解散の大義を批判する前に、野党はまず対案を出すことに注力せよ 解散があることは分かっていたのだから

現代ビジネスに9月27日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53020

今秋解散は野党も想定していた

9月25日午後6時、安倍晋三首相は記者会見を開いて、解散総選挙に打って出る方針を正式に表明した。

野党各党は28日に召集される臨時国会冒頭での解散に、「大義なき解散」「森友・加計学園問題隠しのための解散」と、首相の決断に批判を浴びせている。共産党憲法の少数野党による国会開催要求権を無視し続けたうえで、ようやく開いた国会を開会冒頭で解散すること自体、「憲法違反の解散」だと強く批判している。

たしかに、このタイミングで突然、解散することに、明確な「大義」があるわけではない。このタイミングで選挙に踏み切ることが政権与党にとって最も有利だと判断したから、というのが本当のところだろう。

だが、これまでの内閣による衆議院の解散は、結局のところ首相の「損得」によって行われてきた。

衆議院議員の任期は4年だが、任期満了で総選挙となった例はほとんどない。内閣不信任案が可決した際に、総辞職するか衆議院を解散するかを憲法69条に基づいて選択する場合のみ内閣は衆議院を解散できるとするのがもともとの憲法の考え方だったと言われる。

しかし、憲法7条に「内閣の助言と承認」によって天皇が行う「国事行為」に衆議院の解散という項目があるのを利用し、内閣が助言すればいつでも天皇衆議院解散の詔勅を出すことができるとの考え方が繰り返し使われることになった。これにより、衆議院解散は内閣の権限、ひいては閣僚の任免権を有する首相の「専権事項」ということになった。

日本国憲法の解釈が固まらなかった戦後しばらくはともかく、首相による解散権が繰り返し行使されてきた現在となっては、もはや7条解散を違法だというのは難しいだろう。

2014年12月の総選挙から3年近くがたち、いつ解散総選挙があってもおかしくない、というのが永田町の常識だった。

18年12月が任期満了だが、任期満了が近づけば近づくほど、権力者の掌握力が落ち、いわゆる「レイムダック」化することは避けられない。このため、任期満了あるいはそれが近づいて解散総選挙という選択肢も「ない」というのが永田町の常識だった。つまり、この秋から来年夏までに解散総選挙があると衆議院議員の誰もが考えていたのだ。

大義や森友・加計はどうでもよい

だから、「大義があるかどうか」など、与党議員も野党議員も本音では考えていない。本当はどうでも良い事なのだ。

実際、民進党の幹部議員は、衆議院議員補欠選挙が決まっていた10月22日に投票日を合わせて解散総選挙に踏み切ることを想定し、地元選挙区に選挙準備を指示していた。9月の臨時国会冒頭での解散は、可能性のひとつとして与野党議員の間で予想されていたのである。

だから、「突然の解散だ」と野党は強く批判するが、本当は「突然」とは思っていなかったのである。

だからこそ、民進党蓮舫代表を辞任させ、代表選を行ってまで新代表を決めたのだ。背景には蓮舫氏では総選挙を戦えない、という根強い声があったからだ。

選択のタイミングを計ってきた安倍首相からすれば、与党に有利かどうかで判断するのは当然のことである。

代表選で前原誠司・新代表が選ばれた段階では、安倍首相の頭の中では、臨時国会冒頭での解散は遠のいていたはずだ。

だが、その後、前原氏が幹事長に据えようとした山尾志桜里・元政調会長がスキャンダルにまみれ、離党を余儀なくされるなど、民進党はイメージの刷新に失敗する。さらに、民進党から続々と離党者が相次ぐ中で、安倍内閣の支持率は回復基調になってきた。これを安倍首相がチャンスと捉えたのは間違いない。

野党は、臨時国会で論戦を行わず解散することは議論封じだと反発する。たしかに、疑惑が深まった森友学園問題や加計学園問題を追及されることは安倍首相にとって面白くない話だ。ボディーブローのようにジワジワと内閣支持率に効いてくることは十分にあり得る。

スキャンダルを巡る国会論戦で火だるまになることを避けて解散総選挙に出るというのは、政権与党にとって「常套手段」だ。それこそ、スキャンダルに対する国民の審判を仰ぐという「大義」が生まれる。

実際に解散総選挙となって、野党は「大義がない選挙」「森友・加計問題隠しのための選挙」といった批判キャンペーンを続けるのだろうか。

「税の使い道」という重要争点

安倍首相は解散を表明した9月25日の記者会見で、2019年10月に予定している消費税増税分の使い道について、借金返済から人材育成のための支出に回すよう「変更」する方針を示した。国民と約束した税金の使い方を変えるのだから、解散総選挙で国民の信を問うのは当然だという理屈である。

実際には消費増税再延期の際も解散総選挙は行っておらず、「詭弁」ではあるのだが、解散総選挙に「大義がない」と批判されないための大義を無理やり作ったと見ることもできる。

問題は、野党がこの安倍首相が提示した「争点」にどう対応するかだ。霞ヶ関では安倍首相が2019年の8%から10%への消費増税を「再度見送る」という見方が広がっていた。

物価上昇率が目標の2%に達しないことや、給与が思ったほど増えないことが背景にあった。それを、使途を変えるとしたものの、増税を予定通り行うとした意味は大きい。

野党は安倍内閣に対抗するために消費増税反対を掲げて選挙戦を戦うのか、消費増税は必要だとして争点から外すかを早急に打ち出さなければならなくなった。だが、増税は容認するとして、使途を高等教育の無償化などに振り向けることには、野党議員の中にも異論があるはずだ。

国民の多くは社会保障制度など将来見通しや、子供の教育などに関心を抱く。また、増税による景気悪化なども焦点だ。こうした経済や社会保障をあえて「争点」とした安倍首相の選挙戦術は巧妙だといえるだろう。これに対して、野党側がまともな「対案」を示すことができるか。

加計学園問題などの批判だけでは一定の批判票が生まれるが、自民党の支持を突き崩す大きなうねりにはならないだろう。

投票日まで時間がない中で、野党各党がどれだけ具体的な、国民にささる「争点」を打ち出せるか。「風」を期待した新党が安倍批判票の受け皿になれるのか、大いに注目される。