精神を病んだ社員の労災申請が急増 いま「日本の職場」で何が起きているのか

日経ビジネスオンラインに7月13日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/071200071/


精神障害の労災補償件数の推移(出所:厚生労働省)


職場のストレスによる自殺が増える
 職場で精神を病む社員が急増している。厚生労働省が7月6日に発表した2017年度の「過労死等の労災補償状況」によると、「精神障害等」で労災を申請した件数が1732件と前年度に比べて146件、率にして9.2%も増加した。そのうち、未遂を含む自殺による請求は前年度比23件増の221件と、1割以上も増えた。

 労災申請は、かつては脳疾患や心臓疾患などによる申請が多かったが、2007年ごろから精神疾患がこれを上回っている。2017年度は「脳・心臓疾患」による申請は840件で、「精神障害等」はその2倍以上になった。職場での過度のストレスによって精神を病むケースが大きく増えている様子がわかる。

 今国会では安倍晋三内閣が最重要法案と位置付けてきた「働き方改革関連法」が成立。残業時間に罰則付きの上限が設けられるなど、長時間労働の是正が動き始めた。だが、職場での精神障害は、必ずしも労働時間だけに連動するものではない。過度のストレスを生じさせない本当の意味での働き方改革に本腰を入れないと、精神障害の激増に歯止めはかかりそうにない。

 労災申請のうち、厚労省が労災として「認定」した件数も増えている。2017年度の精神障害での労災認定は506件で前年度に比べて8件増加。中でも未遂を含む自殺が98件と、前年度に比べて14件も増えた。職場のストレスによる自殺が大きく増えているわけだ。

 労災認定されるには業務との因果関係が重視されるなどハードルが高く、労災申請や労災認定で明らかになる件数は氷山の一角とされる。日本の職場ではメンタルを病む社員が増え続けている。いったい日本の職場で何が起きているのだろうか。

 この調査はいわゆる「過労死」が問題になって厚労省が公表し始めた。過重な労働によって脳疾患や心臓疾患を発症したり、それが原因で死亡したりした件数を集計している。

 「脳・心臓疾患」で労災認定された249件と、時間外労働時間には明らかに相関関係がある。残業時間でみると「80時間以上から100時間未満」が101件と最も多く、次いで「100時間以上120時間未満」が76件、「120時間以上140時間未満」が23件となっている。80時間未満で認定されたのは13人だけだ。

長距離ドライバーの過労が深刻
 今回通過した働き方改革法でも、残業時間の上限を2〜6カ月の平均で80時間以内、単月の上限は100時間未満としているが、現状でもこの水準を上回れば「過労死」「過労疾病」と認めているわけだ。

 「脳・心臓疾患」で支給決定された人の職種を見ると、89件で最も多かったのが「自動車運転従事者」。長距離トラックのドライバーなど、人手不足もあって慢性的な長時間労働となっている。2位の「法人・団体管理職員」が21件なので、いかにドライバーが過労によって病気を発症しているかがわかる。

 請求件数でみてもドライバーが圧倒的に多く、2017年度は164件の申請が出されトップだった。

 一方で、精神障害で労災認定された人は、必ずしも長時間労働の人だけではない。最も多いのが残業「20時間未満」の75人だった。「100時間以上120時間未満」が41人、「160時間以上」が49人と、長時間労働による認定者が少ないわけではないが、すべての時間区分で30人前後が労災認定されている。自殺者の数もほぼ全残業時間区分で大差はない。

 支給決定に当たっては、精神障害に結びついたと考えられる「出来事」も調査しているが、「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」が88件、「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」が64件と多かった。申請では「上司とのトラブルがあった」や「配置転換があった」とするケースが多かった。

 職場の人間関係や、仕事内容の大幅な変化が、ストレスになり、精神疾患へと繋がっている様子がわかる。

 「精神障害」での労災申請が最も多い業種の上位は「医療・福祉」で、「社会保険社会福祉・介護事業」に携わっていた人が174件、「医療業」に携わっていた人が139件に上る。実際に認定された人のトップは運送業で45件だったが、「医療業」「社会保険社会福祉・介護事業」が各41件でこれに次いだ。医療や介護の現場も人手不足が深刻で、人間関係などが大きなストレスになっている様子が浮かび上がる。

 もっとも、決定件数を職種別に見ると、「一般事務」から「自動車運転」「情報処理」「商品販売」「飲食物調理」「保健師助産師・看護師」「接客給仕」など多岐にわたる。「脳・心臓疾患」のように、トラック運転手の長時間労働が圧倒的に多い、といった明確な傾向は見られないのだ。つまり、どこの業界、どこの職種でも精神障害による自殺や疾病が発生しかねない状況にあると言ってもいいだろう。

 おそらく、今回の「働き方改革関連法」による残業時間の規制は、「脳・心臓疾患」の労災を減らす効果はあるに違いない。原因になっている長時間労働を禁止するわけだから、物理的な「過労死」は減っていくだろう。

労災認定された自殺者で女性は少ない
 だが、精神的に追い詰められて「過労自殺」するような精神障害は、労働時間の規制だけでは大きく減らないのではないかと思われる。

 精神障害の労災補償状況で目を引くのは自殺者のうち女性の比率が極端に小さいことだ。過労自殺の申請221人のうち女性は14人。労災認定された自殺者98人中女性は4人だけだった。一方で、精神障害全体の請求件数1732件のうちでは女性は689人にのぼっている。

 おそらく女性の方が職場でストレスを感じると、早期に退職するなどその場から離れているケースが多いのではないか。一方で、男性社員は職場の人間関係や職務の重圧から簡単に逃げ出すことができず、自殺するまで追い詰められていると考えられる。日本の職場がまだまだ「男社会」の色彩が強く、職場の上下関係などに悩む男性社員を横目に、女性は早い段階で職場を見限っているのかもしれない。

 これは就労形態別のデータにも現れている。精神障害の労災決定件数506人のうち、「正規職員・従業員」が459人にのぼり、派遣労働者やパート・アルバイトは件数が少ない。特に自殺者は98人中95人が正規雇用だ。つまり、正社員ほど職場の状況から逃げられず、追い詰められている、ということだろう。

 「働き方改革」では、長時間労働の是正や同一労働同一賃金に焦点が当たった。本来は、ライフスタイルにあった多様な働き方を認めていく社会に変わっていくことが目的なのだが、まだまだそこまで議論が及んでいない。

 1つの会社に入ったら、一生その会社で働くという「年功序列・終身雇用」の中で働く場合、上司との人間関係などはそう簡単には変わらず、一生同じ職場環境で過ごすことが前提になる。そうした会社では、ライフスタイルに合わせて働き方を変えたり、上司との人間関係を見直すことは極めて難しい。いったん精神的に追い詰められると、そこから逃げ出すことができなくなってしまうわけだ。

 副業や複業が当たり前になれば、もっと自分のライフスタイルに合わせた働き方になり、自らの専門性を活かして働いていくことができる。転職可能な専門スキルを身につけていれば、職場環境に耐えられなくなった場合、そこから逃げ出すことも可能になる。

 また、日本の会社の働き方が、正社員として採用されれば、あとは辞令1枚で、職種も勤務地も変えられるような「メンバーシップ型」から、専門性を持った「ジョブ型」に変わっていけば、突然、仕事の内容が変わったり、自分の専門外の仕事を振られることもなくなっていく。不必要なストレスを受けないで済む雇用の仕組みに変えていくことが、職場の精神疾患をこれ以上増やさない切り札になるに違いない。今こそ、本当の意味の「働き方改革」に日本の会社は取り組むべきだろう。