12月上旬、ドイツのシュレーダー前首相が来日しました。シュレーダー氏は左派で労働組合などを支持母体とするSPDの所属ですが、首相在任中はドイツ企業の復活に向けた大胆な改革を行ったことで知られます。最終的には支持母体の労働組合からも反発を食らい、選挙で大敗。首相の座を追われます。そんな経緯についても語っていました。政治家の「大きさ」の違いを感じました。日経ビジネスオンラインに書いた原稿です。→http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20131212/256989/
「コーポレート・ガバナンス、税制改革、株式の持ち合いの解消、規制緩和について、真剣に検討をしていく必要があると思います」
12月上旬に日本を訪れたゲアハルト・シュレーダー前首相は、月刊誌FACTAが主催し、日本経済新聞社が後援したシンポジウムで、アベノミクスの構造改革への期待を語った。
アジェンダ2010で欧州の病人が復活
1998年から2005年まで首相を務めたシュレーダー氏は、2003年、大胆な構造改革策を打ち出した。その結果、「欧州の病人」と呼ばれていたドイツ経済が、今日では欧州最強となる基盤を築いたのだ。シュレーダー改革は痛みを伴う改革だったため、2005年の選挙で敗北、首相の座を追われたが、その成果はアンゲラ・メルケル現首相時代に花開き、強いドイツ企業が復活。失業率は大幅に低下し、給与も増えた。
シュレーダー改革の柱は「アジェンダ2010」と名付けられた政策パッケージで、雇用制度と社会保障改革が柱だった。2010年をターゲットに失業率回復などを掲げたのだ。当時のドイツは労働組合が強く、事実上、解雇は不可能と言われていた。一方で生活保護給付は手厚いため、就業意欲に乏しい若者が溢れた。
シュレーダー氏は解雇規制を緩和する一方で、生活保護支給期間を短縮、就業訓練の拡充にシフトしたのだ。これによってドイツ企業の単位労働コストは大きく低下、フランスなどほかのEU(欧州連合)諸国の企業に比べて、強い競争力を取り戻すこととなった。
またアジェンダ2010と同時に進めたのが、コーポレート・ガバナンスのあり方など企業制度の改革だった。中でも大きかったのが株式持ち合い構造の解消。ドイツ銀行など大銀行を中心に主要企業が相互に株式を持ち合うことで、銀行による産業支配構造が出来上がっていた。ドイツ特有の構造だが、日本にも共通する。
シュレーダー氏は講演で、こう強調していた。
「株式持ち合いの解消が、その後のドイツの経済の成長、またドイツ企業の価値の増大につながりました」
株式持ち合いはシュレーダー流にいえば、企業経営者がお互いに資本参加をすることによって市場から身を守っている体制に他ならなかった。銀行の信任の下、他のステークホルダーの事は考えずに、経営者独裁で成長に邁進できる体制が、敗戦で壊滅した経済の復興に不可欠だったとも言える。この点、日本も共通しているのだ。
だが、冷戦の終結と経済のグローバル化で、企業は市場の声に耳をかさずに存続できなくなった。そのドイツ型企業構造の行き詰まりを打破しようとしたのである。
国境越えたM&Aが改革を後押し
シュレーダー政権は、持ち合いの解消を進めるために、銀行が株式を売却した際の売却益を非課税扱いにした。この結果、ドイツ型の持ち合いは一気に解消されていったのである。
同時に、ドイツでは企業が遵守するルールとして2002年に「コーポレート・ガバナンス・コード」が定められた。株主総会や監査役会のあり方、取締役の責任、透明性の確保、監査の独立性などについて定めたものだ。
持ち合い解消によって銀行の保有株が売却されると、その受け皿は、個人や機関投資家、外国人投資家になった。当然、不透明な企業制度では投資家は株式を保有しない。そんな必要性に迫られてガバナンス・コードは作られたのだ。
企業側にも取締役会のあり方を見直さなければならない事情があった。EUの統合が進み、ドイツ企業とフランス企業といった国境を越えた合併や買収が増えたのだ。さらに、経済のグローバル化で米国企業などとの合弁なども急増した。こうしたグローバル化に対応できる有能な経営者を外部から求め、株主や従業員の利益を最大化する経営を託す必要に迫られたのだ。旧来型のドイツ人による年功序列の役員選任では持ちこたえられなくなったのだ。
もちろん、持ち合いの解消が進んだことで、個人の大株主や機関投資家が経営陣に対して発言力を持ったことも改革を加速させるきっかけになった。
つまり、株式の持ち合い解消がきっかけとなって、企業経営に対するプレッシャーが高まり、収益力が向上することになったわけだ。雇用制度改革が企業の「内からの改革」だとすれば、コーポレートガバナンス改革は「外からの改革」だったと言える。
シュレーダー改革によって、解雇がしやすくなったことから、いったんは失業者が急増する。2005年には500万人を突破し、過去最悪の失業者数となった。2005年の総選挙でシュレーダー氏が党首だったドイツ社会民主党(SPD)は大敗。首相の座を降りることとなった。
シュレーダー氏は「この手の改革はトップダウンでしかできない」と語っていた。議論してコンセンサスを得ようとしても、既得権を持つ人々が抵抗勢力として反対に回るからだ。「政治家としてリスクを取り、改革を断行することの方が、首相に再選されるよりも重要だと考えた」と振り返る。国全体の利益を第一に考えて決断した、と政治家としての矜持を語っていた。
そのシュレーダー氏の信念はドイツを復活に導いた。「アジェンダ2010」のターゲットだった2010年には失業者が300万人にまで減少。その後も失業率は低下し続けている。
安倍晋三首相が推進する「アベノミクス」の課題は、シュレーダー改革並みの大胆さで構造改革を実現できるかどうかだろう。成長戦略をまとめた産業競争力会議でも、議員の坂根正弘・コマツ相談役が「ドイツに学べ」と主張していた。ドイツ同様に、雇用制度や企業制度の改革が俎上に上っているが、まだ道半ばだ。
とくに日本型の株式持ち合いの解消については、政府はまったく動くそぶりがない。政府の成長戦略に先立ってまとめられた自民党の「日本経済再生本部中間提言」には株式持ち合いの解消促進も盛り込まれていた。そこにはこう書かれていた。
「株式持ち合いや、銀行資本による株式保有を通じた支配により、日本の企業は『ぬるま湯』的な経営風土に陥り、産業全体の新陳代謝が停滞している。ドイツの成功事例を見習い、持ち合い解消を促進し、『ぬるま湯』経営からの脱却により、経済活動の活発化を図る」
一方で自民党議員の中には「持ち合いがなくなれば外国企業に日本企業が買収される」といった主張もある。シュレーダー氏の言葉を借りれば、市場から身を守りたいと考えている企業や企業経営者がまだまだ多い、ということなのだろう。結局、これまでのところ、成長戦略には盛り込まれていない。
日本の政治家はトップダウンの決断ができるのか
米国は1929年の大恐慌を教訓に、グラス・スティーガル法(1933年銀行法)によって、銀行による企業株式の保有を禁じた。日本では企業の発行済み株式の5%まで銀行は株式を持つことが可能になっている。
しかし、その結果、日本の銀行はバブルの崩壊で保有株式に巨額の損失を抱え、経営が揺らぐ事態に直面した。1990年代後半に株式の持ち合いの解消がだいぶ進んだのも、こうした止むに止まれぬ事情があった。ところが、株価の下落が止まると、その反省はどこかへ行ってしまったようだ。持ち合い解消の議論はすっかり影をひそめている。
銀行による株式保有を中心とする持ち合い構造が残っているために、企業経営に対するガバナンスが働かない体制が続いているのだ。本来ならば年金加入者の声を代弁する機関投資家が持ち合い解消を求めるべきだろうが、そんな動きは出てこない。
だが、シュレーダー氏が言うように、既得権者が嫌がる持ち合い解消を進めれば、日本企業の価値も上昇することになるだろう。後は、国益を第一に考えるトップダウンの決断を政治家ができるかどうか、ということかもしれない。