少女が見つけた「やり直せる社会」という価値

雑誌Wedgeに連載中の『Value maker』9月号に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。

 

Wedge (ウェッジ) 2020年 9月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2020年 9月号 [雑誌]

 

 

 「ホームレス状態から脱出したいと思った“おっちゃん”に、選択肢を提供できたらと考えているんです」
 大阪市で認定NPO法人「Homedoor」を運営する川口加奈さんの語り口は穏やかだ。家を失って路上で生活する人たちに、簡単な仕事や一時的な居場所を提供し、路上から脱出するきっかけを作ってきた。大学2年生の時にNPO法人を立ち上げ、理事長になって10年になる。
 今の日本を、「本当に敗者に厳しい」「どんどん転落してやり直しが効かない社会」だと言う。だが、それを声高に批判するでもなく、国や役所を糾弾する言葉を並べるわけでもない。
 現場で数多くのやるせなさを感じたためなのか。目の前のおっちゃんと向き合う時も、押し付けがましい事は言わない。気負いがなく、とにかく自然体だ。
 北区にある「Homedoor」の事務所には行き場を失ったおっちゃんたちが相談にやってくる。これまで相談に乗った人はのべ2000人。事務所の上の階には18室の個室があり、2週間無料で宿泊できる。その間に仕事を探したり、生活保護や年金受給の手続きをし、路上生活との縁を切るサポートをするのだ。
 「いつの間にかいなくなってしまうおっちゃんもいます」と川口さん。親身になって相談に乗っていても、わずかばかりのお金を手にしたとたん、姿を消してしまうおっちゃんも珍しくない。「Homedoor」をきっかけに路上生活から脱出して普通の生活に戻った人もいるはずだが、あえて追跡もしないので、どれだけ大きな成果を上げているのか、あまり実感はない。とにかく、目の前にやってくるおっちゃんたちの話を聞く。

 

通学の電車から見えた風景


 川口さんがそうした“おっちゃん”の存在に気がついたのは中学生の時。電車通学で大阪・新今宮の駅で乗り換えていた時のことだった。駅の南側は「あいりん地区」と呼ばれ、多くの路上生活者が住んでいた。電車の窓からは、炊き出しでもらえるおにぎりを求めて並ぶおっちゃんたちの姿が見えた。
 友達の多くも、大人たちも、そうしたホームレスの存在に気も止めない。「きちんと勉強もせず、仕事もしなかったからああなった」「自己責任、自業自得」そんな声が圧倒的だった。
 14歳の時に、あいりん地区での「炊き出し」の手伝いに行ってみた。おっちゃんたちの話を聞いていて、そんな「自己責任論」は吹き飛んだ。もともと貧困家庭で育ち、中学もろくに出られずに、日雇いで働き続けてきた人も多かった。「中学生ながら、自己責任で片付けようとしていた自分を反省しました」と川口さんは振り返る。
 そんな時、姫路市で事件が起こる。ホームレスの男性が寝場所としていた空間に火炎瓶を投げ込まれ焼死したのだ。しかも逮捕された少年のひとりは同じ歳だった。
 自分だからこそできることがあるはずだ。
 川口さんはまず、路上生活者の問題を伝える活動を始めた。学校の全校集会で時間をもらい、生徒に呼び掛けた。だが反応は今ひとつだった。そこで新聞も作った。炊き出しのボランティアや、ワークショップなども行った。
 高校2年生の時には「ボランティア親善大使」に選ばれ、米国のワシントンDCで開かれた国際会議にも出席した。「そこで話をした海外の子たちのレベルは格段に高かった」。川口さんはあいりん地区の研究などに実績のある大阪市立大学労働経済学を勉強することに決めた。その傍ら、NPOを立ち上げたのだ。
 路上生活から脱出するには何が必要か。
 まずは定期的にお金が稼げる仕事が不可欠だ。空き缶集めではその日暮らしで、脱出は不可能だ。
 そこで始めたのがレンタサイクルの「HUBchari」。ビルやホテルの軒先に自転車を置かせてもらい、シェアサイクルの運営を始めたのだ。ドコモ・バイクシェアサービスと提携し、230カ所に「ポート」を置き、約1000台で利用できるサービスになった。

「Homedoor」がおっちゃんたちを雇い、自転車の整備や電動自転車のバッテリー充電・交換などの作業を任せている。自転車を適正台数「ポート」に配置するのもおっちゃんたちの仕事だ。平均して10人から20人の雇用を生んでいる。
 川口さんやスタッフは大阪市内の大手企業を回り、「軒先貢献」をキャッチフレーズに「ポート」の設置をお願いして歩いた。ここ数年は海外から日本にやってくるインバウンド客の手軽な移動手段として利用されていた。

 

誰もが何度でもやり直せる社会は作れる


 次に着手したのが、「住まい」の提供。「アンド・センター」と名付け、前述のように事務所の上に、仮住まいできる部屋を用意したのだ。賃貸で5階建てのビルを借り上げた。2年前のことだ。相談だけにやってくる人も多いが、相談ついでにシャワーを浴びたり、仮眠室を利用する人もいる。
 ちなみに「Homedoor」には、「家の扉」という意味とともに、駅のホームに設置されているホームドアの意味も兼ねている。「転落」を防ぐドアということだ。ホームレスの人たちにとっては最後の拠り所になっているのだろう。
 「アンド・センター」の維持は大変だ。家賃や人件費で月に100万円はかかる。こうした川口さんたちの活動を支えているのは善意の寄付だ。毎月1000円出してくれるサポーター会員を1000人集めることを目標に資金集めをしている。
 もちろん、相談窓口を開いたからと言って、おっちゃんたちが自主的に相談にやってくるわけではない。川口さんたちは路上生活者が多い場所を訪ねて食事を差し入れる「夜回り活動」を続けている。北区を中心に4コースに分かれて歩き、85食を配っている。そうやって徐々に信頼関係を築かなければ、心を開いて相談にやってくる事はない。「6年声をかけ続けてようやく相談に来てくれたおっちゃんがいました」と川口さんは言う。

 

コロナ禍で増える相談者


 今年に入ってからの新型コロナウイルスの蔓延が「Homedoor」にも影響を及ぼし始めている。「HUBchari」を使っていた外国人旅行客は姿を消したものの、通勤や市内の移動に自転車を使う人が急増。2割以上も利用率がアップしているのだ。地下鉄などの公共交通機関を使うよりも屋外を走る自転車の方が安全ということだろう。企業から「ポート」を設置して欲しいという要望も来ている。
 もうひとつはホームレスからの「相談」が3倍に急増したのだ。特別定額給付金をもらうにも路上生活者は住所がなく、受け取ることができない。さらに、景気が一気に冷え込んだことで、そのしわ寄せが非正規雇用などの弱者に及び始め、新たに路上生活に転落しかねない人たちが生まれているのだ。「最近の傾向はおっちゃんじゃなくて、若い人たちが相談に来ていることです」と川口さん。「ネットカフェ難民」という言葉が定着したが、パートやバイトをクビになり、ネットカフェにもいられなくなった若者が出てきたというのだ。
 「誰もが何度でも、やり直せる社会は作れる。」
 「Homedoor」の報告書の表紙にはそんな川口さんの静かな決意が書かれていた。