大学にガバナンスは要らない?監督強化に抵抗する理事長たちの理屈 このままでは第二第三の田中容疑者が

現代ビジネスに12月16日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

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現理事長、三者三様の反対

文科省に設置された「学校法人ガバナンス改革会議」が12月13日、『学校法人ガバナンスの抜本的改革と強化の具体策』と題する報告書を末松信介文科相に提出した。

評議員会を最高監督・議決機関とし、理事の選解任権や予算決算の承認、重要な財産の処分決定などを行わせるなど、経営執行機関である理事会への監督を強化するのが柱。

折しも日本大学の理事が逮捕・起訴され、さらに理事長も逮捕されるという大事件が起き、理事長の暴走を止めることができなかった大学のガバナンス不全が大きな問題になった。

ほとんどの大学が国の助成金を得ている。日大の場合は年間94億円だ。国民の税金から多額の助成を受けているのだから、ガバナンスの強化は絶対命題のはずだが、創立一族などの私学経営者も、教員上がりの理事長も、天下りの大学トップも、そろって会議の改革案に反発している。

いったいなぜ反対するのか。大学経営にガバナンスは不要とでも言うのだろうか。

報告書の提言は、実は驚くほどの内容ではない。財団法人や社会福祉法人などの公益法人ではすでに改革が終わり、当たり前に運用されている仕組みに大学も合わせるというだけの話だ。財団法人は約5000、社会福祉法人は約2万あるが、皆すべて理事会の上にある評議員会が監督権限を持つガバナンス体制をとっているのだ。

ガバナンス改革会議が設置されたのも、政府が閣議決定したいわゆる「骨太の方針」、「経済財政運営と改革の基本方針2019」で、「社会福祉法人制度改革や公益社団・財団法人制度の改革を十分踏まえ、同等のガバナンス機能が発揮できる制度改正のため、速やかに検討を行う」とされた流れをくんでいる。

2021年6月に閣議決定された骨太の方針では、さらに踏み込んで「手厚い税制優遇を受ける公益法人としての学校法人に相応しいガバナンスの抜本改革につき、年内に結論を得、法制化を行う」と明記された。

ところが、そうした流れに大学経営者が抵抗しているのだ。

「現状で問題ない」

大学など学校法人の場合、評議員会は理事会の諮問機関に過ぎず、評議員には半数未満ならば現職の理事が兼務できる。さらに理事会に人事権を握られている現役の教職員も評議員になれるので、過半数を理事会側が押さえることが容易にできる仕組みだ。

ところが、中堅私立大学の経営者団体である日本私立大学協会は、「現行の規定においても評議員会の理事会に対する牽制機能は有効に機能していると言える」という水戸英則常務理事(二松学舎理事長)の見解を公表し、改革に真っ向から反対している。日大のみならず不祥事が相次いでいるのに、現状で問題ないと言うのだから開いた口がふさがらない。

もうひとつの大手私立大学が多く加入する経営者組織「日本私立大学連盟」も反対する。会長の田中愛治・早稲田大学総長は、日本経済新聞のインタビューに答えて、「私大の教育の質の向上につながる提案にはなっていない」とこれも真っ向から批判している。

もっとも田中氏の主張を読むと中身はトンチンカンだ。「私大の意思決定の仕組みは、透明性が高く公正であるべきことは、論をまたない」と言いながら、「私大改革の中核は、監事による監査機能の強化である」と言う。

経団連など企業経営者たちが「監査役」を強化すれば十分で社外取締役を入れる必要はない、と言ってきた姿を彷彿とさせる。企業の監査役はまだ株主総会で選ばれるだけマシだが、大学の監事は理事長が指名するケースが多い。自らを選んでくれた理事長に楯突くことができないと見られ、ガバナンスが働かないと考えることは、組織論をかじらなくても、三権分立の意味を知っていれば分かる話だ。

さらに驚くのは大学のステークホルダーが「学生」だと言い切っていること。学生は確かにステークホルダーだが、大学経営のガバナンス機能を担う存在になるのは難しい。学生を評議員にし、理事を監督させるわけにはいかないだろう。早稲田の総長は学生の信任投票があるから、これをもってガバナンスが聞いていると言いたいのだろうか。

これは企業にとって「顧客」がステークホルダーだと言っているのに等しい。企業経営者はもちろん顧客の意向を無視はできないが、株主でもない顧客が取締役を牽制する機能は持っていない。ただし、顧客はその企業の商品を買わず顧客でなくなる自由がある。学生も同じで、その大学を選ぶかどうかは自由だ。

なぜ、評議員が強い監督権限を持ってはいけないのか。田中総長は「評議員は日常は別の仕事に専念しているので、当該の大学の教育研究内容に必ずしも精通しておらず、学生との接触もほぼない」と決めつける。

だが、どんな人を評議員に選ぶのかは大学次第で、そこまで改革会議は縛っていない。ところが田中総長は「学外の評議員から構成される評議員会に理事会を超える権限を与えると、権力を握って不正を働こうとする人間は、今度は評議員会の会長となって、その私大の私物化を謀るだろう」とまで言う。

こうなると空想の世界だ。経営執行権限を持っていない評議員長が大学をどうやって私物化するというのか。しかも、提言では評議員善管注意義務を課し、損害賠償責任を負わせるとしている。よほど自分をクビにできる評議員会ができるのが怖いのだろう。

前述のように大学は国から多額の助成金を受けている。ところが田中総長は「私大への国からの私学助成金は運営経費の1割未満にすぎない」と言っている。早稲田大学は年間100億円もの助成金を得ているのに、少ないと言いたいのだろうか。一方で早稲田は霞ヶ関の官僚OBを多数教授として迎え、職員にも長年受け入れてきた。建学の精神だったはずの「学の独立」はどこへ行ったのか。

このままでは骨抜きか

大学の理事長はいくつかのパターンに分かれる。

まず多いのは創立者創立者の一族が理事長に就任しているケースだ。他の財団などに比べて、一族支配への歯止めは厳しい。ところが現行制度では理事長の権限が圧倒的に強く、理事長ポストさえ握ればほぼ自由に経営権を行使できる。学校法人の理事長の半数以上は、こうした創立一族だとみられている。

株式会社と違って、財団法人など公益法人は「出資」や「持分」という概念がないため、カネで組織を支配することはできない。だからこそ、理事長を押さえることが重要なのだ。こうした創業一族理事長が、評議員会の権限強化に反対なのは言うまでもない。

次が早稲田のような学者がそのまま理事長になるケース。企業経営をしたことも、組織運営をした経験もない学者が突然経営トップになるわけだから、ほとんどが素人経営者ということになる。

自分を理事長に持ち上げてくれた教員仲間や職員の利益を第一に経営することになりかねない。教員や職員の待遇をどうするかは経営にとって最大の懸案事項だが、まず給与カットやリストラなど手が付けられない。こうした学者理事長も、社会で活躍する評議員が学内に入ってくることを忌避するケースが多い。

もう一つの理事長のパターンは天下り、である。文科省の役人が監督権限のある大学に直接天下るのはこのご時世難しくなっているため、他省庁や日本銀行などのOBが理事長になっているケースが少なくない。特に日銀は信用金庫や地方銀行などの経営が厳しくなり、昔ながらの天下り先が細っているため、大学は良い再就職先になっている。

改革提言が実現すると、卒業生や教員OB、地域社会の代表らが評議員になると想定されるが、そうした人たちが天下りに寛容であるはずはない。これまた天下り理事長たちも改革には反対するのだ。

ちなみに、文科省の官僚も自分たちが直接天下れなくても、省にとっては大きな権益なので、理事長ポストが評議員によって選ばれる制度改正は阻止したいというのが本音だ。

かくして三者三様の理屈ながら、大学経営者はガバナンス強化に反対だ。結局は「今のままがいい」ということなのだ。よほど世論が盛り上がらなければ、政治家も文科省も報告書を骨抜きにするだろう。予定通り法案化作業が進むかどうかさえ未知数だ。

日大は田中英寿前理事長とは「永久に決別する」と言ったが、忘れてはならないのは、田中容疑者は民主的に皆に選ばれて理事長になり、それから5選を続けたということだ。決別宣言をした学長自身、理事として田中容疑者を支えていたひとりだ。ガバナンス制度を強化しない限り、日本の大学には、第二第三の田中容疑者が現れることになるだろう。