鹿児島焼酎の挑戦、異業種とコラボで地元発信

ウェッジインフィニティに4月9日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6943

Wedge (ウェッジ) 2016年 6月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2016年 6月号 [雑誌]

 お酒の消費量が減る中で危機感を持った焼酎酒蔵の若手経営者。「良いモノを作れば必ず売れる」という思考から脱却して、地元のクリエイターと手をつなぎ、新たな情報発信を始めた。

 焼酎といえば、鹿児島県である。ところが、焼酎ブームが去り、このところ若者のアルコール離れが進んだことで、ご当地鹿児島でも焼酎の消費量が減少傾向にある。

 加えて隣県、宮崎・都城にある霧島酒造が『黒霧島』をヒットさせたことで、芋焼酎出荷額でついに宮崎県に抜かれる事態に直面した。焼酎王国鹿児島が大きく揺れているのだ。


老舗の焼酎酒蔵6代目

 そんな危機を打開しようと老舗酒蔵の若い跡継ぎが立ち上がった。本格焼酎『なかむら』や『玉露』を製造する中村酒造場の中村慎弥さん、30歳。鹿児島県霧島市国分湊にある中村酒造場は1888年(明治21年)創業で、父の敏治社長が5代目。つまり慎弥さんは6代目に当たる。

 「多くの人にもっと焼酎を飲んでもらうにはどうすれば良いのか。どういうシチュエーションでどんな飲み方をしてもらうか。作り手である自分たちの思いを伝える必要があると感じたのです」

 作り手からすれば、どうしても「良いモノを作れば必ず売れる」と、考えがちだ。だが現実には、どんな良いモノでも、人々のライフスタイルや嗜好の変化を無視してヒットするハズはない。

 「今の若者に焼酎を飲んでもらうには、まずは焼酎のあるライフスタイルから提示しなければ、実際には飲んでもらえない」

 そう考えることから中村さんの活動は始まった。


地元のクリエイターとコラボ

きっかけは、世界でブレークした郷土の陶芸家の城戸雄介さんとの出会いだった。城戸さんが作る桜島の灰を加えた独特の陶器は欧米でも人気がある。

 その城戸さんが、自身の器を使って鹿児島の食材を生かした食事を提供する「THE SUN TO A TABLE(食卓に太陽を)」というコンセプトの食事会を主宰しており、そこに参加したのだ。

 城戸さんの周りには様々な分野の地元の「クリエイター」たちが集まり始めていた。

 城戸さんをリーダーに、シェフの伊集院浩久さん、映画や落語のイベントを主催するプチシネマの下池奈津子さん、鹿児島の南端、坊津で新規就農して野菜作りに取り組む「こころの野菜」の松野下友明さん・いずみさん夫妻。写真家や映像カメラマンも加わった。そして中村さん。

 そんなメンバーが集まって、郷土の良いモノを作り、それを日本全国だけでなく、世界に発信していくユニットを立ち上げたのである。2014年11月のことだ。

 名前は「TABLEs(テーブルス)」。中心は7人ほどだが、メンバーを固定せず、志のある人が自由に集うプラットフォームにした。テーブルスのメンバーは皆、自分の仕事に誇りとこだわりを持つ人ばかりだ。


テーブルスのメンバー。右から、松野下いずみさん、城戸雄介さん、中村慎弥さん、久木山雅彦さん、下池奈津子さん、伊集院浩久さん


 “結成”から半年あまりで、いきなりテーブルスにスポットライトが当たることになった。米国サンフランシスコの自然食スーパーから鹿児島料理の食事会を依頼されたのだ。

 15年6月、テーブルスの主要メンバーでサンフランシスコに向かった。

 待ち構えていた米国人たちは興味津々。さつまあげ、豚骨、鶏飯(けいはん)など、米国で広まっている日本食とはひと味違った鹿児島の郷土料理に感嘆の声が挙がった。

 もちろん、鹿児島料理と共に出された酒は芋焼酎『なかむら』だ。

 「食中酒として飲む蒸留酒は世界的にも珍しいので、関心を持ってもらうことができた」

 と中村さん。日本食ブームで、日本酒の需要も増えているが、芋焼酎となると外国人にはまだまだなじみが薄い。テーブルスのおかげで、将来につながる一歩を踏み出せたと、中村さんは手応えを感じている。


城山から望む桜島


手づくりへのこだわり

 もちろん、いくら需要の掘り起こしをやっても、目新しさだけでは顧客はつなぎとめられない。誰もが納得する「良いモノ」「本物」でなければ世界には通じないのだ。

 中村さんは今も徹底した「手づくり」の芋焼酎にこだわり続けている。

 原料の麹はもちろん、芋から水にいたるまで、すべての素材を厳選して仕込みに入る。水は地下水をくみ上げているが、「ほんの数キロ上流に行くだけで、まったく味が変わる」と中村さんは言う。

 鹿児島には113の焼酎蔵があるといわれる。今から15年ほど前の焼酎ブームの中で、設備投資を行って生産量を一気に拡大させた蔵も少なくない。

 かなりの工程を機械化したところもある。そんな中で、中村酒造場は、創業時から使うカメや蒸留設備が今も残り、それを大切に使っている。

 中村酒造場の製造工程のほとんどは機械に頼らない。麹を小箱に敷き詰めるのも、室に入れて並べて発酵させるのもすべて手作業だ。さらにそれを伝来のカメに移したり、木棒でかき混ぜるのも手で行う。早朝からかなりの重労働だ。

 機械で撹拌すれば簡単に済むように思えるが、菌や酵母が生きている焼酎作りでは、その日の気温や湿度で微妙な手加減が必要になる。


早朝から行われる麹作り


 中村さんは大学で醸造学を学んだ後、東北の日本酒蔵で修行。その後、大阪の酒販店でも働いて郷里に戻った。

 古老の杜氏から技を受け継ぎ、今は社員と共に自ら焼酎作りに汗を流す。醸造・蒸留だけでなく、瓶詰めからラベル貼り、梱包までほとんど手作業だ。昔からの道具を使い続けることもこだわりなのだ。

 そんな「本物」志向の芋焼酎作りの現場を酒蔵仲間や焼酎ファンに公開している。

 作業工程の細かな点まで中村さんは丁寧に説明する。焼酎にかける思いを知ってもらいたいからだ。本気で取り組んでいる姿を見せれば、その志は人に通じ、着実に焼酎ファンが増えていく。そう考えている。

 焼酎王国の危機とはいえ、宮崎や熊本の焼酎蔵と対立しようとは思っていない。むしろ共同戦線を張って、もう一度、全国に焼酎ブームを巻き起こしたいと夢見る。


焼酎蔵ともコラボ

 中村さんは「Futures(フューチャーズ)」というグループも立ち上げた。焼酎蔵の未来を担う次世代をネットワークし、勉強会やイベントを行っていく計画だ。メンバーには鹿児島と宮崎、熊本から加わった。

 ワインには様々な味わいの表現方法が定着している。日本酒でもそうだ。それに比べて焼酎は、ただ酔うためだけの酒といったイメージが付きまとう。ワインのような味わいの表現を焼酎でも開拓できないか。そんな勉強会も行っていく。

 鹿児島の小規模な焼酎蔵の若旦那が始めた小さな取り組みが、次々と連鎖反応を起こし、焼酎ブームの再来を引き起こすかもしれない。

 (写真・井上智幸)