経営が成り立つ仕組みを追求した 岩手県紫波町の駅前開発

紫波町の駅前再開発の話をウェッジの連載で取り上げました。NHKなどにも取り上げられて、視察が絶えないそうです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4680

Wedge (ウェッジ) 2015年 2月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2015年 2月号 [雑誌]

岩手県の盛岡と花巻のちょうど中間、JR東北本線に「紫波中央」という平成になってできた駅がある。人口3万3000人余りの紫波町の中心部近くに駅を作って欲しいという住民の要望で、2億6000万円余りの寄付を集めてようやく設置された。1998年のことだ。

 駅前には町が県の住宅供給公社から28億円余りで購入した10.7ヘクタールに及ぶ広大な町有地が広がっていたが、駅ができても10年以上の間、手つかずのままだった。ご多分に漏れず公共事業の削減と町の財政悪化によって、開発のメドが立たなくなっていたのである。

 「日本一高い雪捨て場」。冬場に町内の雪を捨てていたことから、町民からはそう揶揄する声が上がっていた。

 そんな紫波町のお荷物が動き出すきっかけは、東洋大学の社会人大学院だった。同大学が日本で初めて設置した「公民連携専攻」での“出会い”が町づくりプロジェクトに発展したのである。公民連携とはPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)と呼ばれるもので、民間ができる事は民間に委ね、官がやるべき事は官が責任をもってやるという考え方。

 その社会人大学院に、2006年秋、紫波町に本拠を置く建設業、岡崎建設の岡崎正信さんが入学した。岡崎さんは大学卒業後、地域振興整備公団(現在の都市再生機構)に勤めていたが、創業者だった父親が亡くなった後、社長を継いだ母親を支えるために、公団を辞めて地元に戻った。国土交通省に出向経験もあった岡崎さんは、公共事業に依存してきた岡崎建設は、ジリ貧になるという強い危機感を抱いた。

 「人が作った仕事が降ってくるのを、口をあけて待っている従来型の公共事業依存ではもうやっていけない。中小企業でも、自分で仕事を作る会社にならなければ」

 そう考えていた岡崎さんは、地元自治体にプロジェクトを提案できるような建設会社に脱皮させようと、大学院に通うことにしたのだ。担当の根本祐二教授を前々から知っていたことも決断するきっかけになった。

 その公民連携専攻に半年遅れで入ってきたのが、紫波町役場の鎌田千市さん(現在は同町公民連携室勤務)と、都市コンサルタントだった三輪恭之さん(現在、日本プロジェクト産業協議会勤務)。この3人が中心になって、紫波町の町有地を舞台にした「地域再生支援プロジェクト」を立案した。「ゼミ生は第一線で活躍する優秀な人ばかりですから、すぐに実現できるような提案が出来上がった」と三輪さんは笑う。3人とも2年間の課程を終えて修士号を取得した。

大学院で知恵とネットワークに磨きをかけた岡崎さんは、その提案の実現に向けて動き出す。実際に開発を行う「オガールプラザ」「オガールベース」という会社を設立、岡崎さんが社長に就任したのである。オガールプラザは資本金1億5000万円で、民間都市開発推進機構が6000万円を、紫波町が7000万円を出資。残りは「オガール紫波」が出した。オガール紫波紫波町が39%、民間が61%を拠出したいわゆる第三セクターだ。民間資本中心の株式会社で事業開発を行う体制を敷いたのだ。

官業を圧迫するアイデア

 だが、当初は、民間主導で町づくりを行うというアイデアに町議会は紛糾した。「何せ、官業圧迫ですから」と岡崎さんは苦笑する。何であいつにやらせるんだ、というわけだ。当時の町長は「岡崎さんの代わりがいるなら連れてこい」と反対する議員を一喝、PPPでの駅前開発に着手した。

 これが、PPPの成功例として全国各地から視察が相次ぐ「オガール紫波」のスタートである。「オガール」とは、駅を意味するフランス語の「ガール」と、成長を意味する紫波の方言の「おがる」をかけて作った造語だ。12年6月には「オガールプラザ」がオープン。レストランやマルシェ、病院、学習塾など民間事業者と、紫波町が運営する図書館や地域交流センターが入る「官民複合施設」が出来上がった。

さらに2014年7月には、広場をはさんだ向かい側に、ビジネスホテルやバレーボールコート、居酒屋などが入る「オガールベース」が誕生した。

 地元の特産品や、魚介類など生鮮食品を扱う「紫波マルシェ」は、レジ通過者だけでのべ約27万人(2年度)を超えた。図書館などオガールエリアの利用者は、年間のべ80万人に達する。

 わずか3万3000人しかいない紫波町で、そんな施設を作って人が集まるのか。当初はそんな不安もあった。だが、そこには大きな発想の転換があった。紫波町を中心に半径30キロの円を描くと、そこには盛岡市花巻市北上市までがすっぽりと入る。そこには60万人が住んでいる。60万人の商圏をどう取り込むかを考えたのだ。

 サッカー場には岩手県フットボールセンターを誘致した。また、駅前に車を駐めて盛岡などへ通勤する人のために、24時間100円で駐められる「パーク&ライド駐車場」を設置。人が集まる場を作り上げる工夫を重ねた。実際、図書館の来館者の25%は町外者が占めている。

 オガールベースに日本でも珍しいバレーボール専用体育館を作ったのにも、岡崎さんの熱い思いが込められている。実は、岡崎建設を中心とする地元のクラブチーム「岡崎建設Owls」は2014年の全日本6人制バレーボールクラブカップ男子選手権大会で初優勝している。紫波を日本のバレーボールのメッカにしようというわけだ。

さらに、近く紫波町役場が移転してくる予定で、現在、庁舎を建築中である。高級感の高い分譲住宅も売り出しており、人気を誇っている。次々とプロジェクトが実現していく。「自分自身がやる事になるとは思わなかった」と大学院で学んだ鎌田さんは言う。

 公共事業と言えば、巨大で豪華な無駄ばかりのハコモノを作り、その後はその維持管理費で自治体の首が回らなくなる、というのが通り相場だった。だが、PPPで作った「オガール紫波」はまったく違う。民間のテナントが入る家賃の相場を想定したうえで、利回りを計算して建設資金をはじき出した。建物は徹底してコストを下げる一方、お洒落さにはこだわった。国や県の補助金に頼ると規格などへの注文が厳しくなるため、一切補助金はもらわなかった。フットボールセンターの誘致には町が補助金を出したが、利用料は毎年サッカー協会から入る仕組みにした。徹底して、経営が成り立つ仕組みを追求したのである。

雪捨て場が人の集まる「町」へと変わったことで、雇用も生まれている。オガールプラザで105人、オガールベースで61人の新規雇用が生まれた。

 岡崎さんは今、全国各地での講演などにひっぱりだこだ。かつての紫波町のようなお荷物を抱えた地域は少なくないからだ。今後、岡崎流の町おこしが全国に広がっていくに違いない。