吉國ゆり氏・同時通訳(サイマル・インターナショナル所属) 「スイス在住を経て」第7回

スイス在住を経て ‐ スイス滞在経験を持つ日本人にインタビュー⑦
第7回:吉國ゆり氏


スイスは四つの公用語を持つ言語環境の多様な国である。そこに言語の専門家が住んだらどんな感想を持つのだろうか。ベテラン同時通訳として国際会議などで活躍する吉國ゆりさんはご主人の転勤で1年間バーゼルに住んだ経験を持つ。しかも、滞在中も同時通訳の仕事を続け、あのダボス会議でも公式通訳の大役を果たした。今も現役の通訳として活躍している。そんな吉國さんに登場いただいた。

吉國さんがスイスにお住まいになったのはいつ頃ですか。
吉國 2005年の夏から2006年の夏までの1年間です。日本銀行に勤めていた夫がバーゼル国際決済銀行(BIS)勤務となったため、1年間だけ一緒に行きました。

お住まいになったのはバーゼルですか。
吉國  はい。バーゼルです。市立美術館のすぐそばの家を借りて住んでいました。バーゼルの町はとてもきれいで、とても気に入りました。もともと欧州は大好きなのですが、欧州の他の国だと、やや気性が激しい国民性だったりしますが、スイス人はとてもやさしく、穏やかだと思いました。非常に日本人と共通する国民性だなと感じたものです。物価はものすごく高いのですが、町なかにホームレスがいるわけではなく、非常に豊かな国ですね。バーゼルなどすごいお金持ちがいるわけですが、それでもごく質素に暮らしている。「それは必要ないわね」というのがスイスのお金持ちの口癖だと聞いたことがありますが、質素倹約をよしとする国民性が表れています。その一方で、多額のおカネを寄付したりする。市立美術館も多くの寄贈品がありました。

吉國さんはベテランの同時通訳として国際会議などで活躍されています。バーゼル時代も仕事を続けられたのですか。
吉國 ええ。BISなどから通訳の仕事をいただきました。バーゼルを拠点に欧州各地に仕事に出かけていたと言って方が正しいかもしれません。幸運だったのは、ダボス会議の名前で有名な世界経済フォーラム(WEF)の総会で通訳させていただく機会を得たことです。2006年1月末でしたでしょうか。それほど広くない会場を、世界の著名人が歩いている光景を見るだけで楽しい経験でした。WEFの事務局が準備していた2人の通訳では足らず、急きょ3人目として採用していただきました。

吉國さんはいつ頃から通訳をされているのですか。
吉國 大学在学中から通訳の仕事をしています。父が外交官だった関係でドイツで生まれ、その後も米国やドイツで生活する機会がありました。ニューヨークに住んでいたころ、学校の行事だったと思うのですが、国連本部に見学に行き、そこで通訳の仕事を目にしたのです。その時から絶対に通訳になると心に決めていました。帰国して国際基督教大学編入した際に、同時通訳のコースに入ったんです。その後、ジョージタウン大学の大学院で言語学修士を取りました。

言語学の専門家から見て、スイスの言語環境はどうでしょう。
吉國 すごく恵まれているなと思いますね。いやおうなしに色々な言語に接することができるわけです。スイス人の言語能力が高いのはこうした環境によるところが大きいと思います。鉄道の駅員さんなども何か国語も流暢に話すのには驚きます。日本はもとより他の国でもあまり見られない光景ですね。ただ、4つも公用語があるせいか、英語が後回しになっている感じがします。私たちが家を借りる時の契約書もドイツ語で、ちょっと閉口しました。薬の説明書などもドイツ語、フランス語、イタリア語が書いてあるのに、英語の説明がありません。ちょっと困りましたね。

日本人はなかなか英語が上手になりません。なぜでしょうか。
吉國 本当ですね。なぜでしょう。実は言いたい事がないのかもしれません。言いたい事があればどうやって伝えようかと考えるわけで、語学は身に付くように思うのですが。

スイスでの通訳のお仕事というのは日本とは違う点もあるのでしょうか。
吉國 基本的には一緒ですが、スイスのような国だと「リレー通訳」をする機会が増えます。日本語を英語にした訳語を聞いて、別の通訳がフランス語に通訳するといった手法です。日本ではあまり機会がありません。通訳という仕事は自分で訳しているばかりで、他の人の訳を聞く立場にはなかなかなりません。ところがリレー通訳となると他の人の通訳を聞いて通訳するわけです。通訳が聞きやすいように通訳する必要があります。日本ではお客さんが神様ですので、お客さんが分かるような日本語の訳にしなければいけません。ところがリレー通訳だと、同僚の通訳を意識します。チームの結束力が求められるわけです。
BISなど国際機関には「チーフ・インタープリター(首席通訳官)」という役職が存在して、その人に認めてもらえないと次から仕事が来なくなります。日本ではまだまだそういう専門ポストは少ないですね。

良い通訳って何なのでしょう。
吉國 どこの国の人でもなまりというかアクセントというのはあります。そんなアクセントは問題ではないと思います。英語らしく聞こえることが大事なのではなく、瞬間的に要点をつかんで分かりやすく訳する。話している人が必ずしも論理的に話しているとは限りません。その人が言わんとしている意味を瞬時につかむことが大事ですね。そのためには、予習が不可欠なんです。経歴はもちろん、その人が過去にどんな発言をしているかなど事前に調べます。インターネットができてだいぶ楽になりましたが、毎日受験勉強をしているような感じです。

これまで通訳をして印象に残った人はどなたでしょう。また、今後通訳をしてみたい人はいますか。
吉國 ダボスでラーニヤ王妃のディベートを伺い関心しました。王族のなかでもあれだけしっかりと議論なされるかたは少ないのではないかと思いました。通訳してみたい人はオバマ米大統領とかキャメロン英首相でしょうか。首脳どうしの会見の場合、外務省の職員が通訳するので、私たち民間に回ってくることは稀です。

帰国後もスイスとのご縁はありますか。
吉國 ジュネーブ人権裁判所の仕事で日本から出張したのが最後でしょうか。バブル経済期には日本のビジネスマンが通訳を連れて出張することが多くありましたが、最近は減っています。なかなか欧州に行くチャンスはありませんね。スイスは愛着のある国なので、何か仕事が来れば、喜んで引き受けたいと思います。

吉國ゆり(よしくに・ゆり)氏
ドイツ生まれ。幼少期を日本、米国、ドイツで育つ。国際基督教大学コミュニケーション科卒。ジョージタウン大学大学院言語学修士。大学生時代から通訳の仕事を始める。夫は日本銀行でロンドン駐在参事などを務めた吉國眞一氏の転勤に伴い、1987年〜90年米国、97年から2000年英国などで暮らし、05年〜06年スイス・バーゼル在住。ベテラン同時通訳として活躍中。サイマル・インターナショナル所属。