高級時計の付加価値で得た利益を「よのなか」のために使う

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Wedge (ウェッジ) 2019年6月号【特集】漂流する部長課長 働きたいシニア、手放したい企業

Wedge (ウェッジ) 2019年6月号【特集】漂流する部長課長 働きたいシニア、手放したい企業

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ウェッジ
  • 発売日: 2019/05/20
  • メディア: 雑誌
 

 200万円で売られている世界を代表する高級腕時計の原価はいくらか。時計の専門家に話を聞いた藤原和博さんは度肝を抜かれた、という。

 ムーブメントと呼ばれる駆動装置は技術の進歩が究極までたどり着いていて、何社かに集約され大量に生産されている。価格は4500円くらいとみられるが、実際にはもっと安いという説もある、という話だった。特殊な貴金属を使わなければケースを合わせても原価2万円。それが200万円に化けるのだ。

 「付加価値を生むブランドの力というのは正直凄いと感心した」と藤原さんは振り返る。

 リクルート出身の藤原さんは、東京都初の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務めるなど教育改革の実践家。「よのなか科」の生みの親として知られる。当時は和田中学の5年の任期を終えたところだった。

 教育に関わるかたわら、藤原さんは日本的な良さと最先端の技術を組み合わせる「ネオ・ジャパネスク(新しい日本風)」を掲げてきた。自宅も和の伝統を重んじながら、現代的な便利さを導入したものを建築家と共に建てている。

 時計は日本を代表する製品に育ちながら、欧米の高級ブランドのデザインに押されている。もっと日本の美を凝縮した時計が作れるのではないか。日本を代表する経済人や政治家が、世界に出かける時に腕にしていって夜の晩餐会で高級ブランドに引けを取らない「ネオ・ジャパネスク」の時計ができないか。

 長年の夢が、原価を聞いた途端、藤原さんの中でプロジェクトとして動き出した。ブランド物と同じクオリティの時計が20万円か30万円で売れるのではないか、とひらめいたのだ。

 問題はどう作るか。そんな折、セイコーを退職して、長野県岡谷市で、純国産の腕時計ブランド「SPQR(スポール)」を企画製造していた清水新六・コスタンテ社長を知る。

 清水社長はセイコー時代、ジェノバやミラノ、香港に駐在。商品企画からものづくり現場、アフターサービスまで、「時計作りに関わるひと通りの仕事を経験させてもらった」と清水さん。自分が欲しい時計を作りたいと一念発起し52歳で退職した。セイコー時代の人脈ネットワークを使って新しい時計が生まれていった。時計製造の日本でのメッカとも言える諏訪地域を中心に、ものづくりだけで30社、販売まで含めれば70社との連携で時計が世に出て行く。いわばバーチャル・カンパニーだ。

 藤原さんは清水社長に会うと、この人ならば自分が考えているものを形にしてくれると直感する。その日のうちに手書きでイラストを描いた時計のコンセプトが藤原さんから清水社長に送られてきた。

 文字盤は藍色の漆(うるし)。長野オリンピックでメダルを作った漆加工職人の手によるものだ。深い宇宙を思わせる、引き込まれるような藍色である。文字盤には機械の動きが見えるシースルーの窓が付いているが、通常とは逆で、向かって右側にある。

 「これまでの時計は大体向かって左、つまり右側にテンプ(振動する部品)が置かれていた。でも時計を人に見立てると心臓は本来、左側にあるべきではないのか」

 そんな藤原さんの発想は時計業界の常識からすると全くの型破りだった。向かって右側にテンプを置くには、針を調整するリュウズを左に持ってこなければならない。左利きならばともかく、右利きの時計はリュウズが右と決まっている。それでも清水社長は藤原さんのリクエストを形にしていった。

 藤原和博プロデュース「japan」プロジェクト。藤原さんが清水社長に会ってからわずか半年で、2モデルが出来上がった。「大手時計メーカーだったら製品化に5年はかかります」(清水社長)というから破格のスピードだ。

 価格はゴールドモデル25万9200円(税込)とシルバーモデル19万4400円(同)と決して安いものではない。それでもそれぞれ限定25本という希少性もあって、予約段階で完売した。ストーリー性のある本物にはお金を惜しまない消費者が確実にいる。藤原さんはそう確信した。

 もともとは一回限りのプロジェクトのつもりだった藤原さんだが、その後もプロジェクトは続くことになる。製造に当たる清水社長の仲間たちが「ネオ・ジャパネスク」の時計にやりがいを感じたからだ。もちろん、完売後も問い合わせが続くなど、「japan」の人気が高かったこともある。

 そんな最中、東日本大震災が起きる。津波の被害にあった宮城県雄勝町の特産品である雄勝石。復元された東京駅舎の屋根に張られている石だ。津波で泥まみれになっていた石をボランティアが掘り出し、洗い清めた。その雄勝石を薄くして文字盤にできないか。

 藤原さんが「japan311」と名付けた限定品が発売されたのは震災から5カ月後のこと。40本作り、30本を31万3200円で販売。10本は地元関係者に寄贈した。また、売り上げから300万円を寄付、津波で流された「雄勝法印神楽」の太鼓や衣装の購入費用とした。寄付付きということもあって、このモデルもあっと言う間に完売している。

 2016年に、日本の磁器が佐賀県有田に誕生して400年を迎えるのに合わせて藤原さんは、有田焼の白磁で文字盤を作れないかと思いつく。藤原和博プロデュースの第5弾は「SPQR arita」と名付けられ、13年に発売された。有田焼の窯元「しん窯」が文字盤用に薄い白磁を完成させた。リュウズの先端にも蛇の目模様の有田焼が付けられている。

 この有田焼の文字盤がセイコーの目に留まる。今秋発売予定の「プレサージュ」匠の技シリーズに採用されたのだ。実は、担当者から藤原さんに「別の白磁メーカーに作らせるのでいいでしょうか」と事前に確認があった。藤原さんは即座に、むしろ技術開発に苦労した「しん窯」を使ってあげてほしいと伝える。自分は一銭もいらないけれど、あとで「セイコーがまねをした」くらいのことは言ってもいいですよねと微笑んだという。

 ネオ・ジャパネスクを広げたい藤原さんにとっては、セイコーからの話は願ってもないことだった。一方で、自分のアイデアをまねされたと言いふらせることは遊び心満点の藤原さんにとって何よりの報酬だというわけだ。

 藤原さんがプロデュースする日本の様々な技術と時計との融合は、ものづくりを守り育てることに大きく役立っている。世界の高級ブランドと同じ品質のものを、きちんとした価格で売れば、携わる職人たちが満足する手間賃を得るだけでなく、企画する清水社長にも利益が残る。

 その利益から清水社長はラオスでの学校建設に寄付をしているのだ。学校建設の基金と出会ったのも、藤原さんの紹介だった。

 付加価値を付けた本物志向のものづくりの利益が循環して、海外での学校建設にまでお金が回る。藤原さんのアイデアから生み出された価値は、とてつもなく大きい。