内輪で社長交代を強行した、日本郵政の「天下りガバナンス」 増え続ける国有株式会社、誰が経営を監視するのか

安倍内閣の方向性を占う試金石の1つが、日本郵政の社長人事だと見ています。この問題への対応が、「霞が関との関係」を示すことになるからです。以下のような原稿を日経ビジネスオンラインに書きました。ご一読いただければ幸いです。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130220/243992/


「政権の移行期に100%国が株主の(会社の)社長人事を、天下りと批判された人が自分の同じ省庁(出身)の人に決定した。ちょうど移行期で相談がなかったものですから、それはいくら何でも看過できないと申し上げました。今でも思いは同じです。具体的には、総務大臣が適切に対応してくれるものと思っております」

 2月19日の参議院予算委員会民主党小野次郎議員の質問に、菅義偉官房長官はこう答弁した。ここで言う「100%国が株主」の会社とは言うまでもなく日本郵政株式会社のことだ。

 日本郵政は昨年12月19日、臨時取締役会を急遽開いて、齋藤次郎社長の退任と坂篤郎副社長の社長昇格を決めた。12月16日には総選挙の投票が行われ、17日の朝に確定した結果では民主党が大敗、政権の座から滑り落ちた。それからわずか50時間あまりでの突然の社長交代だった。

 「3年間、この会社の経営を預かって以来、一応やるべきことは全てやったと個人的に思っており、いい潮時と申しますか、この際、長い間、私と一緒にこの経営の基盤を担ってきてくれた坂副社長に後事を託するのが、最も適当であると判断したわけでございます」

斉藤氏が日本郵政社長の座を投げ出した理由

 12月19日の記者会見で齋藤氏はこう語った。だが、説明どおりなら、2013年6月の任期満了時に退任すれば済む話だ。しかも、会見の席では社長は辞めるが取締役としては残るという説明だったにもかかわらず、その後、取締役も辞任していたことが年明けに判明している。要は逃げるようにして辞めたのだ。

 齋藤氏がアタフタと社長の座を投げ出した理由は明らかだった。

 齋藤氏は1993年に日本新党を中心とする連立政権ができて自民党が下野した際の大蔵事務次官(現財務事務次官)だった。「大物次官」の名をほしいままにし、政界との太いパイプを築いた。小沢一郎氏と近いことでつとに知られた。

 ところが、自民党が政権に復帰すると、それがアダとなる。自民党から疎まれ、目ぼしい天下りポストにありつけずに過ごしたのだ。それから約10年。民主党が政権を握った途端、突如として日本郵政の社長に就任したのだ。「脱官僚依存」「天下り根絶」を掲げていた民主党政権にあって、異様な人事だったが、就任記者会見で齋藤氏ははばかることなく満面の笑みを浮かべた。

 それから3年。再び政権が交代。齋藤氏は過去の屈辱を再び味わう前に“敵前逃亡”を果たしたのだ。現役の財務省幹部の間からも「ぶざまな逃亡劇で晩節を汚した」という声が漏れる。

 だが、問題は齋藤氏が社長を辞めたことではない。後任に同じ財務省OBの坂氏を「勝手に」決めたことだ。

「この会社は、株式会社でございまして、株式会社というのは、社長が後任についていろいろ考えた末に、取締役会で選任されるということが全てでございまして・・・」と齋藤氏は記者会見でこうシラを切った。株式会社が取締役会で社長交代を決めることに何の問題があるのだ、というわけである。

 だが、冒頭の菅官房長官の発言にもあるように、日本郵政は国が株式を100%保有する国有企業である。純然たる民間企業であるわけではない。本来、唯一の株主である「国」の意向を確かめずに社長人事を行うには無理がある。

 国の財産とは本来、国民の財産ということだから、本来ならばこうした国有株式会社の場合、国会が株主権を行使するべきだが、日本は行政が株主権を行使することになっている。つまり所管大臣が株主として行動する建前なのだ。

 辞任を決めた12月19日時点の所管大臣は樽床伸ニ総務相だった。あるいは、郵政問題の責任者だった下地幹郎郵政民営化担当相も関係閣僚ということになるだろう。ところが、この2人はともに総選挙で落選していたのだ。総辞職まで形式上は大臣のポストにあったとはいえ、国民からノーを突きつけられた落選議員が国民の利益を代表して株主権の行使を行うことに正当性は乏しいと言っていいだろう。

 株主権の行使者が、その正当性に疑問を呈されているタイミングを、まるで見計らったかのように日本郵政はわざわざ社長交代を強行したのである。これに怒ったのが、直後に発足した安倍政権の面々だ。中でも菅氏や、自民党幹事長の石破茂氏は当初から厳しい批判の声を挙げている。

「自ら辞任」を水面下で模索する動き

 では安倍内閣はこの日本郵政社長人事にどう対処しようとしているのか。

 官邸周辺によると、この人事は絶対に許されないとして、坂社長が自ら辞任するよう水面下で求めている、という。日本郵政側がこれに応じなければ6月の株主総会で坂氏を取締役から解任する姿勢をにじませている。

 だが、そうなれば、坂氏のメンツは丸潰れとなり、出身母体の財務省もポストを失うことになる。「お互いのメンツを保つには自ら辞めてもらうのが一番」と安倍首相の側近議員は語る。

 では、菅官房長官が答弁でゲタを預けた新藤義孝総務相は動くのか。大手紙のインタビューなどで新藤氏は「取締役の中から誰をどうするのかは会社の権限」だと語り、社長選任の手続きには問題がなかったとの認識を示した。

役所の許認可事項なのは、取締役の選任だけで、社長選任は届け出る義務はないという齋藤氏らの主張を追認したわけだ。もちろん、ここには国民の利益を代弁する「株主」としての発想はない。形式上の法律論を語っているだけで、役所の作文そのままの発言と言っていい。

 財務省を所管する麻生太郎副総理兼財務相兼金融担当相も、慎重な言い回しに終始している。「あの時期にすべきじゃない。いかに本人が能力あっても悪く言われる」と、交代のタイミングについては批判しているものの、坂氏を解任することには慎重だとされる。財務省天下りを否定して真正面から激突するのは避けようということだろう。

 こうなると安倍政権と霞が関の綱引きである。

 第1次安倍内閣では「天下りの根絶」を掲げて公務員制度改革に力を注いだ。公務員に能力主義を導入し、退職者の人材斡旋を中立的に行う仕組み作りを目指すなど、制度改革への突破口を開いたのは安倍氏の強いリーダーシップの結果だった。だが、現在、安倍首相は公務員制度改革に本腰を入れる姿勢は見せていない。

 首相官邸の関係者によると、安倍氏は7月の参議院選挙に勝つことを絶対的な命題にしているという。第1次安倍内閣が短命に終わったのも、6年前の参議院選挙に敗北したことが最大の要因だった。街頭演説などでも「次の参院選に勝たなければ、死んでも死にきれない」とまで語っている。つまり、選挙に勝つまでは「絶対に敵を作らない」作戦なのだという。霞が関も敵に回さず、党内各派にも配慮するということなのだろう。「デフレ脱却」「経済再生」という目標ならば、誰も異論をはさめない。

 それだけに、この「日本郵政社長人事」は安倍内閣霞が関との距離感を示す大きな試金石になるのは間違いない。天下りポストを安定的に維持したい霞が関と、国民の天下り批判のはざまで、安倍氏内閣はどこへ向かっていくのか。それをこの人事が示すことになるだろう。

 というのも、日本郵政の社長の決め方が、他の国有株式会社のあり方を大きく左右していくことになるからだ。これまで、国が株式を保有する株式会社に対する「株主権」の行使は、所管大臣が行ってきたことは既に触れた。これは日本郵政だけでなく、高速道路の管理運営会社である中日本高速道路株式会社や東日本高速道路株式会社、株式会社日本政策投資銀行、株式会社商工組合中央金庫などに共通する。

国有会社の社長、副社長はほとんど天下りポスト

 そうした国有株式会社の「株主権」は実質的に、所管官庁によって行使されている。株主権と法律による監督権がないまぜになって行使されているのだ。そうした株式会社の社長や副社長などのほとんどが「官」の天下りポストとなっている。

 国ならぬ官が株式を保有するのだから、ポストを官が握るのは当然、というわけだ。この国有株式会社のポストを巡っては、世の中の天下り批判と霞が関の感覚には大きな開きがある。つまり、「国の財産」とは誰のものか、という民主主義の原点に行き着く問題なのだ。

既に書いたように国民の財産である国有株式会社の株主権は国民に帰属するものだろう。本来は国会がそうした株式会社の運営に直接的に目を光らせる仕組みを作ることが不可欠ではないか。情報開示にしても、人事の決定にしても、ルールを透明化し、その結果を国民に的確に伝えることが必要だろう。

 霞が関がしばしば使う便法に「株式会社なので民間企業だ」という主張がある。日本郵政の社長人事を取締役会だけで決められるとしたのも、「民間企業と同じ株式会社だから」という論理が背後になる。ここには明らかに嘘がある。国有の株式会社は民間の上場会社以上の情報開示が義務付けられてしかるべきだ。

斎藤前社長の退職金は「不明」

 みんなの党大熊利昭衆院議員が、日本郵政の齋藤前社長の退職金について「質問趣意書」の制度を使って政府に回答を求めたところ、「不明」という返事が返ってきたという。民間会社が支払うものだから、というのが言い訳なのだろう。国民が保有する財産である株式会社からの退職金すら開示できないのは、すべてが官任せになっていることの証明でもある。

 いま、国が保有する株式会社がどんどん増えている。いわゆる「官民ファンド」もそうだ。形は違うが、東京電力も国が過半の株式の保有する会社となった。こうした国有株式会社に対して国民の代表である国会がどうその経営を監視し、「株主権」を行使していくのか。早急に制度を整備する必要があるのではないか。