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東日本大震災に伴う東京電力福島第1原子力発電所事故に関して政府が設置した「原子力災害対策本部」の議事録が存在しないことが明らかになり、大きな問題になっている。1月末に召集された通常国会の代表質問でも追及され、野田佳彦首相が「誠に遺憾」と陳謝する事態になった。東日本大震災がらみの15の会議のうち10の会議で議事録や議事要旨が作られていないことも判明。政府は2月中に議事概要を作成する方針を示した。
民主党政権になって多くの会議で議事録が作られていないことは折に触れてメディアなどで指摘されてきた。それがここへ来て国会を巻き込む騒ぎになったのは、議事録未作成が、政府内の文書の保管などを義務付けた「公文書管理法」に違反しているのではないか、という指摘が出てきたため。内閣で公文書管理を担当する岡田克也副総理は、「原因を分析し必要な改善策を作ることが必要だ」とする一方で、2月中に議事概要を作成することから、「事後に作成すれば法律違反ではない」と強調、火消しに躍起になっている。
では、議事録が作られなかった本当の原因は何なのか。緊急時の混乱や単なる人為的なミスが原因でないことは明らかだ。民主党政権の「体質」あるいは「情報に対する考え方」とも言えるものが根底にあることは、本コラムでも昨年5月に指摘した。菅直人前首相が突如として中部電力浜岡原子力発電所の運転停止を打ち出したのも、原発事故でSPEEDI (緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム) がありながら、そのデータを公表しなかったのも、この体質が背景にある、というのが内容だ。
そこでも触れたが、政権交代直後のこと、当時懸案だった日本航空(JAL)の処理策について取材していた時、民主党のとある政治家に「なぜ政務三役会議の議事録を残さないのか」と聞いたことがある。その時の答えは、「JALを潰すかどうかという微妙な議論をしていることが漏れるだけで世の中に無用な混乱を起こす」というものだった。その後も大臣など政務三役に取材するたびに同様の質問をぶつけてきたが、議論の途中で情報が洩れることを極端に嫌い、正式に決まったことだけを発表しようとする姿勢は、民主党政権の幹部に共通していた。
SPEEDIの5000件に及ぶデータを1ヵ月半にわたって公表しなかった問題でも、細野豪志首相補佐官(当時、現・原発事故担当相兼環境相)が、未公表としてきた理由について、データを公開した5月4日に「国民がパニックになることを懸念」したと説明した。データの信憑性が分からない段階で公表すれば、混乱をきたすだけだ、というわけだ。
民主党政府の幹部と話していて分かるのは、こうした政策決定のプロセスを曖昧にすることが、ある種の「確信」に基づいているということだ。決まるまでの議論や思考プロセスを公表すれば、混乱を生じ、決まることも決まらなくなる、真顔で考えている。会議の議事録を残さないのも、公表すれば自由闊達な議論が阻害される、と信じているのだ。
実は、審議会などの会議の議事録を残すことに長年抵抗してきたのは霞が関の官僚たちである。その際の常套句が「自由闊達な議論が阻害される」だった。その実、会議のシナリオを官僚が作り、都合の悪い委員の意見は排除してきた。長年、霞が関が審議会を官僚政治の「隠れ蓑」にしてきたのは周知の通りだ。また、審議会という「隠れ蓑」を使うことで、官僚による政策決定の誤りの責任を回避しようという意識が働いていたのは言うまでもない。
それが自民党政権の末期から、政府会議の「原則公開」、「議事録の短期間公表」へと大きく変わった。中でも小泉・竹中改革の司令塔ともいえる存在だった「経済財政諮問会議」は委員個別の発言を明示した議事要旨を会議終了の数日後に公表、こうした変化の流れを確定的にした。
ところが、民主党政権に代わるや、議事録の作成・公表は棚上げされる。とくに、意思決定が官僚組織ではなく、政治家からなる「政務三役会議」に移り、その会議から当初は事務局を務める官僚を排除したこともあり、まったく記録が残らない状態が続いていた。
そこに起きたのが東日本大震災だ。大地震と巨大津波、そして経験したことのない原発事故という未曾有の危機に直面し、政府内でどんな議論がなされ、どんな決断をしたのかが、大きな問題になっている。政府の危機管理体制に不備はないか、再び大災害が起きた時に政府はどう動くべきか。東日本大震災後の政府部内、とくに官邸での議論の過程を検証することこそが極めて大きな意味を持つ。
だが、議論のプロセスを開示しないどころか、その議事録すら作っていないとすれば、真実の追究は覚束ない。そのために、政府が事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)を立ち上げたが、政府の持つ「体質」を打ち破ることはできなかった。昨年12月26日に中間報告を取りまとめたが、畑村委員長の会見によると、委員会では126人の関係者にのべ300時間のヒアリングをしたという。
ところが、対象者の氏名や証言内容は一切非公開。「責任追及が目的ではないので、公開しないことを条件にヒヤリングを行った」(畑村委員長)としており、焦点である「誰が、いつ、何を、発言し、行動したか」など具体的なプロセスが明らかにされることはなかった。
しかも、中間報告には菅直人前首相ら主要政治家の聴取結果は反映されていないという。畑村委員長は会見で、事故当時首相補佐官だった細野豪志原発事故担当相から既に聴取を終えたことを明らかにしたが、細野氏は周辺に、いつ来るかと思っていたら、ようやく12月になって来たが拍子抜けするほどあっさりしていた、と語っている、という。
細野氏は、菅氏や当時官房長官だった枝野幸男氏と並んで事故対策のキーマンだったが、11月末になって、3氏に対する聴取がまだ行われていないという指摘が出ていた。委員会はこれに慌てて聴取を行ったのではないかとさえ疑われる。どうも任命者である政府に遠慮があるようなのだ。
中間報告では、政府の対応について、官邸地下の危機管理センターと菅前首相らが意思決定していた5階との間で、意思疎通が十分に図れていなかったと指摘している。また、SPEEDIのデータや炉心溶融(メルトダウン)の事実の公表の仕方などで、情報公開が遅れ、説明を曖昧にする傾向があったと批判している。だが、当事者だった官邸の政治家たちの証言を残そう意欲は、残念ながらまったく感じられない。
そこで俄然注目されることになったのが、国会に設置された事故調査委員会である。設立の経緯や「憲政史上初」という位置づけについては、過去の本コラムの記事でも触れたので繰り返さない。民間人10人による委員会(委員長、黒川清・元日本学術会議会長)が、弁護士など民間人からなる事務局を設置、政府から独立した立場で事故の検証を始めたのである。
12月19日に福島市内で第1回の委員会を開催、1月16日に都内で開いた第2回委員会では、政府の調査会の畑村委員長や、独自に調査結果を出している東京電力、文部科学省の担当者から意見を聞いた。また、1月30日には福島県双葉町から町民が集団避難している埼玉県加須市で開き、井戸川克隆・双葉町長から参考人として意見を聞いた。
井戸川町長は、震災直後の原発事故の情報不足や、国などから住民避難の経路指示がなかったことなどを説明。SPEEDIのデータが事故直後に公表されていたら、「避難の判断で違った方向にかじを切った。国は責任を持って知らせるべきだった。罪深さは計り知れないほど大きい」と述べた。
この委員会でも原子力災害対策本部などの議事録が作成されていなかったことに批判が集中。井戸川町長も「議事録がないのは背信行為だ」とした。また、委員長の黒川氏も「(議事録未作成は)全く信じられず、理解不可能だ」とし、調査委員会として、「復元した記録ではなく、あるもの全て出してほしい」と述べ、原子力災害対策本部の出席者のメモなどを、加工せずに提出するよう政府に求めていく姿勢を強調した。
では、国会に設置された初の民間人による調査委員会は、政府の体質を打ち破り、真実に迫ることができるのだろうか。
霞が関の官僚の多くは冷ややかだ。「まあ、お手並み拝見ですが、成果は上がらないのでは」と環境省の幹部も言う。政府の委員会では事務局は"行政のプロ"である霞が関官僚が占める。実際、政府の事故調査・検証委員会の事務局も各省庁から出向した官僚が大半を占めた。国会事故調は政府からの独立性を強調するため、政府の一員である官僚を事務局から排除している。
国会事故調の事務局関係者は言う。
「政府の委員会なら、設置された時にシナリオができている。誰がメンバーになるか、誰が事務局を務めるかで答えが見えているわけです。われわれ国会の事故調はそうしたシナリオがない。事務局員も一から集め、委員も国会各会派の合意で選ばれた。これからの調査や議論で結論が変わってくる。憲政初と言われるが、まさしく初のガチンコ勝負の委員会だ」
未曾有の災害に直面した日本は果たして、歴史の検証に耐えられる事実の究明を行うことができるのか。国会が初めて挑む委員会の行方が注目される。