“国のかたち”を創り直す中長期的な「大復興プラン」を

菅直人首相が東日本大震災の被災地を視察し、避難所を慰問した。視察に行かなくても批判され、行ったら行ったで批判される菅首相は気の毒ではあるが、人徳の多寡の問題なのだろうか。リーダーの器量が試されているわけである。
視察前の1日、菅首相は官邸で記者会見を行い、有識者や被災地の関係者で作る「復興構想会議」を設置する考えを表明した。中長期的な視点で日本全体を作りかえるような復興戦略を早期に立案し、世界に向けて発信することが大事だと思う。だが、官邸周辺の動きを見ていると、直面する被災者救援対策に忙殺され、中長期的な戦略を策定する「頭脳」が政権内に存在していない状態が続いている。復興構想会議がどんな性格の組織になるのか、注視していく必要がある。

 復興庁の設立にも取り組むと伝えられたが、具体的な姿は見えない。ひと口に「復興庁」「復構想会議」と言っても、発言する人の立場によって思いが異なっている。岩手県達増拓也知事は真っ先に「東北復興院」の必要性を訴えたひとりだが、「県や市町村のキャパシティーを超える事態に直面している」という窮状を救うために「国」が乗り出して欲しい、という意見だった。救援活動が各省庁バラバラに動くのではなく、一本化された「国の機関」が行うことは重要だが、要は、目先の救援を担う組織の整備を求めているわけだ。


 復興庁のアイデアの元は、関東大震災後の帝都復興院だ。帝都復興院の最大の成果は未来を見据えた都市計画を打ち出したことだと言えよう。満鉄総裁や内務大臣、東京市長などを歴任した後藤新平が総裁となり、「大風呂敷」と揶揄されながれも、復興に向けた大プランをぶち上げた。内容は大規模な区画整理や公園・幹線道路の整備だった。自動車が普及していない当時にあって、幅員八十メートルの道路計画などを打ち出した。当時の国家予算の一年分に当たる十三億円という復興予算案を出したが、財界などからの強い反対にあって、大幅に計画を縮小。それでも五億七千五百万円をつぎ込んだ。現在の国家予算にひき直せば、四十兆円〜五十兆円ということだろう。当時、批判された公園や道路は、その後の東京の骨格となり、経済成長の受け皿になったのは多くの学者の指摘するところだ。
 もちろん、生活の早急な復旧や被災者救援が大切なことは言うまでもない。しかしながら、無計画に旧に復するのでは、その後の発展が見込めないことも事実だろう。今こそ、日本の復活に向けたグランドデザインを描くことが重要だと考える。

復興に向けたグランドデザインの必要性と、それを海外に向けて発信する重要性を、新潮社『フォーサイト』に掲載しました。 
http://fsight.jp/article/10368