生産者をリスペクトする世界最高品質のコーヒー

雑誌Wedgeに連載中の「Value Maker」がWedge Infinityに再掲載されました。ご覧ください。オリジナルページ→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15171

 

 2001~03年に起きた「コーヒー危機」は、川島良彰さんがサステイナブル・コーヒーの必要性を考えるきっかけとなった。これが「世界最高品質のコーヒーを追求する会社」の立ち上げにつながった。

 その年、コーヒー価格は国際相場で生産コストの約半分まで大暴落したのである。そのため、世界のコーヒー生産者が壊滅的な打撃をこうむり、収入の激減で借金まみれになって土地を取られ、子どもを学校に通わせられないといった事態が発生した。

 原因はコーヒーの世界に投資ファンドが参入したこと。国際相場を見て売り買いされるマネーゲームの対象になった結果、実際の需要から乖離(かいり)して相場が乱高下した。その反動が襲ったのだ。

 「このままでは生産者が食べていけず、コーヒーの品質や生産量も下がり、そのしっぺ返しが必ずある」

 そう川島さんは危機感を抱いた、という。
 
どうすれば、それを回避できるか。18歳から中南米に渡って生産者の苦労を知り尽くした川島さんの答えは明確だった。

 「国際相場に関係なく、コーヒーの品質に対してきちんと価格を設定し、継続的に生産者から直接仕入れる仕組みを作ればいい」

 コーヒー生産者から直接買い付ければ、国際相場に振り回されずに、生産者の収入は増える、というわけだ。だが、いわゆる「フェア・トレード」とは違う。何でもコスト以上で買うというのではなく、良いものを作ればその対価が支払われる。生産者が品質向上に努力すれば、収入が増える「ビジネス」の仕組みだ。

 さっそく当時勤めていたUCC上島珈琲で企画を上げた。だが、あっさり却下される。

 無理もなかった。コーヒーは国際相場で商社が買い付けたものを仕入れるのが当たり前。生豆の品質で価格を相対(あいたい)で決めるというのは、従来の業界慣行に反旗を翻すに等しかった。

 結局、川島さんは会社を辞めて08年に起業する道を選ぶ。「ミカフェート(Mi Cafeto)」の誕生だった。

 ミカフェートではコーヒーを品質によってグレード分けすることから取り組んだ。

 「コーヒーはフルーツなんです。同じ農園でも畑の土壌や日照時間で味はまったく違う」と川島さんは言う。

 優良農園の中でも最も環境の整った特級畑の完熟豆を、収穫の最盛期に収穫し、厳選する。そうした「最高級」と言えるコーヒーは農園の全収穫量の0・3%にも満たない。

 最高級ランクは「グラン クリュ カフェ」と命名した。フランス・ワインの最高級と同じである。

18歳でエルサルバドル

 川島さんは静岡のコーヒー焙煎卸業を営む家の長男として生まれた。コーヒーの香りと共に育ったと言ってもいい。コーヒー栽培の現場に行きたい一心で、1975年、18歳でエルサルバドルに渡り、国立コーヒー研究所に入った。その後、内戦が勃発、米国に避難していた81年にUCC上島珈琲の上島忠雄会長(当時)にスカウトされる。同社がジャマイカやハワイで取り組んだコーヒー農園の開発に携わった。コーヒー栽培を続けて4~5年たったある日、「コーヒーはフルーツなんだと気付いた」のが、品質でコーヒーを売るというアイデアの原点だった。

 川島さんが日本を後にした頃、ワインはまだまだ嗜好品としての地位を確立していなかった。バブル期を越えて、ワインは広く日本社会に浸透。産地やぶどうの品種、収穫年度などで価格が大きく違うのが「当たり前」になった。ところが、コーヒーは逆の道を歩む。街にあったこだわりの喫茶店が地上げされて姿を消し、名ばかりの嗜好品という飲み物になってしまった。水をあけられたワインへの挑戦。それがコーヒーに「グラン クリュ カフェ」というグレードを付けた川島さんの思いだった。

 ところが、08年に開業したミカフェートは、試練に直面する。販売を開始した11月1日は、リーマンショックの直後。高額品のみならず消費が一気に冷え込んだ。2年間、貯金を取り崩して耐えたが、その時、父親に言われた言葉が今も忘れられない、という。

 「こんなうまいコーヒーは飲んだことがない。ここで生き残れたら本物になれる」

1杯当たり3万円程度

 高い値段を払う価値があるコーヒーだと、分かってもらえるようになったきっかけは、高級ホテルのワインスクールに通う人たちとの出会いだった。コーヒー通ではなく、ワイン通の人たちがミカフェートを世に広めてくれたのである。次にお客さんになったのが葉巻愛好家。コーヒーを嗜好品と見てくれたのである。そんな時、日本航空がファースト・クラス用に「グラン クリュ カフェ」を採用する。これが「ミカフェート」を世に知らしめる大きなきっかけになった。

 品質にこだわる川島さんは、コーヒーの輸送方法も変えた。日本で流通しているコーヒーの大半は通常のドライコンテナで運ばれる。赤道直下では高温になり品質の劣化は避けられない。ミカフェートのコーヒーは温度を一定に保てるリーファーコンテナを使い、「グラン クリュ カフェ」は空輸する。

 生豆の保管方法を確立し、世界で初めてコーヒーのビンテージ化にも成功した。焙煎した「グラン クリュ カフェ」は香りを逃さないようにシャンパンボトルに密封されて販売される。1本100グラム(約5杯分)で、15万円するものもある。1杯当たり3万円程度だ。

 「グラン クリュ カフェ」のコーヒーができる畑には必ず毎年川島さんが足を運ぶ。現在6カ国9つの農場で収穫したものを「グラン クリュ カフェ」として取り扱っている。特級だった畑でも、品質が悪ければ、その年は発売しない。

 「プルミエ クリュ カフェ」というカテゴリーは、優良農園の中の一級畑だけで穫(と)れた最高クラスのコーヒーだ。 畑の選別、栽培から収穫、精選、輸送、保管の全行程に設けたミカフェートの品質基準を全てクリアしたものに付けられる。

 川島さんは、農家と話し、お互いの考え方に共鳴しなければ取引を始めない。「生産者とはフィフティ・フィフティ(対等)ですから」と川島さんは言う。

 年商12億円になったミカフェートの売り上げの7割は、卸販売になった。川島さんのスタイルに共鳴したホテルやレストランなどに販売している。個人経営のコーヒー店にも卸すが、取引開始前に必ず川島さんが面接する。コーヒーを売買する関係を超えて、生産者に利益をもたらしコーヒー栽培を持続させるための「価値を生み出す同志」を広げるための関門なのだろう。