出生数75.8万人過去最少! 今の日本の「人手不足」はまだまだ序の口、本格化するのは十数年後から

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https://gendai.media/articles/-/125461

出生数の減少が止まらない

厚生労働省がこのほど発表した2023年の出生数速報値によると、75万8631人と前年に比べて5.1%も減少、8年連続でのマイナスとなり、1899年の統計開始以来、最低となった。出生数が100万人を割ったのは2016年で、わずか7年で25%近く減っていることになり、総人口も想定よりも早いペースで減っている。

岸田文雄首相は2023年の年頭に「社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際」だとして、「異次元の少子化対策」を打ち出してきたが、一向に出生数の減少には歯止めがかかっていない。

一方で2023年の死亡数は159万503人と過去最多となり、結果、過去最大の人口減少を記録した。日本全体の人口が減り続ける中で、まさに社会機能が軋み始めている。

昨年来、議論になったライドシェアの解禁問題は、背景に深刻なタクシー不足があった。駅のタクシー乗り場で、車を待つ人の列を目にすることも珍しくなくなった。また、バスの運転手が集まらず、ダイヤ見直しで減便したり路線を廃止するケースが相次いでいる。居酒屋などの飲食店に行くと客席は空いているのに、接客係が足らずに客を入れられないと言った声も聞く。

長時間労働が常態化しているトラック輸送の業界では、残業時間の制限が厳しくなる2024年問題もあって、圧倒的に人手不足。建築現場は、工事需要の増加を横目に人手不足で工事が進捗しない事態に直面している。

その余波は安定的に人材を集めてきた公務員にも及んでいる。毎日新聞のアンケートによると、47都道府県が2023年度に実施した職員採用試験で、採用予定数を満たす合格者を全ての職種区分で確保できたのは大阪府兵庫県にとどまり、45都道府県で「採用予定数割れ」が生じていた、という。中でも土木などの技術・専門職で定数割れが目立っているといい、民間との争奪戦になっていることを伺わせる。

高齢就労者のおかげで凌いでいるが

「人口が減っているのだから、人手不足になるのは当然」と思われるかもしれない。だが、実態は少し違う。厚生労働省の統計によると、仕事に就いている人の数である「就業者数」も、企業などに雇われている「雇用者数」も過去最高水準にある。

就業者数はコロナ前の2019年平均が6750万人だったものが、コロナでやや減少したものの、2023年平均は6747万人とほぼ同水準に戻った。また、2023年平均の雇用者数は6076万人と、2019年平均の6028万人を上回った。雇用者数は高度経済成長期やバブル期よりも多い。人口減少にもかかわらず働いている人の数は増えているのだ。

つまり、まだまだ人口減少の影響は労働市場に響いていない、と言っていい。予想以上に働く人が増えているのは、定年の延長などによる高齢労働者の増加や、シルバー人材の活躍、そして大きいのが女性の活躍だ。安倍晋三政権で「女性活躍促進」などを掲げ、保育所整備や産休育休制度などを整備したことが大きい。

また、「人生100年時代」などのキャッチフレーズで高齢者の労働を奨励したことも就業者を大きく増やした。2012年に596万人だった65歳以上の就業者数は、2017年に800万人を突破、2020年には906万人となった。

労働市場に女性と高齢者が新規参入したことで、人口は減っているにもかかわらず、就業者を大きく増やすことができたわけだ。

10年後、18歳人口100万人を切る

だが、これにも大きな変化が見えている。65歳以上の就業者が頭打ちになってきたのだ。2021年と2022年は912万人、2023年には914万人だった。増加が止まりほぼ横ばいになってきたのだ。圧倒的に大きいのは団塊の世代が75歳を越え、老後も働いていた職場から引退し始めたことが大きい。タクシー運転手などは65歳以上で働いている人が多く、彼らが引退することで深刻な人手不足に陥っているわけだ。

これはまだまだ序の口。総務省の年齢別人口推計(2023年10月現在)を見ると、73歳の人口は203万人で、この人たちが引退を始めたことが大きい。ちなみに69歳の人は159万人なので、今後、高齢労働者層はどんどん減っていくとみていい。高齢者に依存している仕事は、ここ数年でさらに「人手不足」が加速するのは間違いない。900万人いる65歳以上就業者が急速に減り始めるここ数年が、「社会機能が維持できるかどうかの瀬戸際」になるとみていいだろう。

しかし、それでもまだ序の口ならぬ序二段くらいだ。10年後には18歳人口が100万人を切り、その4年後には大卒年齢人口、つまり新卒対象年齢人口が100万人を切ってくる。この頃には猛烈な採用難になることは確実だ。企業は新卒を中心に採用していく今のスタイルを維持できなくなるのは明らかだ。さらに、その先は毎年、人口が大幅に減り、対象人口が75万人にまで減ることが確定している。

ロボットや人工知能などで人手不足を補えるという見方もあるが、そのためには会社の仕組みから働き方まで社会構造を大きく変えなければならないだろう。そうした社会体制の変革ができるのかどうかが焦点になる。

日銀・植田総裁が初めて「現状=インフレ」と指摘…頑なに金融緩和策を取り続けてきた日銀に迫る"重い決断" 痛みを伴う改革か、円安と物価上昇の放置か…

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https://president.jp/articles/-/79130

庶民感覚では「物価は猛烈に上がっている」

物価上昇が止まらない。総務省が2月27日に発表した2024年1月分の消費者物価指数は、「総合指数」が前年同月比2.2%の上昇となった。日本経済新聞は「伸び1年10カ月ぶり低水準」と報じていたが、伸び率が鈍化してきたというだけで、物価が下がっているわけではない。昨年1月に4.3%上昇してベースが高くなったため、数字で見れば鈍化しているが、物価水準は上がり続けている。上昇が始まった2年5カ月前、2021年9月の総合指数は100.1だった。今回の1月は106.9なので6.8ポイントも上がっている。

しかも、ここには「マジック」がある。政府がガソリン代や電気・ガス代を抑えるために巨額の補助金を出し続けているのだ。この影響を除いた「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」指数は今年1月も前年同月に比べて、99.3から105.8に3.5%も上昇しているのだ。「教養娯楽」は6.8%、「家具・家事用品」は6.5%、「生鮮食品を除く食料」は5.9%と、依然として大幅な上昇を続けている。食料で言えば、外食のフライドチキンが19.2%上昇、鶏卵18.3%上昇など、家事用品で言えば、台所用洗剤が19.2%上昇、教養娯楽は宿泊代が26.9%上昇といったところ。庶民からすれば、「物価は猛烈に上がっている」というのが偽らざる感覚に違いない。

賃上げの一方で物価上昇を抑える施策が必要

さらに、実質賃金の減少が続いている。こちらは21カ月連続のマイナスだ。厚生労働省毎月勤労統計調査によると、2023年の平均の現金給与総額(確報値)は前年比1.2%増加した。2022年の2.0%増、2021年の0.3%増に続く、3年連続の増加だったが、いずれも物価上昇率に負けている。このため、実質賃金指数は2021年に0.6%増だったものが、2022年には1.0%減、2023年には2.5%減と逆に大きく悪化している。賃上げムードは高まっているものの、物価上昇の大きさについていけていないわけだ。

岸田文雄首相は繰り返し「物価上昇を上回る賃上げが必要」だとして、経済界に賃金引き上げを求めている。大企業を中心に大幅な賃上げに踏み切るところも出ているが、賃上げ分を価格に転嫁する動きも一方で加速していて、物価上昇に拍車をかける結果になっている。せっかく賃上げしても物価がさらに上がっては庶民の生活は改善しない。本来は賃金を上げる一方で、物価上昇を抑える施策を取らなければいけないわけだ。

頑なに大幅な金融緩和策を取り続ける日銀

物価上昇、つまりインフレを抑える伝統的な手法は「金利の引き上げ」である。米国や欧州の中央銀行はこの2年、猛烈なピッチで利上げを行ってきた。米連邦準備制度理事会FRB)は2022年3月にそれまでのゼロ金利政策を解除、利上げを開始。2023年7月には政策金利を5.25%から5.5%幅とした。ようやく物価上昇率は鈍化したものの、依然として米国経済は強さを保っていて、FRBが利下げに動く気配はない。また、英国でも2022年後半に物価上昇率が前年比10%を突破、英中銀は同様に利上げを繰り返した。

欧米各国は物価上昇を抑えるために、金利を引き上げ、過熱した経済を冷やす手法をとっている。

一方で日本は、この伝統的な物価抑制策に、背を向け続けている。日本銀行は「物価安定の目標」を2%として掲げている。すでに22カ月連続で2%を超えているが、依然としてマイナス金利政策を続けているのだ。昨年来、市場では「マイナス金利解除は近い」との観測が強まっているが、頑なに日銀は大幅な金融緩和策を取り続けているのだ。

「円安の加速」という副作用が出ている

1月の記者会見で日銀の植田和男総裁はデフレからは「かなり遠いところに来ている」と発言していたが、それでも金融緩和政策は維持した。一気にマイナス金利を解除した場合、先行き予想から市場金利が大幅に上昇することを恐れているのか。デフレに舞い戻ることがないよう、インフレ・マインドが定着するまで放置しようとしているのか。真意は分からない。

植田総裁は就任時には2023年秋には物価上昇が収まるとの見方を示していた。物価上昇から1年がたてば、上昇率を計算するベースが高くなるわけで、上昇率は収まってくるという計算だったのだろう。だが、現実には物価上昇の勢いが衰えたとは言い難い。

しかし、物価上昇が収まらない中で、様々な副作用が出始めている。物価を抑えるために巨額の補助金を使えば財政が悪化する。そうでなくとも日本の財政は巨額の赤字だ。そうなると日本円の価値が劣化していく。つまり、円安が加速するのだ。大方のエコノミストの予想では米国の金利引き上げで、2023年後半には米国は景気減速に入り、FRB金利の引き下げに動くとされていた。そうなると日米金利差が縮小するので為替は円高方向に動くとしていたが、米国経済は一向に減速せず、円安が加速している。

植田総裁が初めて現状を「インフレ」と指摘した

また、日本国内の不動産価格の大幅上昇や、株価の上昇といった「資産インフレ」に火がついた。首都圏の新規発売マンションの平均価格が1億円を突破、日経平均株価も34年ぶりに最高値を更新した。にもかかわらず、1990年代のバブル期のような消費などに波及した景気過熱は起きていない。マイナス金利の放置によってカネあまり状態が維持されていることも、こうした資産インフレの要因と見られるし、円安が海外マネーの投資を誘っている面も強い。つまり、今の日銀の大規模緩和金融政策の副作用と見ることができる。

どうやら、そんな状況を放置できなくなったのか、日銀の植田総裁が2月22日に衆議院予算委員会に出席、初めて、現状を「インフレ」と指摘した。今はインフレかデフレかと聞かれた植田総裁は、「賃金上昇を反映する形でサービス価格が緩やかに上昇する姿は続いている」とし「去年までと同じような右上がりの動きが続くと一応、予想している。そういう意味でデフレではなくインフレの状態にある」と語った。この発言は、マイナス金利解除に向けた「地ならし」と受け止められている。

日銀が金利をどんどん引き上げるとは思えない

もっとも、だからと言って、日銀がFRBのように金利をどんどん引き上げてインフレ退治に乗り出すとは思えない。景気が過熱した結果のインフレではないからだ。消費者物価の上昇で、実質消費はマイナスに転じている。生活が苦しくなった分、消費を抑えようとする行動が広がっているからだ。それを補って余りある賃金上昇になるのかは、現段階では見通せない。かつてのバブル期のように株価の上昇が国民の懐を温めて、一気に消費が増える格好になっていない。そんな中で、資産インフレに冷や水を浴びせるような金利の大幅な上昇は日銀は望まないに違いない。

痛みを伴う改革に進むか、円安・物価上昇を放置するか

だが一方で、金利が本格的に上昇しないことが、日本の構造改革を遅らせていると見ることもできる。円安になってアジアや新興国などの企業を含めて、日本の企業を買収したいという要望が増えている。こうした海外の資金を受け入れていくことで、日本企業が復活するきっかけにすることも考えられるが、日本の中堅企業の経営者のマインドがそれに追いついていない。海外からの資本を受け入れることに「ハゲタカ」「身売り」といったマイナスイメージを持っている。

また、大規模金融緩和によって新たな資本を受け入れなくとも、地銀などが貸し続けてくれるという「緩い環境」が、経営改革しなくとも何とか生きていける状況を生み出している。結果、世界に通じる技術などを持っているにもかかわらず、門戸を閉じたまま衰退していく中堅中小企業が少なくない。金利を一気に上げれば、そうした企業に強い痛みを与えることになるわけだ。

金利上昇で痛みを伴う改革に進むか、大規模緩和を続けて円安、物価上昇を放置するのか。金融政策が今ほど将来を左右するときはない。

 

ついに損保が「政策保有株」ゼロに。日本の「株式持ち合い」制度にトドメで日本企業の「緩い経営」が変わる?

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大手4社計、6兆5000億円分

損害保険大手4社が政策保有株いわゆる株式持ち合いを全廃する方針だと、2月29日の日本経済新聞が報じた。ビッグモーター事件などをきっかけに損保大手と企業のもたれ合い関係にメスが入り、金融庁が構造的な問題として政策保有株の売却促進を求めていた。

損保が企業から保険契約などを得る見返りとして、その企業の株式を保有して「安定株主」となることが長年の慣行として続けられてきた。保険会社は保険契約者から資金を預かって投資の一環として企業の株式を保有しており、本来、保険契約者の利益最大化を狙って株式を保有し、その会社の取締役選任などの議決権行使を行う建前だ。

ところが政策保有株の場合、事業上の見返りがあるため、株主として強い要求ができず、企業経営者に「白紙委任」を与えることになってきたと指摘されている。こうした政策保有を全廃することで、純粋な投資家・株主として企業に対峙できることになり、その結果、日本企業のコーポレート・ガバナンスが向上すると期待されている。

日本経済新聞によると、問題になっていた企業向け保険料の事前調整に関して損保大手4社(東京海上日動火災保険損害保険ジャパン三井住友海上火災保険あいおいニッセイ同和損害保険)が金融庁に業務改善計画を提出。その中で、政策株の売却を進めて、中長期的にゼロにする方針を盛り込んだ。

4社合計の政策保有株は6兆5000億円にのぼる。トヨタ自動車やホンダ、スズキといった自動車大手のほか、三菱商事伊藤忠商事信越化学工業といった、のべ5900社に達するとみられる。2023年3月時点の政策株の含み益は4社合計で約4兆6000億円に達するという。

保有株は保有先企業との交渉などを通じて、段階的に売却する。日経平均株価が最高値を更新するなど市場環境が良好なタイミングで売却を進める。また、売却企業の業績も好調なところが多く、利益剰余金を用いた自社株取得で応じる企業も多くなると見られる。損保大手が、値上がりや配当収益を目的とする「純投資」に切り替えて保有することも考えられる。このため、数年で6兆円が売られたとしても株式市場全体への影響は大きくならない、との見方もある。

それでも緩かったコーポレートガバナンス

コーポレートガバナンスの強化が言われてきたこの10年間で、日本全体の政策保有株は減少傾向が続いてきた。かつては7割に達すると見られていたが、時価総額ベースでは1割を切る水準にまで減少している。それでもまだ100兆円近い株式が政策保有されているとみられる。

2014年に導入された保険会社など機関投資家の行動指針を示した「スチュワードシップ・コード」で、保険会社の資産の最終的な所有者は保険契約者であると示され、その利益を最大化する投資行動が求められた。また、2015年に導入された「コーポレートガバナンス・コード」などによって一般の事業会社でも株主利益に合致しない株式保有を見直す動きが広がった。長年の慣行として続いてきた「株式持ち合い」を全面的に見直す動きが加速したのだ。総合商社なども大量の政策株を保有していたが、その売却に動いてきた。

経営者に白紙委任する格好になる政策保有株の存在は、外資ファンドなど「モノ言う株主」の主張を封じ込める結果になる。逆に言えば株主の要求を封じ込めて経営者がフルに力を発揮できることにもなるため、バブル期などは「株式持ち合い」が日本企業の強さの一因だと言われたこともあった。

バブル崩壊後は、日本企業の成長力や生産性が落ち、株価の低迷が続いたが、今度はそれが株主による経営者へのプレッシャーの欠如、つまりコーポレートガバナンスの緩さが原因だと指摘されるようになった。ここ10年来、政府や東京証券取引所なども、ガバナンス強化を前提に、持ち合い株の解消を繰り返し求めてきた。

内外から圧力

海外からの圧力もある。

政策保有株が純資産の2割以上に及ぶ場合、社長などトップの取締役選任議案に反対するという基準を、議決権行使助言会社が導入した。米インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)が純資産比20%以上でトップ選任に反対を推奨、米グラスルイスは同10%以上で反対推奨する。議決権行使助言会社は大手年金基金など海外機関投資家に大きな影響力を持つことから、これに該当する企業では政策保有株の売却を進めざるを得なくなっている。

昨年の6月株主総会では、実際に反対推奨される企業も出た。日経新聞によると純資産の2割以上が政策保有株だという企業は金融機関を除いて122社あまりと全体の11%を占めるという。

東京証券取引所が上場企業に対して、PBR(株価純資産倍率)1倍割れの企業に改善を迫っており、企業の間でも株価の引き上げに熱心なところが増えている。PBRを向上させるには保有する資産の利益率を高めて株価を上げることが重要になる。政策保有株は利回りが低い傾向にあることから、これを売却して純資産自体が圧縮する動きが加速している。

もちろん、株式持ち合いがなければ容易に安定株主を確保することができなくなる。機関投資家個人投資家を安定的につなぎとめるためには持続的な株価の上昇や配当の増額が必要になる。そうした株主を向いた経営が、結果的に年金資産の増大などを通じて広く国民の利益につながることが期待される。一方で、猛烈な円安になっている現在、株価が低迷すれば、海外企業などから買収の標的にされるリスクも高まる。

政策保有株の消滅が、日本企業の「緩い経営」を一変させることになるのは間違いなさそうだ。

月500円ではなく年1万円以上の負担増…少子化対策「支援金制度」で岸田首相が"あえて言わないこと" これは「ステルス増税」にほかならない

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https://president.jp/articles/-/78748

「ステルス増税」にほかならない

「実質的な負担は生じない」と岸田文雄首相が繰り返している「支援金制度」を導入する法案が2月16日閣議決定された。今国会での成立を目指す。少子化対策の財源として導入されるもので、「国民1人あたり月500円弱」社会保険料負担が増えると言いながら、「負担は増えない」と言い張る首相の論理は、どうみても詭弁きべん。児童手当の拡充や10万円の「出産・子育て応援交付金」などの財源として1兆円が必要になるとされるが、それを「保険料」と同時に徴収しようとする「ステルス増税」にほかならない。

国会論戦では野党側が「実質的な増税だ」と批判しても、岸田首相は「歳出改革と賃上げで実質的な負担は生じない」とただただ繰り返すばかり。具体的な論拠などはまったく示さなかった。

「国民1人あたり月500円」というと大した金額ではないように感じるが、これは必要になる財源額を単純に国民の数で割った金額に過ぎない。政府はこの制度を使って2026年度に6000億円、27年度に8000億円、28年度に1兆円を徴収する方針を固めている。この額を単純に割って「平均額」と言っているが、実際には、共稼ぎならば2倍になるし、社会保険の保険料率と同様に「率」で決めることになれば、収入が増えれば負担も増えることになる。

年間1万円以上負担が増える人もいる

また、加入する保険によっても金額が増える。日本総研の西沢和彦理事の試算として、医療保険の加入者1人あたりの支援金の月平均額は、協会けんぽで638円、健保組合で851円、共済組合で898円、国民健康保険で746円になると日本経済新聞は報じている。

何よりも政府が言っているのは「月額」の話で、仮に500円だったとしても年間6000円、健保組合だと1万円を超えることになるとみられる。共稼ぎならば2万円超ということだ。支援金制度の具体的な制度設計も明らかではなく、収入が多い人の負担はさらに高まる可能性もある。

どうみても家計の負担は増えるのに、岸田首相は「実質負担は増えない」と言い張る。その理由を「歳出改革と賃上げ」としているが、岸田内閣は大盤振る舞いを繰り返しており、歳出改革に真剣に取り組んでいるわけではない。また、「賃上げ」は民間企業などが行うもので、「賃金が増えるから負担は増えない」などと言い始めたら、どんな増税でも賃金さえ上がれば負担はないことになってしまう。今後予定される防衛増税なども、賃金が増えているのだから「実質負担は増えない」と言うのだろうか。

「消費などに使えるお金」はどんどん減っている

だが、この賃上げは「名目」の金額に過ぎない。拠出を「実質負担」というならば、「賃上げ」も「実質」で言わねばならないが、岸田首相が繰り返し「賃上げ」を言っても、物価上昇がそれを上回っていて、「実質」の賃金は下がり続けている。厚生労働省が2月6日に発表した2023年12月の毎月勤労統計調査(速報)によると、実質賃金は1.9%の減少で、マイナスとなるのは21カ月連続となった。名目の賃金が増えれば現行の社会保険料の負担額も増えていく。実質的な可処分所得、つまり消費などに使えるお金はどんどん減っているというのが実情だ。そこにさらに拠出金を上乗せするわけだから、今後、消費の足を引っ張ることになるとみられる。

これは統計にもはっきり表れている。総務省が2月6日に発表した2023年12月の家計調査によると、2人以上の世帯の実質消費支出は前年同月比2.5%減った。これも10カ月連続のマイナスだ。見た目の賃金が上がっても物価が大きく上昇しているため、消費する「数量」は抑えざるを得なくなっている、ということを如実に示している。巷の声で聞くようになった「物価が上がった分、節約するようになった」というのはこのことを指している。そこにさらに社会保険料を増やそう、というのだから、消費への打撃は避けられないだろう。

社会保険料」という名目で徴収するのは常套手段

なぜ岸田首相は国民を欺くような説明をするのだろう。御本人は深く考えず、官僚が用意した紙を読んでいるだけなのかもしれない。子育て支援にせよ、防衛費にせよ、きちんと説明して税負担を求めるのが政治家ではないのか。支持率低下や議席減を恐れて、国民が反対する政策は口に出さず、誤魔化そうとしているのか。

税金ではなく、「社会保険料」という名目で徴収するのは、日本の官僚たちの常套手段だ。保険料率を上げれば、給与が増えなくても天引きされる保険額はどんどん増えていく。社会保険料は「事業者と折半」というルールなので、給与をもらう人たちの負担感は小さい。だが結局は、企業は社会保険料の支払いを含めた「人件費総額」を見ているので、社会保険料が上がれば、新規採用を抑えたり、賃上げを抑制しようとする。結局は働く人にしわ寄せが来るわけだ。

増税と違い保険料率の改定は国民に見えにくいこともあり、反対の声が出ない。実は、それに味をしめた経験があるのだ。

保険制度でやってはいけない「他目的への流用」

厚生年金の保険料率は2004年9月までは13.58%(半分は会社負担)だったものが毎年引き上げられて2017年9月には18.3%になった。1回の法律改正で10年以上にわたって引き上げることを決めたので、その後は国会審議にもかけられず、毎年負担が増えていった。13年間で4.72%も料率が引き上げられたのだ。法改正の時は、18.3%で打ち止めにしてそれ以上は増やさないという約束だったのでその後は頭打ちになっていたが、今回の子育て支援の財源として再び使おうとしているわけだ。官僚にとってはまさに「打ち出の小槌」なのだ。

これは保険なのだから、いずれ皆さんにも給付金として戻ってくるので税金とは違います、というのが説得文句だが、今回はこの「負担と給付」の関係が成り立っていない。つまり負担する人が将来、直接恩恵を受けるわけではない。子どもが増えればあなたの年金が安泰です、という言い方はできるが、そこには何の保証もない。つまり、保険制度としてやってはいけない他目的への「流用」に近いものなのだ。

上がり続けている国民負担率が一気に下がることはない

岸田首相は昨年秋の国会審議では、「実質的な追加負担は生じさせない」とする「負担」の指標を、国民所得に対する税や社会保障の負担割合を表す「国民負担率」で測ることを明らかにしていた。

2月9日に財務省が発表した国民負担率は、2022年度の実績で48.4%と過去最高を更新した。2023年度は46.1%に急低下する見込みを発表しているが、これはまったく当てにならない。1年前に2022年度の見込みを発表した際には47.5%と前の年度の48.1%を下回るとしていたのだが、結局蓋を開けてみれば48.4%とさらに負担は高まった。

2024年度は45.1%まで下がるという予想を出しているが、この十数年、財務省は毎年のように負担率は下がるという予想を出しながら、結局は毎年、負担率は最高を更新してきた。一度として予想通りになったことはない代物なのだ。

財務省は政府の経済成長予想などを機械的に当てはめて計算しているだけで、意図的に操作しているわけではないと言うが、政府の経済予測自体が常に過大になっているので、政府にとっては都合の良い予想数字が作れるということなのだ。まず当たることがない予想をベースに、「国民負担は下がります」と首相に言われても、まったく説得力がない。

上がり続けている国民負担率が一気に下がることはまずあり得ない。過去最高の国民負担率48.4%が、一気に46.1%に下がるという予想を平気で出し、それを前提に「負担が増えない」と言っていること自体、国民を欺いているとしか言いようがない。

国民負担率48.4%、過去最高でも岸田首相「今後は下がります」のウソ! ホント?

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https://gendai.media/articles/-/124625

低下見込みはどうなった

「実質的な負担は生じない」——。子育て支援金を巡って、岸田文雄首相はこう繰り返しているが、何とも不思議な話である。実際に家計から出ていくお金が増えるのに、負担が増えないと言う。そんなマジックのようなことが可能なのか。

岸田首相は国会答弁の中で出てきたのが「国民負担率」というモノサシだ。国民負担率とは、税金と社会保険料を合わせた額が、国民所得の何%を占めるかを示すもの。要は国民の稼ぎの何割をお上が吸い上げるのか、という尺度である。つまり、国民所得を分母に、税金と社会保険料を分子として計算する。

岸田首相は、分子である社会保険料が増えたとしても、「賃上げ」によって分母の国民所得がもっと増えれば、負担率は下がると言っているのだ。

昨年10月23日の臨時国会での所信表明演説で、岸田首相は「30年ぶりの3.58%の賃上げ、過去最大規模の名目100兆円の設備投資、30年ぶりの株価水準、50兆円ものGDP国内総生産)ギャップの解消も進み、税収も増加しています」と胸を張った。続けて「その一方で、国民負担率は所得増により低下する見込みです」と述べていた。では、国民負担率は本当に下がったのか。

財務省が2月9日に公表したデータによると、2022年度の実績は48.4%、2023年度の実績見込みは46.1%、2024年度の見通しは45.1%になっている。この発表を受けて、マスコミ各社は以下のような見出しを立てた。

◇「24年度の国民負担率45% 国民所得拡大で2年連続縮小へ」(日本経済新聞
◇「国民負担率、45.1% 2年連続低下見込み 24年度」(時事通信
◇「2023年度の『国民負担率』46.1%、前年度を下回る見込み 財務省」(NHK

各社とも、一見、岸田首相の発言を裏付けるような「低下」という見出しを立てている。だが、実のところ、財務省がこの時期に出す「見通し」数字は当たったためしがない代物なのだ。本来ならば、確定した「実績」、つまり2022年度の48.4%という数字こそが信頼できるもので、それを報じるべきなのだが、毎年、メディアは財務省の予想発表を鵜呑みにして記事を書いてきた。

実は、実績の48.4%という国民負担率は、過去最高である。過去13年にわたって負担率は低下したことがないのだ。20年前、2002年度の国民負担率は35.0%。それが、2013年度には40%を超え、2020年度は45%を突破した。この間、税率5%だった消費税は8%、そして10%へと引き上げられた。国民所得に対する租税負担(国税地方税の合算)は2002年度の21.2%から2022年度には29.4%にまで上昇した。また、健康保険などの社会保険料率も大幅に引き上げられてきた。国民所得に対する社会保障負担は、13.9%から19.6%にまで上昇している。これが国民負担が激増してきた20年の「実績」である。

本当か? 3.3%ポイントも急低下

財務省が発表した見通しでは、2022年度実績で48.4%だった国民負担率は、2024年度には45.1%に、3.3%ポイントも急低下するとしている。現在の統計方法になった1994年度以降で大幅に低下したのは2008年度の39.2%から2009年の37.2%の2%ポイント下がったのが最大で、3.3%ポイントも下がるというのは前代未聞である。果たしてこんなことが実際に起きるのだろうか。

財務省の予想で大きいのが、分母である国民所得の推計だ。2024年度は443兆4000億円になるとしている。2022年度の実績409兆円から34.4兆円、率にして8.4%も増えることを前提にしている。もちろん、デフレが収束してインフレ経済になってきたことで、物価上昇分が国民所得を押し上げる効果はある。

財務省が出している社会保障費の負担率に国民所得をかけてみると、2024年度は81.6兆円と2022年度実績の77.7兆円に比べて3.9兆円も増える予想になっている。実際には3.9兆円もの大幅な社会保障費負担の増加を見込みながら、国民所得がさらに増えるので負担率は下がりますよ、と言っているわけだ。これはまさに岸田首相が言っていることである。

ところが、租税負担は2022年度に120兆円だったのが、2024年度には118.4兆円になるという。国民所得が増えて消費が増えれば、当然、消費税収も増えるので、租税負担額は増えそうだが、おそらく税収は低く見ているのだろう。また、防衛費の大幅増額に伴って増税を行うことになっているが、これまた試算には入れていないのだろう。

さすがに2024年度の数字は危ういと思ったのか、NHKは2023年度の「実績見込み」を見出しに立てている。残り2カ月弱の今年度の数字だから、はずれることはないと思ったのだろう。

だが、財務省が毎年発表する実績見込みもまったく当てにならない代物だ。1年前の発表で、2022年度の実績見込みを財務省は47.5%としていた。前の年度2021年度の実績が48.1%だったので、負担率は「低下」するとしていたのだ。それが今年の発表で明らかになった2022年度の実績は前述の通り48.4%。低下するどころか上昇して、過去最高を更新した。

毎年誤報の日本メディア

「低下します、低下します」と言って、蓋を開けたら上昇しているというのはここ10年以上繰り返されている財務省の常套手段なのだ。確定した「実績」を報じず、財務省の言う実績予想や見通しをそのまま報じている大手メディアは、結果的に毎年誤報を書かされていることになる。

残念ながら、2023年度の国民負担率が前年度の48.4%から46.1%に下がる保証はない。それが分かっているからか、1月30日に行われた岸田首相の施政方針演説では、言い回しが変化した。

「歳出改革を継続しながら、『賃上げ』の取組を通じて所得の増加を先行させ、デフレからの完全脱却を果たすことは、高齢化等による国民負担率の上昇の抑制につながり、財政健全化にも寄与します」

あれ、国民負担率は下がるのではなかったのか。「上昇の抑制」という言葉にトーンダウンさせて、予防線を張ったのだろう。もちろん、これは首相が考えてのことではなく、原稿を作る役人の「保身」に違いない。国民負担率は下がると大見えを切っておきながら、上昇した場合、ウソをついたことになる首相から官僚が叱責を受ける可能性がある。だからこそ曖昧な表現に変えたのだろう。

だが岸田首相の「実質負担は増えない」という発言が誤りだと批判される心配はない。2023年度の実績が発表されるのは1年後、来年の2月なので、その頃には誰も首相発言を覚えていない。またメディアも、どんな実績が出ようともそこを記事にすることはなく、財務省の「見通し」発表に従って、国民負担は低下するという記事を書くことになるのだろう。

自民党「裏金」問題はパーティー券を「買う側」の問題に行きつく。問われる財界の姿勢 経団連は「何が問題なのか」

現代ビジネスに2月15日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/124305

国民は納得していない

政治資金パーティーを巡る「裏金」問題への自民党の対応への批判が強まっている。自民党は2月5日に党所属の全国会議員に「派閥による政治資金パーティーに関する全議員調査」と題したアンケートを配布したが、質問は政治資金収支報告書の「記載漏れ」に関する2問だけ。岸田文雄首相は国会で「実態把握」すると繰り返し述べてきたが、実態を把握する姿勢に乏しく、形だけの調査でお茶を濁すつもりではないか、といった声が噴出している。

裏金問題を受けて自民党は「党政治刷新本部(本部長・岸田総裁)」を設置、1月25日に「中間とりまとめ」を総務会で了承、公表した。当初、盛り込むとみられていた全派閥の解散については踏み込まず、派閥を「カネと人事」から切り離すとするにとどまった。その後の国会審議で、解散を拒否している麻生派などへの対応について聞かれた首相は、カネと人事から切り離したことで、従来の派閥は無くなったとする「珍解釈」を展開。そこでも改革に向けた本気度が疑われる結果になった。

NHKが行った世論調査でも、政治刷新本部の中間とりまとめについて、「大いに評価する」とした回答はわずか4%、「ある程度評価する」も32%で、「あまり評価しない」(29%)、「まったく評価しない」(28%)と6割近くが否定的な反応だった。「政治資金問題への岸田首相の対応」についても、「大いに評価する」(1%)、「ある程度評価する」(22%)と評価する声は少数にとどまり、「まったく評価しない」(33%)、「あまり評価しない」(36%)という声が7割近くに達した。自民党の自浄能力に疑問が呈されていると言っていいだろう。

出し手が記載していない金を

派閥からキックバックされたカネを政治資金収支報告書に記載していなかった議員も一様に口をつぐんでいる。不記載が4355万円にのぼり略式起訴された谷川弥一衆議院議員自民党を離党後、議員辞職し、4800万円不記載の池田佳隆衆院議員は逮捕された。安倍派の幹部なども軒並み1000万円を超える不記載が表面化したが、離党や議員辞職は頑なに拒んでいる。

そのカネを何に使ったのかもまったく説明されていない。「政治活動」といった曖昧な説明を繰り返している。首相自身も不記載について「事務的なミス」と言い、誰ひとり「道義的責任」を取る政治家も出てこない。時が過ぎて人々が忘れるのを待っているかのようだ。

NHK世論調査では、「不記載議員の説明責任」について、「果たしていない」という声が88%に達した。もはや議員本人から説明責任を果させるのは無理ということなのだろう。

「出し手(派閥)が記載していないものを議員が記載するわけにはいかないんです」と党政治刷新本部の主要メンバーのひとりは言う。つまり、カネの出し手が名前や金額を伏せているものを、もらった側が記載できるはずはない、というのだ。結局、事務的なミスでも何でもなく、構造的な問題であることを正直に吐露している。

逆に言えば、裏金の使い道を明確に言えないのは、言えば、その金をもらった側の問題に波及するからだろう。すでに指摘が出ているように、議員の「領収書のいらない金」は、県議会議員や市議会議員などにわたり、選挙などの資金として使われてきた。河井克行元法相夫妻の買収事件でもその一端が現れた。モノいえば唇寒し。下手をすれば買収疑惑が浮上することになりかねない。政治評論家が解説するような、秘書給与に必要だといった類の話ではない。

つまり「出し手」側がきちんと記載すれば、受け取った側は自ら収支報告書に記載せざるを得なくなる。これはパーティー券の構造も同じだ。

財界は政策を金で買っている

パーティー券は20万円までならば買ってくれた企業名や個人名を記載しなくて良いことになっている。相場は1枚2万円なので10枚までならば名前が表に出ない。しかも1回のパーティーあたり20万円なので、年に何回もパーティーを開けば匿名で寄付ができる。企業も「交際費」や「寄付金」として経費処理ができる。結局、この仕組みが企業などの政治献金の「裏ルート」になっているのだ。

パーティー券の購入者名を開示せよ、ということになるが、出し手がどう処理しているか分からない金を、もらっている政治家の側が公表することなどできるはずもない。この問題を解決する簡単な方法は、企業や個人の側に政治資金を出した場合の公表義務を課すことだ。

経団連の十倉雅和会長は記者会見で「あってはならないこと。検証を徹底的に」と語っているが、本気で経済界が今の政治と金の問題を徹底的にきれいにしようとしているとは思えない。金の出し手である財界が本気になれば、政治と金の問題は一気に透明化できるはずだ。

なぜ、経団連は傘下の企業にパーティー券の購入を止めよと号令を発しないのだろうか。あるいは政治資金の「出し手」の開示ルールを強化しようと提案しないのか。

昨年の十倉会長の記者会見を報じた東京新聞は、「企業団体献金が税制優遇に結び付くなど政策をゆがめているとの指摘に対しては『世界各国で同様のことが行われている。何が問題なのか』」と発言したと報じられた。

2009年に民主党政権が誕生すると同党に「企業献金は受けない」と拒絶されたのを機に経団連は、会員企業に声をかけて政治献金を取りまとめることをやめた。自民党が政権に復帰すると2014年に企業献金を再開。その後、経団連の主張してきた法人税率の引き下げなどが実現している。結局、財界は政治を金で買っているのではないか、という疑惑が付き纏っている。

政治と金の問題の解決を、金の受け手である政治家に期待するのは無理がある。金の出し手である財界が、政治とカネの問題を国民が納得する形で解決しない限り、政治献金を辞めると言えば、この問題は一気に解決するだろう。

このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも"質が落ちた"と苦言を呈される残念な理由 減少率は"7.3%"で過去最大となった

プレジデントオンラインに2月2日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/78272

2036年には紙の新聞は姿を消す計算になる

紙の新聞が「消滅」の危機に直面している。日本新聞協会が2023年12月に発表した2023年10月時点の新聞発行部数は2859万部と1年前に比べて7.3%、225万6145部も減少した。2005年から19年連続で減り続け、7.3%という減少率は過去最大だ。

新聞の発行部数のピークは1997年の5376万部。四半世紀で2500万部が消えたことになる。全盛期の読売新聞と朝日新聞毎日新聞の発行部数がすべてごっそり無くなったのと同じである。このまま毎年225万部ずつ減り続けたと仮定すると、13年後の2036年には紙の新聞は消滅して姿を消す計算になる。

昨今、朝の通勤時間帯ですら、電車内で紙の新聞を読んでいる人はほとんど見かけなくなった。ビジネスマンだけでなく、大学生の年代はほとんど新聞を読んでいない。

「デジタルで新聞を読んでいる」学生はごく一部

私は、教えている大学で学生に「紙の新聞をどの程度読んでいるか」を毎年アンケート調査で聞いている。2023年度に教えた、のべ1026人の学生のうち、紙の新聞を「まったく読まない」と回答した学生は728人と7割に達した。一方で「定期購読している」という学生はわずか13人、1.3%だった。この数には自宅通学生で親が購読している新聞を読んでいる学生も含まれているから、ごくわずかしか毎日読んでいる人がいない、ということになる。

たまに読むという学生も「レポートなどで月に数回程度読む」という回答で、もはや「紙の新聞」は学生の情報源ではないのだ。学生時代に紙の新聞を読んだことがなければ社会人になっても読む習慣はほぼないから、ビジネスマンが新聞を読んでいる姿をほとんど見ることがなくなったのも当然だろう。ますます紙の新聞の発行部数は減っていくことになるに違いない。

いやいや、デジタル新聞に移行しているのだから、紙の新聞が減るのは当然だろう、と言う人もおられるだろう。だが、電子新聞など新聞社の情報メディアを使っている学生もごく一部で、「新聞」という媒体自体が凋落しているのは明らかである。学生の情報源はタダのSNSが主体だし、ビジネスマンの多くも無料の情報サイトで済ませている人が少なくない。つまり、情報を得るために「新聞」を買って読むという行為自体が、失われつつあるように見える。

新聞社が儲からなくなり、人材も育たなくなった

紙の新聞の凋落による最大の問題点は新聞社が儲からなくなったことだ。新聞記者を遊ばせておく余裕がなくなり、今の若い記者たちは私が新聞社にいた頃に比べて格段に忙しくなっている。紙の新聞は日に何度かの締め切りがあったが、電子版は原則24時間情報が流せるから、記者にかつてとは比べ物にならないくらいの大量の原稿を求めるようになった。ハイヤーで取材先の自宅を訪れて取材する「夜討ち朝駆け」も減り、取材先と夜飲み歩く姿もあまり見なくなった。新聞社も働き方改革で「早く帰れ」と言われるようになったこともある。

新聞社は取材を通じて勉強していくOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が伝統で、ベテランのデスクやキャップから、若手記者は取材方法や原稿の書き方を学んでいた。そんなOJT機能が忙しさが増す中で失われ、人材が育たなくなっているのだ。儲からなくなった新聞社で人材枯渇が深刻化し始めている。

もちろん、それは新聞記事の「品質」にも表れる。長年、新聞に親しんだ読者からは、最近の新聞は質が落ちたとしばしば苦言を呈される。また、新聞の作り方が変わってきたことで、伝統的な紙の新聞のスタイルも変化している。

貴重な情報が隠されている「ベタ記事」が激減

最近の新聞からは「ベタ記事」が大きく減っている。かつて「新聞の読み方」といった本は必ず、「ベタ記事こそ宝の山だ」といった解説を書いていた。新聞を読まない読者も多いので、ベタ記事と言われても何のことか分からないかもしれない。紙の新聞では1ページを15段に分けて記事が掲載される。4段にわたって見出しが書かれているのを「4段抜き」、3段なら「3段抜き」と呼ぶ。これに対して、1段分の見出ししか付いていない記事を「ベタ記事」と呼ぶ。そうした細かい、ちょっとした記事に、貴重な情報が隠されているというのだ。

ところが最近は、このベタ記事がどんどん姿を消している。デジタルでネットに情報を出すことを前提に記事を作るため、ひとつの原稿が長くなったことで、ベタ記事が入らなくなった、という制作面の理由が大きい。長い読み物的な記事が紙の新聞でも幅をきかせるようになり、新聞が雑誌化している、とも言われる。一見同じページ数でも、記事の本数が減れば、実質的に情報量が減ることになる。細かいベタ記事に目を凝らして読んでいた古い新聞愛読層が新聞の情報量が減ったと嘆くのはこのためだ。

「成功している」日経ですら電子版は100万契約にすぎない

一方で、細かいベタ記事がたくさん必要だった時代は、記者が幅広に取材しておくことが求められた。駆け出しの記者でもどんどん原稿を出すことができたのだ。ところが、雑誌化すれば訓練を積んだ記者しか原稿が出せず、結果、若手の訓練機会が失われている。これも記者の質の劣化につながっているのだ。それが中期的には紙面の質の低下にもつながるわけだ。紙の新聞の凋落による経営の悪化や、デジタル化自体が、記者を劣化させ、新聞の品質を落としている。

デジタル版が伸びているので新聞社の経営は悪くないはずだ、という指摘もあるだろう。確かにニューヨーク・タイムズのように紙の発行部数のピークが150万部だったものが、デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になったケースなら、紙が半分以下に落ち込んでも十分にやっていける。

デジタル化で成功していると言われる日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのだ。1000万部を超えて世界最大の新聞だった読売新聞はデジタルで大きく出遅れている中で、紙は620万部まで減少している。

「新聞の特性」自体が消滅しつつある

このまま紙の新聞は減り続け、消滅へと進んでいくのだろうか。本来、紙の新聞には情報媒体としての優位性があった。よく指摘されるのが一覧性だ。大きな紙面にある見出しを一瞥するだけで、情報が短時間のうちに目に飛び込んでくる。36ページの新聞でも、めくって眺めるだけならば15分もあれば、大まかなニュースは分かる。その中から興味のある記事をじっくり読むことも可能だ。

ネット上の記事は一覧性に乏しいうえに、自分の興味のある情報ばかりが繰り返し表示される。便利な側面もあるが、自分が普段関心がない情報が目に飛び込んでくるケースは紙の新聞に比べて格段に低い。自分の意見に近い情報ばかりが集まり、反対する意見の情報は入ってこないネットメディアの性質が、今の社会の分断を加速させている、という指摘もある。

そんな紙の特性を生かせば、紙の新聞は部数が減っても消えて無くなることはないのではと私は長年思っていた。ところがである。前述の通り、デジタル版優先の記事作りが進んだ結果、1ページに載る記事の本数が減り、ベタ記事が消滅するなど、新聞の特性自体が消滅しつつある。新聞社が紙の新聞を作り込む努力をしなくなったのだとすれば、紙の新聞の消滅は時間の問題、ということになるのだろう。