町の職員は営業マン 目指すは写真写りの良い町 北海道東川町

WEDGE の9月号(8月20日発売)の「地域おこしのキーワード」は北海道東川町。25年前に「写真の町」を宣言して、「東川賞」や「写真甲子園」などいろいろな写真がらみのイベントで町おこしに取り組んでいます。写真フェスティバルに間に合うように、ネットで先行公開になりました。ぜひご覧ください。→http://wedge.ismedia.jp/preview/8d6893e28afd87332c7c5c9173758d9cbbd6e933

Wedge (ウェッジ) 2015年 9月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2015年 9月号 [雑誌]

 北海道の旭川空港から車で10分ほど走ったところにある東川町の役場には一風変わった名前の部署がある。「写真の町課」。1985年に当時の町長が町おこしの一環として「写真の町」を宣言。以来、写真を核とした様々なイベントを行ってきた。それを中心となって担っているのがユニークな名前の課というわけだ。

 写真の町課は役場の本庁舎の裏手にある文化ギャラリーの一角にある。人懐っこい笑顔で迎えてくれたのは職員の吉里演子さん(28歳)。窪田昭仁課長に言わせれば「写真の町東川の成功事例そのもの」だという。

 どういうことか。

 東川町では写真の町のイベントの一環として21年前から「写真甲子園」を開いている。全国の高校の写真部などが参加、予選を突破したチームが東川町内で様々な課題をこなしながら作品を仕上げていく。大雪山を望む町の風景や人々の様子を撮影するのだ。今年も514校が参加し、地区予選を通過した18校が8月4日から7日まで、腕を競い合った。審査は写真家の立木義浩さんら5人のプロが務め、優勝校には北海道知事賞が授与される本格的なコンクールである。

 実は、吉里さん、今から10年前の2005年に写真甲子園に出場しているのだ。当時は大阪市立工芸高校の3年生。仲間2人と大阪から北海道までやってきた。「We Love 北海道」と題した作品は、優勝こそ逃したものの優秀賞<青のモモンガ牌>を受けた。

 すっかり写真にはまった吉里さんは大阪芸術大学写真学科に進学したが、東川の事も忘れられなくなったのだという。写真甲子園にOGとしてボランティアで参加、大学4年の時には東川に通い詰めて卒業制作に取り組んだ。題して「心のふるさと」。なにせ東川の人たちのウエルカム精神の強さにすっかり参ってしまったのだ。「もう、これは住むしかないな」。そう考えた吉里さんは移住を決意する。
正職員になるために、予備校通い

 大学を卒業すると町の臨時職員になり、予備校に通って公務員試験の準備を始めた。1年の努力が実って町の正規職員として採用されたのだ。

 実は、東川町は移住受け入れを政策の大きな柱のひとつにしている。北海道の自治体はどこでも急速な人口減少に直面しているからだ。

 力を入れてきたのは子どもを育てやすい環境づくり。2003年には構造改革特区に立候補し、全国に先駆けて幼稚園と保育所を一体化した。中学生までの医療費を無料にし、保育料も子ども2人目は半額、3人目以降は無料にしている。住宅建設にも助成金を出している。

 「札幌より東京の方が近いんです」と住民が笑っていうように、旭川空港まですぐという地の利の良さが武器になっている。実際、一時は7200人にまで落ち込んだ東川町の人口は8000人近くにまで増えているのだ。そんな移住歓迎の町だけに、大阪から移り住んだ若者である吉里さんは、まさに成功事例なわけだ。

 吉里さんは町に作った「写真少年団」の先生役を引き受けている。月に2回、子供たちが集まり、一眼レフカメラを手に、思い思いの写真を撮る。旭川の有名スポットである旭山動物園に“遠征”することもある。「写真の町ひがしかわ写真少年団」名でフェイスブックを作り、撮影した写真をアップしている。やはり大阪から移住してきた町内の写真家が、学校でカメラの使い方などを教える授業も受け持っている。写真の町を担う次の世代を育てていこうとしているのだ。

 町長が写真の町宣言を出した頃、ほとんどの町民は「何で写真なんだろ」と思ったそうだ。だが長年続けてきたことで、「東川がだんだん写真の町らしくなってきた」と、町内で菓子店「ゝ月庵(てんげつあん)を営む高島郁宏さんは言う。写真の町実行委員会の副委員長のひとりだ。美しい旭岳の風景など写真の被写体にぴったりというわけだ。

 「東川町では『写真の町』を掲げることで、美しい景観や、親しみやすい人、写真写りの良いモノづくりにつながると考えてきた」と窪田課長は言う。毎年高校生に写真を撮られる町民は、すっかり笑顔づくりが上手になった、という。写真を通して、人と人のふれあいを深めていこうというわけだ。
町の職員は営業マン

 長く続けてきたかいがあって、写真の町としての東川の知名度は上がっている。特に写真家の間ではまず知らない人はいない。というのも30年にわたって「写真の町東川賞」という写真の賞を出し続けているからだ。もちろん、自治体が写真作家賞を制定したのは全国で初めてのことだった。

 しかも自薦式ではなく、町が依頼したノミネーターが推薦した作品を審査して決めている。国内作家賞だけでなく、海外作家賞も出し、海外の優れた作家を日本に紹介する役割を果たしてきた。そうした積み重ねによって写真家の間で一目置かれる賞へと育ってきたのである。受賞作品はパネルにして文化ギャラリー前の街路灯に掲げられている。

 新人作家賞、特別作家賞なども含む東川賞受賞者は、毎年夏の「写真の町国際写真フェスティバル」で表彰されている。写真甲子園も行われるこの期間は、全国各地から写真ファンが集まってくる。400メートルにわたって歩行者天国を設けて「どんとこい祭り」も同時に開催、帰省シーズンとも重なるため、多くの人たちで町は賑わう。推計で3万8000人が集まるが、そのうち5000人くらいが写真目当ての人たちだろうと町では推測する。

 「町長以下、町の職員はみんな営業マン。本当にアイデアマンだと思います」

 実行委員会でやはり副委員長を務める町内在住の藤原隆子さんはいう。町を売り出すために次から次へと新しい施策を打ち出す松岡市郎町長は、自治体の首長の間でもアイデアマンとして知られる。それが職員全体に行きわたっているというのだ。

 吉里さんも職員になって驚きの連続だったという。「予算がない、前例がない、他の町ではやってない、ことを実行に移せと言われます。二番煎じでは許されません」と笑う。

 東川町の「写真の町宣言」はこんな文章で始まる。

 「自然と人、人と文化、人と人、それぞれの出会いの中に感動が生まれます」

 そんな感動が、多くの人たちを東川町に引き付けている。

(写真・生津勝隆)