報酬1億を"カネの亡者"と呼ぶ官僚の理屈 "ゾンビ企業"を助けたかった経産省

プレジデント・オンラインに1月11日にアップされた拙稿です。オリジナルぺージ→https://president.jp/articles/-/27243

「高額報酬に政治がストップ」という構図のウソ
2018年の年末も押し詰まった12月28日、官民ファンドの産業革新投資機構(JIC)は、田中正明社長ら民間出身の取締役9人が一斉に退任した。前身の産業革新機構(INCJ)を引き継いでJICが発足してわずか3カ月、経済産業省と田中社長の対立が表面化して1カ月で、JICは事実上、空中分解し、休止状態に陥った。

「いまだに経産省の幹部が、高額報酬にこだわり続けた田中氏らはカネの亡者だといったネガティブな情報をメディアに流している」と辞めた取締役のひとりは呆れる。あくまでも高額報酬にこだわった民間人たちと、国民のおカネを運用する機関に高額報酬は許されないとする経済産業省の対立という構図を、霞が関は強調したいのだろう。国の機関で成功報酬を含めた1億円超はおかしい、という論理を展開すれば、国民世論を味方に付けられると考えているのかもしれない。

ちょうど同じタイミングで起きた日産自動車カルロス・ゴーン会長(当時)の逮捕でも、高額だった報酬の一部を有価証券報告書に記載していなかったことが容疑とされた。JICの高額報酬に政治がストップをかけた、という構図は非常にわかりやすい。

「素晴らしすぎる組織」を潰す口実ではないか
だが、菅義偉官房長官が「1億円を超える報酬はいかがなものか」と言ったことが、経産省が態度を豹変させるきっかけになった、というのは本当だろうか。

菅氏がそう言ったのは事実だろうが、菅氏が自らJICの報酬に関心を持っていたとは考えにくい。誰かが菅氏にそう言わせるようにJIC問題の情報を入れたのだろう。実際、9人の取締役の中には菅氏と直接面識を持つ人が少なくないが、菅氏から直接そう言われた人はいない。「本当に菅さんが卓袱台返しをしたのか」と訝る人もいる。

おそらく経済産業省の幹部に卓袱台返しをする動機があったのだろう。高額報酬は田中氏らが作り上げた「素晴らしすぎる組織」を潰すための口実だったのではないか。

辞めた取締役が異口同音に言うのは、副社長だった金子恭規氏がJICのキーパーソンだったということ。米西海岸でバイオベンチャーとして大成功を収めた「レジェンド」とも言える金子氏が、「薄給」でJICに加わったことが他の取締役たちを本気にさせた、というのだ。

JICの下に子ファンドを作る構造だったが、そこには創薬ベンチャーで成功を収めた若手のキャピタリストら「世界で通用するレベルの人材」が含まれていた。それも金子氏だからこそ引っ張ってこられた人たちだった、という。彼らに世界標準の報酬を支払う体制を作りたいというのが9人の取締役たちの思いだった。決して田中氏や金子氏が自分たちの高額報酬にこだわっていたわけではない。「日本のため」を思って駆けつけた、というのが本音だったことは明らかだ。

最大で1億2500万円は「高額」ではない
成功報酬を含めて最大で年1億2500万円前後という報酬も決して「高額」とは言えない。しかも長期連動の成果報酬が手に入るとしても、成果が上がった後なので数年後の話だ。年額の固定給は社長が1550万円、副社長が1525万円、専務が1500万円。これに短期業績連動報酬として、年額4000万円を上限に四半期ごとの業績に応じて支払うことになっていた。長期業績連動報酬は最大7000万円を支払うというものだった。

短期的には最大で年間5500万円程度の支払いなので、日本企業の社長に毛が生えた程度。金融界の常識からすれば破格に低い報酬と言っていい。業績連動の報酬が得られるのは、ファンドが膨大な利益を上げた場合に限られるので、国にとっても悪くない条件だったのだ。

民間取締役9人が辞任を表明した後に出た報道でも明らかになったように、実はJICの前身であるINCJでも業績連動の高額報酬が約束されている。JICの傘下に置かれたINCJファンドは2025年に解散する予定だが、その段階での累積利益に応じて、取締役に数億円の報酬が支払われる見込みだ。つまり、経産省がINCJには高額報酬を認めておきながら、JICにはダメ出しをしたわけだ。

経産省幹部が手のひらを返した本当の理由
世耕弘成・経産大臣は会見で、「旧機構は、旧機構自身が投資判断していた。JICは(傘下の)各ファンドを監督する立場。その報酬として業績連動が必要かどうか、あってもかなり抑制的であるべきだ」とその理由を説明していた。子ファンドを形成してそこに運用させるのもJICの取締役たちの知見と判断によるわけで、そこには業績連動はいらない、という説明は何とも苦しい。

経産省の幹部が手のひら返しをした本当の理由は、おそらく、自分たち官僚のコントロールが効かなくなることを恐れたのだろう。出資者は国なので、取締役をクビにするなどガバナンスを効かせることは可能だが、いわゆる以心伝心で官僚機構の思う通りに動いてくれる「第二のポケット」にならないことが分かった段階で、ダメ出しに動いたに違いない。

前身のINCJは、危機に直面した日本企業に出資することで、良く言えば産業政策の一翼を担った。投資するかどうかの判断は、リターンが期待されるかどうかよりも、現実には、日本として必要な産業かどうか、だった。しかもそれを決めるのは経産官僚だったのだ。

これにはゾンビ企業を生むとして批判的な声もあったが、官僚たちにとっては、それこそが国益にかなう行動だった。報酬も、官僚の天下りや現役出向で自分たちにメリットがあるうちは文句を言わなかったのだ。だが、新生JICは本気で専門家集団になり、官僚が割って入る余地はなくなる。だから「高額報酬はけしからん」となったのだろう。

官僚機構にとって「国」とは自分たち自身のことで、決して「国民」のことではない。官僚が思うようにできず、自分たちに利益も来ない組織は、「国」のためにならない、と考えても不思議ではない。

潰えるべくして潰えた夢だった
もともと9人の民間人取締役、特に社外取締役たちは、そもそも「国」にあまり期待していない人たちだった。辞任にあたって各取締役が公表した文書にもそれははっきり現れている。

社外取締役だった米国の大学教授である星岳雄氏は、もともと日本の官民ファンドには否定的で、「成功するはずのない政策の一つが官民ファンド」だと切り捨てている。それでも社外取締役を引き受けたのは、「田中正明氏を中心に金融のプロとして世界的に信頼された人達を経営陣に揃えるのを見て、もしかしたら、日本の政府・経産省も、旧態依然とした産業政策から離れて、日本の成長を取り戻すための政策に真剣に取り組み始めたのか」と思ったからだという。

もしかして日本の「国」の行動が、JICによって変わるかもしれない、と他の取締役も考えたという。それを経産省が物の見事に裏切ったのだ。星教授はJICが「ゾンビの救済機関になろうとしている時に、私が社外取締役に留まる理由はありません」とまで言い切った。

もちろん、9人の民間人が、もしかしたら、と考えたことは否定しない。あるいは、国の枠組みの中でも、グローバルに戦えるファンドが作れるという期待を抱いて、官僚組織の中で挑戦しようとしたことも大に価値のあることだった。おそらく経済産業省の中にも革新的な人物がいて、新生JICに民間の力を取り込む夢を抱いたに違いない。だが、残念ながら、世界で戦える組織を、国主導で作るという発想自体に無理があったのではないか。やはり潰えるべくして潰えた夢だったように思う。

このままでは日本ではベンチャー企業が育たない
「では誰が今の日本でリスク・キャピタルを出すと言うんだ」と民間人取締役だった大物経済人は言う。地域金融機関は資金の出し手としての機能を失い、リスクをとって投資する資金は出てこない。そうなると日本ではベンチャー企業が育たないので、日本全体の成長が止まってしまう、というわけだ。

2018年9月に財務相が発表した法人企業統計によると、2017年度の企業(金融・保険業を除く全産業)の「利益剰余金」いわゆる「内部留保」は446兆円と過去最高に達した。しかも「現金・預金」として保有されているものが222兆円に達する。日本企業は資金を貯めこむばかりで、投資しようとしないのだ。

つまり、日本にお金がないわけではないのである。民間企業は資金を貯めこんでリスクを取らない。その一部がベンチャー投資に回れば、わざわざ国が投資ファンドを作る必要などないだろう。

世界水準の成果報酬と霞が関の枠組みは相容れない
そもそも国の枠組みの中で民間並みの組織を作ろうとしたこと自体が「同床異夢」だったのだ。国家公務員は自らの意思に反してクビになることがない身分保証の上に成り立っている組織だ。しかも終身雇用で、年功序列。降格されることもない。つまり働く場としてはリスクがゼロなのだ。

民間企業は、いつクビになったり降格されたりするか分からないリスクを背負っているからこそ、報酬は高いのだ。終身雇用・年功序列賃金が急速に崩壊している中で、成果報酬が導入され、活躍する人たちの報酬が高くなっているのは、ある意味当然のことだろう。

逆に言えば、終身雇用・年功序列の体系を維持している霞が関の枠組みが続く限り、グローバル水準の成果報酬の仕組みは決して相容れないということだ。JIC問題はそれが表面化したに過ぎないとも言える。JIC問題の教訓は、民間の経営者や投資家が「もう国には頼まない」という覚悟を持つことではないか。