WEDGE10月号から始まった新連載「Value Maker」の1回目です。
1本8万8000円の日本酒(750ミリリットル、税別)が評判を呼んでいる。「夢雀(むじゃく)」。山口県の創業支援などを受けて設立されたARCHIS(アーキス)というベンチャー企業がプロデュースして2016年に生み出した。ターゲットはロマネ・コンティを買うような世界の富裕層だ。
ビンテージ日本酒は作れないだろうかーー。アーキス副社長で夢雀プロジェクトの責任者である原亜紀夫さんの思いつきから話は始まった。
日本酒といえば、その年獲れた米を原料にした新酒を飲むのが一番というのが半ば常識である。年によって米の出来に良しあしはあるが、だからといって17年産の日本酒を保存しておこうということには普通はならない。時に古酒というのも出回るが、変色し味も日本酒からかけ離れていく。古ければ珍重されるというものでもない。
この点、ワインとは違う。ワインはぶどうの出来によって年ごとに評価され、価格も付く。いわゆるビンテージものである。それを日本酒で実現できれば、日本酒の付加価値が大きく高まり、業界が成長するのではないか。
そんな事を考えている時に、岩国の錦帯橋(きんたいきょう)が架かる清流錦川をさかのぼった小さな町、錦町にある酒造会社堀江酒場の杜氏・堀江計全(かずまさ)さんと出会う。「金雀」というブランドで低温で長期熟成させる日本酒を開発していたのだ。堀江酒場は江戸中期の1764年創業。家伝の技術を守りながら、新しいものに挑戦していたのだ。原さんは堀江酒造に醸造を委託することを決める。
原さんが選んだ酒米は一般的な山田錦ではなく、イセヒカリという品種。1989年に伊勢神宮の神田で偶然発見された。その年、伊勢地方は二度、台風に襲われたが、コシヒカリが完全に倒れた中で二株だけ立ち上がったのがこの苗だった。後にイセヒカリと命名され、それが山口県で栽培され続けていたのだ。「嵐にも耐えた奇跡とも言える神酒米は世界一の酒造りにふさわしい」。そう原さんは思ったという。
ところが酒を造ってみると、通常の作り方では辛くて旨くない。思い切って18%まで磨いてみたところ、一気に味が変わったのだという。「今までにない華やかで味わいの深い酒ができた」という。しかも、堀江杜氏の技術で、この酒は長期熟成してもほとんど色が変わらず、劣化しないという。
減農薬、有機農法で育てた2015年産のイセヒカリを使って2016年に純米大吟醸の「夢雀」を発売した。
問題は価格だった。イセヒカリは山田錦に比べて面積当たりの収量が少ない。しかも、「農家にも儲けてもらうため」(原さん)山田錦よりも高値で買い取った。実は、アーキスという会社は社長の松浦奈津子さんが行ってきた古民家再生など地域おこしを主体とする活動から生まれた。自分たちだけが儲けることを第一義にしていない。
その精魂込めて契約農家が作ったイセヒカリを今度は18%まで磨いたため「原料費は通常の酒の4倍にはなっている」と原さんは言う。しかも粗製乱造しないため、1000本限定とした。
「1本18万円にしたいがそんな高額の日本酒は前例がない。かといって1万8000円では大赤字になる。ならば8万8000円にしよう、と決めました」と原さん。数字の8にこだわったのは「八」が「末広がり」で吉数だから。日本的な験担ぎである。
「その値段でどこで売れるんですか」 行政も、酒蔵の関係者も、ことごとく反対した。
いったい、どこで売るのか。原さんは日本国内で売る気はさらさら無かった。まずは香港。そしてドバイ。世界の大富豪が集まる場所で売ろうと考えたのだ。
原さんはかつて商社に勤めていた時代の人脈などを頼りに、直接売り込みにかかった。
イセヒカリを18%にまで磨き込み、蒸し米とこうじ米を通常とは異なる比率で混ぜた「夢雀」は、日本酒とは思えないフルーティーな味わいで、まさに「ライスワイン」と呼ぶにふさわしい。もちろん、ワイングラスに注ぐが、その芳醇な香りは華やかだ。海外のワイン通をうならせた。「これは本当にサケなのか」。
日本酒の4合瓶は720ミリリットルだが、シャンパンをモチーフに750ミリリットルの深い青色の瓶にした。ラベルは伊勢神宮の神田で発見されたイセヒカリのイメージから、お札(ふだ)のようなタテ型にした。外国人が親しむ「洋」の形に、日本の伝統的な「和」のテイストを織り交ぜたのである。
結果は上々だった。香港のマンダリンオリエンタルやドバイのアルマーニホテルなど高級ホテルが買い入れた。また、香港の酒販会社のオーナーからまとまった注文も入った。
ビンテージならではの「売り方」にもこだわっている。
シリアルナンバーをつける
数量限定でシリアルナンバー入りとしたのだ。購入希望を受け付ける際に、誰が購入したかをすべて把握、商品には鑑定書を付けて発送する。手に入らない限定品ではしばしば空き瓶が取引されたり、偽物が出回ったりする。それを防ぐ狙いもあるが、狙いは「夢雀の価値の劣化を防ぐ」ためだという。
「夢雀」の2016年ものはその後、10万8000円で販売していたが、ほとんど在庫がなくなったため、販売を取りやめた。8万8000円で売り出したものが、時と共に希少性を増し、価格が上昇していく。これこそ、原さんが思い描いた「ビンテージ」の姿だ。
17年物はコメの出来が悪く、酒の製造を見送った。今販売しているのは18年物である。今年も米の出来さえ良ければ、仕込みが始まる。
富裕層の世界では、ワインは飲んで楽しむ物であると同時に投資の対象でもある。瓶詰直後にまとめ買いをして自分のワインセラーで熟成させておけば、いずれ時と共に価値が増していく。日本酒もそうした世界標準の「買われ方」をするようになれば、まだまだ需要も増え、価格も上昇する。世界に通用する本当に良いものを作れば、価格は天井知らずだ。
「いずれ、ロマネ・コンティの横にライスワイン(日本酒)のビンテージものが並ぶ時代が来ればいい」と原さんは夢を膨らませている。
戦後長い間、日本企業は「良いものを安く売る」ことが使命だと考えてきた。確かにモノの足りない時代はそれで人々の生活が豊かになり、日本全体を成長させてきたのは間違いない。
ところが日本がモノ余り、カネ余りの時代に突入して長い時間がたつ。いわゆるデフレの時代だ。確かにものは溢れたが、企業は儲ける術を失い、人々は低賃金に喘いでいる。
そこから脱出して、再び経済を成長させるには、より良いものを高い値段で売る「高付加価値経営」が不可欠だ。
ここでは、最高のものを高く売る商品開発や販売の仕組みなどに挑む全国各地の取り組みを取り上げていく。