが、タッチパネルで注文したサラダなどを運んでくるロボットの導入だった。

 「実は、ロボットはいずれ導入する時が来ると考えて、米国の無人サービスレストランを視察するなど、いろいろ調べていたんです。急にロボットを導入することは賛否両論になると思っていましたが、非接触でお客様の安全を確保し、ビュッフェの楽しさを伝えるにはどうすべきかを考え、一気に導入を決めました」(谷社長)

 緊急事態宣言で営業時間が制限されると、自宅で楽しめるようにレストランの食事を「冷凍」して提供するオンラインショップも始めた。今後、外食需要が戻らないことも想定し、「三笠会館」ブランドを使ったレトルト食品などにも力を入れていく。

 危機をチャンスに変える経営こそ、長い歴史をつないできた三笠会館の真骨頂と言えるだろう。

経済力増強が最大の防衛力強化策、大幅増?防衛費の正しい捻出法とは 貧しくなれば国も守れない

現代ビジネスに8月13日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/98598

軍事力を持たなければ舐められる

8月10日に内閣を改造した岸田文雄首相は記者会見し、「年末に向けた最重要課題の1つが防衛力の抜本強化」だと述べた。緊迫する国際情勢を背景に「この国の安全と安心を守るための体制を強化」するとし、「必要となる防衛力の内容の検討、そのための予算規模の把握、財源の確保を一体的かつ強力に進めて」いくとした。

霞が関の幹部官僚も、「防衛費の思い切った積み増しは必要。中国に舐められないためにも、日本の本気度を示す必要がある」と鼻息が荒い。ちなみにこの幹部官僚氏は防衛官僚ではない。ロシアのウクライナ侵攻や、台湾を巡る中国政府の強硬な動きなどに対して、岸田首相ら内閣だけでなく、霞が関も防衛力強化こそが国益だというムードに傾いている。軍事力を持たなければ舐められる、という意識が高まっているのだ。

ウクライナ戦争の勃発以降、自民党の右派を中心に、防衛費の大幅増額が公然と語られるようになった。長年、歯止めとして目安に設定されてきた「GDP国内総生産)の1%」では足りないとして、北大西洋条約機構NATO)加盟国が国防費の目標としているGDP比2%以上に引き上げるべきだとの声が大きくなっている。

7月に行われた参議院議員選挙の公約にも「毅然とした外交・安全保障で、“日本”を守る」と真っ先に掲げ、「NATO諸国の国防予算の対GDP比目標(2%以上)も念頭に、真に必要な防衛関係費を積み上げ、来年度から5年以内に、防衛力の抜本的強化に必要な予算水準の達成を目指します」と明記した。5年以内に1%を2%にする、と読むことができる。つまり、現在の防衛費を倍増する、というわけである。

この公約を掲げて参院選に勝利したことで、防衛費倍増は国民の信任を得た、ということなのだろう。岸田首相が年末に向けてと言うのは、年内に閣議決定する来年度予算にそれを盛り込む、と言う意味である。

2%なら大丈夫なのか

日本の防衛費は少なすぎる、これでは日本を守ることができない、というのが与党だけでなく野党も含めた政治家の声だ。だが、1%では守れず、2%なら大丈夫という話になるのだろうか。

実は防衛費(国防費)の国際比較をするのは非常に難しい。防衛省防衛白書でも「国防費について国際艇に統一された定義がない、公表国防費の内訳の詳細が必ずしも明らかでないこと、各国ごとに予算制度が異なっていることなどから、国防支出の多寡を正確に比較することは困難である」としている。

その上での比較として、2020年度に世界で最も防衛費を使っている国は米国で6896億ドルに達するとし、日本は490億ドルに過ぎないとしている。さらに中国は3018億ドル、ロシアは1360億ドルだとしている。日本の防衛費はドイツ(605億ドル)や英国(558億ドル)よりも少なく、韓国(577億ドル)にも抜かれている。別の調査では日本の防衛費の額は世界9位である。

この防衛省の推計をベースに考えると、日本が防衛費を倍増すれば、防衛費は1000億ドル近くなり、米国、中国、ロシアに次ぐ世界4位の国防費支出国になるわけだ。だが、それで国を守るのに十分だ、という話になるかどうかは分からない。

何せ、防衛省のこの資料には、対GDP比も書かれているが、米国は3.29%、ロシアは3.09%となっている。ちなみに日本は0.94%だとしている。つまり、2%に引き上げたからそれで十分という話にはならず、3%に引き上げるべきだ、という声が出てくる可能性はある。歴史を見る限り、軍拡競争というのは際限がなくなっていくものだ。

結局必要なのは経済成長

日本は第2次世界大戦敗戦後、防衛費を抑えてきたから世界との格差が広がったと思う人も少なくないに違いない。だが、歴史的に見ると違った姿が見える。実は20年ほど前まで日本の防衛費は米国に次いで世界2位の額だったのだ。ストックホルム国際平和研究所のデータによると、例えば1995年の日本の防衛費は499億ドルで米国の次ぐ規模だった。同じ年に、フランスは401億ドル、英国は382億ドル、旧ソ連崩壊後のロシアは127億ドルと見られていた。

ちなみに、日本の防衛費が1995年と比べて減っているように見えるが、これはドル建てに換算した結果で、日本の防衛費自体は着実に増えている。つまり、円安になった分だけ、ドル建ての金額が目減りしているのだ。また、世界は経済成長と共にインフレが進んでいるので、防衛費の金額も当然増えていく。日本が成長しなかった結果、防衛費が世界比較で2位から9位に転落してしまったのである。

GDP比も同じことが言える。経済が成長していれば、1%のままでも大きく防衛費は増えてきたはずだ。日本が対抗国として気に掛ける中国の国防費は2020年度でGDPの1.25%だ。この比率はほとんど変わっていない。もちろん国防費の額で見ると2015年の2567億ドルから3018億ドルに18%増えているが、経済成長によってGDPが増えたことで対GDPの比率は変わらないということになっている。

つまり、日本が防衛力予算で見劣りするようになったのは、経済力が弱くなったことが大きいのだ。世界が日本を尊重してくれたのは、防衛費が大きかったからではなく、経済力が強かったからに他ならない。中国が今の日本を「舐めている」とすれば、それは軍事予算で日本を圧倒しているからではなく、中国の経済力が日本を凌駕したからだろう。

逆に言えば、日本が防衛予算を1%から2%にしたところで、日本を「舐めなくなる」かと言えば、そうではない。円安はドル換算した防衛予算を小さくしているだけでなく、海外から軍備を買う際の円建て価格が上昇し、必要な装備を買えなくなっていく。GDPの実額が増えず、むしろ減ることになれば、パーセンテージを引き上げても予算額は小さくなってしまう。つまり、国が貧しくなっていけば、国を守ることはできなくなるのだ。

防衛費を倍増させるとするとざっと5兆円が必要になる。その財源をどうするのか。経済対策予算を削ったり、増税したりすれば、経済成長の足を引っ張ることになる。借金を増やし続ければ、ますます円安となり、日本の国力が下がっていく。経済力増強こそが最大の防衛力強化策だということを、もう一度心すべき時だろう。

 

たった30円の賃上げを「過去最大」と自慢する…岸田首相の「人への投資」は妥協の産物に過ぎない 「最低賃金の3%増」が定着したのは安倍内閣のおかげ

プレジデントオンラインに8月12日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/60482

最低賃金の引上げ幅が「過去最大」というが…

最低賃金の引き上げ幅が「過去最大」になったと大手メディアはそろって見出しに掲げた。岸田文雄首相に「忖度そんたく」したわけではないだろうが、首相が最重要課題だと言い続けてきた「賃上げ」で大きな成果を上げたと言わんばかりだ。だが、全国平均で31円という引き上げ幅は、首相が胸を張れるような水準なのだろうか。

そもそも過去最大と言っているのは「上げ幅」だ。930円だったものを961円にするというのだが、昨年も902円から28円上げて「過去最大」だった。ベースが高くなっていくのだから、同じ比率で引き上げても「上げ幅」は毎年最大が続いていく。

いやいや今年は引き上げ「率」も3.33%で、前年の3.10%より高かったので、大きな引き上げと言っても良いのではないか、という反論も聞こえそうだ。最低賃金の引き上げ率の目標を「3%」にしたのは安倍晋三内閣で、2016年以降、新型コロナウイルス蔓延で経済が大打撃を受けた2020年を除き、毎年3%を上回ってきた。3.33%という引き上げ率はこれまでよりは若干高めではあるものの、驚くほどの引き上げ率という程ではない。

物価の上昇を織り込むと、引き上げ率は0.83%でしかない

というのも昨年までとは経済情勢が一変、物価が大きく上昇しているからだ。今年6月の消費者物価指数は前年同月比2.4%上昇した。3カ月連続の2%超えである。では1年前はどうか。2021年6月の消費者物価指数は前年同月比0.5%のマイナス。しかもずっとマイナスが続いていた。

つまり、物価が下落していた昨年の28円の引き上げと、物価が上昇している今年の31円では、まったく意味が違う。単純に物価上昇率を加減して実質的な引き上げ率とすると昨年は3.6%、今年は0.83%ということになってしまう。ニュースを聞いた庶民の実感はこれに近い。「たった30円で過去最高って何だ」という声がネット上には溢れていた。

3%の引き上げが定着したのは安倍内閣の功績

岸田首相が就任時から言い続けてきた「新しい資本主義」。当初は「分配」を重視するとして富裕層への金融所得課税強化などを打ち出したが、批判を浴びると、「成長の果実を分配する」とニュアンスを変え、参議院選挙前になると、「人への投資こそが分配」だと言い出した。その中で対応が注目されたのが「最低賃金」だった。

最低賃金厚生労働省の審議会が、引き上げの「目安」を決定、都道府県の審議会が各県の最低賃金を決め、10月から実施される。審議会は労使双方の代表に「公益代表」の学者などを加えた3者で決める。政治の意思は反映されない建前だが、実際には時々の内閣の姿勢が大きく反映されてきた。

特に安倍元首相は賃金の引き上げに積極的で、「官製春闘」と揶揄やゆされながらも、首相自ら財界代表に賃上げを要請するなど政治主導で取り組んだ。

もともと財界は最低賃金の引き上げには反対で、日本商工会議所など中小企業団体は毎年春になると最低賃金引き上げ反対のコメントを出す。最低賃金が上がると中小企業経営が成り立たなくなるというのが主張のベースだが、実際は日商の会頭は大手鉄鋼会社の社長会長を務めた三村明夫氏が務めており、最低賃金の引き上げが大手企業のコスト増につながることを懸念している構図は明らかだ。

それでも3%の引き上げが定着したのは安倍内閣の功績と言っていい。安倍元首相は全国平均の最低賃金を1000円にという目標も掲げてきたが、まだこれは達成されていない。

週5日フルタイムで働いても年収は210万円程度

東京都の最低賃金も31円上がって1072円になることが決まった。昨年10月の段階で全国最低は沖縄県高知県の820円で、これらの県の引き上げ目安は30円になっているので、審議会でそのまま答申されれば今年10月から850円になる。

つまり、最高と最低の格差が同じ国内で222円にもなるのだ。しかも、東京都は相対的に人手不足が状態化しており、アルバイトでも時給は最低賃金を大幅に上回るところが少なくない。一方で、沖縄や九州など経済活動自体が低迷しているところは、バイト代が最低賃金というところも少なくない。

問題は最低賃金だと、週5日フルタイムで働いていたとしても、年収は210万円程度にしかならない。米国やアジアなど経済成長が進んでいる国々では物価が上昇しても、それを上回る賃上げが進行している。給料の上がらない日本は、世界からどんどん劣後し、国民はますます貧しくなっていく。

円安を加味すると最低賃金は15%以上も下がっている

最低賃金で働いている人たちには外国人労働者も少なくない。彼らは自国に比べて給与が高い日本に出稼ぎでやってきて、母国に仕送りをしているのだが、そうした外国人労働の世界で今、大きな変化が起きている。急激な円安で仕送りできる額が激減しているのだ。円高の頃は日本円で支払われる給与は世界最高水準だった。世界中のアーティストが日本にやってきてコンサートを開いたのも、日本のギャラがドル換算すればベラ棒に高かったからだ。

ところが今、まったく逆のことが起きている。日本の給与が3%上がったとしても為替が1年前に比べて15%安くなれば、日本の給与の魅力はどんどん落ちていく。このままでは日本にやってくる外国人労働者がいなくなってしまうに違いない。

最低賃金をドル建てに換算してみれば明らかだ。1年前の最低賃金930円を1ドル=110円で割ると、8.45ドル。それが今年961円になったとして、今の1ドル=135円で割ると7.12ドルである。ドル建てにしてみれば、15%以上も最低賃金は下がっていることになる。外国人がやって来なくなるというのは決して大袈裟ではない。

そうでなくても、新型コロナ前ですら、居酒屋の深夜バイトは生活力が上がった中国人学生が見向きもせず、インドネシアベトナムといった国からの「留学生」に変わっていた。果たして、日本の最低賃金で働いてもいい、という外国人は、いったいどこの国からやってくるのだろうか。

アベノミクスで経済格差拡大」なら、なぜもっと引き上げないのか

分配をすれば成長する、と当初は主張していた岸田首相の誕生で、さぞかし最低賃金は大幅に引き上げられるのだろうと期待された。財界人の中には3%では不十分で5%以上引き上げるべきだという主張をしている人もかねている。賃金を引き上げれば、働く人たちの可処分所得が増え、それが消費に向かって、再び企業収益に結びつく。安倍元首相はこれを「経済の好循環」と言い続けてきた。

だが、実際には、企業収益の伸びほど賃上げは進まず、企業の内部留保が増え続けることになった。それを岸田首相は「アベノミクスで経済格差が拡大した」と指摘したはずだった。それならば賃上げを一気に進めるべくリーダーシップをとるに違いない、と思われた。

だが、今回の最低賃金の引き上げでも、首相のリーダーシップは見られなかった。3%を切って「アベノミクス以下」になるわけにはいかないから3%という基準のクリアは最低ラインだった。本来は物価上昇分を差し引いて、「実質」3%の引き上げを求めるべきだったが、そうすると5%以上の引き上げが必要になる。それは経済団体の顔色を見て早々に断念していた。

「多方面の声を聞く」というのが岸田首相の真骨頂である。残念ながら「弱者の声」を重んじることはない。おそらく、最低賃金で働く人々への「共感」も、日々上昇する物価への「実感」も乏しいのだろう。

「物価高の中で、たった30円しか上がらない」という国民の正直な声は、「過去最大」という報道によってかき消されている。おそらく岸田首相は、この過去最大の引き上げに、溜飲を下げているに違いない。

 

岸田首相「検討」すれど「決断せず」―見えないコロナ対策の司令塔 5類引き下げも、感染症危機管理庁も

現代ビジネスに8月7日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/98304

尾身分科会会長の叫び

参議院議員選挙が終われば、批判を恐れず決断する政治に転換する――、一部でそう見られていた岸田文雄内閣だが、どうもそうではなさそうだ。新型コロナウイルスの感染「第7波」が日本を襲う中で、対応が後手に回っている。

「分科会の開催に、厚労省が強く抵抗しているため開催の目途が立ちません。皆さんも分科会を開くべきだと機会を捉えて意見表明してください」

7月下旬。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長から、分科会の何人かのメンバーにこんなメールが届いた。

実は分科会のメンバーの間では、オミクロン株以降のコロナウイルスについては、通常のインフルエンザと同様の一般の感染症として扱うべきだという議論が5月末から続いていた。感染症法上の扱いを「2類」から季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げるという議論だ。

濃厚接触者や感染者でも、無症状だったり軽症の人には安易に医療機関にかからないよう求め、保健所や医療機関の負担を軽減して医療逼迫を回避すべきだ、というのが尾身会長らの考えだった。2類では、感染拡大を防ぐために、保健所がすべての患者を把握する必要があり、医療機関も報告する義務を追う。

5月末の段階では感染者はまだ6波を超えていなかったものの、感染スピードを見ればこれを超える可能性は十分に考えられていた。無症状の人も含めて検査などのために人々が医療機関に殺到すれば、本当に医療が必要な重症者を受け入れる余地がなくなり、「医療崩壊」が起きる。そう危機感を募らせていた。

厚労省内閣府も官邸も動かない

実際、7月14日に開いた分科会の後の記者会見で、尾身会長は「コロナを一疾病として日常的な医療提供体制の中に位置づけるための検討も始める必要があるのではないか」と述べていた。だが、厚労省内閣府も官邸も動かない。「安易に病院に行くなと政府が言って自宅療養中に死亡したら批判を浴びる」と責任を問われかねないことに役所も政治家も尻込みした。分科会の中にも「第7波が落ち着いてきてから議論すれば良い」と厚労省に同調する声もあった。

その後、感染拡大はいよいよ本格化し、7月16日には全国で第6波のピークを上回る11万人を超える感染者が確認され、一部の地域で病床使用率が5割を超え始めた。尾身会長は早急に分科会を再度開いて具体的な対策を提言するべきだと考え、厚労省と交渉する。だが、厚労省は分科会開催を頑なに拒んだ。

結局、尾身氏らは8月2日、日本記者クラブで「専門家有志」として記者会見を行い、独自に緊急提言を公表した。会見には、尾身氏のほか、阿南英明氏・神奈川県医療危機対策統括官、岡部信彦・内閣官房参与、脇田隆字・国立感染症研究所長、武藤香織・東京大学医科学研究所教授が並んだ。

「我々は1ヵ月以上議論し、提言する機会があればよいと思ったが、国も忙殺されていたのではないか」

尾身氏は皮肉交じり会見に臨んだ理由を話し、暗に政府の対応の遅さを批判した。提言では、現状では行政が行っている入院調整を医療機関間で行うことや、感染者の把握を全数把握ではなく入院患者や死亡者数などの情報把握に止めること、重点医療機関に限っている入院先を拡大し、治療も一般の診療所でも対応するように変えていくこと、発熱した場合に、病院で行政検査を行っている現状から、基礎疾患のない若年者は抗原検査を活用して病院受診は求めないと言った対応を求めた。

仮に5類に引き下げた場合、インフルエンザなどと同様、医療費は通常の保険診療になるが、ここについては従来通り公費負担とすべきだ、とした。

岸田首相は「聞くだけ」

ところが、この会見には批判が噴出した。おそらく尾身氏らは想像していなかったに違いない。

「尾身会長を含めて、あなた今まで全部、政府に対していろいろ言ってきた立場の人じゃないか、と。(中略)今ごろ何を言っているんだ」

テレビ朝日の翌日の番組でコメンテーターである同局の玉川徹氏はそう批判していた。また、島根県の丸山達也知事は、8月4日の記者会見で「政府の対応がなってないという趣旨の記者会見を皆さんでされたんだと思いますけど、どの口が言うのか、お前が言うかと。そもそもこんな状況になってしまっている責任をあそこに並んでいる人たちは負ってますよ。それを一言も言及せずに、政府の対応がなってないとか、よくそんなことが言えますね」

確かに、菅義偉内閣の時は、尾身氏が対策決定の権限を事実上握っていた。菅首相の記者会見に同席し、首相よりも長時間説明することもしばしばだった。厚労省の中には「尾身首相」と揶揄する官僚もいた。

だが、岸田首相になって尾身会長と分科会の力は大きく落ちている。岸田首相も意見を「聞くだけ」で、最終的な決定は厚労省に任せてきた。菅内閣の頃のような官邸やコロナ担当相の支持も格段に減っている。岸田内閣が後手に回っている原因は、尾身氏ら分科会の責任とは言いにくい。むしろ官邸のリーダーシップの欠如が原因だろう。

新型コロナ発生以来、感染症対策の「司令塔」づくりが課題になってきた。岸田首相は就任から半年間はこの問題に手をつけず、6月にほとんど議論のないままに「内閣感染症危機管理庁の設置」が打ち出された。一方で、平時は厚労省に「感染症対策部」を設置してそこが対策に当たるという。

だが、まだ設置に向けた法案もできておらず、いつ発足するのかも分からない。司令塔のトップは岸田首相だと言うが、相変わらず「検討」するばかり、リスクを取った意思決定には及び腰に見える。

今感染が急拡大している新型コロナのオミクロン株は重症化率や死亡率が低く、国民の間の危機感も薄い。だが、欧米でサル痘が急拡大するなど、いつまったく別の深刻な感染症が襲ってくるかもしれない。果たして日本政府はそんな危機から国民を守れるのだろうか。