「40歳定年制」は非常に合理的な意見 昭和女子大学特命教授 八代尚宏氏に聞く

日経ビジネスオンラインに6月17日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/061500016/

 安倍晋三首相は「働き方改革が次の3年間の最大のチャレンジ」「最大のチャレンジは多様な働き方を可能とする労働制度改革」だと繰り返し述べ、同一労働同一賃金の実現などを掲げている。果たして日本の労働政策や労働市場は大きく変わるのか。政府の経済財政諮問会議議員などを務め、長年、労働市場改革の重要性を訴えてきた八代尚宏昭和女子大学特命教授に聞いた。

同一労働同一賃金の実現で、年功賃金も崩れる

安倍首相は同一労働同一賃金を実現すると明言しています。
八代:本当に同一労働同一賃金を実現するのであれば、大革命だと思います。確かに非正規社員との賃金格差はなくなりますが、同時に勤続年数だけで給料が増える「年功賃金」も維持できなくなる。年功賃金というのは終身雇用制度と表裏一体の仕組みですから、いわゆる日本的雇用慣行と言われるものが、もはや普遍的なものではなくなるわけです。

連合など労働組合や、野党は、同一労働同一賃金に賛成ですね。

八代:経団連も連合も建前としては否定できないわけですが、本音では両者とも反対でしょう。とくに労働組合は正社員の定期昇給を最低限のラインとして守るために労使交渉を積み重ねてきた。最近では非正規労働者の加入を増やす組合もありますが、同一労働同一賃金が義務付けられれば、非正規の待遇が改善されると共に、中高年正社員の待遇が引き下げられる可能性が高いのです。

安倍首相は本気なのでしょうか。
八代:仮に、経団連や連合のように、「現行の雇用慣行に配慮して」という制約をつければ実態はあまり変わらないでしょう。現在でも、すでに雇用機会均等法や労働契約法には不合理な差別的取り扱いを禁止する規定があるわけですから。少なくとも企業に対して、正社員の間や正規と非正規の間での待遇格差についての説明責任を課すことを法律に盛り込む必要があります。これは企業にとっては「負担増」といわれていますが、いずれ合理的な人事管理を促進させるうえで役立ち、企業にとっても大きなメリットがあります。

説明責任を課す場合、どこまでが許容範囲か線引きすることは難しいですね。安倍首相はガイドラインの作成を指示しましたが、難航しているようです。
八代:正社員は、慢性的な残業や転勤を事実上拒絶できないという差異だけで、類似の業務の非正社員と2倍も3倍も待遇格差があることを合理的だと言えるのか、難しいと思いますね。

日本的雇用慣行が崩れれば、定年制度も不要に

仮に安倍首相が本気で同一労働同一賃金を進めるとして、日本的といわれる雇用慣行が崩れた場合、どうなるのでしょうか。
労働需給の長期的なひっ迫の下で、労働の流動化が進み、より活発な労働市場ができます。そうなると、派遣という形態も抑制されるでしょうね。同一労働同一賃金なので、派遣を使うと手数料の分だけ人件費コストが高くなるわけで、そうなれば企業は派遣を最小限度にしか使いません。また、中高年社員もコスト高になりませんから、定年制度も不要になります。同じ仕事をできる能力があれば、何歳になっても働ける、高齢社会にマッチした働き方ということです。

定年もなくなるわけですか。
ただ、新卒者がいきなり仕事に見合った賃金を強いられると、長く社会で働いた経験者と競争にならない。何もしなければ、欧米のように若年層の失業率が大きく上昇することになるでしょう。日本型の新卒一括採用には良い面もあります。

 東京大学柳川範之教授が「40歳定年制」という提言をされましたが、非常に合理的な意見です。労働経済や労働法の専門家からは絶対に出てこない発想でしたね。新卒から40歳までの雇用は保障するが、そこから先は自己責任。40歳までにスキルを磨いて労働市場の中でひとり立ちできるように頑張るのです。能力を磨けばそのまま同じ会社で雇用され続けてもいいし、より良い条件の会社に転職もできる。実際に、中小企業の場合、大企業ほど年功賃金の上昇カーブが大きくないので、定年なんて関係なく、仕事ができる限り働いているというケースがたくさんあります。

金銭解雇についてはここ数年大きな議論になっています。自由な労働市場を作るには、企業にも解雇の自由を認めることが必要になるのでは。

八代:実際には裁判に訴えられない中小企業の社員は、わずかの補償金で解雇されている実状があります。金銭解雇は、働いた期間などに応じてきちんと補償金を支払うルールですから、中小企業の経営者は反対する可能性が大きい。一方で大企業の正社員の場合、仮に解雇された場合、職場復帰を求める訴訟を起こします。復職命令が出た場合でも実際には和解で解決金を受け取って辞める場合が多いのですが、その際の解決金は企業の支払い能力で大きく異なります。欧米などでは勤続1年で1カ月分の解雇補償といった明確な基準がありますが、それよりはるかに高額になる。金銭解雇ルールができると逆に補償金の上限が抑えられてしまう可能性があるわけです。解雇の金銭補償ルールの策定については、中小企業経営者と大企業の労働組合が一致して反対という面白い構図です。

セーフティネットの強化が必要

流動的な労働市場ができて多様な働き方をする時代が来た場合、労働政策で必要になるものはありますか。
八代:セーフティーネットの強化ですね。雇用保険のあり方を考え直す必要があるでしょう。現在の失業給付は年金と似た方式で、給与に応じて一日当たり多くの給付を、勤続年数が長い中高年ほど長期間もらえます。これをむしろ医療保険型、つまり、負担した保険料にかかわらず再就職するまでの期間の生活の維持費として一定額を支給する。もう少しフラットにすれば、中高年の再就職が不利になりません。

 また、教育のセーフティーネットも重要です。給与を受け取りながら学べて、その後、社員として採用されるような学校をもっと作るべきではないでしょうか。かつての国鉄の「中央鉄道学園」「鉄道大学校」のように専門技術者として教育を受け、そのまま国鉄職員に採用されるイメージです。経済的に恵まれない若者や高校などでドロップアウトした若者たちにスキルを学んで職に就く機会を与える必要があります。

20年後の労働政策を考えた場合、他に何かやるべき事はありますか。

八代:ホワイトカラーのスキルアップのためのセイフティネットと言えるかもしれませんが、教育休業制度ですね。個人が海外留学する際など、企業は雇用保障だけして休職を認める。その間、最大2年などと区切ったうえで、雇用保険から準失業手当のような生活費を支給する、育児休業と同じ枠組みでできます。

 企業は留学費用などを一切払う必要はありませんが、MBAなど資格を取って帰国したら必ず昇格昇給させる。会社の経費で留学し、資格を得ても帰国後に昇格できないので、転職するといった無駄な事もなくなります。

高齢者には社会保障の現実を理解してもらう

ご著書の『シルバー民主主義──高齢者優遇をどう克服するか 』(中公新書)が話題になっています。

八代:高齢者の投票率が高いからと言って、その投票権を制限すべきという主張は非現実的です。高齢者に日本の悲惨な社会保障の現状を理解してもらうしかないのです。方法は2つ。ひとつは理詰めで説得すること。政府は年金制度が持続可能だと言っているが、実際にはそれは粉飾で、年金はすでに不良債権ということをきちんと説明する。そのうえで、年金の一部切り下げを受け入れてもらうわけです。

 もうひとつは高齢者の「利他主義」に訴えること。あなたのお孫さんを犠牲にしてまで多くの年金を受け取りたいですかと問えば、日本の多くの高齢者はとんでもないと言います。政治家はそうした点をもっときちんと高齢有権者に訴えるべきです。

 高齢者にばら撒いて目先の選挙を有利に戦おうというのは馬鹿げたことです。かつて小泉純一郎首相は「痛みなくして改革なし、改革なくして成長なし」と言って、国民に構造改革の重要性を訴えて大きな支持を得ました。政治家がリスクを負って、高齢者に痛みを受け入れてもらうよう説得すべきでしょう。