日本人留学生の倍増で 民間外交の活性化を

外交と言うと、政治家や職業外交官の守備範囲という印象が強くあります。しかし、国と国の付き合いも基本は人と人。民間の国民同士の親密度が深まれば、国と国との親密度も増すのです。つまり、民間外交が重要なわけです。ところがここ10数年、日本の民間外交力が落ちていると言われてきました。それが、国と国との関係緊迫化などにつながっているようにも思います。ウェッジ3月号(2月20日発売)に掲載された記事です。 オリジナル→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3630?page=1


 スイスと日本が国交を樹立して今年で150年になる。スイスからの遣日使節団が江戸幕府との10カ月におよぶ交渉の末に「日瑞修好通商条約」を結んだのは1864年2月6日のこと。150年後の今年2月6日には東京・六本木ヒルズで公式開会イベントが開催されたほか、記念切手も発行された。今年1年、美術展やコンサートなど様々な記念イベントが開かれる。

 幕末の文久3年(1863年)に遣日使節の団長としてやってきたのは、エメ・アンベール氏。職業外交官ではなく、スイスの時計協会の会長を務める民間人だった。帰国後には10カ月の滞在中の見聞録を挿絵と共に出版、当時の欧州での日本ブームに一役買った。日本語訳が『絵で見る幕末日本』として講談社学術文庫に収められている。

 民間人が首席全権だったのは貿易が主目的だったからに他ならない。日本に時計や機械などを売る一方で、日本からは生糸などを買い付ける。使節団に加わっていた24歳のカスパー・ブレンワルドは条約締結後も、そのまま開港地の横浜に留まり、貿易に本腰を入れる。1865年にシイベル・ブレンワルド商会を設立したが、幕末創業のこの会社は社名変更や合併を経て、今もDKSHジャパンとして活動を続けている。同社の社屋に駐日スイス領事館が置かれたこともあった。ブレンワルド自身も総領事を務めている。

 150年にわたるスイスと日本の関係は、民間が切り拓き、民間が支えてきたと言ってもよい。今でも両国間には政治的な懸案はないが、日本からスイスを訪れる観光客は多く、スイスは日本人にとって憧れの地。スイス人にも日本贔屓が少なくない。資源小国にもかかわらず勤勉さと教育の高さで世界有数の経済力を身に付けたことなど共通点が少なくないことも、親日派、親スイス派を生んでいる要因だろう。

 外交は国と国との付き合いだ。だが、その基本に人と人とのつながりがあることは言うまでもない。国民同士の交流があって国同士も親密になる。民間の関係強化が不可欠なのだ。

 人と人とのつながりを深める最も端的な方法は、留学生の交換である。若く柔軟な青年のうちに相手の国に住めば、多くの場合、その国のファンになる。彼ら彼女らが様々な世界で重要な役割を担うようになれば、国と国との架け橋となっていく。

 日本学生支援機構の調査によると、12年5月現在で日本の大学や短大、専修学校に在籍する留学生は13万7756人。2000年には6万4000人だったから、12年で2倍以上になった。政府が積極的に留学生を受け入れていることもあるが、アジア諸国を中心に経済が成長し、豊かになった人たちが子弟を日本に送り出すようになったことが大きい。

 ところが、この増え続けていた留学生数に異変が起きている。14万1774人と過去最高を記録した2010年をピークに2年連続で減少したのだ。中国と韓国からの留学生が減ったことが大きい。尖閣諸島を巡って日中の対立が深刻化した後の13年5月の数値も近く発表されるが、おそらくこの傾向は変わりそうにない。

 一方、さらに深刻なのが、日本から海外に行く日本人留学生が激減していることだ。文科省がまとめた資料では、04年の8万2945人をピークに、最新のデータである10年の5万8060人まで6年連続で減少している。

 安倍晋三首相が推進するアベノミクスでは、昨年6月に閣議決定した「成長戦略」の中に「2020年までに留学生を倍増する」という成果目標を盛り込んでいる。大学生などの留学者数を12万人にしようというのだ。そのために、日本の初等中等教育から大学のあり方まで大きく見直すとしている。これに呼応する形で、20年までに日米間の留学生をともに倍増させるといった計画や、日本の国立大学の受け入れ留学生数を20年までに倍増させるといった方針が次々と打ち出されている。

外交の背後に民間力 遣欧使節に学ぶこと

 今年1月、超党派の日米国会議員連盟が米国ワシントンを訪問した。ほとんど切れてしまった日米の議員同士の人間関係を復活させる狙いだった。当初は野党議員も参加予定だったが、結局、議連会長の中曽根弘文・元外相と塩崎恭久・元官房長官小坂憲次・元文科相の3人での訪米となった。「予想以上に多くの上院議員らに会うことができ、今後交流を深めるきっかけになった」と塩崎議員は言う。

 しばしば「外交は票にならない」と言われる。とくに小選挙区制になって議員の当落が定まらなくなると、外国に行く暇があるなら選挙区へ帰るという国会議員が増えた。日米だけでなく、日中や日韓の議員同士のパイプはかつてないほどに細っている。

 日米の国会議員を結び付ける役割を長年担ってきたのは、実は民間人だった。財団法人日本国際交流センターの理事長だった山本正氏。冷戦時代から日本と国際社会の橋渡し役を務め、「下田会議」などを開催してきた。与野党問わず議員の交流を助けたほか、民間企業の経営者同士の仲立ちもした。12年に亡くなったが、山本氏のような「民間外交」を担う民間人がいなくなったことを惜しむ声は多い。

 20年に留学生を倍増するという目標を達成したとしても、その効果がすぐに出るわけではないが、時間とともに民間交流の絆は着実に太くなるはずだ。数年単位で日本に住む外国人留学生は、日本贔屓の核になるのは間違いない。だが、ファンを増やすのは留学生ばかりではない。

 日本を短期間に訪れる訪日外国人数は昨年、初めて1000万人を超えた。円安によって旅行費用が安くなり、東南アジア諸国などからの観光客が急増していることが背景にある。日本を訪れた旅行者が、日本ファンになり、リピーターになってくれれば、まだまだ訪日外国人数は増えそうだ。

 尖閣問題以来大幅に減っていた中国からの旅行者も底打ちしつつある。韓国からの旅行者も伸びており、年間2000万人になる日もそう遠くない。日本のファンが増えれば、外交もスムーズになるだろう。

 もちろん、ビジネス関係を太くすることも重要だ。スイスとの150年にわたる親交を思い返せば明らかだろう。

明治維新の後、岩倉具視特命全権大使とする日本政府の使節団が米欧諸国を歴訪した。その最後にスイスを訪れるのだが、その際、かつて遣日使節団長だったアンベール氏は日本使節を歓待する。随員の久米邦武がまとめた『米欧回覧実記』(岩波文庫所収)はそのことに触れ、こう書いている。

 「ソノ友愛ノ摯ナル、礼敬ノ厚キ、情誼掬スベシ」

 異国の地で触れた友情に感激したのである。外交の基本はそこにある。

◆WEDGE2014年3月号より