日経ビジネスオンラインに7月3日にアップされた拙稿です。
安倍晋三内閣は6月30日、臨時閣議を開き、成長戦略を見直した「『日本再興戦略』改訂2015」を閣議決定した。安倍内閣発足後、2013年6月に作られた成長戦略を改訂するのは昨年6月に次いで2回目。アベノミクスの「3本目の矢」として、どれだけ具体的な政策が盛り込まれるか、アベノミクスの行方を占うことになるだけに、国内外の市場関係者が注目していた。
「アベノミクスは、デフレ脱却を目指して専ら需要不足の解消に重きを置いてきた『第1ステージ』から、人口減少下における供給制約を乗り越えるための対策を講ずる新たな『第2ステージ』に入りました」
改訂2015の閣議決定を知らせる官邸のホームページにはこう高らかに宣言されている。人口減少や高齢化によって労働力不足などが鮮明になってきたことなど「供給制約」に手を打つ段階に入ったとしているのだ。第1ステージとしたデフレからの脱却に完全にメドが付いたかどうかは別として、次は供給制約への対策がカギだという認識はおそらく正しいだろう。
では具体的に何をやろうとしているのか。ホームページでは、「設備や技術、人材等に対する『未来投資による生産性革命の実現』と、活力ある日本経済を取り戻す『ローカル・アベノミクスの推進』の2つを車の両輪として推し進める」とうたっている。改訂2015の副題にも「未来への投資・生産性革命」と書かれているから、生産性を上げることで「供給制約」を突破しようという意図であることが分かる。
1980年代から改善しない「生産性の低さ」
日本の生産性の低さは、今始まった問題ではない。ヒト・モノ・カネの使い方が非効率だというのは1980年代から、繰り返し指摘されてきた。官業の非効率性を改善しようというのが民営化や規制緩和であり、企業経営を効率化しようというのがコーポレートガバナンス改革だった。おカネの流れを効率化させようとしたのが金融制度改革だったし、働く人の生産性をどう上げていくかということで労働市場改革も進められてきた。
それをさらに大胆に推し進めようというのがアベノミクスで、大胆な金融緩和という1本目の矢と、機動的な財政出動という2本目の矢によって時間を稼いでいる間に、第3の矢の改革を行うというのが狙いだったはずだ。
安倍首相が繰り返し強調してきた「女性活躍の推進」や「電力自由化」もこの流れの中にあった。昨年の日本再興戦略改訂2014で打ち出された、コーポレートガバナンスの強化によって経営者にプレッシャーをかけ、民間企業に「稼ぐ力」を取り戻させようとう動きは、海外投資家などから高く評価された。
そうした流れの中で、改訂2015では、どうやって生産性を高めようとしているのか。
本文を読んでみると、残念ながらサプライズはないに等しい。これまでやってきた政策の延長線上か、補助的な細かい政策ばかり。見るからに役所からの政策の寄せ集めで、政治のリーダーシップを感じる部分がほとんどない。「未来への投資・生産性革命」と一見、革新的なことを言っているようだが、そもそも「過去への投資」などというものはない。経済産業省などが何度も作ってきた将来ビジョンの焼き直しにしかみえない。
改訂2015の取りまとめが最終段階を迎えた6月22日、議論の場である産業競争力会議にサプライズが用意されている、という話が流れた。事務方が振付けて安倍首相が何かを発表するらしい、というのである。
当日、安倍首相が発表したのは、設備投資の推進に「官民会議」を新設するというものだった。
「サプライズだというので何が出てくるのかと期待したら、官民会議だというのでサプライズだった」
そう参加者のひとりは振り返る。もちろん、あまりにも小粒だったから驚いたという皮肉である。
政府の働きかけが賃金上昇につながったという自負
発表の席上、安倍首相は、「民間が果たすべき投資の方向性と政府の取り組みについて対話を進め、企業の大胆な経営判断を後押しする」と説明した。
官邸の事務方からすれば、政府、経済界、労働界の代表が参加する「政労使会議」を開いて、賃上げを経営者に求めたことが、賃金上昇に結び付いたという自負があるのだろう。民間の投資でも同じように、会議で要望すれば、設備投資が増えると考えているに違いない。
この官民会議はさっそく改訂2015に盛り込まれた。曰く、
「政府として取り組むべき環境整備の在り方と民間投資の目指すべき方向性を共有するための『官民対話』を開始し、中長期的な企業価値の向上に向けた企業の大胆な経営判断を後押ししていくこととする」
民間企業が設備投資をするのは、それに見合うビジネスチャンスがあるからだ。政府に言われたから投資するような経営では会社がもたない。企業経営者に設備投資を促すために行われてきた伝統的な施策はインセンティブを与えること。設備投資減税や各種の補助金である。安倍官邸での政策策定の中心である経済産業省の官僚たちが最も好んできたのが補助金行政である。
本来、そんな補助金がなくても、明確なビジネスチャンスがあれば企業は投資する。まさに未来への投資である。そのチャンスを作る政策が「規制撤廃」や「自由化」。いわゆる「官業の開放」である。政府の関与をなくすことで新しいビジネスが生まれる。NTTの民営化と通信の自由化が好例だ。放っておいてもICT(情報通信技術)産業には新しい投資が生まれてきた。
アベノミクスの効果を地方にも波及させる「ローカル・アベノミクス」も掲げているが、ここでも、旧来の支援行政の延長という印象が強い。中堅中小企業の「稼ぐ力」の徹底強化、と言いながら、具体策は「地域金融機関による積極的な経営支援を促進する」といった内容。
アベノミクス開始当時に主張されていた、「『「新陳代謝促進』のためにいわゆるゾンビ企業を淘汰せよ」といったものは大きくトーンダウンしている。農業分野にしても、「農林水産業の経営力の強化に向けた支援体制の整備」といった「アメ」を与える政策が目立ち、競争によって自立を促すといった視点は大きく後退している。
安倍首相が規制改革の突破口と位置づけた「国家戦略特区」。昨年春に6カ所が1次指定されたのに続いて、今年春には「地方創生特区」という名称に変えて3地域が2次指定された。
服薬指導へのICT活用に希望のタネ
安倍首相が岩盤規制と名指しする「医療」「労働」「農業」分野に斬り込めるかどうかが焦点だが、抵抗が激しくなかなか前進していない。そんな中で、改訂2015に盛り込まれたもので注目されるのは、薬剤師の服薬指導を対面ではなく、テレビ電話を活用してできるように特例を設けるという項目だ。
あくまで離島などの直接対面によって服薬指導することが難しい場合の例外だが、今後、ICTを活用した遠隔診療などに道を開く可能性がある。
だが、あくまで特区は「突破口」に過ぎない。特区で自由化されたことが全国に広がることで国全体の規制が緩和され、新たなビジネスチャンスが生まれることが大事なのだが、歩みは遅いと言わざるを得ない。
日経平均株価が2万円を超えた背景には、海外の投資家の日本株買いがある。昨年の改訂2014で日本企業のコーポレートガバナンス改革が打ち出され、今年6月の株主総会で日本企業がガバナンス改革に取り組んだことが評価されているという。
日本企業がいよいよ変わるのではないか、という期待が高まったわけだ。そうした海外投資家は今年の改訂2015をどう読み、どう評価するのか。株価の行方にも大きな影響を与えそうだ