最低賃金、初の1000円突破は 日本経済にプラスかマイナスか

 ビジネス情報誌「エルネオス」9月号(9月1日発売)『硬派経済ジャーナリスト磯山友幸の《生きてる経済解読》』に掲載された原稿です。是非お読みください。

エルネオス (ELNEOS) 2019年9月号 (2019-09-01) [雑誌]

エルネオス (ELNEOS) 2019年9月号 (2019-09-01) [雑誌]

 

 

今年も十月から最低賃金が引き上げられる。最低賃金は年に一度、十月に見直されているもので、厚生労働省中央最低賃金審議会が決めた「目安」に従って、都道府県ごとに地方の審議会が最低賃金(時給)を決める。
 これまで全国加重平均八百七十四円だったものが、二十七円引き上げられ、九百一円になる。引き上げ率は三・一%で、二〇一六年以降、四年連続で三%超が続くことになる。中でも注目されたのは、全国で最も高い東京と、それに次ぐ神奈川で、それぞれ一千十三円、一千十一円と、全国で初めて一千円の大台に乗せた。
 最低賃金の引き上げは、パートやアルバイトの時給などに、すぐに反映される。最低賃金を下回る時給での求人はできないため、店頭に貼られる募集チラシは書き換えられることになる。また、月給制で働いている人も、時給に換算して最低賃金以下になるような給与は法律違反になるため、賃上げされることになる。給与水準が低い中小企業などで、賃金の底上げを促すことになるわけだ。
 給与をもらう働き手にとっては、何ともありがたい仕組みだが、こうした最低賃金の引き上げに真っ向から反対する声もある。
 日本商工会議所全国商工会連合会全国中小企業団体中央会といった中小企業経営者の集まりである。政府が今年の最低賃金の検討に入る直前の今年六月、連名で「要望書」を提出した。そこにはこう書かれている。
「大幅な引上げは、経営基盤が脆弱で引上げの影響を受けやすい中小企業・小規模事業者の経営を直撃し、雇用や事業の存続自体をも危うくすることから、地域経済の衰退に拍車をかけることが懸念される」
 最低賃金の引き上げは、日本経済にマイナスだというのだ。

賃金上昇が消費を底上げし
経済にプラスに働くという方針

 一方で、政府の立場はまったく逆だ。
 第二次安倍晋三内閣以降、安倍首相は「経済好循環」を掲げ、賃金の引き上げを経済界に求めてきた。アベノミクスによって円高が修正されたことで、企業収益は過去最高になったが、その恩恵を従業員に賃上げの形で分配し、それが消費に回って再び経済を底上げするという「好循環」が必要だとしてきたのだ。「官製春闘」と言われながらも、財界首脳に賃上げを直接要請することでベースアップが実現。一八年の春闘では「三%の賃上げ」という目標数値を首相自ら訴えた。
 こうした財界首脳への呼びかけは大企業での賃上げには貢献したが、日本の企業の大半を占める中小企業にはなかなか届かない。経済の底上げの役割を担っているのが最低賃金の引き上げなのだ。つまり、最低賃金の引き上げは消費の底上げにつながり、日本経済にはプラスに働くというのが、安倍内閣の基本スタンスなのである。
 中小企業団体が、政府が「三%」という引き上げ目標を掲げることに反発している一方で、「三%」では不十分だという主張もある。
 経済財政諮問会議の民間議員を務める新浪剛史サントリー社長は、最低賃金について、全国平均三%の引き上げというここ数年の引き上げ率にとどまらず、五%前後の引き上げが必要だとしている。低迷が続く個人消費の底上げに最も効果があるというのが新浪氏の意見だ。これに対しては、菅義偉官房長官も理解を示し、諮問会議の席上でも支持する意見を述べていた。
 果たして、最低賃金の引き上げは景気にプラスに働くのか、マイナスに働くのか。
 足元の消費は芳しくない。十月に消費税増税が控えているが、「駆け込み」消費が思ったほどに盛り上がっていない。
 一四年の消費税増税以降、消費は低迷を続けてきた。その理由はさまざま言われているが、背景に可処分所得、つまり使えるおカネが年々減っていることがあるのは間違いない。
 確かに大企業を中心に賃上げなどが行われているが、一四年の消費税増税だけでなく、社会保険料率の改定が続いてきた。厚生年金や健康保険料は給料に保険料率をかけて納付金額が決まるので、給与が増えたら自動的に保険料も上昇する。さらに、出国税や森林環境税など新しい税金も導入され、所得税も控除の見直しなどで増税が続いている。

多くの地方でワーキングプア
容認してしまっている現状

 一方で、政府がデフレ脱却に旗を振っていることから、物価もジワジワと上昇している。輸入品を中心に、食料品などは統計以上に値段が上がっている印象だ。
 特に、若者世代の平均所得は年々減少、「ワーキングプア」という言葉が定着している。
 政府は、最低賃金の加重平均で早期に一千円を目指す方針を示している。この一千円という数字には理由がある。働き手が一日八時間、週四十時間、年間五十二週働いた場合、「ワーキングプア」のラインとされる年収約二百万円を稼ごうとすると、時給換算で約一千円になるのだ。つまり、現状の多くの地方の最低賃金では、ワーキングプアを容認していることになってしまうのである。
 全国で最も最低賃金が高くなるのは東京都で一千十三円になるが、最も低いのは鹿児島県など十五県の七百九十円だ。
 当初、厚労省が示した二十六円引き上げという「目安」に従えば、昨年、単独最下位だった鹿児島県は七百八十七円で今年も最低になるはずだった。だが、「最も最低賃金が低い県」という不名誉を返上するため、目安より三円多い二十九円の引き上げを行った。東京や神奈川の引き上げ幅が二十八円だったので、それを上回る引き上げをしたのだ。
 この結果、最低ラインには十五県が並び、最高の東京と最低十五県の格差は二百二十三円と、一八年の二百二十四円から一円縮小した。長年、格差が拡大し続けてきたものが、十六年ぶりに縮小することとなった。
 鹿児島が全国最下位の汚名を返上したかったのは、最も最低賃金が低いというイメージが広がることで、働き手が隣県に流れるという「実害」が懸念されていたからだ。九州や東北、山陰などの県では、「目安」を上回る引き上げをした県が多かったが、地方のほうが人口減少が著しく、人手不足が激しいという事情がある。
 最低賃金の引き上げをきっかけに、賃上げが広がり、可処分所得が増えて、消費税増税の影響が吸収されることを祈るばかりだ。