「働き方改革」に立ちはだかる伝統的な“前提” すべての「労働者」は「弱者」なのか?

日経ビジネスオンラインに8月19日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/081800021/

技術の進歩で自由な働き方が可能に

 厚生労働省が設置した「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」懇談会(座長:金丸恭文・フューチャーアーキテクト会長)が8月2日、報告書をまとめ、塩崎恭久厚労相に手交した。AI(人工知能)やロボットなど科学技術が急速に進歩する中で、20年後の「働き方」がどう変わるのかを予測し、その際に求められる労働政策や労働法制のあり方を提言したものだ。

 報告書では、AIなどの技術進歩の成果を積極的に取り込めば、時間や空間に縛られない自由な働き方が可能になり、働き手はより自律的に働くようになるとしている。そうなると、企業と働く人の関係が従来のような「疑似コミュニティ」ではなく、プロジェクトの塊のような存在になり、兼業や副業、複業が普通のことになるだろうと予測している。さらに、性別や人種、国籍、年齢、LGBT、障がいの有無などが壁にならない社会になっていくと捉えている。

 そのうえで、以下のように述べている。

独立して活動する個人が増加すると予測

 「2035年には、個人が、より多様な働き方ができ、企業や経営者などとの対等な契約によって、自律的に活動できる社会に大きく変わっていることだろう。企業組織自体も変容していき、企業の内と外との境界線が低くなり、独立して活動する個人も増えるという大きな構造変化が生じる」

 つまり、人々がより自律的に働くようになれば、企業と働く人が対等な立場で「契約」を結ぶことが重要になり、それを可能にするための仕組みが不可欠になるとしているのだ。具体的には、企業が労働条件だけでなく、働き方に関する「基本姿勢」を開示する仕組みが必要になるほか、人々がキャリアアップしたりキャリアチェンジするための職業教育や財政支援など「セーフティネット」が重要になるとした。

報告書に対して、労働界から批判の声も

 この報告書が公表されると、さっそく労働界から批判の声が挙がった。

 連合(日本労働組合総連合会)は報告書の公表当日に事務局長名の談話を発表。「今後の社会構造の変化を見据えた労働政策の検討は重要であり、報告書はその問題提起の1つとして受け止める」としたものの、「働き方の自律化などを前提とした政策的視点などには疑問も残る」とした。

 そのうえでこう述べている。

 「働く者が生身の人間である以上、企業との交渉力が対等となることはあり得ず、労使の力関係の非対称性の修正は労働政策上の重要課題であることは不変である」

 つまり、働く人と企業(経営者)の間の情報格差は簡単には埋まらないので、対等な交渉を前提とする「自律的な働き方」など、とうてい実現不可能だと言っているわけだ。労使の力関係では、すべての労働者は圧倒的な「弱者」だというのである。

労働者は団結して闘うべきだという“大前提”

 弱者だからこそ労働者は団結して使用者である資本家と闘わなければならない、という伝統的な価値観が「大前提」になっている。

 8月17日付で「赤旗」に掲載された記事も、ほぼ同様の批判を加えている。「『働き方の自律化』掲げる厚労省懇報告 労働法制後退の危険」と題した記事だ。

 「働き方の自律化などがいかに進んでも、働くものと企業との力関係が対等になることはありえないことです。労使の力関係の『非対称性』を修正する大原則に立って、労働者を保護する労働法制や労働政策の必要性は変わることはありません」

 連合の談話と同じ論理である。いわばこれが労働界の「常識」ということだろう。報告書が前提としているような「自律的」で「自由」な「流動性の高い」働き方というのは、従来の労働界からみれば「非常識」極まりないということなのだ。

塩崎大臣は政策づくりに向けた論点整理を指示

 今回の懇談会は、政府の省庁が設置したものとしてはかなり異例だ。通常の審議会は、目の前の政策課題について提言・答申する役割を担う。ところが、「働き方の未来2035」は約20年後がターゲットだ。ただし、20年後の未来を語って終わりではない。20年後の「あるべき姿」を示したうえで、そこへ向かうためには「今何をやるべきか」を考える材料にしようというのが目的である。報告書を受け取った塩崎大臣はさっそく省内の幹部を集めた検討会議を設置、具体的な政策づくりに向けた論点整理を命じた。

 連合や「赤旗」が敏感に反応したのは、「自律的」に働く人々が、個々に企業との間で契約を結ぶようになれば、「労働者の団結」というこれまでの前提を突き崩すことになりかねないと感じているからだろう。

 だが一方で、「労働者の団結」という労働界の伝統的な「常識」が大きく揺らいでいるのも事実だ。何せ、労働組合の組織率は5年連続で低下し、17%と過去最低になっているのである。労働組合が働く人たちに必要とされなくなってきている現実があるのだ。

 報告書ではもうひとつ大きな提言をしている。

幅広く多様な働く人を対象として、労働政策・法制を再定義すべし

 「以上見てきたように、このような変化を前提に考えると、2035年においては、狭い意味での雇用関係、雇用者だけを対象とせず、より幅広く多様な働く人を対象として再定義し、働くという活動に対して、必要な法的手当て・施策を考えることが求められる。今までの労働政策や労働法制のあり方を超えて、より幅広い見地からの法制度の再設計を考える必要性が出てくるだろう」

 つまり、企業に雇用されている従来の「労働者」だけでなく、「自営的就業者」をふくむすべての働く人を対象にした労働政策や法制を敷くべきだとしているのだ。働き方が多様になる中で、従来の「労働者」の枠にはまらない人たちが膨大な数にのぼるようになっている。この点に関しては連合も「改めてすべての働く者を対象とし、実効性のある法的保護の枠組みを構築していくことは重要である」と認めている。

 安倍晋三首相は「働き方改革」が今後3年間の最大のチャレンジだと繰り返し述べている。急速に人口が減る中で、日本経済を持続的に成長軌道に乗せていくには「働き方改革」を通じて日本企業の生産性を根本的に底上げする必要があると考えている。

 当面は、「同一労働同一賃金」や「長時間労働の是正」といった、従来、労働側が主張してきた政策を前面に打ち出している。「ホワイトカラー・エグゼンプション」や「金銭解雇」など、企業側が求めてきた政策については後回しになっている。アベノミクス開始早々、金銭解雇などが野党などからやり玉に挙げられたトラウマがあるためだろう。だが、生産性の向上を考えれば、人材の流動化は不可欠な課題である。

 「働き方の未来2035」の報告書では、20年後を前提としたこともあり、目先の政策テーマにつらなるような「キーワード」はほとんど使われていない。「同一労働同一賃金」や「非正規」「女性活躍」といった「今」のテーマは意図的に排除されている。だからといって、そうした課題を無視しているわけではない。

「解雇補償」について検討する必要も

 報告書の中には「大きな環境変化に対処するための制度」という項目がある。そこでは、「いったん結んだ契約関係でも、その後の環境変化等によって、それを維持することが難しくなる場合が当然あり得る」として、「契約締結時の合意に基づき維持することが難しくなった契約を解消していく仕組みなど、適切なルールの下で環境変化に柔軟に対応する仕組みが整えられていることが期待される」としている。持って回った言い方だが、要は、契約を結ぶ時点で解約(解雇)に関する金銭解決などの合意を結んでおくルールを作るべきだと言っているのだ。契約を結ぶ以上、解約をする場合のペナルティ(解雇補償)を明示しておくことの方が働く人を保護することになる、という考え方だ。

 果たして、安倍内閣は「働き方改革」に本腰を入れて取り組むのか。未来志向型の労働政策を一から作り上げる覚悟があるならば、「働き方の未来2035」が示した方向性を実現するための具体的な政策が今後議論されることになるだろう。


【『働き方の未来2035 〜一人ひとりが輝くために』報告書】(厚生労働省のサイト)