弁護士人気の凋落続く--司法試験合格者数が7年連続で減少 法曹界は国と共に衰退の道を選ぶ?

現代ビジネスに9月17日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/99903

歯止めかからず

今年も司法試験の合格者減少に歯止めがかからなかった。

法務省が9月6日に発表した2022年の合格者は1403人と、前年の1421人を下回り、7年連続の減少となった。さらに深刻なのは出願者数の減少で、新司法試験に完全移行した2012年以降で過去最低の人数を更新、3367人と2011年の1万1891人の3分の1近くに落ち込んだ。弁護士や検事、裁判官といった「法曹界」を目指す人が激減し続けているのだ。

弁護士といえば医者と並んで花形職業だったはずだが、なぜ、弁護士を目指す人の減少が止まらないのか。司法試験や公認会計士試験など資格取得の予備校関係者は「よほど勉強してもまず合格できないからと初めから諦めてしまう学生が多い」と語る。

合格率だけを見ると今年は45.5%で、10%を下回る公認会計士試験などに比べて難易度は低いように見える。しかし、それは受験者数が大きく減っているためで、実態を表していないというのだ。

現在の司法試験制度では、大学の学部を卒業した後、2年間、法科大学院に通ってから司法試験を受けることになっている。その費用は最低でも200万円はかかる。もともと政府が進めた司法制度改革では、法科大学院を出た学生の大半が司法試験に合格する想定だった。

政府は司法試験合格者を年間3000人程度まで増やす目標を掲げ、実際、2008年から2013年までは毎年2000人を超える合格者を出していた。

規制緩和を進めることで、行政がそれまでの官による事前指導型から事後チェック型に変わるとされ、官に代わって法規制を担う法曹人が大量に必要な社会になるという考えが背景にあった。

ところが、2000年に2万688人だった法曹3者(弁護士、検事、裁判官)の人口は2009年に3万1441人と3万人を突破、2015年には4万人を超えた。急激に資格者が増えたことで弁護士業界の競争が激化し、収入が落ち込む人が出るなど、弁護士過剰を是正するよう求める声が噴出。政府は2015年に合格者数の目標を1500人に半減させ、それにつれて司法試験の合格者数も減っていった。

色あせる法科大学院

その結果、法科大学院に進んでも司法試験に合格できない学生が急増、法科大学院人気も一気に色あせたのだ。

現在でも、法科大学院を出た学生の合格率が50%に達しないところが少なくない。

2022年にトップだった京都大学法科大学院で合格率が68%、東京大学法科大学院が57%に過ぎず、早稲田大学法科大学院は45%、中央大学法科大学院は26%といった状態だ。ひとりも合格者を出せなかった法科大学院も23校に及んでいる。

つまり、法科大学院できちんと勉強すれば法曹界に進めるという「設計」自体が破綻しているのだ。

一方、経済的に法科大学院に進めない学生を救済する目的で設けられた「予備試験」の受験者が急増。こちらは年齢制限がなく大学卒業資格も不要なため、2021年秋の試験には1万4317人が出願した。こちらの合格者は467人で、合格率は3.99%。猛烈な狭き門であることを如実に示している。

簡単には受からない試験を学生が敬遠していることが司法試験人気凋落の大きな理由というわけだ。

「まだ多過ぎる」と騒ぐ法曹業界

合格者は、政府の新たな目標である1500人を、3年連続で下回っている。それでも弁護士業界からは、「まだ多過ぎる」という声が上がっている。

合格発表当日の9月6日、札幌弁護士会は「司法試験合格者数を直ちに減員することを求める会長声明」を出した。合格率が大きく上昇しているのは、政府の目標である1500人に「過剰に配慮したとの懸念が生じ」るとし、「『輩出される法曹の質の確保』という留意事項に照らしても、極めて問題であると言わざるを得ません」と述べている。つまり、合格率が上がって難易度が下がれば弁護士の質が下がる、といっているのだ。

また、裁判所の民事事件の新受件数が2009年をピークに減り続けていることを挙げ、「人口減少に伴い減少する法的需要よりも多くの法的需要が喚起されると判断すべき客観的かつ明確な根拠は見当たりません」としている。仕事が減るのに弁護士を増やすとは何事か、というわけだ。会長声明は「そこで当会は、引き続き政府に対し、司法試験合格者をさらに減員するよう強く求めます」と結ばれている。

もちろん、弁護士業界にも様々な意見がある。弁護士の活動領域が従来の裁判や紛争解決だけでなく、様々な契約行為や事業活動の場面に広がっていること、法律事務所だけでなく、企業内などで活躍する弁護士が増えていることなどを指摘、安易に合格者を減らすべきではない、という意見もある。

実際、日本弁護士連合会は2022年3月にまとめた「法曹人口政策に関する当面の対処方針」で、「現時点において、司法試験の合格者数に関して、更なる減員を提言しなければならない状況にはない」としている。

だが、その日弁連も毎年発行する『弁護士白書』では、「弁護士人口の将来予測(シミュレーション)」を掲げ、毎年1500人の合格者を出し続けると、2048年まで弁護士数が増え続けると予測。一方で日本の人口は減少していくため、弁護士1人あたりの国民数は2020年の2994人から2038年には1898人、2048年には1610人となり、どんどんマーケットが縮小していくというデータを示している。

危機感はあるのか

しかし、本当に、試験を難しくすれば有能な法曹人が増えていくのだろうか。

司法制度改革で法科大学院を作った背景には、法学部の学生だけでなく、様々な学部から法曹に進めるようにすることで、より幅広い知見を持った法曹人を作ろうという狙いがあった。世の中が複雑化、専門化する中で、多様な人材を法曹界に迎えなければ対応できなくなるという危機感もあったのだ。

にもかかわらず、現状主流を占めている議論は、人口が減りマーケットが縮小する中で、司法試験に合格した人が法曹の仕事で十分な収入を得られるようにするには合格者を減らすべきだ、というものだ。資格を取りさえすれば食べていける「ギルド」の発想と言っていい。

資格試験はあくまで「入り口」で、その後は専門家として競争の中で切磋琢磨していく、優秀な人だけが生き残り、そうでない人は法曹以外の仕事に就くのが当たり前という米国などの発想とは真逆なのだ。

日本の法曹界は、人口が減り、経済も縮んでいく中で、競争を避け、自分たちが生きていける職域だけを守り続けていくことで十分だと思っているのだろうか。多くの若者たちが日本で弁護士になることに魅力を感じなくなっているという事実に、法曹界はもっと危機感を抱くべきではないか。

止められない雇用調整助成金はもはや「麻薬」

定期的に連載している『COMPASS』に9月15日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://forum.cfo.jp/cfoforum/?p=23634/

 新型コロナウイルス感染症対策として導入され、何度も期限延長を繰り返しながら2022年9月末までとされてきた雇用調整助成金の特例措置が、10月以降もさらに延長される。助成の上限を引き下げるなど特例措置を縮小するとしているが、収まらない新型コロナウイルス感染症に加え、エネルギー価格の上昇や世界的なインフレの影響もあり、企業経営は依然として厳しい中で、特例を完全に取り止めるメドが立たなくなっている。特例を止めれば、中小企業を中心に、経営破綻したり、雇用を大幅に削減するところが急増するという声もあり、止めるに止められない「麻薬状態」になっている。

 雇用調整助成金は、新型コロナウイルス感染症が流行して緊急事態宣言が出され、経済活動が止まった後の2020年8月に月間の申請件数が45万件、決定件数が40万円、支給決定額が6,500億円とピークとなった。当初は短期間の緊急措置の予定で、同年12月には決定額が1,600億円程度にまで減ったが、再び感染者が増えて緊急事態宣言が出されたことから、延長が繰り返され、2021年は毎月2,000億円前後の支給決定額が続いてきた。2022年に入ると経済活動が戻ってきたものの、政府は特例措置の延長を繰り返し、減ったとはいえ、毎月、1,000億円から1,300億円程度の支給決定額になる状態が続いてきた。


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挑戦し続けて見えてきたサーキュラーエコノミーの実現 サイクラーズ

 雑誌Wedge 2022年3月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26321

 

「東京でリサイクル事業をやるという意味を考えた末の結論が、高度リサイクルに進むことだったのです」と語るのは、産業廃棄物処理大手のサイクラーズ(旧東港金属グループ)社長の福田隆さん。

 廃棄物処理は一種の装置産業で、広い土地を持つ地方の企業の方に優位性がある。工業地帯とはいえ、東京・大田区という都会にある立地をどのように生かしていくかが大きな課題だったという。

 創業は1902年(明治35年)。福田さんの曽祖父が東京・神田で非鉄金属地金を扱う「故銅店」を開いたのがルーツだ。29年(昭和4年)に祖父が社長を継ぐと非鉄金属事業を拡大、回収した金属から銅合金などを精錬する事業を軌道に乗せた。

どうやって
東京の立地を生かすか

 廃棄物処理業に本格的に乗り出すのは3代目の父・勝年氏の頃(80年代)。家電リサイクルなどにも乗り出した。ところが2002年にその父が急逝。隆さんが28歳で4代目として社長を継ぐことになった。そのとき、考えたのが「どうやって東京にあるという立地条件を生かすか」ということだった。

 大都市東京は膨大な量のゴミを日々排出する。その中から再資源化できるものを選別し、リサイクルに回していく。アルミスクラップや鉄スクラップ、廃プラスチックなど、取り扱い品目を増やし会社を成長させてきた。07年には千葉・富津に大規模リサイクル工場を開設。本社工場の土地の狭さを補う投資に踏み切った。

 そんな中で、福田さんはさらなる「高度化」に踏み出す。リサイクルとITを結び付けられないか、と考えたのだ。きっかけは17年。「ディープラーニング」技術の進化で盛り上がっていた第3次AIブームをみて、コンピュータープログラムのコーディングから学べる講座に参加したのだ。

 もともと福田さんは経済学部の卒業。理科系とはまったく縁がなかったが、「事業にもっとITを取り入れなければダメだ」と痛感した。

 「必要だと思ったら嫌なことでもできてしまうのが自分の強みなんです」と、福田さんは笑う。大学卒業後、国内メーカーや外資系で営業職を務め、「そろそろ戻ってこい」と父から言われて入った東港金属ではいきなり営業をやれと言われた。大口の顧客に逃げられ、その分の穴埋めをしろ、という命令だった。

 スクーターを買うと飛び込み営業を始める。1週間で50軒ほどを回ると4軒の客が取れた。「飛び込み営業なんて、何百軒回って1軒取れるかどうか。それがあっという間に4軒取れた。この業界はあまり営業をする慣習がなく、お客さんは廃棄物処理に悩んでいたんです」。まだまだ成長する余地が大きいと感じたのだ。その経験がのちに、事業を積極拡大していくベースになった。もちろん、環境意識の高まりや、SDGs(持続可能な開発目標)の広がりなども追い風になった。

メルカリのサービスこそ
自分たちがやるべき

 話を戻そう。ITの必要性を感じた福田さんは18年5月に子会社「トライシクル」を設立する。インターネットを通じたリサイクル・サービスの開発を行うIT会社だ。

 そのとき考えたライバルは、メルカリ。メルカリがやっているサービスは本来、リサイクル業者である自分たちがやらなきゃいけない事業だと感じた。まずはメルカリのようなマッチング・システムを作ろうと考えたのだ。ちなみに社名をカタカナの今風にしたのは、ソフト開発ができる若者を採用する上でのブランド・イメージを考えたためだ。

 2019年に誕生したのがアプリ「ReSACO(リサコ)」。企業が使わなくなったモノを最適な方法と価格で売り、それを必要とする企業が買えるマッチング機能がウリで、資源リサイクルの世界初の「B2B、サーキュラーエコノミー(循環型経済)対応プラットフォームアプリ」になることを目指した。

 当初スタートさせたアプリはまさしくメルカリ型の1対1のマッチングアプリだった。不用品を必要とするところにリサイクルする仕組みだ。ところが、サービスがスタートしてもユーザーがまったく増えなかった。なぜか。

 客に聞いたところ、大量に処分したいモノを抱える法人客にとって、1対1のマッチングは手間ひまがかかりすぎるため、ニーズがなかったのだ。

 そこで福田さんはモデルを一気に変えることを即断する。法人向けの「無料回収サービス」や「不用品まるっとおまかせサービス」など法人の需要に合わせた仕組みに変えたのだ。これで一気に集荷量が増えた。リサイクルさせるためには、じっくり販売していかなければならない。その際、富津の広い土地が役立った。19年11月にリサイクルセンターを稼働させた。

専用ソフトを開発して
業界全体のDXに貢献する

 新型コロナウイルスの蔓延で、飲食店などの閉店が相次いだり、テレワークの広がりでオフィスを縮小したりする動きが強まり、設備機器などの引き取り要望が大きく増えた。既存のリサイクルショップなどは新規に売れるメドが立たないため、買い取りを手控えている。

 そんな中でトライシクルはグループに廃棄物処理の「東港金属」があるため、最終的に廃棄することになった場合でも処分コストが安い。さらに他のリサイクルショップと違い、リアル店舗を持たないことも優位だ。最近では年間の取り扱いが1万2000件くらいに達している。その半分近くが無料回収したものだ。

 トライシクルはこのアプリだけが事業ではない。本格的なIT企業へと育ちつつある。

 廃棄物処理業界は規模の小さい会社も多く、デジタル化はほとんど進んでいない。かといってニッチ産業のためIT大手が業界専用のソフトを開発してくれるわけでもない。そこで、トライシクルが業界向けのソフトを開発して販売することにしたのだ。業界全体のデジタル・トランスフォーメーション(DX)化に貢献しようというわけだ。

 開発したのが、産業廃棄物の委託契約を電子化するサービス「エコドラフトwithクラウドサイン」だ。従来、紙で行っていた委託契約を電子化でペーパーレス化。それにより契約書作成の手間や印紙代・切手代などのコストを大幅に削減できる。合意締結では弁護士ドットコムが運営する「クラウドサイン」を利用している。

 創業から120年。4代にわたって続いてきた秘訣は何だと思うかと問うと、「常に新しいこと、面白いことに挑戦するカルチャーではないか」という答えが返ってきた。

 もともと創業した曽祖父は医師・薬剤師の家に生まれながら、独立して故銅の世界に飛び込んだ。その後も本業を大事にしながら、時代の流れに合わせて会社の形を次々に変えてきた。「サーキュラーエコノミー」が世の中のキーワードになる中で、サイクラーズグループはまだまだ変身していくことになるのだろう。

インフレのしわ寄せは従業員へ、企業物価急上昇で「賃上げ」は後回し  まず企業防衛が優先か

現代ビジネスに9月12日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/99686

物価上昇率3%超えは時間の問題

日本にも世界的なインフレの波が押し寄せてきた。

国内物価の上昇が止まらず、7月の消費者物価指数(生鮮食品を除く)は前年同月を2.4%上回った。11カ月連続での上昇で、2%を超えるのは4カ月連続。しかも上昇が止まる気配はない。10月には様々な消費財の値上げが予定されていることから、消費者物価指数の上昇率が3%を超えてくるのは時間の問題と見られる。

実際、企業間取引の物の価格である「企業物価指数」は前年同月比8.6%も上昇している。原油や小麦などの海外市況商品の高値が続いているのに加えて急速な円安で企業が輸入する際の価格が大幅に上昇していることが大きい。

7月の「輸入物価指数」は前年同月に比べて48%も上昇している。企業物価の上昇ほど消費者物価が上がっていないのは、企業努力で吸収するなど小売り価格に転嫁されていないためだ。今後、価格転嫁が本格化する見通しで、消費者物価の上昇率が大きくなると見られる。

消費者物価の大幅な上昇は、消費者の生活を直撃することになる。問題は物価の上昇を吸収できるくらい賃金が上がるかどうかだ。岸田文雄首相は就任以来、「新しい資本主義」を掲げ、賃金の引き上げが重要だと述べ続けている。果たして企業は、こうした政府の要請に応じる形で、物価上昇に見合った賃上げを実施するのだろうか。

残念ながら、企業の多くは従業員の「生活防衛」よりも、自身の「企業防衛」を優先しそうな気配だ。企業物価の上昇を最終価格に十分に転嫁できない場合、そこコスト増を吸収するために一段の合理化を進めることになるが、そのしわ寄せが従業員や下請けに回りそうなのだ。賃上げどころか、賃金据え置きすら怪しくなってくる。仮に賃上げが行われたとしても物価上昇率には到底及ばず、いわゆる「実質」賃金は低下してしまう。

これは政府が「過去最大の引き上げ」と胸を張る「最低賃金」にも現れた。10月から適用される全国の最低賃金が出そろったが、その加重平均は961円と前年比31円の引き上げだった。率にして3.3%だ。確かに前年の3.1%増を見た目では上回っている。

だが、今年7月の消費者物価の上昇率は2.4%、昨年7月は0.2%のマイナスだった。単純にこの物価を加味すれば、昨年の最低賃金は3.3%の上昇、今年は0.9%の上昇ということになる。「実質」で見れば昨年を大きく下回る引き上げしかできていない。これと同じことが今後、企業の賃金でも起きそうなのだ。

人件費増を食い潰す輸入原材料高騰

9月1日に財務省が発表した「法人企業統計」にその“予兆”が表れている。四半期ベースのデータで2022年4-6月期は売上高が前年同期比7.2%増加し、経常利益は17.6%増と大幅な増加を示した。2022年1-3月期の増益率13.7%をさらに上回り、新型コロナウイルス蔓延の影響から企業収益が立ち直りつつあることを示した。

ところが、である。4-6月期の「人件費」の増加率は2.2%増と、1-3月期の5.2%増から大幅に鈍化している。売上原価は7.7%増えているので、原材料費などの増加が人件費よりもかなり大きかったことを示している。つまり、輸入原材料などの価格高騰によって、人件費増の足を引っ張られた可能性があるのだ。

この人件費2.2%増には賞与なども含まれており、従業員給与だけに限ると1.9%の増加だ。4月から6月まで消費者物価は2%を超える上昇になっており、つまり「実質」的な賃金はまったく増えていないことになるわけだ。

総務省の家計調査でも勤労者世帯の実収入(実質)は4月3.5%減、5月2.7%減、6月1.4%減といずれもマイナスだった。岸田内閣の期待と逆に、企業の賃上げは不十分で、インフレに追いついていないのである。

従業員の生活防衛は二の次

大手の自動車メーカーなどは下請け企業からの購買費を引き上げていると胸を張る。これまで価格引き下げ一辺倒だったことからすると画期的ではあるが、これもほとんど下請け企業が負担する原材料費の価格上昇分を補うのが精一杯で、下請け企業の人件費を引き上げるところまではいっていないケースが大半だとみられる。

「賃上げしなければとは思うのですが、輸入部材の価格上昇が激しく、その余裕はありません」と中部地域の中小企業経営者は言う。従業員の人件費増加を抑えることで販売価格を引き下げてきたデフレ下の日本企業の経営スタイルからまだまだ脱却できていないのだ。インフレ下で賃上げが後回しになれば、生活者の困窮は一気に進むことになりかねない。

では、企業の懐事情がそこまで大変かというと、統計数字を見る上では、そうは見えない。企業の内部留保(利益剰余金)が増え続けているのだ。前出の法人企業統計では、2021年度の内部留保(金融・保険を除く全業種)は516兆4750億円と初めて500兆円を突破した。内部留保が増加するのは10年連続で、10年前の1.8倍になった。資本金1000万円以下の企業は減少している一方で、大企業は大きく増えた。

全体では1年前に比べて6.6%の増加で、年度の人件費の伸び(5.7%増)よりも大きくなった。企業は景気変動などのリスクに備えて内部留保を厚くすると説明されているが、実際は新型コロナウイルスの蔓延による経済的な危機に際しても、年度ベースでは内部留保が取り崩されることはなかった。

従業員の給与を物価上昇以上に引き上げて「生活防衛」に資するという考えよりも、一段と不透明感を増す今後の経済情勢に備えて内部留保を積み増すという「企業防衛」が優先されている、ということなのだろう。

煎餅の「再定義」と「再構築」 老舗若旦那の大胆な挑戦  松崎商店

雑誌Wedge 2022年2月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26249

 

 東京・東銀座。歌舞伎座前の晴海通りから木挽町通りという路地を入った右手向かいに、大きな暖簾を掛けた店が、2021年7月にオープンした。場所柄、格式張った伝統的な呉服店か何かかと思いきや、どうも雰囲気が違う。

 「丸に一つ松」の紋が染め抜かれた紫色の暖簾は、透けて店の中が見えそうなほど薄手。「はて、何の店だろう」と気になる作りに誘われ、店内をのぞいていく客が後を絶たない。

 ライティングされた外の看板には「MATSUZAKI SHOTEN」。その下に「by 銀座 松﨑煎餅」という小ぶりの文字がなければ、これが1804年(文化元年)創業の老舗「松﨑煎餅」の「本店」だとは思わないに違いない。それくらい店の外も中もモダンなのだ。

 中に入ると、棚には煎餅類が並ぶ。確かに煎餅店だ。あられや草加煎餅のような米菓に加え、瓦煎餅が置かれている。

 実は松﨑煎餅は江戸時代、この瓦煎餅から始まった。シンプルな店内の右手には大きなテーブルが置かれ、カフェスペースになっているほか、歴史の長さを感じさせる写真が飾られている。

 そんな伝統的な「煎餅店」とはまったく雰囲気の違う新本店をオープンさせたのは、松﨑煎餅の8代目に当たる松﨑宗平社長、43歳。もともとグラフィックデザイン・ウェブデザインの会社などに勤めていた経験を持ち、ミュージシャンとしても活動する異色の経営者だ。

 「今は棚に煎餅ばかりが並んでいますが、この比率をどんどん下げていこうと思っているんです」

 と松﨑さんは不思議なことを言う。

 松﨑煎餅の本店は銀座5丁目にあったが、その移転を決めたのは、新型コロナウイルスの蔓延拡大がきっかけだった。すっかり銀座から客足が遠のき、「このまま体力をすり減らすことになるのならば」と、新しい店に転換する決断をした。

 「ここ数年、『煎餅を再定義する』と言ってきたのですが、新型コロナでそろそろ限界を感じていました」

 と松﨑さんは語る。

 「煎餅を再定義する」とはどういうことか。

 煎餅と言えば贈答品だが、歳暮中元などの慣習が薄れ、贈答品の種類も多様化。煎餅の需要自体が頭打ちになりつつある。

 もう一度、生活の中に戻ろうと考え、2016年に世田谷の松陰神社通り商店街に支店を出した。「地域密着、原点回帰」をテーマにしたコンセプトストアだ。

 松陰神社前店も、棚に煎餅類は並んでいるが、テーブルがいくつも置かれ、カフェになっている。「地域密着」の人々の憩いの場になることを狙ったのだ。

 もうひとつ。松﨑煎餅の創業の品である瓦煎餅への「原点回帰」にも力を入れてきた。父の代では、品揃えの95%が米菓で、瓦煎餅は5%以下だったが、今では30%台にまで高めた。看板商品である瓦煎餅『大江戸松﨑 三味胴』には季節ごとに色砂糖で絵付けをする。

 「包装を変えることで豪華に見せるという手法がよく取られますが、やはり商品自体の価値でお客様に買っていただきたい。『一枚一枚心を込めて手を抜くな』というのがうちの家訓のようなもの。瓦煎餅だけでなくお客様一人ひとりだったり、全てに対して丁寧に取り組むという意味だと解釈しています」

 と松﨑さん。背景には、煎餅の付加価値を少しでも高めたいという思いがあった。

 新型コロナで銀座本店の売り上げは激減したが、地域密着の松陰神社前店は巣ごもり効果もあって、順調な売り上げを維持できた。「あの店を出していなかったらと思うと冷や汗が出ます」と松﨑さん。そんなコンセプトストアの成功の上に、本店を移転し、新しい店を作る決断が生まれた。

再定義の次は
再構築を進める

 「今度は再定義ではなく、再構築です」

 と松﨑さんは言う。

 その再構築の一端が本店カフェコーナーのメニューにある「松﨑ろうる」。瓦煎餅の原料の配合を変え、柔らかく焼き上げることで新たな一品を生み出した。ロールの中には、小豆の餡や白玉を挟んである。飲み物は断然コーヒーである。見るからに洋菓子だが、口に入れてみると、確かに瓦煎餅だ。

 しかも、餡は銀座の老舗もなか店「ぎんざ空也」の5代目が立ち上げたブランド「空いろ」のものを使う。まさに、銀座の老舗の「新世代コラボ」で生まれた新商品なのだ。今は、店頭でしか食べられない「松﨑ろうる」だが、改良して持ち帰りができるようにする予定だ。

 本店での「再構築」はそれだけではない。夜になると、煎餅店が「DJバー」に変身する。店の天井には音響の良いスピーカーが設置され、照明も色が変わるのだ。煎餅のショーケースにはターンテーブルが置かれ、松﨑さん自らDJに変身する。ミュージシャンの真骨頂である。

 客は、店内にある冷蔵ケースから缶ビールを取り出して購入、棚にある煎餅をアテに一杯やる。ちょっとした町の社交場に早変わりするのだ。残念ながら、新型コロナの影響で、今はまだ不定期開店の状況だが、「いずれ、私ひとりでオペレーションできる形にして、定期的に煎餅バーにしたい」と松﨑さんは構想を膨らませる。

 シャンパンと煎餅の取り合わせを楽しむイベントも企画した。ぬれ煎餅にクリームチーズを添えるとシャンパンにはぴったり合うという。

原点が持つ力が
新しい形につながる

 新しい本店は成功を収めている。すでに新型コロナ前の19年の売上高を上回った。店の前を歩く通行人の数は移転前の銀座の方が多かったが、店をのぞいていく人の数は圧倒的に新本店の方が上回る。銀座に比べて肩肘を張らない東銀座という町のせいか、客の年齢層も広がり、店を訪れる若い人たちが増えた。

 店名を「MATSUZAKI SHOTEN」に変えたのも「再構築」を目指す心意気の表れだ。「店に置く煎餅の割合を減らし、食べ物にこだわらず、良いもの、面白いものを置いていきたい」と松﨑さん。すでに銀座の名店の小物類などを置いているが、アパレルなどにも広げていきたいという。

 さらに「東銀座にあと2、3店『MATSUZAKI SHOTEN』的なお店を増やしていきたい」というビジョンを持つ。

 煎餅の文字を外し、ローマ字綴りにした新ブランドが示すように、煎餅店のような「何店」であることは考えない、という。では何を目指すのか。「町を楽しくするためのカルチャーを作る店にしたい」と松﨑さんは先を見据える。

 長年、銀座という町で培われてきた老舗が、若旦那世代のネットワークもあって、新しい形へと変わっていく。「原点」が持つ力を引き出すことで、それが「新しい形」へとつながっていく。これこそ時代の変化を捉えて生き残ってきた老舗の真骨頂かもしれない。

 

まさか支援者が旧統一教会の関係者だとは…そんな言い訳を繰り返す自民党議員は常識がなさすぎる 「近寄ってくる支援者の素性を知らない」ことが大問題

プレジデントオンラインに9月9日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/61451

「関係性の点検」に追われ仕事に手が付かない議員たち

統一教会(世界平和統一家庭連合)と自民党議員の関係を巡る問題が一向に収まらない。

「国民の皆様から引き続き懸念や疑念の声を頂いております。自民党総裁として率直におわびを申し上げます」

岸田文雄首相は8月31日に開いた記者会見で、ついに党を代表して頭を下げるところまで追い込まれた。安倍晋三元首相の「国葬」を巡る反対意見もあり、多くのメディアの世論調査で、岸田内閣の支持率が大幅に下落した。参議院議員選挙に大勝し、選挙がない「安定の3年間」を手にしたはずが、一気に足元がぐらついている。

会見で岸田首相は、「党の基本方針として、関係を絶つよう所属国会議員に徹底する」と旧統一教会との「決別」を宣言した。当初は各議員の責任で党は関係ないとしてきたものを、党としての方針を明確にしたわけだ。また、所属国会議員に旧統一協会との「関係性を点検」して公表することも求めた。

そんな指示を受けて、点検に追われている議員が少なからずいる。「急速に進む円安で経済が大変な時だからと思って会ったのですが、旧統一教会の問題で頭がいっぱいだとかで、話をしてもうわの空でした」と旧知の経済閣僚と面会した学者は苦笑する。他にも政務三役や党の役職に就いていて、まったく仕事が手に付かない議員がいるようだ。それほど、自民党議員にとっては突然目の前に現れた大問題になっているのだ。

永田町の常識は世の中の感覚とあまりにかけ離れていた

そもそも、ほとんどの議員が、旧統一教会との関係を「軽く」考えていたのだろう。メディアで関係が明らかになり始めた7月末の議員たちの反応がそれを示している。

「何が問題か、僕はよく分からない」。そう記者会見で発言して、ネット上などで大炎上した福田達夫総務会長(当時)は、ある意味、正直な反応を示したということだろう。

他の議員も含めて、メディアに問題を指摘されても、どこか腑に落ちない表情で受け答えしていた。信教の自由が憲法で保証されている日本で、宗教団体に応援してもらって何が悪いのだ、という思いだっただろう。また、選挙活動を手伝ってくれたり、票集めをしてくれる支援者に頼まれた会合で挨拶してどこが問題なのか、他の支援者と何も変わらないではないか、といった思いもあったのだろう。中には旧統一教会がどんな宗教団体かもまったく知らずに支援を得ていた議員もいたに違いない。

「永田町の常識は世間の非常識」と言うが、その辺りが世の中の感覚とあまりにかけ離れていた。岸田首相をはじめ大半の議員たちがそれに気が付き、大きな問題だと感じ始めたのは、国民の批判の声が収まらず、支持率が低下してからだった。岸田首相が頭を下げるのに2カ月近くを要したのがそれを物語っている。

事件が起きると慌てて献金を返す議員たち

関係を指摘されて「旧統一教会に関係する団体だとは思わなかった」「まさか支援者が旧統一教会の関係者だとは知らなかった」と言った「言い訳」はその後も続いている。知らなかったのだから、仕方がない、というわけだ。だが、支援者の素性をきちんと把握していなかったこと自体が問題なのだ。

いまの日本、特に自民党の国会議員と支援者の関係は「微妙」だ。その政治家と親しくなることで、何らかの便宜を受けようと近づいてくる支援者が多い。特に企業団体献金が禁止されていない日本では、多額の献金をしたり、パーティー券を買ってくれる相手の要望に答えることが半ば「当たり前」だと思っている議員が少なくない。だから、何か意図を持って近づいてくる支援者への対応が「甘く」なるのだ。

何か事件が起きると、その容疑者から受け取っていた寄付金を慌てて返金する議員が出てくるが、これも議員事務所側の危機管理が「甘い」結果と言える。

なぜこれだけ幅広く自民党議員に浸透したのか

統一教会がこれだけ幅広く自民党議員に「浸透」していたのは、教団の明確な意図があったからだろう。それが宗教上の信念かどうかは別として、多くの議員を通じて日本の政治に影響力を与えようとしていたとみるべきだ。

韓国や北朝鮮との関係が深い旧統一教会が、外国政府の意思を受けて日本の政治家に近づいていなかったと断言できないだろう。最低でも、日本の宗教法人として免税措置など様々な恩恵を受け続ける上で、文部科学省の許認可権に影響を行使できる与党政治家に近づくメリットはあったと見ていい。つまり、単に「熱心な支援者」「他と変わらない支援者」というわけではないのだ。

国民の批判が収まらないのは、旧統一教会自民党議員を浸食していった背景には、そうした意図があったと感じているからだし、自民党議員側も旧統一教会のために何らかの便宜をはかっていたのではないかという疑念があるからだろう。それがすべて明らかになるまで、この問題は収まらないに違いない。

金融業界には顧客の素性を確認するルールがある

岸田首相は会見でもうひとつ方針を打ち出している。

「今後、社会的に問題が指摘される団体と関係を持つことがないよう、党におけるコンプライアンスチェック体制を強化する」というのだ。

もちろん、支援者や支援団体がどんな団体なのかを知ることは重要である。

金融業界にKYC(Know Your Customer)というルールがある。銀行などに顧客がどんな目的で口座を開設しているのか、本人は実在の人物なのか、どんな経済状態なのかなどを知るよう求めたもので、本人確認などに多くの手間をかけている。金融機関が犯罪資金のマネー・ロンダリング資金洗浄)などに利用されるのを防ぐために整備されてきたルールで、米国の同時テロが起きた2001年ごろから一気に強化された。

つまり、金融機関は誰でも顧客を増やせば良いのではなく、悪意を持って近寄ってくる顧客を見極めることが求められるようになったのだ。日本でも、反社会的勢力には関係していないという誓約書に署名を求められるなど、KYCが年々強化されている。

政治家は支援者の素性や意図を知る必要がある

政治家も同様に、そうしたKYCが不可欠な時代になったということを今回の旧統一教会問題は示しているのではないか。とくに権力の一翼を担う与党政治家は支援者や近付いてくる人物の意図をきちんと知る必要がある。

いま、支援者のチェックに追われている議員が少なからずいるのは、これまでまったく「支援者」の素性を調べてこなかったことの裏返しだろう。

今後、支援者の意図を突き詰めていけば、政策変更によって利益を得たり、被害を被る可能性がある企業や団体からの献金や選挙支援を受けることは極めて危険になってくるはずだ。日本の政治家はその点が甘いのだろう。贈収賄事件が繰り返し起きるのも、そうした政治家と支援者の「甘い関係」が背景にある。最近は外国籍の在住者からの寄付の申し出などもチェックするようになったが、かつては外国人からの寄付を受けていて問題になるケースもあった。

岸田首相が方針として掲げた「今後付き合わない団体」を、「社会的に問題が指摘される団体」としているのは妥当なのかどうかも考える必要がある。社会的に問題を起こさず世の中で騒がれなければ、無条件に付き合っていて良いということにはならないはずだ。

かねてから日本はスパイ天国だと言われてきた。とくに大臣級になっても政治家の情報管理の脇が甘く、情報が漏れて問題になるケースもあった。ロシアによるウクライナ侵攻や、中国と台湾の対立など、地政学的なリスクが高まる中で、最近は経済安全保障が大きなテーマになっている。そんな中で、「支援者」として議員に近づいてくる人物や団体がどんな素性の人たちなのか。政治家はより警戒心を持つことが求めらている。

有効求人倍率7ヵ月連続上昇、労働移動停滞で人手不足が急速に進む 原因は政府の「失策」にあり

現代ビジネスに9月2日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/99358

景気先行きへの不安と人手不足の同居

物価の急激な上昇など、景気の先行きへの懸念が強まる中で、人手不足が鮮明になっている。

厚生労働省が8月30日に発表した有効求人倍率は全国平均で1.29倍と7ヵ月連続で上昇。2年3ヵ月ぶりにすべての都道府県で1倍を超えた。

有効求人倍率は仕事を求めている人ひとりに対して何人の求人があるかを示す指標。2019年4月には1.63倍のピークを付けたが、その後、消費増税新型コロナウイルスの蔓延で大きく低下。2020年10月には1.04倍にまで低下したが、急速に持ち直してきた。

もちろん、全国平均が1倍を超えたと言っても、地域間の格差は大きい。最も高いのは福井県の2.10倍で、これに島根県の1.90倍、富山県の1.76倍が続く。逆に最も低いのは沖縄県の1.01倍で、神奈川県の1.05倍、大阪府の1.07倍などとなっている。

それでも、企業がハローワークに出した新規求人件数は大きく増えている。新たに職を求める新規求職者に対する新規求人の割合である「新規求人倍率」は2.40倍に達した。

有効求人倍率では新型コロナ前の水準に戻っていないものの、新規求人倍率は新型コロナ前の2020年2月の2.24倍をすでに上回り、直近の最高だった2.48倍(2019年4月)に迫っている。新規に企業の人手不足感が急速に高まっている。だが、この人手不足、景気が回復しているからだと率直に喜べない。政府の「失策」である可能性が高いからだ。

雇用調整助成金が歪めた労働市場

政府は新型コロナの蔓延で経済が凍りついたのに対応、雇用調整助成金の特例を導入して、余剰人員が生まれた企業への支援を始めた。事業がストップして仕事が無くなった従業員の人件費を、国が助成金で肩代わりすることで、失業者の発生を防いだのだ。その政策自体は、未曾有の経済危機への緊急対策としては意味があった。

問題はそれをいまだに続けていることだ。雇用調整助成金は支給決定額の累計が2020年4月から7月までの3ヵ月弱で4兆円に達した。人件費が払えず資金繰り破綻しかねなかった企業にとっては救いの手になった。ところが、新型コロナがそれ以降も蔓延し続けたこともあって、雇用調整助成金の期限は延長が何度も繰り返され、2022年8月についに累計支給決定額は6兆円を超えた。

この間、日本の失業率は3%前後の低水準で推移し続けた。米国の失業率が新型コロナ直後に14.7%にまで上昇、その後、新型コロナ前の水準に戻ったのとは対照的だ。この間、米国ではポストコロナ型の新しい企業への労働移動が起こったのに対し、日本では旧来型の企業に雇用を抱えさせる結果になった。

つまり、日本の場合、景気変動の中で本来は淘汰されるべき企業に雇用が張り付き、ポストコロナ時代に大きく成長しているIT産業などで、猛烈な人手不足が生じている。同じ国内に人員余剰と人手不足が混在している不思議な状態に陥っている。「助成金」という政府のお金が労働市場を歪めていると言っていいだろう。

本来、発展が望めない生産性の低い企業から、成長余力がある企業へと労働移動が起こることで、賃金水準も上がっていくというのが欧米などのパターンだ。いったん「失業」という辛い目に会いながらも、より条件の良いところへ職を変えていく。政府は失業期間中に生活が破綻しないよう手厚い失業給付を出した。これが米国のパターンだ。

日本は生産性の低い企業に助成金を出して雇用を抱えさせたため、給与水準は上がらない。むしろ残業がなくなっている分、給与も減っているケースが少なくない。

岸田首相の八方美人政策

岸田文雄内閣は「新しい資本主義」を掲げ、「分配」を重視する姿勢を打ち出していた。その一環として、給与水準の引き上げを訴えている。8月に全国の最低賃金の引き上げ幅が固まったが、引き上げ幅は1時間あたり30円から33円で全国加重平均では31円増の961円となった。

「過去最大の引き上げ」だと岸田首相を胸を張るが、そもそも3%以上の引き上げは安倍晋三内閣からの“公約”とも言える引き上げ水準。しかもデフレが続いていた過去と比べ、足下の物価上昇を考えると、実質では僅かながらの引き上げに止まっている。

今回の引き上げは平均3.3%だが、7月の消費者物価指数の上昇率は2.6%に達する。単純に差し引けば0.7%しか最低賃金は上がらないことにある。安倍内閣時代よりも大幅に後退しているとも言えるのだ。

政府は6月に閣議決定した「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」で、ようやく「労働移動の円滑化」を掲げた。「成長分野への円滑な労働移動を進め、労働生産性を向上させ」るとしたのだ。

ところが一方で、6月末までが期限だった雇用調整助成金の特例を9月末まで延長。さらに、支給額の上限などは引き下げるとしながらも、10月以降も継続する姿勢を打ち出した。労働移動と言いながら、雇用を抱えさせる助成金は続ける。この矛盾した政策は、結局はすべてにいい顔をしたい岸田首相の八方美人志向のためなのだろう。