核戦争も想定したスイスにならい、危機管理のできない政府は「BCP」策定を急げ リスク管理に「想定外」は許されない

「なにぶん想定を大きく超えるものだったので」---。

 東日本大震災の後、政府首脳や東京電力の幹部、原子力安全・保安院の責任者など多くの人たちから、何度この言葉を聞いたか。

 本来、リスク管理とは、想定を超える事態が発生した際に、いかに組織の機能を維持し、どうやって危機に対処するかをあらかじめ決めておくことが基本だ。BCP(ビジネス・コンティニュイティ・プラン)と呼ばれ、最近、日本企業の間でも策定するところが増えていた。日本語では事業継承計画と訳される。

 菅直人首相の指導力の欠如が批判されている。だが、危機に直面して瞬発的に指導力を発揮す能力を備えた人物など、そういるものではない。世界の近現代史では政治家が卓越した指導力を発揮した例が出て来るが、彼らの多くがもともと軍人であるか、軍事訓練を受けた経験を持ち、限界的な状況に追い込まれる中で瞬発的な判断を下す訓練を積んでいた。

 もちろん、政治家に軍事訓練を受けよと言っているわけではない。ましてや国民に徴兵制をなどと言うつもりもさらさらない。だが、官邸周辺にいる政治家も官僚たちも、次々に進展する目先の事態に追い回され、なかなか指導力を発揮できない姿をみるにつけ、危機管理の体制、すなわち政府部門のBCPが不十分だったことを痛感させられる。

 地震国日本は宿命的に大規模災害から逃げることはできない。残念ながら東日本大震災を最後に震災がなくなるわけではない。大地震から1ヵ月を経ても、大きな余震が繰り返し襲っている。

 将来、首都圏に大きな被害が及ぶような震災が起きた場合に官邸や霞が関はどう動くのか、その時、国民はどうやって危険から身を守り、被災から立ち上がるのか。東日本大震災の対応と切り離して、早急に政府部門のBCPや、国民全体の行動計画を練るべきだろう。

 国民全体でリスク管理を考えるうえで参考になるのがスイスだ。スイスは国民皆兵の仕組みを取る国だが、「皆兵」と言った時に日本人が抱くイメージとは大きく違っている。

 私がスイス・チューリヒに赴任していた頃、仲の良い大学研究者がいた。彼は20歳代後半だったが、軍隊では尉官の肩書きを持っていた。ある時、今年も2週間の軍事訓練に行かねばならないというので、小銃を持って野山を駆け巡るのかと聞いたところ、「僕の専門はメンタルケアだから」という予想外の答えが返ってきた。

 核戦争が勃発した際、スイスでは公共施設や住宅に設置された核シェルターに避難することになっている。だが、密室で集団生活を始めると、いかに避難者に精神安定を保たせるかが大きな課題になる、という。シェルター内でパニックが起きるリスクにどう対処するか、という問題があるのだ。機密ということで、外国人である私には詳しくは教えてくれなかったが、どうやらメンタルケアを中心に行う部隊があるらしい。

 様々な状況を想定し、平時から役割分担を決めておくことで、万が一に備えるというのが、スイスの国民皆兵制の本質なのだ。

 スイス政府が作った国民向けのハンドブックが日本でも翻訳出版されている。『民間防衛』(原書房)という本で、危機管理のマニュアルとして隠れたベストセラーになっている。

 この本をみて分かることは、スイスでは、軍隊以外にも地域防災組織や自警団が置かれ、緊急時には「地域防災長」の指揮命令下に入ることになっている。地域防災組織は、指揮・警報伝達班、被災者救護班、消防班、工事保全班、衛生班、核兵器化学兵器対策班などに分かれ、平時から分担ごとに訓練を行っていることだ。

 マニュアルには放射線に関する知識もやさしく書き込まれ、どれぐらいの放射線量の場合に何時間活動できるか、といった指針を具体的に示している。原発をタブー視し、「原発事故は絶対に起きない」というのを前提に、国民に放射線の知識すら教えてこなかった日本とは対極にあると言っていいだろう。

 スイスにならえば、日本人も平時のうちから、災害の発生を前提にした役割分担を決めておく必要があるだろう。まずは、霞が関の官僚機構だ。震災対応で寝る間もなく忙殺されている官僚がいる一方で、通常業務を自粛し手持無沙汰の官僚もいる。官僚の役割は平時と緊急時で大きく変わって当然だろう。

 震災直後に自衛隊予備自衛官が初めて召集された。官僚OBの天下りが批判されているが、こうしたOBを予備官僚として登録し、危機の時にどんな役割を担うのかをあらかじめ決め、訓練しておくのはどうだろう。

 今回の大震災では、東北地方の自治体の行政機構そのものが大きな被害に会い、機能が失われてしまった。首相官邸霞が関の機能が失われた時、どこが代替するのか。東京への一極集中や首都機能の分散を含め、BCPを早急に作り上げることが急務だ。

現代ビジネス 磯山友幸「経済ニュースの裏側」20110413アップ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2436