WEDGEで連載中の「地域再生キーワード」。4月号(3月20日発売)に掲載されたものです。オリジナルページ→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6506?page=1
![Wedge (ウェッジ) 2016年 4月号 [雑誌] Wedge (ウェッジ) 2016年 4月号 [雑誌]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51KzDlqmfIL._SL160_.jpg)
- 作者: Wedge編集部
- 出版社/メーカー: 株式会社ウェッジ
- 発売日: 2016/03/19
- メディア: Kindle版
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東京から豊岡市に戻った田口幹也さんは、都会から迎える友人に城崎の良さを気づかせてもらった。そして、「おせっかい」から始まった取り組みが、国際的な舞台芸術、「本と温泉」へと広がっていった。
志賀直哉の短編小説『城の崎にて』で有名な兵庫県北部の城崎温泉。木造3階建ての旅館が並び、浴衣がけに下駄ばきの男女が、7つある外湯を巡り歩く。そんな昔ながらの日本の温泉街の風情を求めて、最近では外国人旅行者の人気も集めている。
伝統的な温泉街に2014年4月、まったく新しい「顔」が生まれた。城崎国際アートセンター(KIAC)。温泉街の一番奥まった場所にある。
新しく生まれたと言っても、よくある「ハコモノ」を新築したわけではない。もとは1983年にできた「城崎大会議館」という県の施設で、城崎温泉がある豊岡市に移譲された後も、年間20日しか稼働しない〝お荷物施設〟だった。それをアイデア首長として知られる中貝宗治市長の号令で一新して生まれたのがKIACだ。芸術家に一定期間滞在してもらい、創作活動を通じて町おこしにつなげる「アーティスト・イン・レジデンス」である。
1000人が収容できる大ホールに6つのスタジオを備え、22人が泊ることができる宿泊室がある。公募で選ばれたアーティストは最短3日から最長3カ月まで滞在することができ、宿泊費やホール、スタジオの使用料は一切無料。その代わり、アーティストは、地元向けの公開リハーサル、住民との交流プログラムなどを行う。
アーティスト・イン・レジデンスに取り組む市町村は全国に数多い。KIACの特長は舞台芸術に特化し、世界に目を向けたことだ。オープンすると舞台芸術家の間ですぐに評判となる。14年には映画女優のイレーヌ・ジャコブが滞在。2年目の15年度は4カ国16組がKIACを舞台に創作活動を展開した。振付家のルカ・シルヴェストリーニが城崎の住民たち約60人とコミュニティー・ダンスの作品を作った。16年度はすでに選考を終えており、7カ国から17団体がやって来る。
もちろん、豊岡市が看板を掲げただけで、芸術家が集まってきたわけではない。舞台回しのキーマンがいた。
おせっかいで始めた町おこし
田口幹也さん(46)。豊岡市日高町生まれで、大学卒業後、東京でカフェや新聞の立ち上げなど様々な事業に携わった。企画から広報活動、営業まで多彩な才能を持つ自由人だ。東京・池ノ上で編集者や芸術家などが集まるバーを経営していたが、東日本大震災を機に、漫画家の妻と娘と一緒に、郷里にUターンした。
「たくさんの友だちが城崎にやって来ると、すごく良い町だと驚くわけです。関西圏から1泊2日でカニを食べに来る温泉町というイメージばかりが先行し、東京での知名度は有馬温泉に負けていた。PRのやりがいがあるな、と思ったのです」
豊岡市に戻った田口さんは、肩書きに「おせっかい。」と書いた名刺を持ち歩いていた。頼まれなくても地域のためになることをやる意気込みだった。そんな時、豊岡市大交流課の谷口雄彦さんを通じての真野毅副市長に出会い、町おこしを手伝うようになった。真野氏自身、京セラからクアルコム・ジャパンの社長を経て、公募で副市長に選ばれた異色の経歴の持ち主だった。
そんな中で、KIACの運営体制の見直し議論が持ち上がる。田口さんの運命を決めたのは、KIACのアドバイザーだった劇作家の平田オリザさんのひと言だった。
「田口君がKIACの館長を引き受けるなら、私が芸術監督をやる」
芸術家の嗅覚が、田口さんの「面白さ」をかぎ分けたのだろう。とはいえ、館長職はれっきとした市の職員のポストである。
「一介のおせっかいが、いきなり館長ですから、びっくりです」と田口さんは中貝市長の決断に舌を巻く。このあたりが普通の市町村ではできないところだろう。田口さんは初めから海外のアーティストを意識したパンフレットを制作、芸術家が集まる国際イベントなどでPRした。東京時代の友人たちのネットワークがフル稼働したのは言うまでもない。
そんなKIACは城崎のムードを一変させつつある。
「都会にないものがいっぱいある城崎ですが、文化的な催しが少なく、正直言って飢えていました」と、温泉街で写真スタジオを営む井垣真紀さんは言う。10年前に結婚して城崎に来るまで大阪でフリーアナウンサーとして活躍、会社も経営していた。井垣さんのようなKIACファンがジワジワと地元に増え始めている。
もっとも田口さんは、館長とはいっても館内だけに留まっているつもりは毛頭ない。KIACを拠点に様々な仕掛けを行い城崎全体、豊岡市全体を盛り立てようと考えている。
黒い帽子を被って温泉街を歩く田口さんは有名人だ。温泉旅館の若手経営者たちともすっかり顔見知りである。実は、それも「おせっかい」を続けてきた結果なのだ。
2013年は志賀直哉が初めて城崎温泉を訪れた大正2年(1913年)からちょうど100周年の記念の年だった。若手の経営者で作る城崎温泉旅館経営研究会、通称2世会では「文学のまち 城崎温泉」を、もう一度発信したいと考えていた。
とはいえ、どうやったら良いか皆目わからない。そんな時、田口さんが「ちょっとおせっかいしてあげようか」と言って紹介したのが、ブックディレクターの幅允孝さん。人と人の連鎖によって、一気に「本と温泉」プロジェクトが進むことになった。
小説家の万城目学さんが城崎に滞在し、志賀直哉の足跡を追体験した新作小説『城崎裁判』を書き下ろした。ブックカバーがタオル地で濡れても大丈夫な紙に印刷した「本」ができたのは14年秋だった。
ユニークなのは城崎でしか買えないこと。「地産地消ならぬ地産地読です」と、プロジェクトのために立ち上げたNPO「本と温泉」の理事長、大将伸介さんは笑う。大将さんも錦水という温泉旅館の経営者だ。
城崎でしか買えない小説は評判を呼び、約4000部を売った。次作は湊かなえさんが『城崎にかえる』という小説を書くことが決まっている。ネットショッピングが急拡大している中で、そこに行かなければ読めないという逆転の発想。結果、城崎を訪れる人が増え、土産物屋が潤うこととなった。
志賀直哉が定宿にしていた三木屋の10代目当主である片岡大介さんは田口さんとの出会いが忘れられない。いきなり「三木屋は俺の名前使ってるよね、俺、幹也だから」と言われたというのだ。一気に2人の距離感が縮まったと、片岡さんは振り返る。そんな人と人を結びつける不思議な魅力を田口さんは持っている。
田口さんに招かれて城崎を訪れた芸術家や小説家は一様に情緒あふれる町にほれ込んでいく。そうして集まった人と人が不思議な化学反応を起こし、城崎温泉に新しい魅力が付け加わろうとしている。その化学反応が起きたのは、田口さんという「触媒」がこの町にやってきたからに他ならない。