「声の大きさ」で決まる診療報酬 医師会の主張を受け入れ「本体」部分引き上げ

日経ビジネスオンラインに12月15日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/121400066/

 増え続ける医療費の削減がまたしても遠のくこととなった。

 政府・与党は、2018年度の診療報酬改定で、薬や医療材料の公定価格である「薬価」部分は1.3%程度引き下げるものの、医師の技術料や人件費に当たる「本体」部分については0.55%引き上げる方針を固めた。財務省の審議会などは医療費の増加を抑えるには「本体」部分のマイナス改定が必要だとしていたが、自民党は有力な支持母体のひとつである日本医師会の主張を受け入れた。診療報酬は2年に1度、見直されているが、「本体」部分の引き上げは6回連続。前回2016年度の引き上げ率だった0.49%を上回ることで、医師会側の「完全勝利」となった。

 診療報酬全体ではマイナス改定になる見通し。もっとも、「薬価」は実勢価格がすでに従来の公定価格を大幅に下回っており、新「薬価」はそれに合わせる意味合いが強い。政府は、2018年度の医療費の自然増加分が6300億円に達すると試算、2015年6月に閣議決定した「2016〜18年度の自然増を計1兆5000億円に抑える」という目安を達成するためには1300億円の「圧縮」が必要だとしてきた。実際には、薬価を実勢に合わせるだけで1500億円の圧縮が実現、薬価の引き下げで「財源」が生まれたとして「本体」部分の引き上げに突き進んだ。

 政府が試算する「自然増」自体が正確かどうか不透明なうえ、実勢から乖離した薬価を引き下げることで、「目安」が達成できたとする姿勢からは、増え続けている医療費を抜本的に圧縮しようという意欲はうかがえない。

 国民医療費は2015年度には42兆3644億円と3.8%、1兆5573億円も増え、過去最高を記録した。国民所得の10.91%が医療費に回っており、日本は世界有数の「医療費大国」になっている。

 国民1人当たりに直すと、33万3300円を使ったことになり、前の年度に比べて1万2200円も増えた。

 にもかかわらず、医療費負担が増えている実感が乏しいのは、国や地方による「公費」負担が大きいことや、健康保険によって、病気にかかっていない健康な人たちも「広く薄く」負担しているためだ。「患者負担」分は国民医療費の財源の11.6%に過ぎない。実際に窓口で医療費を支払っている患者の負担感はそれほど大きくなっていない。これが医療費に対する感覚を鈍らせている、とも言える。

医療費増加を問題視する声が高まらない理由
 公費負担は全体の38.9%に達している。医療費の増加は財政赤字の大きな要因の一つになっている。財政赤字の国は国債発行などに財源を依存しており、ここでも国民が直接「負担増」を感じない仕組みになっている。

 もう一つが保険料による負担。国民医療費全体の48.8%が保険料によって賄われている。うち20.6%が事業主の負担、28.2%が保険をかけている加入者の負担だ。給与明細を見ると、引かれている「健康保険料」の高さにびっくりするが、それでも国民医療費の28%分しか賄えていない計算だ。

 財源の構成を見ると、「国民皆保険が日本の質の高い医療を支えている」という主張はもはや成り立っていないことが分かる。保険では5割しか賄えていないのだ。自己負担を加えても6割である。その一方で、加入者に「薄く広く」負担を求めていることから「負担感」が実際よりも低い。国民皆保険制度は、恒常的に医療費を増やし続けるための制度、と言っても過言ではない。

 今回決まる来年度の診療報酬改定でも「自然増」の5000億円を賄うために、当然、ほぼこの割合で負担が増えることになる。保険料の引き上げで2500億円近くを賄うことになるが、そのうち1000億円は事業主負担、つまり企業が負担する。残りの1500億円は保険者の負担、つまり保険料が引き上げられることになる。

 広く薄く負担する保険料の値上げは月にすればわずかだから、今回の診療報酬改定に国民の怒りは向かない。かくして、医療費の増加にも歯止めがかからないことになるわけだ。もちろん、公費負担も、いずれ増税の形で国民の負担に回ってくるが、すぐに負担が増えるわけではないので、医療費増加を問題視する声は高まらない。

 一方で、医師の人件費引き上げは当然だ、という声も根強くある。特に勤務医の労働環境は劣悪で、不眠不休で働いている、というのだ。人件費を増やさなければ医師が確保できない、という悲鳴も聞こえる。「働き方改革を言うなら、医師の働き方も考えて欲しい」と医師会の幹部は言う。確かに一理あるようにも聞こえる。

 だが、医師が忙しいのは診療報酬が安いからではない。懸命に働いている医師に報いるべきだという「情」に訴える主張も分かるが、診療報酬を増やしたからといって、それで医師の働き方が改善されるわけではない。

 もし医師が足らないのならば、もっと医学部を増やして医師を養成するのが筋だが、医学部新設には医師会は反対だ。医師の人数を増やすことにも基本的に反対するのは医師の側である。医療費総額が変わらないのなら、医師の人数が増えると1人当たりの取り分は減る。競争は「質の低下」につながるからと反対である。

 市場原理が働くならば、医師の数が足らなければ、価格が上がる、というのが経済学の原則だ。だが診療報酬という「公定価格」と、「国民皆保険」という誰でも同一に医療が受けられる建前の仕組みによって、どんどん総額だけが膨らんでいく。もはや国民医療費の増加は止められなくなっている。

政治献金に姿を変える国民医療費
 今の仕組みの中で、医療費の増加を止められるとすれば、それは「政治力」しかないだろう。財務省の審議会が打ち出した「本体部分のマイナス改定」を政府・与党が本気で取り上げれば、マイナス改定が実施できたはずだ。しかも安倍晋三内閣はかつてない「強力な」リーダーシップを握っている。

 ところが、安倍内閣は、医療費の削減に本腰を入れることはなかった。それどころか本体部分を大きく増やすという逆の政策をとった。

 なぜか。それは、診療報酬改定を巡る「声の大きさ」の違いだろう。

 「医療費、政界へ8億円 日医連が最多4.9億円提供」――。12月1日付けの東京新聞にはこんな見出しが躍った。医療や医薬品業界の主な10の政治団体による、2016年の寄付やパーティー券購入などが、計8億2000万円に上ったというのだ。政治資金収支報告書に記載された国会議員や政党への「政治資金」で日本医師会政治団体である日本医師連盟(日医連)が約4億9000万円と最多だった、としていた。

 「医療費が政界へ」というのは、医療費として公費や健康保険から医師に支払われているおカネが、回りまわって政治献金となり、政治家や政党に渡っているという意味だ。

 日本医師会自民党の有力な支持母体のひとつである。自民党の政治家個人や党支部の支援でも「医師」による高額寄付が少なくない。自民党への医師会の影響力は間違いなく強い。診療報酬の「本体部分」の引き上げは、彼らの利益に直結する。それだけに、医師会や医師からの引き上げを求める声は強い。

 一方で、前述の通り、引き上げた場合に負担が増える「国民」の声は小さい。もちろん有権者で選挙時には生殺与奪を握る人たちだが、総選挙も終わっており、しばらく選挙はない。それよりも、診療報酬の引き上げを実際の「負担増」と感じる人たちが少ない仕組みの中で、自民党政治家に「診療報酬引き上げはけしからん」と迫る有権者はほとんどいない。

 この医師と国民の「声の大きさ」の違いが、医療費の増加に歯止めがかからない根本的な原因とみることができそうだ。