アベノミクス成長戦略に深刻な路線対立 安倍首相が目指す資本主義の形とは

 安倍首相は強い覚悟の言葉を発信していますが、果たして貫徹することができるのでしょうか。官邸周辺にも自民党内にも、経済界にも、深刻な路線対立が存在すると思います。日経ビジネスオンラインに記事を書きました。ご一読下さい。
オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20130321/245368/?rt=nocnt

 
「日本の経済政策がこれほど注目されたことはなかった」。英・北アイルランドで開かれたG8サミット(主要国首脳会議)を終えた安倍晋三首相は誇らしげに語った。共同宣言で「日本の成長は大胆な金融政策や民間投資を喚起する戦略などによって支えられる」と明記され、安倍首相が進める経済政策、いわゆるアベノミクスに各国の“お墨付き”を得たからだ。日本がデフレから脱却し、成長することが世界経済にもプラスになるということが主要国間で改めて確認されたわけだ。安倍首相は「日本が再び世界の中心に戻ってきたことを示せた」とまで述べていた。

安倍政権はどんな資本主義を目指すのか

 実はG8で安倍首相がアベノミクスの説明をするに当たって、水面下で深刻な路線対立があった。それは、アベノミクスが「どんな資本主義を目指すのか」という基本的な方向性についてである。

 アベノミクスの3本目の矢である「成長戦略」の取りまとめが行われていた5月下旬。取りまとめの責任者である甘利明・経済再生相はこんな指示を出していた。

 「政府では市場原理主義ではなく『瑞穂の国の資本主義』を総理がサミットでスピーチする予定です。株主万能でない多様なステークホルダーの利益に資する資本主義です。マネーゲームの短期の投資でなくイノベーションを喚起する中長期の投資を呼び込む為に、株主資本主義からステークホルダー資本主義にする提案です」

 つまり、日本は市場機能に委ねる自由主義型資本主義ではなく、多用な利害関係者の利益を守る日本型の資本主義を目指す、としていたのだ。結論は、多用な関係者の利害調整を国が担うということになる。いわば国家資本主義的な発想である。

 甘利氏のこうした考え方を支えていたのは経済産業省の官僚たちだった。アベノミクスが掲げる「民間投資を喚起させる成長戦略」を実現させるためには、積極的に国が関与すべきだという発想である。成長戦略策定の過程で浮上した「ターゲティング・ポリシー」という発想は、国が成長を担う重点産業を決めて、そこに予算を集中投下するというもので、戦後の「傾斜生産方式」を彷彿とさせる。資本や原材料が圧倒的に不足していた時代に鉄鋼や電力、石油化学といった当時の基幹産業に重点投資した産業政策である。城山三郎の小説『官僚たちの夏』に美談として描かれるが、そんな官僚主導の経済体制を信奉する役人がいまだに経産省の中には少なからずいるのである。

 彼らは当然のことながら、市場機能を敵視する。自由な競争を許せば、日本人の貴重な財産が外国人に乗っ取られる、というのがお決まりの批判パターン。「瑞穂の国の資本主義」を成長戦略の主軸に据えようという動きが強まった5月中旬に、米投資ファンド西武鉄道の経営陣が経営権を巡って激しく対立していたことと無縁ではないだろう。

 実は、「瑞穂の国の資本主義」という言葉は、安倍首相が言い出したものだ。今年1月20日に出版された安倍首相の著書『新しい国へ』(文春新書)に登場する。第1次安倍内閣当時の1996年に安倍氏が出した『美しい国へ』に「増補」として「新しい国へ」という章が加えられている。そこに「瑞穂の国の資本主義」という言葉が登場する。

 「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります」

 そして、美しい棚田を例に引き、「労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかもしれません。しかし、その田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います」と述べているのだ。

 これを甘利氏や経産官僚たちは「市場主義」に対置するものにしようと狙っていたわけだ。

 成長戦略を決めた産業競争力会議(議長・安倍首相)には、こうした国家資本主義とは相容れない一派がいた。竹中平蔵氏を最右翼とする「構造改革派」である。民間議員の三木谷浩史楽天会長兼社長や新浪剛史・ローソン社長などは構造改革路線を強く支持していた。日本は今でも国による規制にがんじがらめの社会主義的な経済体制だという見方に立ち、これを規制改革などによって自由化することで成長は実現できる、という基本姿勢を持つ。経産官僚たちが志向する国家資本主義的な経済体制を打破し、自由主義型の資本主義に変えていくことこそ大事だという主張だ。前者の国家資本主義派からは常に「市場原理主義」「新自由主義」とレッテルを貼られてきた。

 この両派の対立は深刻だ。そもそも、現在の日本の構造に対する位置付けが違ううえ、今後目指そうという資本主義の形も大きく違う。成長戦略は「日本再興戦略--JAPAN is BACK」という名称で6月14日に閣議決定されたが、最終段階までこの路線争いが続いていた。

 では、安倍首相は、本当に国家資本主義的な経済体制を志向しているのだろうか。実は著書の瑞穂の国の資本主義の項は、こんな一文で締めくくられている。

安倍首相は「市場主義の中で、ふさわしいあり方を考える」

 「市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済のあり方を考えていきたいと思います」

 つまり、市場主義を前提とする、と言っているのである。これは経産官僚たちの志向とは明らかに違う。

 閣議決定を前の6月5日に安倍首相が内外情勢調査会で行った「成長戦略第3弾スピーチ」では、瑞穂の国の資本主義についてこう語っていた。

 「日本は、『瑞穂の国』です。自立自助を基本としながら、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の人たちみんなで助け合う伝統文化。頑張った人が報われる真っ当な社会が、そこには育まれてきました。春に種をまき、秋に収穫をする。短期的な『投機』に走るのではなく、四季のサイクルにあわせながら、長期的な『投資』を重んじる経済です。資本主義の『原点』に立ち戻るべきです」

 瑞穂の国の資本主義は、資本主義の原点に戻ることだ、という言い方に変わったのである。金融投資が実体経済を振り回す過度の金融資本主義を異形と位置付け、資本主義の原点は違う、としたのである。

 同じスピーチでは、国家資本主義を目指さないという姿勢も明確化している。こんな下りがある。

 「(世界での)富の分配までを金融が支配する『行き過ぎた金融資本主義』は、2008年、リーマンショックで挫折しました。この苦境から立ち直るために、国家が経済運営に全面的に関与せざるを得なくなった。財政出動を強化し、国家が自ら投資ファンドを運営する。新興国の台頭とも相まって、世界の経済システムは、いわば『国家資本主義』ともいうべき潮流が生まれた。しかし、これは仮の姿だと私は考えています。民間の産業資本が成長をけん引する成長のサイクルへと、再び舵を切らねばなりません」

日本は資本主義の原点に帰れるのか?

 6月14日に閣議決定された「日本再興戦略」にも、両派の抗争の跡がみえる。前回のこのコラムでも触れた企業の設備投資をリース方式で支援する制度もそうだ。もともとは「産業の新陳代謝」、つまりは時代遅れの産業からいかに新しい産業へのシフトさせるか、という議論から始まったが、いつの間にか、製造業が持つ老朽化した設備を更新させる「設備の新陳代謝」に矮小化された。経産官僚が目論んでいたのは、企業が抱える不稼働設備をリースを使って国が支援することだったが、最終的な報告書では「新規の設備投資に限る」こととされた。一応の歯止めがかかっているのだ。

 竹中氏は「(国家資本主義を志向する)官僚たちの動きは確かにあったが、だいぶ押し戻すことができた」と語っている。行き過ぎた金融資本主義を批判するのはG8各国の首脳も同じ立場だ。世界の金融規制当局が協調して金融業の強欲さを押さえ込もうとしている。そういう意味では日本が「資本主義の原点に帰る」と自ら表明したことに、G8の首脳が理解を示し、構造改革を進めることを支持したのは当然のことだろう。

 安倍首相は日本再興戦略の発表で打ち止めとせず、秋に向けて「成長戦略シーズン2」を始めると表明した。秋にも作られる「産業競争力強化法」が1つの大きな柱になるだろう。法案作りとなれば霞が関の得意分野である。役所の巻き返しが始まるのは火を見るよりも明らかだが、これを押さえ込み、市場主義を貫徹する規制改革を実行できるかどうか。安倍首相が言う通り、「アクション(行動)の秋(とき)」になる。