118年続く大日本報徳社の常会 二宮尊徳の教えを学ぶ意義

雑誌Wedge 2021年8月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/24140

 

 

 118年間、毎月続く「常会」で二宮尊徳の教えを学ぶ。昨今はやりのSDGs(持続可能な開発目標)は、200年前の日本にあった。

戦時中も
休みなく続く

 二宮尊徳(1787~1856年)をご存じだろうか。やや年配の人ならば小学校に像が建っていた二宮金次郎のことだろうと思い当たるに違いない。手に書物を持ち、薪を背負って一歩踏み出している少年像だ。その二宮尊徳の「教え」を今も受け継いでいる団体がある。静岡県掛川市にある「大日本報徳社」である。

 日本初の木造復元天守閣で知られる掛川城に隣接した場所にある大日本報徳社では、月に1度の「常会」が開かれる。

 取材に訪ねた2021年6月6日の日曜日の「常会」は何と1748回目。大講堂で行われる常会は、1903年明治36年)から118年にわたって綿々と続いているという。「戦時中も一度の休みもなく続いているんです」と事務局長の綱取清貴さんは言う。

 会場に使われている木造の大講堂が建てられたのが1903年で、今では国の重要文化財に指定されているが、その落成前から続く常会はまさに文化財級ということになる。

 大日本報徳社は尊徳の教えを学んだ岡田佐平治(1812~1878年)が、尊徳の死後19年後の1875年(明治8年)に設立した「遠江国報徳社」が起源で、1911年(明治44年)に「大日本報徳社」に改称された。尊徳の「報徳の教え」を学び、地域活性化を実践する組織として全国各地にできた「報徳社」の代表的組織だ。

「至誠」「勤労」「分度」「推譲」
に集約される教え

 尊徳は江戸末期の小田原(現神奈川県小田原市)藩領で農民として生まれたが、勤勉に働いて困窮から脱し、村々の再建を成し遂げ、藩に見出されて小田原藩士となり、藩の財政の立て直しに手腕を発揮した。その評判が世の中にとどろき、幕臣となって江戸末期の諸藩を財政危機から救った。その教えは「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の四語に集約されて伝わる。

 誠を尽くして、一生懸命に働いて収入を増やし、支出は収入の何割と決め、残りは自家の将来への備えと、世の中の人々への還元に当てる。藩に対しても収入内に支出を抑える「分度」を求め、年貢を減らして農民の勤労意欲を高め、生産性を改善する。そうした「報徳仕法」が大きな成果を上げた。

「学べば学ぶほど、力のある思想だと思います。はじめは説教臭いなとも思ったのですが、『報徳訓』には連綿と循環の大切さと共に、富貴が説かれています。格差云々が言われますので最近は、金持ちになって、しかも心が貴くなる思想だと言っています」と9代目の社長を務める鷲山恭彦・元東京学芸大学学長は笑う。8代目の社長だった榛村純一・元掛川市長に口説かれて、2018年に社長に就任した。

 鷲山社長が言う『報徳訓』は、尊徳の教えを凝縮した108文字からなる訓辞で、大日本報徳社の例会では、冒頭、壁に掲げられた『報徳訓』を唱和することから始める。そこにはこんな一節があるのだ。

「父母の富貴は祖先の勤功に在り 吾身の富貴は父母の積善に在り 子孫の富貴は自己の勤労に在り」

 決して、せっせと働いて倹約せよというケチケチ思想ではない、というわけだ。また、道徳ばかりを重視して、カネ儲けを排除しているわけでもない。

渋沢栄一にも影響を与えた
「一円融合」

 それを象徴的に示しているのが、大日本報徳社にある正門だ。1909年(明治42年)に建てられた花崗岩の2本の門柱には、向かって右に「道徳門」と書かれ、左に「経済門」と刻まれている。2つの門柱は円弧を描く金属棒で結ばれ、道徳と経済が「一円融合」であるという尊徳の考えを示している、という。「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という言葉でも知られている。

 二宮金次郎像も、本を読みながら薪を運ぶ姿から「勤勉さ」だけを象徴しているように思われがちだ。だが、実際には手にしている書物は四書五経の最初に学ぶべき書とされる『大学』で、自ら身を修める道徳を説く。背に負った薪は経済を示すから、金次郎像も「道徳と経済の両立」を具象化しているというわけだ。

 さらに「多くの金次郎像が一歩踏み出しているのは、実践することが何より重要だ、ということを示しているのです」と鷲山社長は言う。

 この「道徳経済一円論」は明治期以降の多くの経営者に影響を与えた。生涯に約500社の会社設立に携わり「日本資本主義の父」とも言われる渋沢栄一もそのひとり。渋沢の書いた『論語と算盤』には「仁義と富貴」という項があり「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」と書いている。また、「私は、あくまでも尊徳先生の残された4カ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことを願うのである」とも述べている。

 戦後の日本経済を牽引したパナソニックの創業者・松下幸之助氏や、多くの企業の再建に尽力し経団連会長も務めた土光敏夫氏、通信事業への参入やJALの再建にも力を振るった京セラ名誉会長の稲盛和夫氏なども尊徳の影響を受けた。彼らは国の財政再建などにも心血を注いだが、それはまさに尊徳の「分度」の実践だった。

 大日本報徳社など各地の報徳社は、相互扶助組織の役割も果たした。協同で積み立てた「報徳金」を運用し、無利子・低利で貸し付けることで、田畑の開墾や新しい産業の育成を支援した。大日本報徳社の2代目社長だった岡田良一郎衆議院議員は、1879年(明治12年)に日本最古の信用金庫である掛川信用金庫(現・島田掛川信用金庫)を設立したが、報徳思想が日本における協同組合運動の思想的な源流になっているとされる。

日本の財政に
「分度」はあるのか?

「まさに今の時代こそ求められている考え方ではないでしょうか」と鷲山社長は言う。利益一辺倒の「強欲資本主義」への見直しが求められ、持続可能な社会を作るSDGsが国連によって提唱され、日本でも企業や行政などに広がっている。SDGsも成長を否定しているのではなく、持続可能な成長を追い求めている。まさに道徳と経済の一円融合である。今、日本ではSDGsがさしずめブームのようになっているが、200年前に活躍した尊徳の思想を見直すタイミングかもしれない。

 1748回目の常会での社長講話で鷲山氏は「国民が権力に『分度』を要求していくことが必要だ」と参加者に語りかけた。

 新型コロナウイルス対策で大型の財政出動を行ったこともあり、国債などの日本の国の「借金」は1200兆円を突破、過去最大となった。国債で借金をして、税収を上回る歳出を続けている200年後の国の姿を、尊徳はどう見るだろうか。