「上場企業の3分の1が過去最高益を更新」それなのに"給与がちっとも増えない"本当の理由 円安で膨らんだのは「見た目の利益」にすぎない

プレジデントオンラインに6月3日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/58223

「円安は日本経済にプラス」は本当なのか

円安による「悪い物価上昇」を懸念する声が強まる中で、円安を追い風に上場企業の業績が急回復している姿が明らかになった。4月から5月にかけて発表した2022年3月期決算では、最終利益の合計が前の期に比べて83.9%増の約36兆円となり、2018年3月期の約30兆円を4年ぶりに超えて過去最高を更新した。円安が大幅な増益要因になった自動車などの輸出産業が大きく寄与したほか、資源高が追い風になった総合商社、国際運賃が上昇した海運会社などで好決算が相次いだ。全体の70%の会社が増益となり、3分の1の会社が最高益を更新した。

日本銀行黒田東彦総裁は「円安は日本経済にプラスだ」と言い続けてきたが、それを証明するかのような円安による好業績が実現している。エコノミストの間でも、「円安はプラスに決まっている」「いや、輸入物価の上昇に拍車をかけてマイナスが大きい」と活発な議論が繰り広げられている。しかし、これだけの好決算を見ると、やはり円安は日本経済にプラスなのではないか、とも思えてくる。

日本だけが金融緩和を継続、円安に拍車がかかっている

だが、問題は、この企業の好決算が、国民の生活にプラスに働いてくるかどうか、だ。端的に言えば、好決算の恩恵が「給与の増加」となって従業員に還元されるのかどうか、である。何せ、8年近く続いた安倍晋三政権は「経済好循環」を掲げてきたが、一向に給与は増えなかった。大規模な金融緩和による事実上の円安誘導で、新型コロナ前まで企業収益は膨らみ続けたのだが、ひとり当たりの人件費は増えず、結果として消費も盛り上がらなかった。

企業業績の好転→給与の増加→消費の増加→企業収益のさらなる増加という「好循環」は起こらず、当初は「起爆剤」だったはずの大規模な金融緩和策が、「恒常的な施策」となってしまったのだ。さらにそこへ新型コロナウイルスの蔓延による経済危機が襲い、日本は巨額の財政出動に踏み切らざるを得なくなった。米国などが早々に金融引き締めに転じているのをよそ目に、日本だけが大規模な金融緩和を継続する姿勢を変えられず、結果、円安に拍車がかかっている。

「2%の物価上昇」は予想外の形で実現してしまった

世界的なインフレによる国際市況の高騰に円安が加わったことで、日本にも物価上昇が迫っている。企業の間で取引されるモノの価格を示す企業物価指数は2022年4月まで14カ月連続で上昇、過去最高となった。輸入物価の上昇率について、決済をすべて円換算した場合、4月の上昇率は前年同月比44.6%という大幅な上昇になり、円安が物価上昇に拍車をかけ始めていることは明らかだ。

それでも消費者物価指数は低い上昇に止まっていたが、4月にはついに前年同月比2.1%の上昇となった。黒田日銀が目標とし続けてきた「2%の物価上昇」が予想しなかった形で実現する結果となった。輸入原料に依存している電力やガス、ガソリンなどの価格上昇が続き、小麦や食用油などの価格も上昇、それらを原材料とする食料品、日用品の価格が一斉に上昇を始めている。おそらく今後は、物価上昇率を2%に抑えられるかどうかが焦点になってくるだろう。

当初、日銀が想定した2%の物価上昇は、同時に賃金も上昇していくことを想定していた。経済の好循環が起きることを前提とした物価上昇だったわけだ。足元で進む猛烈な円安で、企業収益が膨らんだ分、賃金が増えることが重要なのだが、果たしてどうか。

ひとつの大きな問題は、円安で膨らんだ利益のかなりの割合が「見た目の利益」だということだ。今の日本企業の決算は「連結決算」が主体だ。海外の子会社がドルで稼いだ利益も、連結して決算する際は円に換算する。つまり、ドル建てでは利益が横ばいでも、円に換算した場合、大幅な増益になるという「マジック」が起きる。換算上利益が膨らんでいるだけで、実態は違う、という部分があるのだ。

そのドル建ての収益を円に転換して日本に持ち帰るなら、円安は確かにプラスになる。もちろん、以前のように日本からの輸出が主体な場合は、円安はキャッシュの受取額が増えるので、リアルにプラスになる。焦点は、いくら「見た目」の利益が増えても、リアルに手元に入ってくるキャッシュが増えなければ、本格的な給与引き上げにはつながらないことだ。

日本企業の多くは、過去の円高局面で製造拠点を海外に移している。そうした企業では円安がかつてのようにフルにプラスには働かないわけだ。つまり、連結決算で見た業績好調が、どれだけ「リアル」なのか。それを原資にどれぐらい賃上げができるのかが、日本経済の今後の復活に重要な意味を持つ。

企業の内部留保は過去最高を更新し続けている

財務省が6月1日に発表した2022年1~3月の法人企業統計調査によると、従業員給与は前年同期比4.7%増加した。新型コロナの影響で1年前の1~3月は3.6%減少していた反動もあるが、比較的高い伸びになっている。従業員数が3.5%増えていることも人件費が伸びた要因だ。だが、実質的なひとり当たり賃金の伸びは、物価上昇に追いついていないのが実情だ。

一方で、企業の「利益剰余金」いわゆる「内部留保」は499兆円と新型コロナの中でも過去最高を更新し続けている。

岸田文雄首相が就任当初は「分配」にこだわった背景は、企業に利益が「溜め込まれる」構造への疑問があったはずだが、具体策として金融所得課税の強化など「個人間の格差是正」に言及したことから、資本市場関係者の不興を買い、「岸田ショック」と呼ばれる株価下落に直結した。結果、岸田首相はロンドンでの演説で、「Invest in Kishida! (岸田に投資を)」と、あたかも市場に媚を売るかのような発言をするところまで追い込まれた。

止まらない内部留保の増加は、安倍内閣法人税率を大きく引き下げた効果が大きい。法人税率の引き下げを表明したのと同じタイミングで、企業のコーポレートガバナンスの強化を打ち出したが、ガバナンス強化に反対だった経団連などを説得するために法人税率引き下げという「実利」を与えたとも言える。

ガバナンスを強化すれば、「分配」を求める株主からの圧力が高まると考えたわけだ。結果、株主への分配は着実に高まった。株主というと、特定の富裕層への分配だけが増えたように批判されるが、国民の年金資産の多くは株式で運用されており、配当の増加は着実に年金資産の増加につながった。

労働生産性が上昇しなければ、賃上げはされない

一方で、期待された「人への分配」は思うように進まなかった。ここへ来て、岸田首相は「新しい資本主義」の柱として、「人への投資」を前面に打ち出している。企業に対して、賃金を引き上げよと言っているわけで、安倍内閣の「経済好循環」と変わらない。

問題は、企業に財布の紐を緩めよと言っても、お付き合いで若干の賃上げは行っても、本格的な賃金上昇にはつながらないことだ。従業員ひとりひとりがどれぐらい利益を稼ぐか、つまり労働生産性(ひとり当たり付加価値額)が増えなければ、企業は本格的な賃上げには動かない。ところが、年度別の法人企業統計によると、2012年度を底に2017年度まで上昇を続けた労働生産性は、2018年度以降は再び減少傾向にある。従業員が生み出す付加価値が増えなければ企業は給与を本格的には増やせないのだ。また、猛烈な人手不足にもかかわらず労働市場改革が行われていないことで労働移動を疎外し、高付加価値が期待される産業に人材がシフトしない問題も放置されている。

円安によって、仮に一部が「見た目の利益」だったとしても「最高益」が続くことになれば、企業経営者のマインドは大きく変わり、大幅な賃上げに動くきっかけになるかもしれない。そうした企業経営者に賃上げを促すための強力な政策は何なのか。7月の参院選後以降に本格化する岸田内閣の経済政策に期待したい。