精神を病む社員が急増、長時間労働を無くすには 「男中心社会」の働き方はもうもたない

日経ビジネスオンラインに12月12日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/120900029/


長時間労働から「逃げ場」を失う

 入社1年目の電通の女性社員が過労自殺した事件は社会に大きなショックを与えた。過去にも同様の例があったとして電通という会社の「体質」を問題視する声も上がった一方で、伝統的な日本企業の「働き方」が問題の根底にあるという指摘も根強い。恒常的な長時間労働から「逃げ場」を失う社員の姿は、決して電通だけの問題ではない。

 「人手不足」が深刻化している。求職者1人に対して何件の求人があるかを示す「有効求人倍率」は10月に1.4倍を記録、バブル期の1991年8月以来、25年2カ月ぶりの高水準となった。全都道府県で1.0倍を超え、東京都では2倍を突破した。人が欲しくても採れない状況になっているのだ。

残業をしないと仕事は終わらない

 仕事が増える中で、今働いている既存の社員への荷重は確実に高まっている。毎日残業をしないと仕事が終わらないという人の数が確実に増えているのだ。

 もともと日本の「正社員」は「残業が当たり前」という慣行の中で成立してきた。会社に命じられれば、残業も出張も転勤も拒絶するのはなかなか難しい。忙しさの中で追いつめられていく社員は少なくない。自ら命を絶たないまでも、過労によって倒れたり、病死する例が後を絶たないのだ。

 厚生労働省が6月に公表した「過労死等の労災補償状況」によると、2015年度の「脳・心臓疾患」による労災申請件数は795件。前年度に比べて32件増えた。業種では運輸業、建設業といった人手不足が深刻な分野が上位に来ている。

過労の末、精神を病む人が急増

 請求のうち死亡した例は283件におよぶ。いわゆる「過労死」だ。労災認定された過労死の数は2012年度272件、2013年度290件、2014年度245件と高水準が続いている。目立って増えているわけではないのではないか、という疑問を持つ向きがあるかもしれない。だが、もう1つの気になる統計がある。

 同じ厚労省の統計で、「精神障害の労災補償」をみると、請求件数が大きく増えているのだ。2012年度に1257件だったものが、2013年度には1409件、2014年度には1456件となり、2015年度にはついに1500件を突破、1515件となった。うち1306件が労災認定されているが、そのうち205件が自殺である。過労の末、精神を病んでしまう人が劇的に増えており、手を打たなければ過労自殺が急増する可能性が出てきているのだ。

目の前の仕事は投げ出せない
 労災申請件数をみると、精神を病んだケースが多いのは、福祉や介護の業界。これに医療、運輸、情報通信業と続く。人手不足から長時間労働が避けられなくなっている業種が目立つ。介護などは人手が足りないからといってサービスを打ち切ることは難しい。結局、現場で働いている社員にしわ寄せが来るわけだ。

 過労死したり精神を病む前に会社を辞めればよいではないか、という人がいるかもしれないが、責任感が強い人ほど目の前の仕事を投げ出すことができず、長時間労働から逃げられずにいるのだ。

「働かされている」と、ストレスが強くなる

 1カ月平均の残業時間と申請件数には明らかな相関関係がある。100時間を超えると精神を病んでしまう人が急増し、自殺者も増えるのだ。2015年度に過労自殺で労災申請した93人のうち、55人が平均残業時間100時間以上となっている。

 一方で、平均残業時間40時間未満でも精神を病む人は少なくない。とくに女性の申請が目立つ。もともと、女性の方が残業を嫌う人たちが多く、いわば不本意な残業を強いられるとストレスが大きくなるのだろう。

 長時間労働の場合、社員が自らの意思で働いている場合と、不本意に「働かされている」場合のストレスの大きさはまったく違う。男性の方が日本の伝統的な「働き方」に染まっており、受け入れている傾向が強い一方で、女性はそうした日本型の「働き方」の中で大きなストレスを受けていると見てよさそうだ。

「男中心社会」からの脱却が必要だ

 安倍晋三内閣は「働き方改革」を政策の柱に掲げている。「働き方改革実現会議」を設置して、長時間労働の是正に取り組もうとしている。もともと安倍首相は「女性活躍促進」に熱心に取り組んできた。しかも、それまでの男女共同参画などが社会政策として打ち出される傾向が強かったものを、経済政策として打ち出し、アベノミクスの一環として位置付けた。

 第2次安倍内閣の成立以降、雇用者数は増加を続けているが、人口が減少する中で増えた働き手の多くは「女性」だった。当初はパートなどの非正規雇用での増加が目立ったが、このところの人手不足で正規雇用の増加も続いている。つまり、女性が正社員として働くケースが増えているのだ。そうした中で、今までのような「男中心社会」の働き方はもたなくなるのは確実だ。

企業は正社員の雇用へシフトする

 「働き方改革実現会議」は12月20日に年内最後の会合を開く予定だが、そこでは「同一労働同一賃金」の指針が示されることになっている。非正規雇用正規雇用の間の不合理な賃金格差を禁止することで、非正規雇用で働く人たちの待遇を改善していくというのが政府の狙いだ。

 だが、結果として正規と非正規の賃金格差が小さくなった場合、企業は残業や人事異動がやりやすい正社員の雇用へとシフトしていくに違いない。安倍内閣が進めてきた最低賃金の引き上げや人手不足によって、パートやアルバイトの時給が大幅に上がっており、むしろ正社員として人材を確保したいという経営者が増えている。つまり、今後は「正社員」の働き方が大きな問題になっていくと考えられる。

総労働時間に上限を設ける
 「働き方改革実現会議」では、総労働時間に上限を設けることが議論されている。現在でも週40時間以内、1日8時間以内という「法定労働時間」が存在するが、現実には「36(さぶろく)協定」によって骨抜きになっている。労働基準法36条に「労使協定」を結んで所管官庁に届けた場合は、労働時間を延長したり休日出勤させることができる、としているのだ。

 長時間労働が「当たり前」になっているのは、この「36協定」が原因だとして、これを廃止すべきだという声もある。また、別途、総労働時間としての「枠」を設置する方が好ましいという指摘もある。

現場と経営層の労働ルールは異なる

 一方で、ICT(情報通信技術)の発達などで、「働き方」自体が多様になっているため、何をもって「勤務時間」とするかが難しくなっているのも事実。とくにソフトウェア開発などでは、時間で労働を管理すること自体に無理があるという指摘もある。労働基準法自体、旧来型の工場での作業を「労働」の基本形として捉えており、今の働き方と法律が乖離しているという指摘もある。

 運輸や小売りなど「現場」がある職種の労働時間に上限を設けるのは必要だとする一方、経営幹部などマネジメント層を労働時間で縛るのはおかしいという声も。「欧米の経営層はむしろ日本人よりもモーレツに働いている」というのもあながち嘘ではない。

 本来ならば、現場の労働時間を厳しく管理する一方で、経営層には別の労働ルールを設ける「ホワイトカラー・エグゼンプション」を同時に議論すべきなのだが、現在の安倍内閣では棚上げしたままだ。野党から「残業代ゼロ法案」とレッテルを貼られて攻撃されたことがトラウマになっているのだ。

日本型「正社員」という、特殊な働き方を見直せ

 日本では正社員として採用されると、誰でも役員や社長になれるという一種の幻想の中で働くことになる。現場の現業職と経営層が明確に分離している欧米とは根本的に異なる。そこを分離しないまま議論していると、長時間労働の是正という「建前」と、それでは会社が回らないという「現実」に大きな乖離を残したままになってしまう。「働き方改革」では、日本型の「正社員」という欧米からみると特殊な働き方を根本的に見直す必要が出てくる。