広島の小さな町のマジック、公民館日本一になれた訳

ウェッジインフィニティに6月10日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7474http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9206

Wedge (ウェッジ) 2016年 10月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2016年 10月号 [雑誌]

 広島県大竹市玖波(くば)地区。カキの養殖が盛んな瀬戸内海沿いの人口4500人ほどの小じんまりした町である。そんな町の南側にある古ぼけた公民館に昨年、突如としてスポットライトが当たった。

 2015年春のこと、文部科学省が毎年行っている優良公民館表彰で、「日本一」に選ばれたのだ。さらに秋には、広島県が開いた地方創生のチャレンジ・フォーラムで、「まち部門」の優秀事例として表彰された。


人が集まる仕組み

 地域が元気になるその中心に、公民館がある─。それ以来、全国各地から大竹市立玖波公民館への視察や取材が相次いでいる。公民館といえば、卓球やバドミントンなどの軽スポーツができたり、図書室があったり、地域の活動で会議室を借りられたりと、「場所提供」で終わっているところも少なくない。ところが、玖波では、公民館に住民が集まって来る「仕掛け」が出来上がっているのだ。

 実は、その仕掛けを作り上げた人物がいる。河内(こうち)ひとみさん。公民館のたったひとりの職員である。10年ほど前から働き始めたが、5年ほど前に「学びのカフェ」という講座を月に1回のペースで始めた。

「地域ジン」の皆さん

「ダサい、暗い、野暮ったい公民館を、明るく、オシャレな空間にイメージチェンジしようと思ったんです」と河内さんは笑う。講座の合間にもカフェタイムを設けるなどムードを一変させた。「まずは住民に集まってもらうために、楽しいものを企画した」。

 さらに「生きた講座」にするために河内さんは工夫をこらした。地元の有名なヨットマンの講演を依頼した際には、公民館のすぐ裏手の港に実物のヨットを停泊してもらい、実際に乗船見学してから話を聞いた。

 また、貴婦人のお茶会と銘打って、とっておきのカップを持参してお茶を入れ、本物のメイドさんに給仕をしてもらった。普段とは違う「異次元空間」を演出したのだ。「公民館の講座は最近変わったことをやっている」。徐々に評判になり、人が集まるようになった。

大竹市玖波地区:古くから山陽道西国街道)の宿場町として栄える。瀬戸内海を挟んで宮島が目の前にあり、カキの養殖が盛んに行われ地元の主要産業になっている


自然発生した「スタッフ」

 人が集まるようになってもスタッフはいない。とうてい河内さんだけでは手が回らない。そんな中で自然発生的に「スタッフ」のような役回りを担う住民が生まれた。河内さんはそうした人たちに「地域ジン」という愛称を付けた。地域人と漢字ではなくカタカナにしたのは、ニックネームのような親しみやすさを感じてもらうためだ。

 河内さんは大竹市の別の地区の生まれで、今も県境を挟んだ隣町に住む。玖波には地縁はなく、いわば「よそ者」だ。そんな河内さんの目からみると「玖波には素晴らしい宝があるのに、地域の人はまったくそれを感じていない」ことに気づいた。故郷のすばらしさに気づいてもらうにはどうすればよいか。

 町の中心を貫く旧道沿いには「うだつ」を備えた宿場町の面影が残っている。うだつとは隣家に接した屋根部分に付けられた防火壁のことで、立派な旧家の証明でもある。そんな街並みに愛着を持ってもらおうと、その通りを「うだつストリート」と命名。古民家でカフェを開いて、蓄音機コンサートなども開いた。

 また公民館で行ってきた学びのカフェも「地域ジン 學びのカフェ」と名前を変えた。「学の旧字を使うことで、古いモノに目を向け、心に眠っている故郷を掘り起こしてもらおうと考えた」と河内さんは振り返る。自宅に眠っている古写真を公民館に持ち寄ってもらい、パネルにして展示した。「ふるさとお宝写真館」である。歴史のある良い町をもう一度見直そうというムードづくりだ。

 公民館の運営も地域ジンが自主的に手伝って、活動がスムーズに進むようになった。地元の住民が自ら活動の中心になって動く。河内さんが公民館に来た初めの頃には考えられなかった光景がいつの間にかできていた。「職員もひとりで、予算のおカネもない。すべて無かったから地域ジンの人たちが手伝ってくれた」。
  2015年から「くばコレ」というイベントを始めた。体育館に舞台と花道を作ってファッションショーをやるのだ。ネーミングは「パリコレ(パリ・コレクション)」の向こうを張った。ただしファッションは真逆。パリコレが最先端のファッションだとすると、くばコレは最もレトロなファッションが良しとされる。住民を中心に誰でもエントリーが可能だ。
2回目の2016年は7月23日に開かれ、349人が参加した。男性自治会長が昔の振り袖姿で登場し、市長や教育長も着物姿で登場。昭和初期の学生袴姿や、サザエさん張りのママさんスタイルまで。家のタンスに眠っている思い出が詰まった洋服を着て壇に登る愉快なイベントになった。甲冑(かっちゅう)姿やゆるキャラも登場した。

 実はこのくばコレ。来年以降続けるかどうかは決まっていないのだが、すでに来年の参加申し込みが相次いでいる。もう引っ込みがつかない状態になってしまったのだ。

 「河内マジックじゃね」─。

 地域ジンの中心的な役割を担っている伊藤信子さんは笑う。河内さんが公民館にやって来て、すっかり地域の雰囲気が変わったという。

 自然発生的に集まった地域ジンも役割分担ができている。「裏方が合っている」と笑う岡田千代子さんは会計係。河内さんがもともといた会社で同期入社だった横川敬子さんは、公民館でバッタリ再会し、「応援したい気持ち」で右腕を買って出た。

 木田泰秀さんは写真やビデオの担当。川畑幸子さんは大学教授のご主人が先に地域ジンだったのに刺激されてメンバーとして活動してきた。皆できる範囲で無理をしない。それが長く続くコツなのだろう。

 地域ジンの結束力は強い。おそろいのTシャツを作り、背中には「だからこのまちが好き」と染め抜いた。金融機関など企業の協力も得て、ウチワやノボリも作った。ブランドに磨きをかけているわけだ。

 玖波も例にもれず少子高齢化が進んでいる。そんな中で希薄化する住民同士のつながりをどう取り戻すかが大きな課題だ。河内さんは今、次のステップを見据えている。若者と地域のつながりをもっと強くしようと考えているのだ。「中学生版地域ジン」と銘打った活動を始めつつある。

 公民館での河内さんの取り組みはコミュニティーの結束力を取り戻すためのひとつのヒントになりそうだ。


(写真・生津勝隆 Masataka Namazu