月刊エルネオス7月号(7月1日発売)に掲載された原稿です。http://www.elneos.co.jp/
加計学園問題の三つの論点
愛媛県今治市で建設が進んでいる学校法人加計学園(岡山市)の獣医学部新設について、「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」などと記された文書の存在をめぐる「疑惑」が国会終盤の大きな焦点になった。安倍晋三首相と加計学園の理事長が極めて親しい関係にあることから、今治市を「国家戦略特別区(特区)」に指定し、獣医学部の新設を認めたこと自体が、首相が友人に便宜を図った結果ではないかとされたのである。
安倍首相は「働きかけていたら責任を取る」と疑惑を全面否定、菅義偉官房長官も「文書」の存在を否定し、あったとしても行政文書には当たらない「怪文書」だと切り捨てていた。
ところが、文部科学省の前の事務次官である前川喜平氏(写真)がメディアなどで「文書」の存在を認め、特区によって「行政がゆがめられた」と反旗を翻した。結局、官邸は文科省に「文書」の存否を再調査させることになり、その存在が確認された。
一連の「疑惑」追及によって、安倍内閣の支持率は急低下し、一部の調査では「不支持」が「支持」を上回る結果になった。
論点はいくつかに分けられる。一つは、「文書」があったかなかったかという話。首相の関与「疑惑」を全否定するために、文書の存在も否定したが、これは完全に官邸の「負け」となった。これで「噓つき」のレッテルが貼られることになり、内閣支持率の急低下につながった。
二つ目は、前川氏の言う「行政が歪められた」ということの意味。一般には、安倍首相が加計学園に便宜を図ったことで、文部行政をねじ曲げたように捉えられているが、前川氏の発言をよく聞くと、「国家戦略特区」で獣医学部の新設を認めたこと自体が、行政を歪めたことになると言っているように聞こえる。
三つ目は、今治を「国家戦略特区」に指定し、そこに獣医学部の新設を認めたプロセスが「首相の指示」や「官僚の忖度」によって実現したのかという問題。そもそも国家戦略特区は「悪」なのかという問題である。
一つ目は決着をみたとして、二つ目の「行政が歪められた」の意味だ。これは三つ目の「国家戦略特区」の位置づけに深くかかわる。
特区指定までのプロセス
国家戦略特区は安倍首相がアベノミクスで掲げる規制改革の「突破口」としてきたもので、これまでは担当省庁や業界の反対で実現できなかった「岩盤規制」に穴を開ける手法として導入された。国家戦略特区には二〇一四年三月に、東京圏、関西圏、新潟市、兵庫県養父市、福岡市、沖縄県の六カ所が一次指定された。これに続き、一五年春には秋田県仙北市、仙台市、愛知県の三地域が二次指定された。さらに一六年四月には「広島県・今治市」の一地域が加わった。
国家戦略特区法ではさまざまな「規制の特例」が定められ、どの特例を使うかは「区域会議」で決める。区域会議は国の特区担当大臣と、特区指定された自治体の首長、それに実際に事業を行う事業者の三者で構成する。規制に関係する官庁の大臣も出席するが、最終的には三者の意見を尊重することになっている。いったん特区になれば、法律で定められた「規制の特例」のすべてを使うことができる。区域会議はいわば「独立政府」のようなもので、国の規制の枠組みから逃れることができるわけだ。
では、「今治市」という地域を特区に指定したり、「獣医学部新設」という規制の特例を追加するのは、「総理の意向」だけでできるのか。そうした追加指定の議論はまず、「国家戦略特区諮問会議」の下に設置された「国家戦略特区ワーキンググループ(WG)」にかかる。各自治体や事業者からの要望を「特区提案」という形で受け付け、WGが各省庁からの意見のヒアリングなども行う。
WGは民間有識者九人からなり、座長は八田達夫・大阪大学名誉教授が務め、メンバーには「改革派」が顔をそろえる。そこで議論された原案が、「国家戦略諮問会議」にかけられるのだ。諮問会議のメンバーは現在、関係大臣五人と民間有識者五人の計十人。安倍首相自らが議長を務める。
諮問会議の会合は首相官邸で開かれ、議事録も公開されている。首相は議長といっても、事務方が用意したペーパーを読み上げるだけなので、この会議で首相が「意向」を示すことは難しい。官僚が「忖度」して官邸の意向を盛り込むことはできても、他の議員が賛成するとは限らない。
文科省と獣医師会の妥協
獣医学部の新設に関しては、WGが医学部新設とともに早い段階から「岩盤規制」として俎上にのぼっていた。一四年以降、WGでの議論に登場するが、議事録を読む限り最も熱心だったのは八田教授。何せ五十年以上も学部新設を許可しない文科省の行政は、岩盤規制そのものと映ったようだ。
加計学園問題が表面化して、WGのメンバーが記者会見した。
「今回の規制改革は、国家戦略特区のプロセスに則って検討し、実現された。言うまでもなく、この過程で総理から『獣医学部の新設』を特に推進してほしいとの要請は一切なかった」と、規制改革プロセスとしては「一点の曇りもない」と強調したのだ。
また、文科省との獣医学部新設をめぐる議論についても触れた。「規制に合理的根拠があることは、規制を所管する省庁の側に立証責任がある。しかし、平成二十六年(一四年)以降の議論で、文部科学省は十分な根拠を示せなかった」とし、規制の根拠となる需給見通しすら文科省は示さなかったとする。
野党の攻撃では加計学園一校に決まったのも「首相の意向」だったように言われているが、一校と決まったのも、獣医師会が反対したためだとWGは述べている。抵抗を続ける文科省と獣医師会の「妥協」によって、加計学園一校と決まったのであり、総理が指示したり、官僚が忖度したために一校限定になったわけではないとしたのである。
こうみると「行政が歪められた」のは、それまでの文科省の行政が、特区によって打破されたことを指している。首相官邸と文科省の根深いバトルがこの問題の背景にあるのは間違いない。