株主総会を終え、大塚家具は建て直しの正念場へ 20億円以上の資金を得たという父が打つ次の手は?

日経BPが販促用に本から抜粋して作ってくれた記事です。

3月25日に開催された大塚家具の株主総会は、所要時間60分足らずで平穏に終わった。昨年の株主総会での父と娘の闘争から1年。経営権を握った大塚久美子社長は、企業の立て直しに向けて正念場を迎えつつある(前回のブログはこちらをご覧ください → http://d.hatena.ne.jp/isoyant/20160331/1459415615)。

 大塚家具の経営権を掌握した大塚久美子社長にとって、最大の課題は業績の立て直しだった。2015年1月末に社長に復帰したとはいえ、実際には勝久会長が総会まで営業部門を統括し続けていた。勝久氏の方針による店舗運営がその年の3月末まで続いていたのだ。

 争点になっていた広告宣伝も、4月分までは会長の方針で決まっていた。案の定、経費をかけた割には来客数や売り上げは伸びていなかった。第1四半期(1〜3月)の業績が相当厳しい状況になることは明らかだった。

 実際、その後発表された第1四半期の業績は散々だった。消費税が2014年4月から引き上げられたため、前の年の1〜3月が駆け込み需要期に当たっていたこともあるが、勝久氏の店舗運営が成果を上げていないことは歴然としていた。

 第1四半期の売上高は前年に比べて23%も減少、経常損益は11億1300万円の赤字になった。前年同期は6億7500万円の黒字だったから、大幅な転落である。

入りづらいイメージの修正を目指す

 久美子氏は一気に店舗をかつての自分自身の路線に戻す。4月から路面店、大型店を中心に店舗リニューアルを実施した。店舗の受付スペースを縮小し、消費者が気軽に立ち寄れる店づくりを目指した。いわゆる「会員制」ではなく、オープン化を進めたのである。買い替え需要のボトルネックになっていた入りづらいイメージの修正を目指したのである。

 さらに4月中旬から3週間にわたって、「新生大塚家具 大感謝フェア」を開催した。社長が店頭に立って客を出迎えるというスタイルで、ワイドショーでがぜん知名度の上がった久美子氏を一目見ようという客で店舗はごった返した。

 初日の新宿店には開店前から130人が並び、1日で1万257人が来店したという。開店時に先着100人に久美子社長からガーベラの花をプレゼントした。「久美子」から取った93万5000円の高級寝具セットが各店10セット用意されたが、初日に完売したという。

 父娘の対立という人目に晒したくない騒動だったものの、その宣伝効果は大きかった。ワイドショーが父娘の対立点として繰り返し、店づくりなどのビジネスモデルを解説したことから、お茶の間に大塚家具の店舗運営を解説できる女性が急増した。そうした女性たちが、一度店舗を見に行ってみようか、となったのである。テレビや新聞の報道を広告費換算すれば、巨額になったに違いない。知名度が抜群に上がる結果になったのである。

 これは業績にも表れた。第2四半期(4〜6月)の売上高が前年同期に比べて28%も増加、17億円の経常利益を上げたのである。1月からの通算でも6億円の黒字となった。第1四半期の落ち込みは取り戻したのである。

 第3四半期(7〜9月)は消費全体が落ち込んだこともあり、再び赤字に転落したが、11月には「全館売り尽くしセール」を開始。社長自らが記者を店舗に招いて発表会を行った。展示品の約34万点を対象に最大50%を割り引くというセールだった。

 久美子氏は「生まれ変わるための挑戦で、インテリア業界をリードしていきたい」と語った。16年1〜2月にかけて店舗をリニューアル。ロゴも変えた。16年が久美子氏にとって本当の勝負の年になる。

総会後、勝久氏は新会社を設立

 株主総会で会社を追われた勝久氏はどうなるのか。世の中の関心は高かったが、一切表には出てこなかった。株主総会での敗北を受けて、以下のようなコメントを出したのがすべてだった。

「このたびの騒動に関しては、すべて私の不徳の致すところでございます。心からおわび申し上げます。ご支援たまわりました皆さまお一人お一人に深く感謝申し上げます。株主の皆様のご判断を真摯に受け止め、まっさらな気持ちで出直します」

 まっさらな気持ちとは何なのか。大塚家具のために今後、どんな行動を取ろうとしているのか。その説明はなかった。

 勝久氏は大塚家具を去ったとはいえ、株式の18.04%を持つ大株主であることには変わりはなかった。その気になれば、永遠に株主提案を出して株主総会で娘とバトルを続けることは可能だった。

 人事部付となった長男の勝之氏は自らの処遇を巡って久美子氏と話し合いを続けていた。有給休暇の消化が終わった5月末になっても結論は出ていなかった。久美子氏の経営方針に従うのならば営業の現場で残すという妥協案も浮上したが、勝之氏は専務など幹部としての地位にこだわった。結局、両者の話し合いは進まないまま、15年6月末に退職することが決まった。

 その頃からひとつの噂があった。勝久氏が勝之氏と共に新会社を立ち上げるというものだった。

 それが明らかになったのは7月1日、勝之氏の退職に合わせるかのように東京都港区にひとつの会社が登記された。「匠大塚」。資本金3000万円で、事業概要は「家具・寝具およびカーテン・照明器具などの室内装飾品の卸販売、コントラクト業務全般」となっていた。代表取締役は勝久氏と勝之氏で、取締役には妻の千代子氏と、会長が提案した取締役名簿に名前があった元総務部長の池田氏と元財務部長の所氏が名を連ねていた。自らと行動を共にして会社を去った腹心の“骨を拾う”ところは、「情」の経営者らしい行動だった。

 その新会社設立にメディアが気付いたのは8月に入ってからで、一斉に報道が始まった。だが、勝久氏も勝之氏も表に姿を見せず、何を狙っているのかは報道されなかった。

 そんな最中に、財務局に報告書が提出される。勝久氏が三菱東京UFJモルガン・スタンレー証券と契約、保有している大塚家具株350万株のうち95万株について株式売買委託契約を結んだことが明らかになったのだ。自らの権力基盤である株式を手放したのである。

 さらに勝久氏は11月10日にも同様の契約を結び、保有株から追加で68万6500株を売却することとした。合計で163万6500株を売却するとしたのである。実際に売却は進んだ。大塚家具は15年12月25日に筆頭株主が交代したと発表した。勝久氏の保有株は同日現在で186万3500株となり、議決権のある株式総数の10.00%になり、それまで2位株主だったききょう企画(大塚家の資産管理会社)の比率10.15%(議決権のない株式は除く)を下回ったとされる。

20億円以上の資金をどう使う?

 この売却によって勝久氏は20億円以上の資金を手にしたと見られる。この資金を元手に新会社の事業を展開しようとしているのは明らかだった。勝久氏が設立した匠大塚は日本橋に新しく建ったオフィスビルのワンフロアを借り、本社とショールームの設置に動き出した。

 創業者が保有株を現金化するのはなかなか難しい。もし大量の株を売却しようとすれば株価が大きく下落してしまうからだ。また、経営に関与している中で売却すれば、インサイダー取引を疑われることになりかねない。

 この大塚家具の騒動では、会社の知名度が大きく上がるという副次効果があったことはすでに触れたが、創業者である勝久氏にも大きな利益をもたらした。配当引き上げ方針を受けて株価が大きく上昇したのだ。その恩恵を最も受けたのは大株主の勝久氏だった。その勝久氏が持ち株の半分近くを「現金化」することができたのだ。

 もちろん、勝久氏の株式売却で、経営権争いが完全に終わったとは言い切れない。勝久氏が訴えているききょう企画の保有株の購入資金を巡る裁判の判決が、16年4月に控えている。判決によっては勝久氏に資金を返還するために、筆頭株主であるききょう企画は保有株式を手放さなければならなくなるリスクも残っている。

(この記事は、『「理」と「情」の狭間』の一部を再編集しました)