モノからコトへ、イタリアの逸品にほれ込んだ日本人の挑戦

Wedge (ウェッジ)8月号(2019年7月20日発行)掲載の「Value  Maler」です。

 

 

 イタリア北西部のピエモンテ州バローロバルバレスコといったイタリアを代表するワインの銘醸地である。緩やかな大地のうねりを覆うようにブドウ畑が広がり、レンガ色の古城や教会、農家が点在する景観は、世界遺産にも指定されている。

 そんなピエモンテで、ひとりの日本人がブドウ畑を買い、ワインづくりに乗り出した。佐々木ヒロト(裕人)さん。イタリアに惚れ込み、住み始めて22年になる。ワインを中心にイタリアのこだわりの逸品を、日本に紹介する「アニマ」という会社を興し、イタリアと日本の橋渡し役を務めてきた。

 根っからのワイン好き。いつの日か自分自身でワインを造りたいと思い描いてきた。その夢がついに現実になろうとしている。

 3500平方メートルのぶどう畑が付いた農家を手に入れたのは2017年末のこと。丘の上にある古い農家の建物を全面改装しながら、斜面に広がる畑のブドウの世話をする。除草剤は使わず、化学肥料も与えない自然栽培。病気予防も伝統的な自然由来の薬剤を使うだけ。雑草を刈り取る作業は重労働だ。ワインにして2000本分ぐらいのブドウが収穫できる。

 昨秋、実験的に栽培・収穫したブドウは、醸造容器に入れ、友人の蔵で寝かせている。栽培するブドウの品種は主としてモスカート。一般的な甘みを残す醸造法ではなく、ドライな仕上がりを目指す。

 「イタリア人は職人気質で、モノづくりで妥協しないんです」と佐々木さん。イタリア各地の生産者を訪ねて、モノづくりへの「思い」を聞き、貿易業者を通じて日本の消費者にストーリーと共に伝えていく。その価値を知る消費者とつながり、安定的に売れるようになれば、生産者は価格勝負の安売り競争に巻き込まれずに済む。

 「適正な価格を払って良いもの、安全なものを手に入れたいという日本人はまだまだ多い」と佐々木さん。ワインのほか、オリーブオイルや醸造酢、生ハムなどを日本の輸入業者につなぐ。

 イタリア北東部フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州のダミアン・ボドヴェルシッチ氏のワインと出会ったのは衝撃的だったと佐々木さんは振り返る。01年のことだ。「飲むと笑顔になる、幸せになれるワインだと思った」と語る。

 買い付けの交渉をしに畑を訪れた。ボドヴェルシッチ氏のワイン造りは、ブドウ栽培から徹底していた。果実の中の種が完熟しないと収穫しないのだ。もう樹から果実がこぼれ落ちるその間際に収穫する。天候が荒れればいっぺんにブドウをダメにしかねない。そんなリスクを負って最高の状態のブドウからワインを造ろうとしていた。

 今でも日本の輸入業者の紹介には「畑での仕事量こそが、ワインの根幹を成す」という彼の言葉が載っている。それほど真剣にブドウ作りに向き合っている生産者だ。

 話を持ち掛けると、1日違いで別の輸入業者との契約が成立していた。佐々木氏はボドヴェルシッチ氏のワインとの出会いがどれだけ感動的だったかを語り、機会があれば買い付けたいと伝えて帰る。それから7-8年後のこと。「お前とやりたい」と連絡が入る。

 初め無名に近かったボドヴェルシッチ氏のワインは今や、誰もが欲しがるワインになり、東京の酒販店でも人気商品になった。

 

本物を扱いたい

 佐々木さんは初めからイタリアに移住するつもりだったわけではない。1965年、東京・八王子で生まれた。学校を卒業後アパレル会社に入ったが、担当していた海外ブランドの契約が切れたのを機に退職、ニュージーランドへワーキングホリデー(WH)に出る。いずれ海外に住みたいという夢はこの頃芽生えた。WHが終わった後も働いたが、将来展望が描けずに帰国、建設業で設計の仕事に就く。その間、休みを利用しては海外を訪ねた。

 そんな時、イタリアに出会う。趣味のスキーが楽しめる場所で、食べ物が美味しい国。もともとイタリアワインも大好きだった。97年、シエナ大学でイタリア語を勉強、翌年からローマのJTBで働き始めた。日本からやってくる取材者の調整やアテンドなどが仕事だった。そんな中で、イタリアの逸品を日本に紹介する仕事に傾斜していく。2002年、友人らと会社を立ち上げたのだ。

 佐々木さんは、イタリアの生産者たちの「思い」にハマっていく。とにかく「自然」を大事にし、安全な栽培を目指す農家。そうして作られた作物は味わい深い。ブドウばかりでなく、季節の野菜はとにかく美味しい。貿易会社として販売数量の拡大を狙うのではなく、自分の考えに合った「本物」だけを取り扱いたい。12年に佐々木さんは自分ひとりで「アニマ」を設立した。

 実は、現在改装中の農家の建物を使って、もうひとつ実現させたいことがある。アグリツーリズモを始める計画なのだ。農業と観光を合わせたアグリツーリズモは、欧州で人気の旅行スタイルで、農家で1週間から2週間の長期滞在をする体験型のバカンス。農家での収穫体験や加工品の製造、近隣のサイクリングやハイキングなどを楽しむ。プールが備えられているところもあり、のんびり日光浴や読書をする。

 ピエモンテでもアグリツーリズモは盛んだ。グルメの佐々木さんが食事に通う農家のレストランは、どこも絶品ぞろいだ。自分の畑で収穫した野菜をふんだんに使い、地域の豚肉や加工品を使った料理を出す。もちろん、ワインはピエモンテ産だ。

 佐々木さんのアグリツーリズモでも、自然な自家製ワインに加えて、地域の食材を使ったピエモンテ料理を出すほか、日本食もウリにしたいという。「日本からの長期滞在客や、イタリアの旅行者が集まる文化交流拠点にしたい」というのが佐々木さんの夢だ。

 改築中の建物は今年1月に作業が始まったが、「イタリアでは2年かかるか3年かかるか分からないと言われる」と佐々木さんは笑う。オープン時期を決めて焦ることはしない。もっとも、予想以上のペースで工事が進んでおり、20年の夏にはアグリツーリズモが開業できるかもしれないという。

 「アグリツーリズモまで実現できそうなのは、妻に背中を押されたおかげです」と佐々木さん。宮崎を拠点に地域おこしを手掛ける宮田理恵さんと昨年、再婚。それを機にプロジェクトが一気に進んだ。

 アグリツーリズモや加工品の製造などいわゆる「六次産業化」を行うための法人「Azienda Agricola Lieto(アズィエンダ・アグリコラ・リエート)」を立ち上げて、ピエモンテ州に税制優遇のある「農業法人」の設立を申請・認可された。法人の代表は理恵さんだ。

 イタリアの逸品という「モノ」を日本に輸出することで両国の架け橋になってきた佐々木さん。今度は体験という「コト」を通じて、人と人を結び付ける。国境を超えた挑戦が新たな価値を生み出すことになりそうだ。