プレジデントオンラインに2月8日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→
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菅政権最大の看板政策「携帯電話の値下げ」
新型コロナウイルス感染症への対応が後手後手に回って支持率が急落している菅義偉首相の最大の看板政策は「携帯電話の値下げ」といってもいいだろう。官房長官時代の2018年には「今よりも4割程度下げる余地がある」と発言、大手携帯電話会社が多額の利益を上げていることに触れて、「競争が働いていないといわざるを得ない」と断言、大きな話題になった。
首相に就任して初めて臨んだ10月の所信表明演説でもこう述べた。
「携帯電話料金の引き下げなど、これまでにお約束した改革については、できるものからすぐに着手し、結果を出して、成果を実感いただきたいと思います」
値下げを実現させ、その成果を国民に実感してもらうと大見えを切ったのだ。
総務相に任命された武田良太衆議院議員は、さっそく行動に出る。
自ら携帯電話利用者との意見交換会に出席、10月下旬には総務省が「モバイル市場の公正な競争環境の整備に向けたアクション・プラン」をまとめて発表した。プランの柱は「分かりやすく、納得感のある料金・サービスの実現」「事業者間の公正な競争の促進」「事業者間の乗換えの円滑化」の3つだったが、要は目に見える大幅な値下げを求めたのだ。
メインブランドでの値下げを迫った武田総務相
これを受けて、大手携帯電話会社のKDDIやソフトバンクは格安プランを打ち出す。
だが、それぞれ「UQモバイル」「ワイモバイル」といった自社が持つ格安ブランドでの料金プランを打ち出しただけだった。これに武田総務相が噛み付いた。12月1日の記者会見の席で、「ユーザーに料金が下がった実感が湧かないと何の意味もない」と不満をぶちまけ、「au」「ソフトバンク」といったメインのブランドで値下げに踏み切るよう迫ったのだ。
その直後の12月3日、NTTドコモが、新プラン「ahamo(アハモ)」を発表する。データ容量20GB(ギガバイト)で月額2980円(税抜き)という価格に、業界には激震が走った。
その翌日の12月4日には武田総務相が会見でこう述べる。
「実に6割強の値下げ、2018年度段階からは70%を超える値下げに踏み切ったわけであって、公正な市場に競争を導く大きなきっかけになることは、我々も期待しているところであります。サブブランドでなくメインブランドに対して、新しく大容量の低廉な料金プランを発表したものですので、これは、同業他社の皆様方も注視しているところであるので、それぞれの経営判断に基づいて、適切に運営していただきたい」
前段で、「この料金プランは、あくまでもそれぞれの法人事業者の経営判断に基づくものだと思っております」とわざわざ述べていたが、業界関係者の多くが菅首相や武田総務相の「値下げ圧力」が、新プランの背景にある「官製値下げ」を意味することは明らかだと感じていた。
20GB2980円は「公定価格」のようなもの
結局、ソフトバンクもKDDIもこれに追随する。ソフトバンクは12月22日に「SoftBank on LINE」をブランドコンセプトに月額2980円のプランを発表。KDDI(au)も1月13日に新料金プラン「povo(ポヴォ)」を、大手携帯電話会社で「最安値」の20GBで月額2480円(税別)と発表した。
だが、これには通話料金が含まれておらず、月500円で5分以内の国内通話無料サービスを追加できる仕組みだった。同じ条件で比べると3社横並びの結果になった。
ちなみに「最安値」とKDDIが発表したことについても武田総務相から「非常に紛らわしい」と文句を付けられている。いわば2980円が公定価格として政府に示されたようなものだった。携帯電話料金値下げという「成果」を何としても国民に示したい菅首相の執念だったと言ってもいいだろう。
総務省統計局の「家計調査結果」を見ると、2人以上の世帯の家計消費支出のうち「通信」の占める割合は4.6%に達し、家計にとって大きな出費であることは間違いない。しかも2011年の月平均の1万1928円から2019年の1万3591円まで8年連続で増え続けているのだ。年間にすれば16万3092円。仮に6割下げることができれば9万7855円浮く計算になる。
楽天モバイルは大手3社の「草刈り場」になる
特に新型コロナウイルスの蔓延で経済活動が凍りつき、雇い止めや失業で収入が減っている人にとっては、必需品の携帯電話の料金負担が減ることは大きい意味を持つ。人気が急落している菅首相にとっても、目に見える「結果」を出せれば支持率挽回の大きな材料になるだろう。それだけに、大手携帯会社に値下げさせることに必死になっていると見ることもできる。
だが、こうした強引な「官製値下げ」は必ずどこかにしわ寄せがいく。
おそらく最も経営体力が弱いところが打撃を受けることになるだろう。大手3社の格安料金プランが2980円の横並びになったことで、大手間のユーザーの大移動が起こる可能性は低くなった。同じ通信会社間でのプランの変更は起きても他に乗り換えるケースは多くないとみられる。新規参入したばかりの楽天モバイルも値下げに踏み切らざるを得なくなった。
楽天モバイルは昨年4月から1年間の無料キャンペーンを行って、220万人余りが利用している。その無料キャンペーンが終わって、本来ならば毎月2980円を課金されるユーザーが増えてくるはずだった。つまり、大手3社の新プランと同額になるのだ。
だが楽天モバイルはまだまだ通信設備の建設途上で、通信品質に差がある。当初、自社エリア内は月額2980円で使い放題というプランだったが、同じ金額ならば通信エリアが整ったNTTドコモのahamoにしようといった利用者が増えることが予想された。楽天モバイルの220万人は大手3社の草刈り場になってしまう。
MVNOに経営破綻や撤退が出る可能性も
1月29日に楽天モバイルが発表した新プランは、データ量が1GB未満の場合ゼロ円で、1~3GBは980円、3~20GBは1980円、20GB以上は2980円という段階制になった。それでも赤字覚悟ではないか、とされるが、利用者を取られないための苦肉の策とも言える。
さらに影響が懸念されるのが、格安スマホ会社だ。MVNOと呼ばれる業態で、大手携帯会社から電波枠を借りてサービスを提供している。昼食時や夕方など利用が立て込む時間帯になると通信が遅くなるなど品質は劣るが、価格が安いことで競争してきた。
それが料金差が一気に縮まることで、品質が圧倒的によい大手3社が有利になるとみられている。すでにMVNOの日本通信のように、月20GBで1980円の新料金プランを発表するなど、値下げする動きが出始めている。MVNOは経営体力が弱いところも多く、薄利多売の競争を強いられれば、経営破綻や撤退などが広がる可能性も出てくる。
携帯大手の寡占体制に戻れば、消費者が損をする
もともと総務省の政策は、MVNOに参入を促し、競争を活発化することで、料金を下げていくことにあった。ところが、菅首相が成果を急ぐあまり、大手に強引な値引きをさせたことで、しわ寄せが弱い企業に行く結果になっている。携帯大手の寡占体制に戻ってしまえば、価格競争が起きにくくなり、長期的には消費者にしわ寄せが行くことになる。
NTTはNTTドコモを株式公開買い付け(TOB)によって完全子会社化し、グループ再編を進めている。GAFAと呼ばれる米国の巨大IT企業に対抗するのが狙いと説明しているが、「分割民営化の流れに大きく逆行する」(経済産業省OB)という声もある。
在日米国商工会議所は「市場の自由競争を阻害する」と指摘、「再編問題は両国関係とイノベーションを阻害する問題だと(米政府に)提起をした」と報じられている。NTTドコモが巨大NTTになることで、圧倒的な資本力を持ち、携帯電話市場で有利になるとの見方もある。
総務省OBの中には国がコントロールする巨大電電公社の復活を夢見る向きもある。NTT再編にいち早く賛成する意見を述べる武田総務相をみていると、総務省に圧倒的な影響力を持つ菅首相の頭の中には、総務省の権益拡大しかないのかもしれない。弱小MVNOはその生贄ということだろうか。