選挙後の課題は、待ったなしの「生産性革命」 日本企業の付加価値を増やす「働き方」の抜本改革

日経ビジネスオンラインに9月29日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/092800053/

消費税の使い方が解散の「大義」に

 誰も異論のない「人づくり」を掲げて、安倍晋三首相は衆議院の解散・総選挙に踏み切った。ここ3年、政策の柱としてきた「働き方改革」の総仕上げとも言えるが、これで日本経済は成長力を取り戻すことになるのか。

 9月28日に召集された臨時国会の冒頭、衆議院は解散された。10月22日投開票で総選挙が行われる。突然の解散総選挙に野党側からは「大義なき解散」といった批判の声が上がったが、解散前の9月25日に行った記者会見で安倍首相は、まがりなりにも解散に踏み切る理由を説明した。

 「この5年近く、アベノミクス改革の矢を放ち続け、ようやくここまで来ることができました」

 安倍首相はアベノミクスの成果を自賛した後で、こう付け加えた。「今こそ最大の壁にチャレンジするときです」

 安倍首相が言う最大のチャレンジとは何か。

 「急速に少子高齢化が進むこの国が、これからも本当に成長していけるのか。この漠然とした不安にしっかりと答えを出してまいります。それは、生産性革命、そして人づくり革命であります。この2つの大改革はアベノミクス最大の勝負です」

 そのうえで、2020年度までの3年間を「生産性革命集中投資期間」と位置づけ、企業に設備投資や人材投資を促していくとし、税制や予算、規制改革を大胆に実施していくことを表明した。

 では、なぜ解散なのか。安倍首相は、2019年10月に予定する消費税率10%への引き上げで生まれる財源を「人づくり」に充てるとした。現行の8%から2%引き上げ、5兆円強の税収増を見込むが、現状では5分の1は社会保障の充実に使い、残りの5分の4は借金の返済に充当することになっている。この借金返済分の一部を「子育て世代への投資」などに充てるよう変更するとしたのだ。国民との約束を変更するのだから、解散総選挙で「信を問う」のは当然のことだ、という論理である。

 選挙を戦うに当たって掲げた「大義」としては見事という他ない。安倍内閣のブレーンたちの間では今年6月ごろから、消費増税の先送りを主張する声が強まっていた。回復途上にあるとはいえ、まだまだ力強さが足らない景気に悪影響を及ぼすというのがその理由だ。だが、それでは財政再建派を完全に敵に回すことになる。野党からも「約束を反故にした」と批判されることが明白だった。

野党は何を政策の「柱」に掲げるか

 これを、約束通り消費増税するが借金返済ではなく人材投資に使うと言うことで、景気への影響を小さくすることができる。一方で、予定通り税率は引き上げるとする事で、財政再建派も何とか納得する。野党からすると、安倍首相を批判するには、消費増税に反対する以外に道はなくなるが、国の借金が増え続ける中で、増税反対に舵を切る事は難しい。野党にとっては、何を政策の柱として掲げて選挙を戦うか、非常に難しくなったわけだ。

 解散に「大義がない」と批判してみたところで、元々の反安倍票は取り込めても、浮動層には響かない。森友学園加計学園問題の追及は首相にとっては厳しいが、だからと言って選挙で野党に投票する理由にどこまでなるかは不透明だ。アベノミクスに対する対案を出すには時間がなさすぎる。

 かといって、安倍首相が打ち出した「人づくり革命」や「生産性革命」にどれだけ具体性があるかとなると、心もとない。会見でも安倍首相は「国民の皆様の支持を頂き、新しい経済政策パッケージを年内に取りまとめる考えであります」と述べるにとどめ、具体策は選挙後に先送りしている。

 多くの国民が望んでいるのは、経済成長の恩恵が自らの「懐」に循環してくること。つまり、給料などの所得が増えることだ。安倍首相は2014年以降、「経済好循環」を掲げ、円安などによる企業収益の増加分を積極的に賃金に回すよう経済界に働きかけている。春闘では4年連続でのベースアップが実現しているが、まだまだ「所得が増えた」という実感には乏しいのが実情だ。

 この「実感」を裏打ちする統計がある。9月1日に財務省が発表した法人企業統計では、企業(金融保険を除く全産業)の「利益剰余金」、いわゆる「内部留保」は2016年度で406兆2348億円と、初めて400兆円を超え、過去最高となった。アベノミクス開始以降、4年間の間に100兆円も増えている。率にして1.3倍だ。ところが企業が支払った人件費の増加は4年間で2%に過ぎない。

 アベノミクスの恩恵を企業は溜め込むばかりで、なかなか設備投資や人材投資に回していないのである。

 こう書くと企業経営者からは批判が上がる。いやいや企業の人件費は負担は決して軽くない。社会保険料の企業負担分の増加などもあり、人件費は増えている、というのだ。

 確かに、企業が生み出した付加価値に占める人件費の割合、いわゆる「労働分配率」は67.5%に達しており決して低くない。付加価値の総額は298兆7974億円で、そのうち人件費に201兆8791億円が回っている。問題は、日本企業が生み出す「付加価値」そのものが少ない、ということだ。

企業の内部留保を生産性向上に活用するには

 実は、この付加価値を働き手の数で割った、一人当たりの付加価値(「労働生産性」と呼ぶ)はここ数年増えている。2012年度は666万円だったのが2016年度は727万円になった。9%の増加である。人手不足が深刻化する中で、一人ひとりの生産性は上がっているのである。もちろん背景には過酷な残業などが生じているという別の問題もある。

 旧来の日本企業は低い生産性を補うために、潤沢だった雇用を増やすことで付加価値全体を引き上げてきた。それが人手不足になって、雇用を増やすことができなくなり、一人当たりの生産性を上げざるを得なくなっている。この傾向は今後も続く。

 どうやって一人当たり生産性を上げるのか。これまでは働く時間を増やすことで付加価値を増やす方向に動いてきたが、これも限界にきている。過労死などが大きな社会問題になったことで、長時間労働の是正などが急務になっている。

 そうなると、時間を増やすことで付加価値を増やすことは難しくなる。だからこそ、働き方を抜本的に見直すことが不可欠になってきたのだ。

 現状の727万円という一人当たりの付加価値は決して高くない。最大でもこの7割が人件費として分配されるに過ぎない。社会保険料などもあるので、手取りはもっと小さくなる。これでは経済成長の実感など持てるはずはない。

 人手を増やすことが難しい上に、一人ひとりの労働時間も減らさざるを得ない中で、どうやって日本企業は付加価値総額を増やしていくのか。政府が「生産性革命」というのはここにある。個々の企業がより付加価値を生む事業に特化し、生産性の低い事業は切り捨てる。一人ひとりの働き方も思い切って見直し、付加価値を生まない作業はやめ、付加価値を生む作業にだけ時間をかける。端的に言えば、これが生産性革命だ。

 今の安倍首相官邸は、経済産業省出身の官僚たちが政策決定への影響力を握っているとされる。「生産性革命」「人づくり革命」と言った単語も、経産省のニオイがプンプンする。過去何回も経産省がまとめた「産業構造ビジョン」などでも、こうしたキャッチフレーズは繰り返し使われてきた。

 だが、それを実現するために、どんな具体的な政策を取るかとなると、意外と手法は限られている。補助金を出すか、減税するか、である。だが、それでは企業は動かない。設備や人材に投資せず、4年で100兆円も内部留保を増やしてきたのが実情だ。

 企業が付加価値を増やすのは企業経営者の当然の責務である。本来は国が旗振りせずとも、企業が儲かる事業に投資するのは当たり前なのだが、日本はそうなっていない。400兆円を超えた内部留保をどうやって生産性の高い事業への投資に向けさせ、付加価値が増えた恩恵を働き手に還元するようになるのか。選挙の勝敗はともかく、安倍内閣が掲げ続けてきた「働き方改革」を具体的に実行に移す時がやってくる。