「携帯通話料金引き下げ」で景気は上向くか 「雇用増」「給与引き上げ」でも「好循環」始まらず

安倍首相が言うように雇用が上向いているのは事実ですが、それが一向に消費につながってきません。携帯電話料金引き下げも家計の可処分所得消費財に向けさせようとする「奇策」ですが、効果が上がるのかどうか。日経ビジネスオンラインに書いた原稿です。→http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20130321/245368/


 2016年の日本経済は、安倍晋三首相が思い描くように、デフレから完全に脱却して成長路線へと突き進んでいくのだろうか。

 安倍首相は最近、企業経営者に会うごとに、賃上げするよう念押ししている。2012年末に首相に返り咲き、アベノミクスを始めて以来、大幅に進んだ円安によって企業は好業績を謳歌している。その成果が給与増の形で国民に還元され、消費の増加に結び付けば、景気が良くなり、再び企業に利益が戻る――。いわゆる「経済の好循環」を何とか実現したいというのが首相の思いだ。これが再登板以降掲げてきた「デフレ脱却」「経済成長」の切り札になると見ているわけである。

 安倍首相が「経済の好循環」と言い出したのは2014年の年初。1月に開幕した通常国会での施政方針演説で訴えた。前年に円安が進み、企業業績は急回復していたが、国民にその実感は伝わっていなかった。株高が消費を押し上げていたが、野党からは「株を持っている一部の金持ちだけしか恩恵を受けていない」と批判されていた。

 2014年秋には、首相官邸に経済界と労働界の代表を招き、「経済の好循環実現に向けた政労使会議」を開催。政府が賃上げを要請するところまで踏み込んだ。2015年も「未来投資に向けた官民対話」を10月以降、官邸で開催。経済界に設備投資や人材への投資、つまり賃金引き上げを、直接求めた。2016年の「春闘」での賃上げ交渉をにらんで、政府が経済界に“圧力”をかけたわけだ。

正規社員が増えている

 アベノミクス開始以来、雇用情勢は急速に好転している。総務省労働力調査によると、2015年10月の雇用者数は5704万人。前年同月に比べて75万人、率にして1.3%も増えた。

 第2次安倍内閣が発足した2012年12月の雇用者数は5490万人。対前年同月比で0.7%のマイナスだったが、翌2013年1月からプラスに転じて、以来34カ月プラスが続いている。そして遂に5700万人台に乗せたのである。安倍首相は国会答弁などで繰り返し、「アベノミクス開始で100万人の雇用を生んだ」と発言しているが、実際には200万人近く増えたのである。

 いや、どうせ増えているのはパートや契約社員など非正規雇用ばかりだろう、と思われる人も多いに違いない。確かに、アベノミクス開始直後は正規雇用が減って、非正規が増える傾向が続いていた。野党からは「結局は正規を非正規に置き換えているだけではないか」という批判があった。確かに、昨年末の衆議院総選挙の前までは、正規社員は減少傾向だった。

 ところが、統計をみると、2014年12月から正規雇用も対前年比プラスに転じている。すでに11カ月連続だ。正規雇用は3331万人と2013年1月の3336万人とほぼ同水準だが、今年春の3270万人からは着実に増加傾向にあるのだ。

 正規雇用に明るさが見え始めたのは、深刻な現場での人手不足が背景にあると見られる。パートやアルバイトなどでは賄えなくなりつつあるのだ。今後も人口の減少が急速に進むことから、有能な人材を今のうちに抱え込んでおこうという思惑も働いている。数年前までは厳冬期と言われた新卒大学生の就職も、一気に加熱。売り手市場になっている。

 これまでパートやアルバイトが戦力だった小売りや外食産業などの人手不足はさらに深刻だ。キツイ深夜労働などが敬遠され、時給を引き上げてもなかなか人が集まらない。事務職などで正規雇用が生まれ、非正規からシフトし始めていることもある。

最低賃金の引き上げでも後押し

 こうした時給の上昇を、本格的な賃上げに結び付けようと、政府も後押ししている。最低賃金の引き上げだ。東京都の場合、時給888円だったものが2015年10月から19円引き上げられ、907円になった。最低賃金はすべての都道府県で引き上げられ、全国の加重平均では前年度の780円から798円に18円引き上げられた。

 安倍首相は11月末の経済財政諮問会議で、最低賃金を毎年3%程度引き上げ、将来は1000円程度にするよう関係閣僚に「環境整備」を指示した。最低賃金は労使代表が厚生労働省の審議会で目安を示し、地方の審議会がそれぞれ決めることになっているため、政府が「引き上げを指示」することはできない。このため「環境整備」としたが、実質的には政府主導で今後も最低賃金が引き上げられていくことになる。

 では、安倍首相の「意向」によって労働者(パートを含む)の給与は上昇しているのだろうか。

 厚労省の毎月勤労統計調査によると2015年10月(速報)の現金給与総額は前年比0.7%増の26万6309円となった。物価の上昇分(0.3%増)を考慮した実質賃金も0.4%増と、ともに4カ月連続のプラスとなった。

 名目賃金と呼ばれる現金給与総額は2014年以降プラスになる月が目立っていたが、物価の上昇分を上回ることができず、実質賃金ではマイナスが続いていた。これがプラスに転じてきたのである。

 ただ、内容を見ると、「所定外給与」つまり残業代の増加がほとんどで、まだまだ「賃上げ」が数字に表れてきているわけではない。また、物価の上昇率が鈍化したことで、実質賃金がプラスになっている点も見逃せない。

 では、安倍首相が目指す「経済好循環」は着実に動き始めているのだろうか。

 問題は個人の懐が暖まり、それが消費に向かうかどうかである。2014年4月の消費税率引き上げ以降、締まってしまった財布のひもがなかなか緩まない。残業代が増えたとしても、円高で輸入割合の高い食料品などの価格が目に見えて上昇。消費を抑制する力が働いている。百貨店などの売上高も中国人旅行客などの「爆買い」ばかりが目立ち、国内消費はいまだに力強さに欠けている。GDP国内総生産)の6割を占める個人消費が盛り上がって来ないのだ。

 そんな中で安倍首相が繰り出した「奇策」が携帯電話料金の引き下げ要請だ。

 9月に開かれた経済財政諮問会議で、安倍首相が携帯電話料金の家計負担軽減が大きな課題だとして、高市早苗総務相に料金引き下げの検討を指示したのである。

携帯料金引き下げて、消費税率引き上げ?

 この指示のベースになったのは、同会議の民間委員である伊藤元重東京大学大学院教授らが出した「経済の好循環の拡大・深化に向けたアジェンダ」という資料。「家計を元気にし、消費を活性化する」手段の一つとして、「家計支出に占める割合が高まっている情報通信の競争環境の整備」を挙げたのだ。

 実際、若い世帯での通信料金の負担は大きい。スマホが必携品になったことで、家族で1万円以上の通信料を支払っているケースが激増している。これを引き下げれば、他に消費が向くだろう、というわけだ。

 もちろん、携帯電話各社の競争も激化する。固定の電話会社以外で携帯機器が使えないようにするSIMロックの解除義務化を進めることで、格安スマホ格安SIMを提供するMVNOと呼ばれる事業者が急拡大している。価格引き下げが家計に消費の余裕を生み出す一方で、業界には新サービスを生む切磋琢磨が生じる、というわけだ。

 安倍官邸があの手この手で家計の消費に火を付けようとしているのは、2017年4月の消費税率引き上げが迫っているからだ。消費の低迷が続く現状のまま、再増税を決めれば、一気に景気を悪化させることにつながりかねないのだ。2016年に景気の好循環が確実なものになるのかどうか。7月の参議院議員選挙で、安倍自民党が勝利を収められるかどうかにも密接に絡んでくる。