東京から1時間半、創造の里「藤野」は人が人を呼ぶ

ウェッジインフィニティに4月1日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7226

Wedge (ウェッジ) 2016年 7月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2016年 7月号 [雑誌]

 神奈川県旧藤野町(現相模原市緑区)。東京から1時間半の場所は、多くのクリエイターたちを惹きつける創造の里だ。あるものをうまく活用するという自前主義が生きている。

東京都の西端にある高尾山を貫く小仏トンネルを抜けたところに芸術家や起業家といった人たちをひきつける町がある。神奈川県相模原市藤野地区。東京駅から藤野駅までJR中央線の快速で1時間半ほど。近からずといえど遠すぎず。自然がたっぷり残る山間の町に田舎暮らしを求めて移住してくる人が絶えないのだ。


左から郄槗靖典さん、中村賢一さん、植松紀世乃さん(笑花食堂)、上條理絵さん(藤野ライトハウス)

 そんな移住者たちから「ケンさん」「ケンちゃん」と慕われる人物がいる。中村賢一さん。藤野里山交流協議会会長の肩書を持つ。旧藤野町役場の職員だった頃から、藤野の町おこしに取り組んできた。

 移住してくる人たちは家探しから生活の立ち上げ、細々した問題解決まで、必ずと言ってよいほど中村さんの世話になる。もともとの住民と新参者をつなぐ「ハブ」のような役割を果たしている。

 全国各地、芸術家を集めて町おこしの起爆剤にしようと試みているところは少なくない。だが、藤野は年季が入っている。何せ、芸術で町おこしを始めたのは30年前にさかのぼるのだ。

 だが、芸術で町おこしをしようと考えたもともとのアイデアは住民から出たものではない。神奈川県が相模川の上流域の開発プランとして「藤野ふるさと芸術村構想」を打ち出したのがきっかけだ。いわば官主導の町おこしとしてスタートしたのである。

 だが、今はまったく違う。中村さんをはじめ、民間の人たちが知恵と工夫で様々なアイデアを実現させている。小さなブースを建てて芸術家たちにギャラリーとして貸し出す「ふじのアート・ヴィレッジ」、廃ホテルを再利用した手作りのアトリエ、自然農法の農園や農園レストラン、自立分散型エネルギーを目指す市民発電所「藤野電力」、地域通貨「よろづ(萬)屋」……。それぞれの創意工夫が新しいコミュニティーをはぐくんでいる。


合併した唯一の効果

 藤野の町おこしが大きく動き始めたきっかけは、2007年の市町合併だった。相模原市の一部になったものの、藤野駅から相模原駅までJRで約40分。しかも東京都の八王子駅経由だ。経済圏としては決して「一体」ではない。

 「合併の唯一の効果は、結果的に自立を迫られたこと」だと中村さんは語る。旧藤野町時代に15人いた町議会議員は、定員46人の相模原市議会に1人の議員を送り出すだけとなった。要望しても藤野の要望はなかなか通らない。「行政に頼ってもやってくれない。自分たちでやろうというムードが広がったんです」。


笑花食堂や藤野ライトハウスも入居する「ふじのアート・ヴィレッジ」

 もともと藤野は自立意識の高い自治体だった。国の「構造改革特区」の仕組みを使って当時はNPOだった「シュタイナー学園」を誘致したのだ。独特な「教育芸術」思想を掲げるシュタイナー教育は国の認可が得られずにいたが、特区申請をして学校法人の認可を得た。そこに藤野町が手を差し伸べたのである。市町合併前の05年に開校した。

 学校誘致の効果は大きい。毎年最大26人の子どもが入学してくるが、それに伴って教育熱心な親たちが藤野に毎年移住してくるようになったからだ。この10年で医師が9人移住し、何と3人が藤野で開業した。藤野も他の山間地同様、人口減少が続いている。過疎地域の多くが高齢化と医師不足に悩んでいるのとは逆に、子どもの減少に歯止めがかかり、医師が町に住むようになった。学校に通うバス路線ができ、結果的に旧来の住民の利便性も高まった。

 「最近は移住してくる人の中に、藤野でなければ嫌だ、という人が増えた」と中村さんは語る。

 6年前に移住してきた郄槗靖典さんもそのひとり。子どもをシュタイナー学園に入れたのが移住のきっかけだったが、それだけではない。「何しろ藤野は『ひと』が面白いんです」と笑う。

 センスの良い人たちを惹きつけているのは、自然や学校教育だけでなく、そこに面白い人たちが集まっているから。人が人を呼ぶ相乗効果が起きているわけだ。このコラムでも取り上げた徳島県神山町で起きている現象と同じである。しかも、藤野は東京まで1時間半。東京にビジネス拠点を持ち続けながら、田舎暮らしもできる。そんな立地も多くの「自由人」を引き寄せている。

 郄槗さんはそんな人たちが加わるコミュニティートランジション藤野」の中心メンバーとしても活躍、地域通貨「よろづ屋」の運営にも携わる。「庭木の剪定を1000よろづでお願いします」といった具合にメーリングリストに投稿すると、誰かが「OK」という返事をする。「よろづ」というのは地域通貨の単位で、1よろづ=1円見当ということになっている。

 仕事をした人の「よろづ通帳」に「庭木剪定(+)1000よろづ」、一方でやってもらった人の通帳には「(-)1000よろづ」と書き込み、相互にサインをして取引が終わる。町内の芸術家作品などの購入でも「よろづ」が使えるケースが多い。7年たった今では400人ほどが地域通貨を使う。


藤野にこない人たち

 神奈川県座間市で会社経営をする桑原敏勝さんも藤野の魅力に取りつかれたひとり。農業生産法人の藤野倶楽部を設立、お茶や有機野菜の生産販売に乗り出した。会員制の体験農園「安心農園」や農園レストラン「百笑の台所」を展開する。

 「実は藤野には芸術家を惹きつけてきた歴史もあるんです」と桑原さん。戦時中に藤田嗣治佐藤敬といった画家たちが藤野に疎開していたのだという。そんな画家たちの絵が今でも旧家の蔵に眠っていたりする。桑原さんはそうした絵を買い取り、農園レストランのギャラリーに展示している。「もともと外から来る人にやさしい土地柄なのでしょう」と桑原さん。


農園レストラン「百笑の台所」

 藤野の町では、いたるところでイベントが開催されている。「藤野ぐるっと陶器市」のような町を挙げてのものもあるが、大半は住民の芸術家などが勝手に古民家などで展示会を開くのだ。

 取材に訪れた際に展示会を開いていた東川裕子さんは、パートナーで木工作家の藤崎均さんと共にミラノから藤野へ移り住んだ。「時間がゆっくり流れるところがいいですね」と藤野の魅力を語る。「それに人が温かいんです」と東川さん。グラフィックデザイナーとしての技量を、藤野のコミュニティーのパンフレットづくりに生かすなど、今ではすっかり藤野に無くてはならない存在になっている。


 移住に力を貸す中村さんだが、藤野には絶対にこない人たちがいると言う。「大資本と暴力団。うんと稼ぎたかったら二駅東に行けば東京都です。身の丈に合った、多様な生き方を求める人たちしか集まってきません」。

 おカネを追いかける生活に飽きた本物の豊かさを求める人たちが集まって来る藤野は、今後も魅力を増していくに違いない。