現代ビジネスに書いた記事です。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43787
イラクでの難民支援などに取り組む日本の有力NGO(非政府組織)であるピース・ウインズ・ジャパン(大西健丞=おおにしけんすけ・代表理事、PWJ)が日本の過疎地振興に乗り出す。広島県東部にある神石高原町(じんせきこうげんちょう)に7月4日、「いのちを慈しむ」をコンセプトにした自然体験型の観光公園「神石高原ティアガルテン」http://jinsekikogen.com/をグランドオープンする。
衰退する過疎地を救いたい
町営の施設だった「仙養ヶ原ふれあいの里」を引き継ぎ、PWJや地元有志、協力企業が出資、コンセプトを一新した。保護犬や乳牛とのふれあいや、ツリーハウスづくりなどを目玉に、人口が1万人を切った町の再興を目指す。ゆくゆくは過疎地医療と国際緊急医療拠点を兼ねた「スーパー診療所」を設置したい考えだという。
代表の大西健丞氏は「厳しい条件の神石高原で地域再生のモデルケースができれば、全国の他の過疎地も再生できる」と取り組みの狙いを語る。
神石高原町は福山から北へ小一時間の高原地帯。中国地方のリゾート地として知られるが、ご多分に漏れず人口減少や高齢化に喘いでいる。大西氏が神石高原と出会ったのは偶然。広島・鞆の浦での事業の合間にドライブに訪れたことだったという。すっかり気に入った大西氏は移住を決意。自身の住民票も移した。2013年秋にはPWJの本部まで移転してしまう。
もちろん、神石高原に惚れ込んだためばかりではない。日本国内で大規模災害が起きた場合、PWJの本部が大都市にあっては「自分たち自身が被災者になり、満足な活動ができなくなる」(大西氏)。そう懸念したのだ。
町民の中にも、このままでは衰退の一途だと危機感を抱く人たちがいた。世界を飛び回って活躍する大西氏は、政財官界に幅広い人脈を持つ。そんな大西氏と町民有志が意気投合し、町おこしの話が動き出した。
犬の殺処分をゼロにする
ティアガルテンのひとつの目玉は広大なドッグラン。池の周りを犬たちが走り回る。規模は西日本最大級だ。周囲には捨て犬などの保護犬のために犬舎が建てられ200頭が飼われている。
実は、このドッグランを作るまでにはストーリーがある。
移住した大西氏は、ある事実に気づいたのだという。広島県内で殺処分されていた犬猫が2011年度は8340匹と、全国都道府県で「ワースト」だったのだ。人の命を救うNGO活動に取り組んできた大西氏にとって、人の手で大量の命が奪われているのは、信じられない思いだったという。
行動力が持ち味の大西氏は妻やPWJの仲間と「ピース・わんこ・プロジェクト」を立ち上げる。1000日以内に犬の殺処分をゼロにするという目標を掲げたのだ。県の動物愛護センターなどから殺処分対象の犬を引き取り、新しい飼い主に譲渡する。譲渡センターは広島のほか神奈川県湘南にも作った。
この「殺処分ゼロ」プロジェクトに、神石高原町も全面協力。同町へのふるさと納税でこのプロジェクトを指定したものは、ピースわんこプロジェクトに自動的に回る仕組みを整えた。犬舎を拡張して300〜400頭の受け入れなどを検討、「何とか察処分ゼロという目標は達成できるのではないか」と大西氏は言う。
ワイドショーが殺到する「名物犬」夢之丞
ティアガルテンを訪ねる人たちを迎える有名人ならぬ有名犬がいる。夢之丞。ガス室に送られる直前を大西氏らに引き取られた。最初はまったく人に慣れなかったが、徐々になつき、救助犬の訓練を受ける。その夢之丞が昨年夏の広島土砂災害で被災者探索に活躍、今年のネパール大地震にも出動するまでになった。人に殺されかけた犬が、人を救おうと励んでいる姿に、テレビのワイドショーなどが飛びついた。今ではすっかり人気者で、「最近は僕よりも夢之丞の方が寄附金集めの力があります」と大西氏が苦笑するまでになった。
ティアガルテンのもうひとつの目玉は牧場。広大な草原を草を食んで歩くジャージー牛などから絞った牛乳で作った、こだわりのソフトクリームやプリンを販売する。牛を育てているのは相馬行胤(みちざね)さん。旧相馬藩藩主の家柄で34代目に当たる。東日本大震災後にNPO相馬救援隊を立ち上げ、相馬地方の被災者支援に当たってきたが、2013年3月に一家で神石高原に移住した。福島の被災者を神石高原に受け入れる支援を行っている。
さらに、1994年から神石高原町で無農薬・有機栽培を続けている田邊真三さんが、ティアガルテンのオーガニック野菜栽培に全面的に協力している。ふるさと納税に協力してくれた人たちに、有機栽培のコメなどを贈る取り組みも始める。
一度来たら終わり、というのでは来場者数も早晩頭打ちになる。ティアガルテンでは何度も訪ねてもらうための工夫をこらしている。林の中に作るツリーハウスは、来場者がプロの指導の下に少しずつ作っていく。何度も自分のツリーハウスにやってきて、その変化を楽しむという趣向だ。
とにかく、繰り返したくさんの人にやってきてもらうことで、地域を活性化しようというわけだ。様々なイベントも実施していく。
「二つの顔をもつNGO」を目指す
もうひとつ、国際協力NGOならではのアイデアが、「神石高原スーパー診療所」構想だ。神石高原に住む医師を募集し、平時は過疎地医療に携わりながら、ドクターヘリの活用などで周辺地域の緊急医療に対応。いったん災害などが発生したら、被災地への救援に向かう医療チームに姿を変える――そんな拠点づくりを目指している。この診療所の運営には、ふるさと納税などの寄付や企業の支援なども当てるという発想だ。
実は、大西氏は、このほど報告書をまとめた、日本の20年後の保健医療を考える「『保健医療2035』策定懇談会」のメンバーに厚生労働相から任命されていた。将来にわたって大きな課題である過疎地医療や緊急医療のモデルケースづくりで、神石高原を実験場にしようというわけだ。
大西氏らの国際NGOの経験が今後どんな形で地域づくりに役立つのか。新発想の地域おこしの行方に注目したい。