岸田新首相の「耳心地のいい政策」を鵜呑みにしていると迎える、日本の「ヤバい未来」

現代ビジネスに10月14日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88280

発足当初からブレている

4年ぶりの衆議院の選挙戦が始まった。当初は11月に入ってからの投開票との見方が強かったが、岸田文雄自民党総裁が総理に就任するや10月31日に投開票日を設定した。縁起をかつぐ政界では異例の「仏滅選挙」である。

新内閣発足の「ご祝儀」で支持率が高いうちに選挙戦を乗り切ろうという岸田自民党の作戦は明らかで、短期間での選挙戦を強いられることになった野党は対応に追われている。まだ解散せず、選挙の公示もされないうちから、朝の出勤時の駅頭に立つ候補予定者が各地で目についた。

新型コロナウイルスの蔓延で、人々の生活だけでなく、日本経済全体にも大きな影響が出ている。そんな中で、苦境に立つ人たちの支援策を充実させるのは当然として、日本経済をどう立て直し、ポスト・コロナの新しい社会にどう対応していくのか、各党が明確なビジョンを示す必要がある。ところが、野党だけでなく、自民党も実現可能性の不確かな「バラ色」の政策や、美辞麗句が乱舞している。

岸田氏が言う新しい資本主義の中味はいまだもって不明だが、総裁選の最中から、「新自由主義的政策からの転換」「分配なくして次の成長なし」と述べてきた。

アベノミクスで進めてきた「規制改革」を「一丁目一番地」として民間の競争を促し経済成長させるという路線を「新自由主義的」と否定したかのような発言だったが、果たして「分配」重視で、分厚い中間層が再構築できるのか、岸田氏が言ってきた「令和版所得倍増」は可能なのか、疑問の声も上がった。

10月8日に行われた所信表明演説では、「所得倍増」と言う言葉は消え、分配優先かと思いきや「成長と分配の好循環」との言い方になった。「発足早々ブレている」と野党から責められたのは当然だ。成長を分配に結びつける政策は、安倍晋三元首相が繰り返し強調していた「経済好循環」そのもの。まずは成長を取り戻してパイを大きくし、それを給与増など分配に結びつけることで、再び消費などに回していく。アベノミクスとの違いはない。

安倍氏は首相当時、財界人を官邸に呼んで、賃上げやベースアップを求めるなど、禁じ手に近い行動まで取って分配を増やそうとした。「官製春闘」と揶揄されたが、2020年の春闘まで7年連続で賃上げが実現した。それでも企業の利益剰余金、いわゆる内部留保は増え続け、格差は拡大した。全体としては生活が困窮する層が増えたのは事実だろう。

「分厚い中間層」は困難か

「分厚い中間層を再構築する」と言うのは、極めて耳に心地よい政策だが、実現するのはまず不可能だろう。立憲民主党も「『一億総中流社会』の復活」を掲げるが、これも同様に難しい。

国民の多くが「中流」だと感じる「分厚い中間層」が成立していたのは、日本経済が戦後の荒廃から一気に立ち直る高度経済成長期にパイが増えていく只中にあったからだ。1960年代から1980年代にかけて日本の経済成長率は世界の中でも群を抜いていた。もちろんインフレ経済だったが、毎年着実に給料が増え続け、皆が豊かになっていくという実感を持っていた。

今の家計は当時よりもはるかに豊かになっているが、人々は、この先豊かになっていくという確信が持てずにいる。むしろ、将来、貧しくなっていくのではないかという恐怖心、危機感の方が強い。

デフレ経済の中で、所得が増えなくても、肌身感覚の実質購買力は落ちずに来たが、日本以外の先進国がまがりなりにも成長を続ける中で、日本だけが「茹でガエル」のような状態になった。実感のないうちに、日本は貧しくなって来たのである。

つまり、中間層が消えたのは、全体が貧しくなったことが主因と言えるだろう。一部の成功者が富を独占したために格差が広がったという説明は、庶民からすると胸がすく思いがするのは間違いないが、成功者から税金を取って再配分すれば、全体として貧しくなった日本が豊かになるわけではない。

しかも、日本は富の偏りが先進国の中でも大きくないという指摘もある。経済協力開発機構OECD)によると、上位1%の富裕層が持つ国内の資産に占める割合は米国が42%、英国は20%だが、日本は11%にとどまる。

まず発展途上国型行政システムの改革を

岸田首相は総裁選中から主張して来た「金融所得課税」の強化もわずか半月で引っ込めた。配当や利子などの金融所得には現在、地方税と合わせて20%の税率が課せられている。ところが高額所得者になると配当所得の割合が多くなるため、年収が上がるとむしろ実質的な税負担率が小さくなっていくことから、これを引き上げていく、としていた。

ところが、岸田氏のこの政策は、株式市場にはマイナス材料。岸田総裁誕生以降、株価の下落が続くと、この金融所得課税強化の方針が一因だとの見方が広がった。岸田氏の前言撤回は市場の圧力に屈した結果とも言える。

金融所得課税を一律25%、あるいは30%に引き上げれば、確かに税収は増える。だが、そうなると高齢者でささやかな配当を当てにしている人も等しく税負担が増える。一方、金融所得額に応じて税率を変える「累進性」にすれば影響は少ないが、対象になる人が限られ、思ったほど税収が増えない。

ただ、こうした富裕層だけの増税は、彼らが日本を見捨てて国外に移住するなど「資本逃避」を招いてしまう可能性もある。そもそも富裕層は収入が増えるほど、税負担率は下がるかもしれないが、それはあくまで「率」の話で、負担額は大きい。貴重な税収源なのだ。

かつて、論客の左派議員が「もう十分豊かになったんだから、成長しなくても、分配をきちんとすれば幸せに生きていける」と主張していた。今も野党はこれに類した主張をしている。

だが、本当だろうか。世界の企業と比べて利益率が低く、生産性も向上していない日本企業、そしてその背景にある政府が既得権層と結びついて企業の新規参入など自由を縛ってきた「発展途上国型行政システム」が脈々と続いている。民営化や規制改革、経済構造改革などは、日本が低成長に直面した1980年代に始まった。「新しい資本主義」の名の下にこの流れに逆行するのだとして、日本に未来はあるのだろうか。