名古屋で高級時計の消費大爆発!?ー日本銀行が言う「強制貯蓄」は本当に景気を回復させるのか

現代ビジネスに7月24日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/97824

物価上昇は「貯蓄があるから大丈夫」なのか

物価の上昇が止まらない。6月の全国の消費者物価指数は、生鮮食品を除いた指数が前年同月比で2.2%上昇した。2%超の上昇となったのは3ヵ月連続で、日本もいよいよ世界的なインフレの圏外ではいられなくなってきた。

しかも、企業間の取引の価格である国内企業物価指数は今年1月から9%台の上昇が続いている。輸入物価が4月以降は40%を超える上昇になっており、それが企業物価を押し上げているわけだ。

企業からすれば、仕入れコストが上がったからと言って、すぐに価格転嫁すれば、消費者にそっぽを向かれかねない。または買う量を減らされては元も子もないから、コスト上昇を企業が被って、最終価格は据え置いている。そんな企業努力を続けてきた。

消費者物価の上昇は、そうした企業努力がそろそろ限界に近づいていることを示している。秋に向けて価格転嫁が進み、さらに消費者物価指数が上昇する可能性が高いと見ていいだろう。

日本銀行黒田東彦総裁が6月6日に講演で、「家計の賃上げ許容度も高まってきている」と発言、炎上した。国会に呼ばれて追及された黒田氏は「全く適切でなかった」として発言を撤回したが、家計には余裕があると取られる発言を黒田総裁がした理由が「強制貯蓄」の存在だと見られている。

「強制貯蓄」とは、新型コロナによる外出制限などで消費に使えず、「半ば強制的に貯蓄された所得」を指すそうだ。 日銀では、この「強制貯蓄」が2021年末時点で50兆円もたまっていると試算している。20年末の20兆円から1年間で2.5倍に増えたというから、30兆円もの「本来使われるはずだった所得」が貯まっているというわけだ。新型コロナウイルスの感染が終息して経済活動が元に戻れば、この30兆円が一気に消費に回り、経済を活性化させるというのである。

名古屋異変

確かに、そうした爆発的な消費の気配らしきものも散見されるようになった。

日本百貨店協会がまとめた全国の百貨店の売上高は2022年5月に前年同月比57.8%も増えた。新型コロナによる営業自粛などで2020年5月に1515億円まで落ちた月間売上高が、2021年5月に2465億円にまで増加、今年はそれが3882億円に達した。新型コロナ前の2019年5月の4443億円には達しないものの、大きく回復してきたわけだ。

一方で、スーパーの売上高は振るわない。日本チェーンストア協会の統計によると、5月の総販売高は前年同月比2.2%減である。生活必需品の需要が増えているというよりも、どうやら百貨店の高級品が売れているようなのだ。

5月の百貨店売上高の内訳を見てみると、ハンドバッグや財布など「身の回り品」が103.9%増、「美術・宝飾・貴金属」が97.5%増と、いずれも前の年の2倍前後の売れ行きになっている。まさに、比較的余裕のある層の購買が活発になっているようなのだ。強制貯蓄が吐き出され始めているということかもしれない。

中でも高級時計に着目してみると、名古屋で「異変」が起きているという。続々と名古屋に高級時計ショップがオープンしているのだ。

名古屋三越栄店では6月20日に、スイスの高級時計メーカー「パテック フィリップ」の単独ショップが1階にオープンした。取り扱うパテックフィリップは2000万円程度の価格帯のものが中心で、2億円近い商品も扱うという。

また、松坂屋名古屋店では7月6日に高級ショップが集まった時計売り場「GENTA The Watch(ジェンタ ザ ウォッチ)」がオープンした。同店が時計売り場を改装したのは14年ぶりのことで、面積を従来の約2倍の1200平方メートルに広げた、という。松坂屋で開店に合わせて、スイスの「アントワーヌ・プレジウソ」のブルーサフィアを散りばめた世界限定1本の腕時計1億8150万円を用意したと報じられ話題を呼んだ。

富裕層と庶民のあまりの乖離

こうした超高額の商品が一気に売れ始めている背景には、インフレによる通貨価値の下落を見据えた富裕層が「資産性」の高い実物資産に替えていることがあると見られている。現物資産へのシフトは世界的な流れで、ローレックスなど高級時計の二次流通価格も急騰している。資産性に注目した顧客が一気に消費に走っているようなのだ。

つまり、どうやら、黒田総裁の言った事は、マクロで見れば正しいようなのだ。新型コロナで使うことができなかった「強制貯蓄」が、経済活動の回復と共に、溶け出し始めたとみることもできそうなのである。

だが、ここで大きな問題がある。強制貯蓄が貯まっているのはやはり富裕層なのだろう。貯蓄の使い道が、いきなり数千万円の高級時計になるというのは庶民感覚からは大きくズレている。もちろん、お金持ちがお金をたくさん使えば消費経済は上向くかもしれないが、それが時計店を潤し、そこで働く従業員の給与が上がって、一般庶民が好景気を味わうのには、まだまだ時間がかかる。

目先、猛烈な勢いで上がっている電気料金やガス代、食費などを賄えるだけの賃上げが行われる見通しは立っていない。庶民の暮らしは当面は厳しさを増すというのが実情だろう。

インフレになってもそれを受け入れられる「許容度」があるのは、平均よりも所得の多い人たちで、さらに高額品消費ができるのは、高齢世代を中心とした富裕層だけということになる。やはり黒田総裁は庶民感覚が欠如しているという点において、「全く適切でなかった」ということになるのだろう。