「失敗しても失うものはない」からできる農業改革 養父市長 広瀬栄氏に聞く

地域おこしが成功するかどうか。ひとつの条件は「首長が本気なこと」です。真っ先に国家戦略特区に指定された兵庫県養父市の広瀬栄市長は腹のすわった根っからの改革派です。日経BPの「新・公民連携最前線」にアップされたインタビューを是非お読みください。オリジナルページ→ http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/tk/15/433746/090800008/

安倍晋三内閣が規制改革の目玉と位置付ける「国家戦略特区」。その第1弾として2014年に指定された兵庫県養父(やぶ)市は、中山間地農業のモデルを目指す。その旗振り役である広瀬市長は、これまでも構造改革特区などで公民連携をフル活用してきた根っからの改革派だ。国家戦略特区に指定されて1年余り。現状と今後の展望について聞いた。(聞き手は磯山友幸

――なぜ、国家戦略特区に手を挙げたのでしょうか。

 これまでの特区と違い、首相のトップダウンで規制改革を進めるということなので、期待感はあります。とかく養父市が注目されているので、市民の間でも何かが起きそうだというムードが盛り上がってきました。

 昨年度で一応の仕組みづくりが終わり、いよいよ規制改革を使った事業が動き出しています。特区内で認められた農業生産法人の設立要件の緩和を使って、すでに4社が法人を設立しました。市外の事業者が入ってきたことで、地域の農業者が変わっていく引き金になりました。

 他人が儲けだすと、「何で俺にも声をかけなかったのか」という声が挙がるものですが、そんな声が市民の間から出て来る日も近いと期待しています。

――養父市の特区では、農地の売買や転貸に関する権限を、全国で初めて農業委員会から市長に移しました。

 デメリットはほとんどないのです。代々受け継いできた農地を売る人の精神的な負担は非常に大きい。その許可を地域の代表である農業委員会に求めるのは嫌なものです。権限が市長に移ったことで、淡々と事務処理がされます。農業委員会の時には許可が下りるまで平均で26〜27日かかっていましたが、平均10日に縮まりました。これは週末をはさんでいるからで、月曜に出せば金曜に許可が出るというのが実態です。

――具体的に農地の流動化に役立っているのでしょうか。

 去年10月から約半年で27件、約5ヘクタールの許可を出しました。あくまで目的は農業の振興です。その点を農業委員会も理解してくれました。農地移動の際に必要だった最低耕作面積は、従来は一部地域を除いて30アールでしたが、これを10アールに引き下げました。農業への参入を容易にするためです。

 私の夢としては、これを1アールにまで引き下げたい。100平方メートル、30坪です。家庭菜園でも農家になれる。都市住民の中には専業で農家をやるのは嫌だが、家庭菜園ぐらいなら農作業をしたいという人がたくさんいます。農業の復活には、多様な担い手を創ることが不可欠です。周囲の農地を買い増して大規模化を目指してもよいし、集落全体で共同作業する集落営農でもよい。農業を産業として行う企業的な発想を持ち込んでもらってもよい。従業員として農業に携わるという担い手の形でもいい。そうした多様な担い手を創るためにも、農地がスムーズに取得できることがカギだったのです。

JAも新しいあり方を模索

――市長は常日頃、自主自立が大事だとおっしゃっています。

 国家戦略特区でも養父市に必要な事だけをやらせて欲しいと言っています。自主自立と偉そうに言っても、財政力は弱い。自前の財源は25%です。国に養ってもらっている。山ばかりで人がまばらに住んでいる中山間地で、財政を自立させるのは難しい。それでも25%を35、40と引き上げる努力をすることが大事なのです。農業を収入のある産業に転換していくことが養父にとって不可欠なわけです。特区で新しい風が吹いて、こんな農業があったのだ、と市民の皆が気づくことが大切です。

――オリックスが養父での農業に乗り出していますね。

 特区になる前から、廃校になった小学校の体育館を活用した野菜工場などを始めていました。特区内では、「やぶファーム株式会社」という農業生産法人が生まれましたが、ここにはオリックスと、市の100%出資会社である「やぶパートナーズ株式会社」、地元農家に加えて「JAたじま」が参画しました。ご承知のとおり、オリックス宮内義彦・シニアチェアマンはJA改革の旗頭のような方です。そのオリックスと地元の農協であるJAたじまが一緒になって新しい形の農業を模索している。これは特区として象徴的な事だろうと思います。

――よくJAたじまが乗ってきましたね。

 この際だから、新しいJAのあり方を模索してみるか、となったのではないでしょうか。JAも農家からだいぶ離れていた部分があるので、少し変わるべきだと思っておられたようです。組合長も改革派になりました。やぶファームに加わる事については、中央会との間で相当やり取りがあったようですが。

――特区の現場におられて、規制改革でまだまだ不十分と感じられる点はあるのでしょうか。

 農業生産法人は、役員要件は緩和され、農業従事者が1人いれば設立できるようになりました。ところが出資規制が残っています。農業者が過半を出資しなければいけないのです。産業化に必要な大きな資本を企業に出してもらおうとすると、それを上回るおカネを農家が出さなければならない。そんな農家は、そうそういません。つまり、企業が出資したくてもできないのです。これでは仏作って魂入れずです。

 企業が過半の資本を握ると、経営が苦しくなった時に、持っている農地を売却されかねないというのが反対の理由ですが、企業が保有する農地を、農地以外に使えないように規制すればよいのです。養父市では、市独自の農地の適正管理に向けた条例づくりを検討しています。もちろん全国初の取り組みですが。

養父市でできれば、どこでもできるはず

――市長は、これまでも構造改革特区を活用するなど、様々な取り組みを行って来ました。

 私は合併前の八鹿町の職員出身ですが、ずっと、このままでは八鹿町はもたないと感じていました。民間企業からすれば公務員は安定していると思われますが、その源である町自体が崩壊してしまうと危機感を持ったのです。それで国が作ったPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)の仕組みを真っ先に使って、温浴施設をPFIに変えたほか、道の駅も建設しました。また、構造改革特区では「どぶろく特区」なども実現した。失敗しても失うものはない、と考えたのです。

――2002年にオープンした「とがやま温泉天女の湯」は、日本のPFI事業としてはかなり早い時期に整備した事例ですね。

 もともとは、ふるさと創生の1億円のうち6000万円を使って建設したものでした。町の職員として、その再生に取り組んだのですが、第3セクター方式しかないかな、と思い設立したものの、マネジメントのコストがかかりすぎて、500円の入浴料では到底もとが取れず、1年で解散しました。2000年ごろです。当時、政府がPFI法を作ったばかりで、これで行こうと考えたのです。BTO方式でまとめて、何とか実現しました。

――国家戦略特区に指定されて1年あまりが立ちましたが、振り返ってどうでしょうか。

 所管省庁の抵抗の強さ、壁の厚さと高さを実感しています。首相がやれと言っているのに、各省庁はなかなか動かない。何もしなければ、日本の農業は荒廃する一方だということが分かっているのに、なかなか動こうとしません。そうは言っても、一歩一歩進めるしかありません。

 今後も特区の枠組みを使って、養父市に必要な改革を進めていきたいと思います。中山間地の養父市で、儲かる農業を実現することができたならば、日本全国どこでも農業を再生できるのではないか。日本の農業再生は養父市から。そう信じて改革を進めていきたいと思います。

広瀬栄(ひろせ・さかえ)氏
1947年兵庫県八鹿町(現・養父市)生まれ。県立八鹿高を経て、71年、鳥取大学農学部卒業、建設会社に勤務。76年八鹿町役場に入る。産業課課長補佐、商工労政課長、企画商工課長、建設課長などを経て、2004年、養父市都市整備部長。05年助役兼都市整備部長、07年副市長に就任。08年10月に養父市長選挙に立候補し初当選。12年無投票再選。現在2期目。趣味は読書、ウォーキング、釣り。

「コーポレートガバナンス・コードに問題あり。300万社を縛る会社法は限界です」 上村達男・早稲田大学法学部教授インタビュー

コーポレートガバナンス・コードに厳しい意見を持っている上村達男早大教授にインタビューしました。4月2日付け日本経済新聞の「経済教室」などでご本人自身もお書きになっていましたが、やや真意が誤解されて伝わっているように思ってお話をお聞きしました。結論は、上村先生の長年の持論である公開会社法を早急に整備すべきだ、ということです。オリジナル→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42825

上場企業のあるべき姿として、独立社外取締役を2人以上置くことなどを求めた「コーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)」。日本企業の経営体制を大きく変えると期待する声が強いが、会社法の専門家から見ると問題が少なくないという。ソフト・ロー(法的拘束力のない規範)による安易なルール設定ではなく、基本法である会社法のあり方自体を見直すべきだ、と主張する上村達男早稲田大学教授に聞いた。

そもそも300万社を1つの会社法で規定するのが無理

 問 導入が決まったコーポレートガバナンス・コードについて厳しいご意見をお持ちのようですが。

上村 ガバナンス・コードのような「ソフトロー」はきっちりした法律があってこそ意味があります。

英国では判例法の例外あるいは確認として、成文化された制定法が存在するが、その場合の法はすべての事項を列記するようなガチガチの形式になっているのです。ドイツでもハードな会社法がある上に、株式公開会社に適用されるものとしてガバナンス・コードが置かれている。

ところが、日本の場合、土台である会社法がぐちゃぐちゃに溶けてしまっているうえに、さらにソフトローを載せています。私はこれを、「二段重ねのソフトクリームだ」と言って批判しています。

 問 会社法自体の法体系が崩れてしまっている、と?

上村 2005年に成立した会社法によって、それまでの有限会社も株式会社になりました。その結果、今では株式会社は300万社近くも存在するようになりました。ドイツでは大半が有限会社で、株式会社は株式公開企業を中心に1万社ほどです。

町中の家族経営の商店から株式を上場するグローバル企業まで1つの会社法で規定しているのですが、そもそもそこに無理があります。きちんと会社のあり方に応じた区分立法をやりなおして、会社法の体系を立て直すべきです。3年から5年かけて、真剣に議論をすべきです。

会社は株主のものか?
 問 上村先生は長年、株式を公開する、あるいは公開を目指す企業を対象とする「公開会社法」を制定すべきだと主張されてきました。

上村 公開会社のところから区分していくのが、無理がないのではないでしょうか。証券市場向きの会社法です。さらに同族的な株式公開をまったく前提としない会社を規定する法律、その中間の一般的な会社法があっても良いかもしれません。

さらに、ベンチャー企業を規定する法律も必要でしょう。なぜなら、ベンチャー企業家にはおカネはありませんが、企業を支配する必要があります。その起業家がいなくなったら会社は成り立たないからです。一方で、ベンチャーキャピタルはおカネはあるけれど経営に口は出したくない。現在の会社法が前提としているような資金の出し手が会社を支配するという仕組みが、ベンチャー企業にはそぐわないのです。

株式会社制度やそれを規定する会社法(商法)は欧米から入ってきたものですが、日本は150年をかけて様々な問題を克服してきました。様々な国の法律を比較する「比較法」分野が非常に発展した。決して、日本の法律分野が遅れているわけではありません。

例えば、金融証券取引法の第1条にはこう書かれています。

「資本市場の機能の十全な発揮による金融商品等の公正な価格形成等を図り、もつて国民経済の健全な発展及び投資者の保護に資することを目的とする」

公正な価格形成をもって経済の健全な発展をさせるという文言が法律に盛り込まれたのは世界で初めてです。その後、英国が2012年に金融サービス市場法を改正した際に、やはり価格形成という言葉が入りました。日本が作るモデルというのは決して遅れているわけではないのです。

 問 会社法学者の間で、公開会社法の必要性を訴える声が大きくならないのはなぜでしょうか。

上村 基礎理論が変わってしまうからでしょう。例えば、会社は株主のものだ、と言いますね。従来の理論では、実際に出資して株式を取得した後の株主だけを前提にしたガバナンスを規定するわけです。ところが、公開企業を相手にすると、これから株式を買おうとする投資家や潜在的に投資する可能性のある人たちに正しい情報を伝えるディスクロージャー(情報開示)が必要になります。

つまり、既存の株主だけを考えた法律では不十分なのです。そうなると、株主と言った場合に市民全体を射程に置くことになります。株主というのは、市民であり、労働者であり、消費者でもある、ということになります。

金融庁理論武装せよ
 問 民主党は公開会社法プロジェクトチームを作り、政権を取ると2012年2月に当時の千葉景子法務相会社法改正を法制審議会に諮問しました。民主党は公開会社法を導入したかったのでは。

上村 プロジェクトチームではかなり真面目に議論をしていましたが、途中から議論がおかしくなりました。市民のごく一部である労働者の経営参加というところだけにこだわっていたように見えます。私がそのお先棒を担いでいるように言われて大変迷惑をしました。

 問 今こそ、公開会社法が必要なのではないでしょうか。

上村 2005年の法律で300万社を対象にしたため、会社法はマーケットからものすごく遠ざかってしまったのです。このため、仕方なく東京証券取引所が上場規則などでルールメイクをするようになった。今回のコーポレートガバナンス・コードの制定もその延長線上にあるわけです。

新たな区分立法をすべきだという点に関しては、ほとんど反対する人はいません。逆に、実害がどんどん大きくなっています。上場企業は現在、会社法と金商法の2つが定める情報開示を行っていますが、金商法の情報開示で会社法の開示などを代替する条文が膨大になっています。ところが、会社法は単体を前提にしているのに、金商法の有価証券報告書は連結です。法律違反に対しても、緩い会社法の罰則ではなく、より厳しい金商法の罰則が適用されている。すでに、会社法と金商法の関係の説明がつかなくなっているのです。

 問 会社法を所管する法務省と金商法を所管する金融庁の縄張り争いのような感じもします。

上村金融商品にはガバナンスがつき物です。ですから金融庁は堂々とガバナンスに関与するのは行政目的を達成するうえで不可欠だと言えばよいのです。十分に資格もある。ところがそれをきちんと言わないで、何となくガバナンスに踏み込もうとするから、法務省と争いになる。

法務省からすれば、六法のひとつである会社法の根幹となる株式会社のガバナンスを金融庁に触らせるわけにはいかない、となってしまうのです。金融庁はもっと理論武装して、法務省と共管で公開会社法を作ればよいのです。

時代にあった会社法
 問 公開会社法の議論を進める過程で、株主とは何かという位置づけが重要になりそうですが。

上村 千分の一秒の電子取引で、たまたま期末のタイミングだけ株式を持っていた投資ファンドが、会社の所有者であるはずはないでしょう。グローバル市場の中で経済的利益を追いかけるのは構いませんが、議決権というのはデモクラシーの問題です。誰が本当の所有者だか分からないようなファンドが議決権を握るのは問題だと思います。

私はもっと株主の属性を考えることが重要だと思います。日本の会社法理論では株主平等原則が当たり前だと教えてきましたが、私は、株主不平等原則だと言っています。株主は社会全体だと言いましたが、だとすれば、顔の見える社会の主権者になりうる人たちでなければいけません。だからこそ株主主権と言えるわけです。海外の一部の国では一定期間以上株式を保有していないと議決権が発生しないようにする法改正が行われていますが、当然だと思いますね。

 問 今回作られたガバナンスコードでは、社外取締役2人以上の設置などが求められています。そうした中味に反対されているわけではないのですね。

上村 私はもともと、監査役をそのままボードに横滑りさせれば、社外監査役社外取締役になるので、社外の比率が国際的にみても遜色ない水準になると主張していました。今回、会社法改正で、監査等委員会設置会社が認められましたが、かなりの数の企業がこれに移行すると見られているようです。

 問 会社法体系を大きく見直し、公開会社法を作るとなると、政治のリーダーシップが不可欠でしょうね。

上村 そうですね。前回は民主党政権の諮問で会社法の改正議論が始まり、結局、歪んでしまいました。今度は是非、自民党政権会社法改正を諮問し、時代に合った会社法体系の再構築をすべきですね。

お隣の中国では会社法など基本法が未整備だったこともあり、早稲田大学も支援してきました。最近では、日本の公開会社法論議を先取りして、法体系を整えようとしています。うかうかしていると、日本も公開会社法を中国から学ぶことになりかねません。公開会社法は喫緊の課題だと思います。

地域のあり方と移民問題 日本の将来をスイスから学ぶ

日本では移民問題は一種のタブーになっています。安倍晋三首相も「いわゆる移民政策は取らない」と明言しています。しかし、このままでは日本の人口減少が社会システムを存続不可能にしかねない事態を招くことになりかねません。日本の文化や習慣、コミュニティを守るために移民は受け入れるべきではないと思っているうちに、人口減少で、分野やコミュニティが失われてしまいかねないのです。どうすればよいのでしょうか。移民を受け入れながら自国のコミュニティを守ってきたスイスにヒントがありそうです。治安維持に強い意思を持ってきた國松孝次・元警察庁長官(元スイス大使)が、駐日スイス大使と移民やコミュニティについて語り合いました。ウェッジに掲載された記事です。是非ご一読ください。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4577

014年は幕末に日本とスイスが国交を樹立してから150年の節目の年にあたり、日本・スイス両国で多彩な記念行事が行われている。スイスと日本は、山がちで天然資源に乏しい小国ながら、国民の勤勉さと教育で世界有数の豊かな国に発展してきたことなど、共通点が少なくない。だが、日本と大きく違う点がある。スイスが19世紀から移民の受け入れに積極的で、それを国の発展の原動力にしてきたことだ。日本でも、人口減少問題とのからみで移民の必要性が話題になるが、一種、タブー視されるところがあって、なかなか議論は進まない。駐スイス大使を務めた國松孝次・元警察庁長官が、地域コミュニティのあり方や、移民問題について、駐日スイス大使のウルス・ブーヘル氏と対談した。

國松:私は、1999年から3年間、駐スイス大使としてスイスに滞在しました。在任中、特に、私が強い関心を持ったのは、スイスの地方の町々でした。スイスにはゲマインデ(またはコミューン)と呼ばれる、日本では市町村にあたる基礎自治体があり、自分たちのことは自分たちで決める仕組みを守っています。そうした地域社会の強さと活力に感銘を受けました。そこでは、自治・自守・自決の精神にあふれています。住民相互の扶助意識、連帯感も強い。

ブーヘル:まさに国の組織の最下層レベルであるゲマインデが強い自主決定権を持つことこそ、スイスという国のカギであり、特長です。さらに私はスイスという国が成功を遂げてきた理由のひとつだと考えています。過去数百年にわたってこの仕組みは機能してきました。

 700年以上前にスイス連邦が建国された頃に遡ると、山間部のアルプスのコミュニティでは住民が力を合わせることでしか問題解決はできませんでした。厳しい自然の脅威にさらされる中で、生活物資を確保し、生きていくのは、ひとりの力では不可能です。彼らが築いた共同体では、住民は等しく権利を持ちました。これによって住民は守られ、助けを得られましたが、同時に義務も負いました。

 権力者がいてコミュニティが作られたのではなく、個々人が集まってコミュニティを作り、権利と義務を負ったのです。ですから、自治体が自分に何をしてくれるのか、ではなく、自分たちが自分たちのために何をするかを考える。こうした市民感覚が育ってきたことが非常に重要だと思います。

 自分たちの必要なことなどまったく分かっていない隣の村の他人に決められるのではなく、地域の人たちが自分たちのことは自分で決める。これが非常に重要で、私たちは今でもシステムとしてこれを維持しているわけです。スイスという国家はトップダウンで作られたのではなく、ボトムアップで出来上がっているのです。

國松:直接民主制ですね。

ブーヘル:はい。スイス型連邦主義と言われるものです。すべての問題は、その問題に関係するできる限り最末端のレベルの意思で解決すべきだという考えです。今、スイスには2300余の地方自治体がありますが、彼らが税率をどう決めるかは完全に自由です。税金のあり方と歳出を両方とも決めることができるのです。これは住民会議で徹底的に議論されます。

 例えば、新しい校舎が欲しいという場合、本当に意味がある投資かどうかを検討し、よし、それでは建設費を賄うために税金を上げようという話になる。逆に、何か不要だというものがあれば、税金を下げることもできるのです。これは非常に重要なことです。もちろん、理想通りに行っていないケースも探せばありますが、私がスイスで住んでいたコミュニティなどは完璧に機能していました。

國松:なるほど。日本の地域社会と対照的な状況のようです。日本も、かつては、相互扶助と連帯感の強い地域社会の伝統を持っていました。ところが、最近、その希薄化、あるいは崩壊が危惧されています。日本は、本格的な少子・高齢化の時代を迎えますが、それへの対応の中核を担うのは地域社会であり、その意味で、相互扶助の精神にあふれ、連帯感の強い地域社会の再生は、喫緊の最重要課題だと思います。安倍晋三内閣も「地域創生」を打ち出しています。そこで、ブーヘル大使に伺いたいのですが、スイスの地域社会の強さの秘訣は、どこにあるとお考えですか。地域社会の再生を目指す日本に、スイスの視点から、何か示唆いただけることはあるでしょうか。



ブーヘル:日本の仕組みについて語るのは難しいですが、私たちの経験をお話しすることがお役に立つのではないでしょうか。高齢化に直面しているのはスイスも同じです。そうした中で、スイスの多くの自治体には、退職後10年間くらいの働いていない人たちや、子どもの手が離れた母親などが、高齢者の面倒をみるようなボランティアに従事する制度があります。週に一度か二度、お年寄りの自宅を訪ね、可能な限り一緒にいてあげるのです。これは個人とコミュニティの強力なコミットメントがなければできないことです。

 日本のように地域を超えて転勤したり、引っ越したりすることが多い社会では、そんなコミュニティを維持することは難しいと考えるかもしれません。しかし、最初のステップとして、例えば私の地元では、新しい家族が地域にやってきた時に、コミュニティが大歓迎します。引っ越した初めの段階から、ここがわが町であるという意識を持ってもらい、権利を実感してもらうのです。そうすることで、コミュニティに対する義務や責任も芽生えます。特に地方では、初めから、町の会合の場所や、道路の飾りつけといった様々な奉仕活動の日取りなどを教え、すべての活動に誘います。引っ越したその日からコミュニティの一員として生活してもらうわけです。

ウルス・ブーヘル氏(Urs BUCHER) 1962年生まれ。ベルン大学卒業(ベルン州弁護士資格取得)。90年外務省入省。在ブリュッセル・スイス政府EU代表部審議官、外務省・経済省統合室室長などを経て2010年8月から現職。

國松孝次(Takaji Kunimatsu) 1937年生まれ。東京大学卒業。61年に警視庁入庁後、大分・兵庫各県警本部長、警察庁刑事局長などを経て94年警察庁長官就任。99〜2002年まで駐スイス特命全権大使を務める。


國松:そうした新規の移住者に対して優しいというスイスのコミュニティの特長は、外国人居住者が増えていく中で、維持していくのがやや難しくなっているのではないでしょうか。EU欧州連合)やEFTA(欧州自由貿易連合)などの諸国からの外国人居住者が中心の時代は問題はなかったかもしれませんが、それ以外の第三国からの移住者が増えると、人々の間の文化的な摩擦が増えるなどして、スイス社会も変革を迫られるのではありませんか。

ブーヘル:移民問題は今のスイスの政治問題で最大かつデリケートなテーマです。スイスは明らかにグローバル化の勝者として世界有数の豊かな国になりました。国の門戸を開いて世界中から優秀な頭脳を引き寄せたのです。しかし、一方で負の側面として、移民のコミュニティとの同化や協調といった問題が生じました。60年代から70年代にかけてのイタリアからの移民はすでに第二世代、第三世代になっています。彼らはすでに、もとのスイス人よりもスイス人らしく振る舞っています。自然に溶け込むことでコミュニティの一員になってきました。

 しかし、一方で、スイスにやってくるすべての外国人がこうした姿勢を持っているわけではないのも事実です。3〜5年働いて国に帰っていく外国人はコミュニティの一員になろうとは考えず、4つある公用語の1つすら学ぼうとはしません。問題なのは、おそらく彼らは納税者としてスイスの富に貢献しているにもかかわらず、市民としての役割を担わず、コミュニティにも関与しないことです。

國松:これまでスイスが採ってきた移民政策で、私が感心したのは、スイスの連邦政府がとても明確な移民政策を持っていることです。単純な同化政策でもなく、多文化併立政策でもなく、彼等をスイスの社会の中に「統合」するという政策を採ってきた。スイスの人たちを外国の人たちと調和させる政策だったとも言えます。

ブーヘル:これまでの移民政策がうまくいったという点は私個人としても同意見です。スイスは小国で天然資源もありません。ではどうやって今のような、世界有数の豊かな国になったのか。スイスの成功のカギは19世紀から国を開いてきたことです。少なくとも海外からスイスに働きにやってきたい人たちにできる限りベストな仕組みを与えてきました。クリエイティブで働く意欲にあふれ、付加価値を増す人々を積極的に受け入れてきました。

 世界最大の食品会社であるネスレや、その他のグローバル企業の多くが19世紀の移民によって創業されました。第二次世界大戦後も移民の受け入れによって革新的な人々をスイスに招き入れ続けた結果、多くの富が生まれました。

 もちろん、彼らはおカネを生み出すだけでなく、社会の中で責任ある役割を担いました。税金を納め、スイスの基準に従い、参政権を得るのは難しいにもかかわらず、コミュニティの一員となり、社会の役割を担ったのです。有能な外国人をスイスに引き付けるために、給与水準や公共インフラ、医療、学校教育などの様々な条件を魅力的に保ってきたということです。

國松:スイスでは2014年2月に国民投票が行われ、移民の流入を制限することが支持されました。今後、連邦政府は移民政策に関して難しいかじ取りを迫られそうです。

ブーヘル:従来、EU諸国に対する労働市場の開放について国民投票で支持を得てきましたが、2月の投票で方向が変わりました。まだこの投票結果は政策に反映されていません。

 もちろん、様々な選択肢があります。ただ、基本的な問いに国民は答えを出さなければなりません。どのくらいの成長を欲するのかです。成長は富に直結します。より良い年金制度を維持しようとすれば、成長は不可欠です。成長がなければ将来世代がより豊かになるという道は閉ざされます。移民を制限する代わりに年金額が3分の2になっても良い、インフラも乏しくなっても構わないというのならばそれでもいいでしょう。

 一方で、目に見える形で移民の弊害が出ているという指摘もあります。移民増によって社会福祉予算が大きく増え、犯罪が増加しているという指摘です。私は、具体的な現状分析をきちんとした上で、冷静に議論するべきだと考えています。

國松:スイスが現実的な解決策を見出すことを期待しています。日本は少子・高齢化が進み、これまで同様の生活水準を維持しようと思えば、より多くの外国人労働者を受け入れざるを得ない状況にあります。しかし、一方で多くの外国人の流入が難しい社会問題を引き起こすことになるでしょう。外国人受け入れの必要性と、それによって起きる問題をどう調和させていくのか。スイスはたくさんの経験を積んでいます。日本が学べることは多いと思います。

ブーヘル:そうですね。スイスが過去に採った政策ですと70年代から80年代の経験は教訓になるでしょう。当時、安い労働力としてより遠い国から違う文化的背景を持ったあまり高い教育を受けていない人たちを移民として受け入れました。しかし、彼らはスイスにうまくとけこむことはできませんでした。

 ただ安い労働力を求めて、たとえ数万人といえども、低スキルの移民を入れるべきではないでしょう。グローバル経済の中で、われわれは最高の生産性を誇る国になるべきです。海外からの安価な労働力の流入は、生産性の一段の向上を図るために改革されるべきシステムを、永続化させることになりかねません。

國松:貴重なご意見です。

ブーヘル:今では移民は間違いなく必要です。スイスでは大まかに言って医療分野で働く人の50%が非スイス人です。ヘルパーから看護師、医者、大学教授まで、スイスの医療システムには必要不可欠です。これは問題でしょうか? 病気で倒れた時、助けてくれたドイツ人医師やイタリア人看護師に感謝しこそすれ、脅威に感じるはずはありません。社会システムに貢献している人は誰であれ尊重されるのです。

國松:スイスが受け入れている外国人の数は約186万人。スイス全居住者の約23%は外国人という勘定になります。これは、ヨーロッパ各国のなかでも、群を抜いて多い。これに対して日本国内に居住する外国人の数は約206万人。全人口比では1.6%に過ぎません。

 逆に、海外に居住するスイス人は60万人〜70万人と聞きました。これは、スイスの人口の約10%にあたります。これだけの人々が、海外に進出して活躍しています。こうした海外のスイス人をつなぐOSAスイス海外協会という強力な組織があって、彼らをサポートしています。これに対し、海外に居住する日本人の数は、およそ120万人で、全人口の1%にも満たない。日本はよくその「内向き志向」を指摘されますが、スイスに比べれば、海外進出率は、10分の1ということになります。

ブーヘル:スイスのスタンダードからみれば、日本の移民問題は、まだないに等しい。これからの問題です。スイスのよい経験と悪い経験の両方を参考にされたらよい。それから、海外進出率のことですが、スイスでは海外に行く経験を持つのはごく普通のことです。若い人たちが、旅行だけでなく、1〜2年海外で勉強するというのは一般的で、そうした海外経験をプラスに評価します。ところが、日本で話を聞いていると、学生の時に1年海外に行ったりすると、1年を無駄にしたように受け取られるといいます。40歳になるまで外国を見たことがない人が、本当に外国の人たちを尊重できるはずはありません。

 私の息子は14歳の時に6週間インドに行き、16歳では6週間ブラジルで過ごしました。そして高校を卒業すると南アフリカで3カ月生活した。今、彼は米国で勉強しています。私は彼に海外に行くことによって、同時にスイスをより理解してもらいたいと思っています。今は、日本政府も海外留学を後押しする制度を始めたようですが、これは非常に重要なことだと思います。

 スイスも日本も伝統を重んじる国民ですが、古い考えに凝り固まるのではなく、発想を変えていかなければなりません。

スイス在住を経て - スイス滞在経験を持つ日本人にインタビュー / 日本経済新聞編集委員 滝田洋一氏

かなり時間がたってしまいましたが、スイス大使館の企業誘致局が出しているニュースレターのインタビューシリーズ最終回を再掲します。


スイスは国際金融の動きをウォッチするジャーナリストにとっても重要な場所である。日本経済新聞編集委員として活躍する滝田洋一さんは、日本の金融記者としては圧倒的な存在で、滝田さんの記事を漏らさず読むファンは少なくない。そんな滝田さんの国際記者としての振り出しは入社6年目で初めて赴任したスイス・チューリヒだった。言うまでもなく筆者の尊敬する先輩である。滝田氏にスイスについて聞いた。


 問 スイスに赴任されていたのはいつごろですか。
 滝田 1987年9月から90年9月までの3年間です。日本経済新聞チューリヒ支局の2代目の特派員でした。当時はチューリヒ中央駅からリマト川を越えて丘を上がったところに支局がありました。1985年にプラザ合意があり、日本の金融市場が規制体系から市場体系へと変わっていく過渡期で、金融市場も急速に大きくなっていました。今はありませんが、日経金融新聞という新聞を87年に創刊したこともあり、金融の情報が急速に求められていました。そんな中で赴任したのです。

 問 当時は日本企業もたくさんチューリヒに進出していたのでしょうね。
 滝田 銀行や証券会社の現地法人だけで40以上あったでしょうか。当時、日本企業がスイスで転換社債を発行するのがブームで、そんな取材が多かったですね。確か87年に野村証券と当時の山一証券がスイスで銀行免許を得たのですが、そんな記事も書きました。当時はまだ日本では銀行と証券の垣根問題がうるさく、証券会社が銀行免許を取るというのは大きな話題でした。

 問 金融記者としてチューリヒに赴任して、どんな印象を持ちましたか。
 滝田 株式の売買など金融資本市場は当時、ニューヨーク、ロンドン、東京が世界三大市場として大きく伸びていました。スイスはむしろシェアを落としていましたね。しかし、世界から集まってくる長期性の資産を、世界中に分散投資して安定的に運用収益を稼ぐというアセット・マネジメントやプライベート・バンクの仕事が急速に膨らんでいた。この資産のストックに注目したビジネス・モデルはなかなか面白いと思いました。

 問 金融記者としての振り出しとも言える場所がスイスだったわけですが、その後の記者人生に影響を与えましたか。
 滝田 もちろんです。小さい支局ですので、ひとりですべてをやらなければならず、大変勉強になりました。米国や英国のニュースのように、右から左で日本の新聞に掲載されるようなネタは少なく、何か工夫をしないと東京で記事として扱ってもらえません。切り口や物の見方といったひと味違った工夫をする訓練ができました。自分なりの視点を持つことの大事さとでも言いましょうか。スイスは国の規模も大きくないので、例えば中央銀行であるスイス銀行の理事にインタビューを申し込むと比較的簡単に受けてもらえ、金融政策についての考え方などをじっくり聞くことができました。

 問 スイスでの生活はどうでしたか。
 滝田 86年秋に結婚した翌年でしたが、一緒にスイスで暮らしました。90年1月には子どもが生まれましたが、チューリヒ大学病院で出産しました。政治や金融が激動の時期だったこともあり、爪先立って仕事をしていましたので、本当に朝早くから夜遅くまで取材し、原稿を書いていました。残念ながら生活を楽しむ余裕はありませんでした。

 問 金融記者としてスイスという国をどうご覧になりますか。
 滝田 中央銀行中央銀行であるBIS(国際決済銀行)の本部がスイスのバーゼルにありますが、このBISを持っているのは非常に大きいと思います。私もBISで中央銀行総裁会議が開かれる時など取材に行きましたが、冬など、寒風吹きすさぶ中を総裁が出て来るのを待ち続け、何とか話を聞いてファクスで原稿を送ったのは、なかなか辛い思い出です。また、世界経済フォーラム、いわゆるダボス会議もスイス国内で開かれていますが、世界の指導者を呼んで来る力をスイスの会議が持っているのは大したものです。世界に向けて情報発信できる場を持っていることは強いですね。スウェーデンノーベル賞をテコに世界に自らの国を売り込んでいますが、ダボス会議はスイスという国の存在をより大きなものとして発信する役割を果たしています。

 問 スイスをひと言で評価すると。
 滝田 ねばり腰というのでしょうか、しなやかで強靭な国だと思います。今はやりの言葉で言えば、リジリアンスでしょう。大国の間で生き残ってきたスイスという国には、国民の間にとにかく生き残っていくのだという強い意思が共有されていると思います。理想主義を掲げる一方で、極めて現実的な対応も取れる。日本はともするとそういう意思の共有がなかなかできない。国民の共通利益と言うか、国益感覚のようなものを、スイスに学ぶべきではないでしょうか。

 問 スイスは欧州の中心ですが、記者として動きまわるにも便利な場所ですね。
 滝田 1987年11月9日にベルリンの壁が崩壊するのですが、その1週間後に西ベルリンに行って壁を目の当たりにしました。これでようやく平和が来るなと思ったものです。その後は別の意味で様々な問題が起こるのですが、第二次世界大戦後が終わると思いました。当時、チューリヒから飛行機で西ベルリンに行ったのですが、途中、西ドイツのミュンヘンで当時の米国の航空会社パンナムの飛行機に乗り換えた。つまり西ドイツの飛行機は西ベルリンに入れなかったのではないでしょうか。まさしく第二次大戦後の体制がそこに残っていたのです。スイスの金融界は冷戦体制の崩壊で大きな変化の浪をかぶったはずですが、それでも大きなバブルの崩壊を経験せずに今日まで維持しているのは大したものです。チューリヒは欧州の中心なので、イタリアなどにもよく取材に行きましたね。いずれにせよ、当時の経験が今の記者人生の原点になっているように感じます。

http://www.s-ge.com/japan/invest/ja/blog/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E5%9C%A8%E4%BD%8F%E3%82%92%E7%B5%8C%E3%81%A6-%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E6%BB%9E%E5%9C%A8%E7%B5%8C%E9%A8%93%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%B7%A8%E9%9B%86%E5%A7%94%E5%93%A1%E3%80%80%E6%BB%9D%E7%94%B0%E6%B4%8B%E4%B8%80%E6%B0%8F

話題の書『人口激減』著者・毛受敏浩氏が語る 「人口激減国家・日本は移民を受け入れるしかない」

移民問題について「人口減少」の著者、毛受敏浩さんにインタビューしました。冷静に議論を始める必要性を痛感しました。是非ご一読ください。→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41050


少子高齢化による労働力不足が顕在化し始めた。

とくに日本人があまり働きたがらない建設現場や外食店の深夜勤務などは深刻な人手不足に直面している。安倍晋三首相は「いわゆる移民政策はとらない」とする一方で、外国人技能実習制度の拡充や、国家戦略特区での外国人労働者の受け入れ拡大などに踏み出そうとしている。

日本は移民にどう向かい合うべきなのか。

『人口激減――移民は日本に必要である』(新潮新書)の著者である毛受(めんじゅ)敏浩氏に聞いた。

その場しのぎの「外国人技能実習制度」拡充


 問 安倍晋三内閣は外国人技能実習制度の期限を、現行の3年間から建設業などに限って最大5年間に拡大する方針を決めました。さらに介護分野などにも拡大していく議論が進んでいます。少子高齢化で急速に深刻化する人手不足への対応が背景にあります。こうした実習制度の拡充についてどう考えますか。

 毛受技能実習制度はいくつかの点で問題があります。実習生を受け入れている8割の事業所で何らかの違反が存在すること。また、技術を海外に移転する国際協力だというのが建前なのに、本音は安い労働力を確保する制度になっています。

こうした制度も一時的な労働力不足には有効かもしれませんが、中長期的に人口が減少していく中で、その場しのぎに過ぎません。

 問 新しい提言を出されたそうですね。

 毛受 私たち日本国際交流センターhttp://www.jcie.or.jp/japan/)は10月29日に技能実習制度に代わる新しい仕組みを新設するよう提言しました。「技能外国人安定雇用制度(仮称)」です。技能外国人雇用法といったものを制定し、一定の条件を満たした優秀な労働者には6年間の滞在の後に、定住、永住への道を認めるというのが内容です。

企業が人材を募集する際、まずは日本人を募集し、一定期間の間に人材が集まらない場合に初めて外国人労働者を雇えるようにします。これによって日本人の働く場が奪われるといった批判は防ぐことができるでしょう。

また、技能外国人には一定の日本語レベルを求めると共に、日本で働き始めた後も日本語と技能の向上に努めるように求めます。つまり、外国人を正面から正規労働者として受け入れる制度を作ろうという提案です。

言語を学ばせ成功に転じたドイツの移民制度

 問 現在の技能実習制度とはまったく立脚点が違うわけですね。

 毛受 現在の制度では、3年で帰るのが前提ですから、働く外国人の側も日本語をきちんと覚えようなどとは思わず、いかにたくさん稼ぐかを考えます。一方で使用者側も、3年で帰ってしまう人に本気で資格を取らせたり教育しようとは考えません。建設機械を無資格で動かして事故を起こすなどということが起きるのはこのためです。頑張って努力すれば定住できるようになる、という希望が持てる制度にすべきです。

移民を正面から議論せずに放っておけば、労働力不足の穴埋めとして裏口からどんどん外国人が流入してくる。移民論議を避けていると、将来大きな問題になるのは明らかです。

 問 欧米先進国では移民が当たり前になっていますね。

 毛受 先日、日独フォーラムがあってドイツに行って来ました。日本でドイツの移民政策というと、失敗したと思われているのですが、2000年代以降は大きく政策が変わっています。ドイツは2005年に「移民受け入れ国家」を宣言しており、外国人移民を歓待するカルチャーを育てています。一方で、移民にはドイツ語を600時間学ぶことを義務付けているそうです。

かつては安い労働力としてトルコ人を大量に受け入れたドイツですが、いずれ帰国するだろうという前提でドイツ語もろくに学ばせませんでした。そうしたドイツ語もできない外国人が定住するようになって大きな社会問題になったのです。その反省もあって、移民政策を転換させたわけです。

 問 ドイツでは外国人の高度人材受け入れにも力を入れているようですね。

 毛受 最近は国外で取得した資格や専門性をどう認めるかが大きなテーマになっているようです。例えばポーランドの看護師資格を持つ人の専門性を認め、ドイツ語を勉強するだけで看護師として働けるようにするわけです。ドイツでは僻地の医療や介護の現場にどんどん外国人が入っているようで、もはや外国人専門家なしには社会が成り立たなくなっているのです。

20年後に全国の人口の3.8%を移民に
  世界最速のペースで高齢化が進む日本でも、人口減少や労働力不足は深刻な問題です。にもかかわらず、移民の議論はなかなか起こりません。

 毛受移民問題には4つの論点があります。まず、何人ぐらい受け入れるか。次にどうやってソフトランディングさせるか。いわゆる多文化共生と言われるもので、これはだいぶ自治体など地方レベルでは活発に議論が行われている。

3番目は日本人の意識をどう変えていくか。この点はほとんど議論されていません。そして4つ目は、外国人移民が入った時に日本はどんな社会を目指すのか、いわば国家ビジョンです。この4つが明確にならないと、移民問題は前に進みません。

  どのくらいの移民を受け入れる必要があるのでしょうか。

 毛受 かつて自民党議員連盟が50年間で1000万人の移民を受け入れるという提言を出したことがありましたが、猛烈な反発を受けました。年にすれば20万人ですから本当は大した人数ではありません。でも1000万人と聞くと驚きます。今、日本国内には人口比で1.7%弱の外国人がいます。東京23区は3.8%です。それで何の問題も起きていません。外国人と日本人の衝突が起きているわけでもないのです。

ですから、1.7%の全国平均を3.8%にしても問題は起きないと言えるのではないでしょうか。20年後に3.8%にするという目標を立てて、それに沿った人数の移民を受け入れたらどうでしょう。その先のことは20年たってから考えれば良く、50年後の話をする必要はありません。

  東京・新宿区の多文化共生まちづくり会議の会長を務められているそうですね。何が町づくりの課題なのでしょうか。

 毛受 新宿区の外国人は人口の10%を超えています。成人式の4人にひとりは外国人ですね。やはり最大の関心は教育問題です。外国人の子供たちをどう教育していくかですね。そしてもう1つが防災問題でしょうか。ただ、新宿区は留学生や一発勝負の起業家などが多く、外国人住民の3分の1が1年で入れ替わります。これが対応を非常に難しくしています。

一般に外国人2世の高校や大学への進学率は日本人に比べて低い。これは日本社会で落ちこぼれていることを示しており、社会の底辺化が進んでいると言えます。

「地方創生」に国際的視点を!
 問 何が問題でしょうか。

 毛受 移民に対する国の方針がないことです。国が移民受け入れについて明確な方向性を打ち出さなければ、自治体の腰も定まりません。日本にはたくさんの日系ブラジル人が居住していますが、彼らを今後どうしていくのか。日本語教育職業訓練もきちんと受けさせず、自治体の場当たり的な対策任せになっています。

かつて、1970年代にベトナム難民を受け入れた自治体の話を聞きました。いまでは退職して高齢者になった難民たちは、ほとんど全員がいまだに日本語が満足にできず、今は生活保護を受けているというのです。日本語教育を満足にやらせなかったために、底辺の仕事しか就けず、結果、財産もできずに生活保護になったのです。そうした失敗を繰り返してはなりません。

 問 安倍首相は「いわゆる移民政策は取らない」と国会で答弁しています。

 毛受 国の方針として、移民の受け入れや外国人との共生をメッセージとして出すことが非常に大事です。国際的にもおおきなインパクトがあります。日本人の意識改革にもつながるでしょう。安倍内閣は「地方創生」と言い、地方の人口減少に歯止めをかけると言っていますが、そこに国際的な視点はまったく欠けています。

地方の人口減少は、地域の文化や伝統を支える人がいなくなることを意味します。地方の人口が減っている地域に外国人を受け入れていく。そこで高齢者の見守りに従事してもらう。そういった外向きの視点が必要です。

  外国人が増えると治安が悪化すると危惧する人たちも少なくありません。

 毛受 今、外国人観光客が大幅に増えています。私はそれによって犯罪は増えると危惧しています。しかし、移民を正規に受け入れたからと言って犯罪はまず増えません。例えば、外国人労働者として6年働き、無犯罪などの条件をクリアすることで定住許可が得られる仕組みになれば、早く定住権を得ようと模範的な社会人として振る舞うようになるはずです。

日本の人口減少は大津波のように襲ってきます。おそらく外国人移民を受け入れても、それで問題のすべてが解決するわけではありません。移民のマイナス面を強調するよりも、人口減少で社会が壊れていく悲惨さに思いを巡らせて危機感を持つべきです。何よりも移民論議をきちんと始める時だと思います。

毛受 敏浩(めんじゅ としひろ)    1954年生まれ。慶応大学法学部卒。米国エバグリーン州立大学行政管理大学院修士兵庫県庁で10年間の勤務後、1988年より日本国際交流センターに勤務。草の根の国際交流調査研究、二国間賢人会議、NGOフィランソロピー活動など多様な事業に携わる。2003年より チーフ・プログラム・オフィサー、2012年より現職。慶応大学、静岡文芸大学等で非常勤講師を歴任。現在、東京都地域国際化推進検討委員会委員長、総務大臣姉妹自治体表彰選考委員、JICA草の根技術協力選考委員等を務める。2005年、第一回国際交流・協力実践者全国会議委員長。 著書に『人口激減−移民は日本に必要である』、『異文化体験入門』、『地球市民ネットワーク』、編著書に『国際交流・協力活動入門講座I〜IV』など。

若手向けにビジネス予備校 岡村進・人財アジア社長 「世界で生き残れる、変革心のある人を育てたい」

元UBSの日本法人の社長だった岡村進さんのインタビューが毎日新聞社の「週刊エコノミスト」10月14日号に掲載されました。編集部のご厚意で以下に再掲させていただきます。是非エコノミストをご購読ください。→http://www.weekly-economist.com/

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国際化を迫られる企業の中で、世界で闘える人材に自分自身がどう変わるか。そんな危機感を持つ若手ビジネスパーソン向けの予備校設立を目指す。キーワードは「グローバル」と「資産運用」。外資系金融機関社長の職を辞して2013年7月に起業した。(聞き手 磯山友幸 ジャーナリスト)


 問 外資系金融機関の日本のトップの座を投げ捨て、昨年「人財アジア」という会社を立ち上げました。なぜ人材育成会社なのですか。

 岡村 このままでは日本は沈んでしまうという猛烈な危機感があります。世界で進むグローバル化に、日本企業も日本社会も、日本のビジネスパーソンも付いていけず、取り残されている。今こそ本気でグローバル人材を育てないと、取り返しがつかないことになると思ったのです。
 ちょうど2012年末に安倍晋三内閣が発足してアベノミクスを掲げました。日本のグローバル化を進め、世界で最もビジネスのしやすい場所にすると宣言した。自分自身が長年考えてきたグローバル人材教育を始めるラストチャンスがやってきたと感じました。

幹部・社員に「火をつける」
 問 東京・丸の内にビジネスパーソンのための予備校を作ろうと準備しているそうですね。
 岡村 今、三つの事業を始めています。一つは企業が社内で行っている社内研修の受託です。日本の大手金融機関などからグローバル人材教育、資産運用教育などの研修を請け負っています。年間契約で人事制度の運営コンサルティングのようなこともやっていますが、基本は私の思いが実現できるところに限っています。また、受講する社員との個別面談もできるだけやらせてもらうようにしています。今、日本企業の経営者の多くは「変わらなければいけない」と変革を求めています。そうした企業で幹部や社員に「火をつける」役割を担っています。
 二つ目が外部の研修会社の講師受託です。外部の企業が企画運営する「課長塾」といった人材育成コースの一部分を私が受け持つわけです。
 そして、最終的な目標が予備校の立ち上げです。来春のスタートを目指して準備を進めており、名称も「EATビジネス予備校」(EAT=Education for AsianTalents)とすることにしました。対象は丸の内を中心とするビジネス街で働く若手から中堅の社員。自らがグローバルに通用するための、思考法やスキルを身に着けてもらう目的です。月額3万5000円の受講料で、初年度30人程度を考えています。

 問 どんなスキルを教えようと考えているのでしょうか。
 岡村 グローバルを縦軸、資産運用を横軸に据えたマトリクスを考えています。資産運用に必要な知識やモノの見方を教えてくれるところは、なかなかありません。単に資産運用を仕事にしている人という意味ではなく、ビジネスの世界をより深く理解するには、世界のおカネの流れや数字の読み方を知る必要がある。質の高い情報の獲得法やIT知識、コミュニケーションスキルなどを、私だけでなく、私の人脈の講師陣にも教えていただきます。
 1年間のコースで基本は土曜日。講義を月2回行い、残る2回は生徒や講師がフリーに討論できる場を提供しようと考えています。大学の講義のような一方通行ではない、実地に即した双方向の授業方法を取り入れたいと思います。

 問 ビジネス予備校というと、資格を取ったり、英語を勉強するための学校かなと思いますが、違うのですね。
 岡村 まったく違います。日本人はすぐに資格が必要だとか、英語の試験の点数が良くなければ、国際的に通用しないと考えます。でもそんなことはない。英語は後でもよいのです。それよりも国際的な仕事の仕方とは何なのか。グローバルに活躍するビジネスマンの常識とはどんなものか、それをまず知ることが重要なんです。

 岡村さんは大学卒業後、第一生命保険に入社。20年のうち3度にわたって米国で働いた。シティバンク米国本店の審査部でトレーニー(研修員)として働いたほか、米国運用子会社の社長も務めた。スイスに本社を置く金融大手UBSの資産運用部門の日本法人、UBSグローバル・アセット・マネジメントに移籍した後は、グローバル金融の世界で働くビジネスパーソンと日々付き合ってきた。

日本と世界のギャップは大 

 問 グローバル人材の定義は何でしょうか。
 岡村 異なる価値観をまとめながら、シナジー効果を生み出して、より大きな成果を創出できる人。私はそう定義することにしています。世界には多様な人材がいます。文化も生活習慣もまったく違う。そうした多様な人材がいるというのが、国際ビジネスの世界では当たり前です。日本のような画一的な文化を前提とした企業や社会では、リーダーがはっきり方針を示さなくても、何となく言いたいことが通じて、社員も付いてくる。社員は不満があっても口に出しません。
 しかし、国際ビジネスの世界では、口に出して言わなければ誰も分かってくれません。不満を言わなければ、満足していると誰もが思うのです。日本がグローバル化していく過程で、このギャップは大きいのではないでしょうか。
 問 当初は、日本的な人事制度にも良い点があると考えていたのですね。
 岡村 ええ。終身雇用を前提に和気あいあいとやるのはプラス面も多いと考えていました。外資に移った時は部長だったのですが、当初、私は日本式で通用するのではないかと考えました。部下にいろいろ意見を聞いたり、「もっと人を育てろ」というようなことを言いました。すると、しばらくして、部下が誰も付いてこなくなったんです。完璧に浮いてしまったわけです。
 部下にすれば、リーダーとしてきちんと方向を示さない部長など信用できない、というわけです。また、「人を育てろ」というのは、「自分のポストを誰かに明け渡せ」と言っているように聞こえたのでしょう。まったく、外資のリーダーとしては失格でした。やはり、これは国際標準でやらなければ務まらない。そう考えてやり方を180度変えました。
 問 国内には、グローバル化を急ぐと、日本的経営の良さが失われるのでは、と懸念する声があります。
 岡村 私は人事部にいたこともありますので、日本の人事管理制度の素晴らしさ、良さも十分に知っています。でも、それが世界に通用するかどうか。一般的に日本企業は人に優しいと言います。終身雇用で会社が傾くギリギリまで人をクビにしない。聞こえは良いが、逆に言うと、とことん行き詰まった危機のどん底で社員は放り出されることになるわけです。
 欧米の会社は、会社が完全に追い詰められる前の早い段階で、レイオフやリストラをやります。むしろ、景気が回復期に入って社員が転職しやすい時期などにリストラをやる。世の中の景気がどん底の時に切らないのは、訴訟リスクなどが大きくなるという判断もありますが、結果的に社員にとっては日本企業とは違った意味で優しさにつながる側面もあるような気がします。

 岡村さんがUBSで日本の責任者を務めていた時期は、世界の金融機関がサブプライムローン問題に直撃されて破綻の危機に直面し、その後、復活に向けて格闘していく時期と重なった。UBSも創業以来の危機から立ち直る過程で、大規模なリストラなどを実施。それを目の当たりにしてきた。

 問 日本企業は変わることができるのでしょうか。
 岡村 トップダウンで日本企業を国際標準に変えていくのは難しい。今のシニア層が今の制度を壊すのは難しいからです。自分を社長に据えてくれた先輩経営者やOB、自分を支えてくれる取締役を、ルールが変わったと言って厳しく切り捨てることはできないでしょう。
 外資系で働いていると、社員一人一人が「本能で伸びる」ことに一生懸命なのが分かります。個人の貪欲さを生かすことで、組織もパワーアップする。日本企業は長年、そうした個人の本能、貪欲さを抑圧してきたわけです。それが組織だと思ってきた。私は、若い人たちの働き方や価値観が国際標準に変わっていけば、結果的に日本企業の組織も変わっていくのではないかと考えています。それが私のアプローチなんです。

納得できる稼ぎ方を

 問 だから教育なのですね。外資の社長という、金銭的にはかなり恵まれた立場にいたのに、それを捨てて起業することにためらいはなかったのですか。
 岡村 確かに恵まれていましたね。自分自身は誰よりも欲深い人間だと思っています。一国一城の主と言いますが、城が三つぐらい欲しくなるタイプです。高給を追いかけるようになると、フェラーリを5台ぐらい持って、それでも満足できないようなことになりかねない。だから早めに捨ててしまおうと考えたのです。でも、世捨て人になったわけではない。今の会社を成功させ、大金持ちになるつもりでいますよ。
 ただ、金融界で長年お世話になって言うのも何ですが、納得できる利潤率、稼ぎ方というのがあると思うんです。やはり金融には「もうけ過ぎ」が批判されるように、虚業の部分がありますから。
 問 おカネにとらわれるのは嫌だと。
 岡村 胸を張れる稼ぎ方をしたい、ということです。研修でも若い人たちに、「おカネは大事だ」と言っています。海外の企業がすっきりしているのは、稼ぐためにビジネスをやっているのだよねという認識を、全員が共有していることです。株式会社ですから、長期的に利益を上げ続けることが基本。持続的な利益を追い求めることが顧客第一、社員第一につながっている。そう言って、社員研修で火をつけているんです。もっと貪欲になれ、自分自身のために腕を磨け、そうすればそれが結果的に会社のためになる、と言っています。国にも企業にも依存しないで、自分自身が仕事力を身に着けろ、と。
 今の大学生と話していると、やる気もあって優秀な人が多い。ところが社会に出て働き始めると、半年か1年ですっかり牙が抜けてしまう。組織への依存心が芽生えて、生存本能を失ってしまうのです。研修では、本能に従って思い通り素直に生きることが大事だ、と初心を呼び覚ますわけです。わがままに生きろ、と。ですから、会社の社員研修を引き受ける際、私の講義を聞くと10人中1人か2人は会社を辞めてしまうリスクがありますよ、と担当者には言っています(笑)。

「生き残る力」が必要

 問 世界ではどんな人材が生き残れるのですか。
 岡村 スキルと経験・実績があって、そこに変革心や気合いのようなものがある人が生き残る。どんなに能力や経験があったとしても、変革心がなければ生き残れません。まして、気合いがゼロだったら絶対に勝負には勝てない。
 日本企業は欧米企業に比べてモノカルチャーです。阿あ うん吽の呼吸ですべてが分かる、空気が読める人が重用される。会議の根回しなど欧米人にはほとんど理解不能です。議論しない会議はやる意味がない。互助組織のような緩い社風でやってこられた時代は幸せだったかもしれません。
 問 日本の公教育でも、グローバル人材を目指す教育が始まっているのではないのでしょうか。
 岡村 グローバル人材に対する認識が間違っています。英語教育や試験による資格制度をいくら作っても、本当のグローバル人材は絶対に育たない。グローバルビジネスの世界で求められるのは「生き残る力」です。いくら英語がすらすら話せるからと言っても、それだけでは生き残れません。
 私が20年お世話になった第一生命には、ギネスブックにも載ったカリスマ営業レディーの柴田和子さんがいます。彼女は英語はできませんが、米国の大会に招かれて5000人の前で丸暗記した英語のスピーチを行い、大喝采を浴びました。セールスの極意をユーモアを交じえて語ったのです。
 英語が上手かどうかではなく、伝える中身があるかどうか。まさに人間力の勝負なのです。そうした人間力を磨く教育を早い段階から始めることです。小学校から英語をやれば済む、という話ではありません。
 問 学生を対象にしたグローバル人材教育は考えないのですか。
 岡村 立ち上げるビジネス予備校の受講者は30〜40代を想定し、「サムライ」を育てようとしています。また、社名からわかるようにアジアからの人材受け入れも目標にしています。もちろん女性もです。欧米の強さは多様性にありますから。
 本来は中学生、高校生の教育にも携わりたいのですが、これはビジネスにはしにくいので、社会貢献で出張授業などをやっています。先日、品川女子学院の漆紫穂子校長の招きで授業をしました。
 問 アベノミクスは日本をグローバル化する方向に大きくかじを切りました。
 岡村 ここで変わらなければ、20年後の日本は間違いなく貧しくなります。安倍首相は頑張っていますが、トップダウンでやり切るのは簡単ではないでしょう。ですから、個人の本能を解き放つことが大事なんです。個人が変わることで会社が変わり、国も変わっていく。ボトムアップの変革です。それに私の事業が少しでも貢献できればと思っています。

世界認知症諮問委員会・黒川清委員インタビュー 「安倍内閣は認知症対策でサミットをリードせよ」

日本は言うまでもなく高齢化先進国です。マイナス面ばかり強調されますが、対策でも先頭を走れるはずです。認知症対策を軸に、新しい産業やサービス、コミュニティーのあり方などが生まれてくる可能性もありそうです。現代ビジネスにアップされた黒川清さんのインタビューです。オリジナル→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40446



今年11月、認知症対策に関する国際会議が東京で開かれる。昨年12月に英国のキャメロン首相の呼びかけで「G8認知症サミット」が開かれたが、そのフォローアップの会合である。

高齢化によって急速に広がりつつある認知症は、先進国共通の問題で、連携してその対策に当たろうというのが認知症サミットの狙いだった。日本を含むG8の保健大臣らが集まり、「宣言」と「共同声明」(http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000033640.html)がまとめられた。

合意を受けて英国政府が今年4月に新設した「世界認知症諮問委員会(World Dementia Council)」の委員に就任した黒川清・日本医療政策機構代表理事に聞いた。

認知症は、徘徊など社会にも大きな影響を及ぼす
 問 G8で認知症対策を議論し始めたのはなぜでしょうか。

 黒川 人口の高齢化はいまや先進国共通の問題で、それに伴って認知症対策が重要になってきた。認知症への対応にはおカネもかかるし人手もいる。しかし先進国はいずれも財政難で、一国の政府だけでは手が回らない。

そこでプライベート・セクターである産業界なども巻き込んで、各国共同して対策を考えるべきだ、ということになった。

認知症は、従来の病気などと大きく違い、徘徊など社会にも大きな影響を及ぼす。単に医療や介護の現場だけで対策を考えれば済む問題ではない。

 問 昨年末の認知症サミットのフォローアップ会合が東京でも開かれます。

 黒川 7月にパリのOECD経済協力開発機構)、9月にはカナダのオタワですでに開かれた。11月の日本に続き、来年2月には米国でも開かれる。日本での仮のテーマは「認知症の新たな介護と予防モデル」ということになっている。

認知症サミットの基本的な視点は、いかに認知症をグローバルな国家的重要課題と位置づけ、さらに民間企業を巻き込み、新しい解決策や産業を官民一体で生み出していけるか。例えばIT(情報技術)やロボットは認知症対策に大きな可能性を秘めている。高齢者が日々会話することで、認知症の進行を抑えたり、症状を改善したりする効果が認められている。

今、日本のメーカーが会話型のロボットを開発しているが、高齢者の話し相手をする人型ロボットを認知症対策に本格的に使えば良い。ロボットは人口知能によって会話の内容もどんどん高度化する。「今朝は薬を飲みましたか」などと聞いてくれるロボットの実用化など目と鼻の先だ。

また、IT技術を使えば、全国に広がるコンビニエンス・ストアを高齢者の見守り拠点にすることなどもできる。また、ビッグデータを活用することも認知症対策には有効だろう。

英国が大きな絵を描き、日本が良い製品を作る
 問 高齢化先進国の日本の対応を各国が注目しているそうですが。

 黒川 英国と日本が一緒になって認知症対策をやるのは良い組み合わせだ。日本人は何かサンプルがあると、それを究めてさらに良いものを作る能力にたけている。一方で大きな絵を描くのは苦手だ。

英国人は産業革命を例にひくまでもなく、形の無いところに新たなモノを生み出すような才能がある。認知症対策でも社会のあり方をどう変える、といった大きな絵を描き、そのための基礎技術はどんなものが必要かを考えだすのは英国人の方が得意だろう。それを究めて技術を応用し、使い勝手の良い製品などを作り出すのは日本の得意技だ。日英は認知症対策でも補完関係になりうる。

 問 日本では認知症対策は厚生労働省の所管で、11月の会議も厚労省が担当します。彼らにITやロボット、コンビニの活用といった発想ができるのでしょうか。

黒川 日本の役所は縦割りで、どうしても自分の庭先のことしか考えない。認知症対策は厚労省だけでなく、様々な役所がからむ。ちょっと考えただけでも、ロボットは経済産業省だし、通信は総務省だし、道路がからめば国土交通省や警察ということになる。内閣官房に健康・医療戦略室という部署を置き、縦割りの弊害をなくそうとしているが、なかなかうまくいかない。

 問 今度の内閣改造厚労相になった塩崎恭久衆議院議員とは旧知の間柄ですね。どんな事を期待しますか。

 黒川 年金は詳しいが、医療や介護はそれほど知らないだろう。だが、そこが良い。金融政策や産業政策などを通じて、経産省財務省などの経済官庁とのパイプもあり、厚労省の枠を超えた、横をつなぐような政策を実現してほしい。それができるのが政治家だ。大いに期待している。また、塩崎さんは国際派なので、国際的な視点を厚生労働行政に生かして欲しい。この点が今の厚労省に最も欠けている視点だ。

民間を活用して世界のリーダーシップを
 問 認知症対策でプライベート・セクターを活用せよ、というお話でしたが、これは医療全体に言えることではないでしょうか。

 黒川 その通りだ。国しかできないような事業だけを国がやり、民間にできる事は民間に任せるのが基本だ。あまり気が付かれないが国立病院が国立病院機構という1つの法人になっているのは大きい。必要なところに人事異動で人員を移すことができるからだ。

難病対策などに当たる国立療養所のようなところは、民間では成り立たない。こういうところに資金や資源を集めるべきだ。急性期病院を含め、民間に任せて成り立つところは民間にやらせる。あるいは、地域の医師が中核病院をフル活用し、高価な機器も24時間運転で共有するようなオープンシステムをどんどん導入していけば民間の力で成り立つところはもっと増える。

何でも国が支えると言う発想は間違っている。役人はいったん組織ができると、意識してか、無意識か、それを守ることに必死になってしまう。かつての国立病院がその際たるものだった。

 問 ヘルスケア分野で民間の力を発揮させ、それを経済成長の原動力の1つとしようというのは、アベノミクスの3本目の矢にも合致しますね。

 黒川 その通り。まさにアベノミクスでやろうとしている事と、認知症サミットの方向性は一致している。欧州の首脳たちは、来年ドイツで開かれる先進国首脳会談(G8サミット、ロシアが抜けて現状はG7)で、認知症対策などをテーマにしようと考えているようだ。

第1次安倍内閣の時にドイツのハイリゲンダムで開かれたサミットでは環境が大きなテーマになったが、同様に健康医療が議題になる可能性がある。認知症による経済損失の規模は膨大で、経済問題をテーマとするサミットが避けて通れない議題なのだ。

日本は高齢化の先頭を走っている。日本でも年々、認知症が大きな社会問題になっていく。そんな日本の首相である安倍氏が世界の認知症対策でリーダーシップを取るのは当然のことだろう。