給料が上がる?菅首相が、「最低賃金引き上げ」の劇薬を持ち出した  反対派が示す「ある懸念」

現代ビジネスに10月1日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76047

 

早速、1000円を目指すよう指示

最低賃金の引き上げは経済にプラスなのか、マイナスなのか。政界でも経済界でも大きく見方が分かれている。そんな中、引上げ論者と見られてきた菅義偉・前官房長官が首相に就任したことで、再び、議論に火が点きつつある。

菅首相厚生労働相に指名した田村憲久議員に、最低賃金の全国加重平均で1000円を目指すよう指示した。会見で田村厚労相は「総理の思いは早急に平均1000円を実現すること。しっかり歩みを進めたい」と答えた。

安倍晋三内閣は年率3%程度の引き上げを明言し、急速に最低賃金引き上げを進めてきた。第2次安倍内閣がスタートする前の2012年10月は全国平均は749円だったが、2019年10月には901円となった。7年で152円、20%も引き上げた。特に2016年から19年までの4年間は3%を超える引き上げを行った。

最低賃金厚生労働省の審議会で目安を決めたうえで、都道府県の審議会が決定する。2019年には東京が1013円、神奈川が1011円と初めて1000円を超す都県が誕生した。

地方での引き上げも進んだが、2019年時点では最も低い県が790円で15県並んでいた。九州6県や沖縄、高知、山陰、東北などで、東京と200円以上の差があった。

賛否の議論再び

地方の最低賃金を引き上げることで消費力が上がり景気が良くなるとの考えから、地方経済を活性化させるには最低賃金は全国一律にすることが手っ取り早いと主張する政治家もいる。

一方で、中小企業経営者などからは、最低賃金が上がることで、経営が行き詰まるという声も根強く、中小企業経営者の声を反映する日本商工会議所などは毎年、最低賃金の大幅な引上げには反対する声明を出してきた。最低賃金を引き上げた結果、倒産が相次ぎ、失業者が増えることになっては元も子もないではないか、というわけだ。

新型コロナウイルスの蔓延の最中、7月に行われた厚労省中央最低賃金審議会の小委員会は、最低賃金引上げの賛成派と反対派の意見が平行線となった。結局、小委員会では「目安」を示すことができず、「現行水準を維持することが適当」とする報告書をまとめた。都道府県の審議会の判断に任せられた格好だが、事実上、据え置くことに道を開いた。

その結果、2020年の最低賃金は、7都道府県が据え置きを決定。9県で3円引き上げ、14県で2円引き上げ、17県で1円引き上げとなり、全国加重平均で1円上昇の902円となった。10月から実施される。最も低い最低賃金792円を採用した県は7県となり、格差はやや縮まったものの、全国加重平均で1000円には、まだまだ道のりが遠い。

そこに誕生したのが菅総理だ。政府の経済財政諮問会議の民間議員である新浪剛史サントリーホールディングス社長が、安倍内閣の掲げる3%の引き上げが不十分だとして「5%引き上げ」を掲げた際、同調したのが当時、官房長官だった菅氏だった。

菅氏の出身の秋田県は2019年も2020年も全国最低の最低賃金に甘んじており、地方と大都市部の格差を強く意識しているとみられる。

新型コロナの蔓延で「非常時」だった2020年は、据え置きとなったが、これはあくまで非常時だから。就任早々、1000円を指示した菅総理は来年に向けて大幅な引き上げを繰り返し打ち出してくるのではないか、との見方が強い。

新政権の「劇薬」政策か

菅氏が就任後に示した政策は、極めて具体的だ。携帯電話料金の引き下げにしても、不妊治療費の助成拡大にしても、生活者の視点を重視している。最低賃金の引き上げは、最低賃金に近い水準で働いている弱者の所得を引き上げることにつながる。

安倍前首相が繰り返し述べながら実現できなかった「経済好循環」に火を点けることができる可能性もある。円安などで恩恵を受けた企業に賃上げで生活者に還元させ、それが消費に回って、再び企業収益を潤わせる循環が日本経済の再興には欠かせないとみているはずだ。

今年、最低賃金の据え置きを決めた東京都の地方最低賃金審議会には例年を大幅に上回る「異議申し立て」があったという。最低賃金の引き上げを求める生活者の声は大きいだけに、菅首相が大幅引き上げを打ち出せば、国民の支持が高まる可能性は十分にある。

「引き上げありき、ということではなく、上げられる環境づくりがまず第一だ」

梶山弘志経済産業相は会見でこう予防線を張ったが、一方で菅首相からは梶山経産相に対して、「中小企業の再編促進などによる生産性の向上」を指示されている。最低賃金の引き上げは、経営基盤の弱い中小企業に再編淘汰を迫る可能性もあり、菅首相にとってはそれも覚悟のうち、ということなのだろうか。

デフレ経済の中で給与がジリジリと減り、国際的にも貧しくなった日本人。それを見据えたうえで、最低賃金の大幅な引上げという「劇薬」投与を、菅首相は考えているのかもしれない。