故安倍晋三元首相を「国葬」とする霞が関の「総理の序列」 在任期間という基準の評価は

現代ビジネスに8月20日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

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なぜ国葬なのか

9月27日に執り行われる予定の故安倍晋三元首相(享年67)の「国葬」に反対する声が高まっている。東京弁護士会が「国葬に反対し、撤回を求める」とする会長声明を出したほか、有識者からも反対意見が出ている。東京新宿では反対デモも行われた。

法の下の平等に反する」と言った大上段に振りかぶった反対意見から、「弔意を強制するのは問題だ」と言ったものまで反対論は様々だ。

「戦前にはあった国葬令という法令が戦後は無くなっていることから、国葬を行う法的根拠がない」という指摘もある。岸田文雄首相は、内閣府設置法の所掌事務を定めた第4条第3項第33号に「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」との規定があり、閣議決定国葬を行うことは法的に問題はない、という答弁を行なっている。

そもそも、なぜ、安倍元首相は「国葬」なのか。

戦後、国葬が行われたのは、貞明皇后吉田茂・元首相、昭和天皇の3例のみ。安倍元首相が4人目ということになる。岸田首相は、国葬を決断した理由として、憲政史上最長となる8年8カ月の長期政権であったことや、東日本大震災からの復興、アベノミクスをはじめとする経済再生、外交の展開など、さまざまな分野で実績を残したことを挙げている。

安倍元首相の事績を評価したから国葬なのだ、と言ってしまったわけだ。

筆者は、安倍元首相は外交で大きな成果を残し、経済政策も途中で腰が砕けたとはいえ、目指した方向は一定の評価ができると考えている。働き方改革として労働法制に手をつけようとしたことや、筆者と立場は違うが教育改革に着手したことなど、成果を上げたことは間違いない。

だが、それが吉田茂元首相以来絶えてなかった首相経験者の「国葬」に値すると言われると、やはり釈然としない。

霞が関の序列感覚

国葬にすることに関して、岸田首相の強い意志があったとは思えない。少なくとも霞が関が「国葬」に反対したのを首相が押し切った、という話も聞かない。つまり、霞が関国葬に異論を唱えなかったわけだが、それはなぜか。

実は、霞が関には歴代首相の評価軸がある。それは首相経験者たちがどんな勲章をもらったかを見れば一目瞭然だ。

日本の勲章の最高位に「大勲位菊花大綬章」という勲章がある。この勲章を生前に授与された首相経験者は、吉田茂佐藤栄作中曽根康弘の3元首相だけだ。

他の首相の多くはその一格下の勲一等旭日桐花大綬章(現在は桐花大綬章)を生前もしくは死亡時にもらう。生前にこの勲章をもらった首相経験者が亡くなった場合、多くは大勲位菊花大綬章が追贈される。

生前、菊花大綬章を授与された吉田、佐藤、中曽根の3元首相には、死去に際して、さらにその上の「大勲位菊花大綬章頸飾」が追贈された。この頸飾は天皇陛下が即位した際に佩用する究極の最高位だ。

今回、安倍首相にはこの「大勲位菊花大綬章」と「頸飾」が同時に追贈された。その理由は吉田、佐藤、中曽根を超える8年8カ月の首相在任期間ゆえである。霞が関が最も重んじる「前例」に従って、安倍元首相に最高位の勲章が授与されたのだ。

余談だが、安倍元首相が凶弾に倒れていなければ、70歳になったあたりで、「大勲位菊花大綬章」が授与されたはずだ。中曽根元首相が「大勲位」と呼ばれてご満悦だったのと同様、政界の大重鎮になり、隠然たる影響力を持っていただろう。

ちなみに、こうした勲章が授与される「基準」は在任期間の長短であって、行なった政治の中味ではない。ごく短期間でも国家にとって影響の大きい事績を残した首相も、霞が関の評価基準では関係ない。というよりも首相の事績は歴史の中で評価が固まるもので、死去直後、あるいは生前に定まるものではないから、在任期間で測るというのも一つの見識だろう。

もちろん、他の勲章と同様、有罪判決を受けるなど不祥事に関与すると叙勲対象から外れる。しかし、醜聞によって総理の座を短期間で追われた宇野宗佑元首相も旭日桐花大綬章を受賞している。ただし、宮澤喜一元首相のように、叙勲を辞退している元総理もいる。

在任期間というシンプルな基準

ということで、葬儀に話を戻すと、生前に大勲位菊花大綬章を受けていた吉田、佐藤、中曽根の3元首相のうち、吉田元首相は国葬佐藤元首相は「自民党、国民有志による国民葬」、中曽根元首相は、「内閣・自由民主党合同葬」だった。今回、突然、安倍首相が若くして亡くなったことで、どういう葬儀を行うべきか、霞が関は頭を悩ませたに違いない。

吉田元首相を「別格」とすれば、佐藤元首相と同格の「国民葬」にする選択肢もあっただろう。しかし、そうなると「憲政史上最長」の任期を務めた首相を吉田元首相より「格下」と「評価」することになる。それはそれで異論が出てきたことだろう。

官僚機構としては、在任期間という誰も異を唱えられない「基準」を用いておいたほうが、将来にわたって禍根を残さない。大きな勲章をもらうために人気取りの政策を行うといった衆愚政治家を生むリスクが幾分かでも小さくなるからだ。

だが、在任期間を基準にするデメリットもある。都道府県知事は4期務めて引退すると大臣と同じ旭日大綬章を受ける。知事では多選批判の議論が以前から繰り返されているが、3期務めた知事が4期目に出馬する動機のかなりの部分がこの勲章だと見られている。通常の知事より1格上がって旭日大綬章になると、天皇陛下から「親授」される栄誉に浴することができるからだ。

岸田首相も故人へと配慮から「成果」を並べたが、「在任期間が憲政史上最長だった」ことだけが基準だと言っていれば、ここまで反対論が盛り上がらなかったかもしれない。