来年以降、政権を揺さぶる火種になりうる…マイナカード大混乱に続き岸田政権を待ち受ける"第2の爆弾" 新設「デジタル行財政改革担当相」は河野大臣が兼任

プレジデントオンラインに9月15日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/73932

「デジタル行財政改革担当相」は河野大臣が兼任

岸田文雄首相は9月13日に内閣を改造した。焦点のひとつだった河野太郎デジタル相は留任、改造内閣の看板になるかと思われた「デジタル行財政改革担当相」は新設されたものの、河野大臣の兼任となった。

当初は、マイナンバーカードへの健康保険証など情報の紐付けを巡る大混乱の責任を取らせてデジタル相を交代するのではないかと見られていた。結局、火中の栗を拾えるだけのデジタル化への知見を持った政治家が限られることから、今後さらなる炎上を抑えるためにも河野氏以外では難しいと判断したようだ。

さらに国民的な人気も高く、岸田氏にとっては潜在的に地位を脅かす存在である河野氏を、閣内で引き続き難題を抱えさせることで、抑え込もうという政治的な狙いもあるという解説も永田町では聞かれる。岸田首相は情報の紐付けミスの「総点検」を11月末までに行うよう指示しており、河野大臣に大きな重荷を背負わせている格好だ。

マイナンバーカードへの健康保険証の一体化については、野党のみならず与党内からも見直しを求める声が出ている。紐付けミスが相次いで発覚した6月以降、内閣支持率が大きく低下。NHK世論調査では5月に46%だったものが、8月には発足以来最低に並ぶ33%にまで低下するなど、岸田内閣の足元が大きく揺らいだ背景にはマイナンバー問題があった。

父は「日本医師会のドン」という厚生労働相

首相周辺は、マイナカードと保険証を来年秋から一体化する方針を先送りする方向で動いたが、結局、8月4日の会見では一体化及び保険証の廃止の方針は堅持した。河野大臣と加藤勝信厚生労働相(当時)の2人が先送りに強く反対したことが背景にあったとされる。今回の内閣改造で、日本医師会の推薦を受ける武見敬三氏が厚労相に就いたことで、この厚労省の姿勢がどう変わるのかが注目される。

武見氏はかつて日本医師会のドンと呼ばれた武見太郎氏の子息。今回の人事には「医師会が大臣になったようなもの」「あまりにも露骨」といった声が噴出しているが、保険証の廃止に慎重姿勢を取る医師会の声が今後の行政にどう反映していくことになるのか。武見大臣が医師会の説得に回って保険証廃止に突き進むのか、河野大臣との間でバトルを繰り広げることになるのか、大いに注目される。

11月末までに行われる総点検で、問題が解決するかどうかは首を傾げる。マイナンバーカードに健康保険証の機能を持たせたいわゆる「マイナ保険証」に他人の医療情報が紐付けされたミスの発覚件数は8月になっても増え続けている。8月8日段階で新たに1069件のミスが明らかになり、実際に他人の情報が閲覧されていた事例も5件確認された。累計の誤登録件数は8441件にのぼる。しかも、今後も誤登録の発見は増え続ける可能性があると報じられている。

インボイス制度開始」という新たな難題

内閣改造が終わり、秋の臨時国会が始まれば、再び、マイナンバー問題の野党による追及が再開する。NHK世論調査では9月の内閣支持率は36%と3ポイント改善、とりあえず一服状態だが、これがどう動くか。来年秋の自民党総裁選で再選を狙う岸田首相にとってマイナンバー問題はアキレスけんであり続ける。

そこにもうひとつ難題が加わる。消費税のインボイス制度が10月1日から開始されるのだ。「適格請求書発行事業者」として登録し、その番号や消費税額を明記した請求書を発行する仕組みで、モノやサービスを購入するために代金を支払った側はこの適格請求書(インボイス)が無ければ、その消費税分を税額控除することが原則できなくなる。飲食店なども登録番号などを明記した領収書(適格簡易請求書)を発行することになり、それをベースに税額控除を受ける。つまり、売り上げに伴って受け取った消費税(仮受消費税)から経費として支払った際の消費税(仮払消費税)を差し引いた金額を納税することになる。

インボイス制度は「増税策」であることは間違いない

すでに課税業者の多くは適格請求書発行事業者として登録を始めており、6月末時点でおよそ300万ある課税事業者のうち8割を超える事業者が登録を済ませたという。個人事業主の課税事業者も7割以上が登録している。

問題は、インボイスを発行できるのは、消費税の申告をする課税事業者に限られること。国内の事業者は個人法人合わせて823万あるとされ、その6割が「免税事業者」とされる。とくに個人事業主過半数が免税事業者だ。こうした事業者の発行する請求書や領収書では税額控除を受けられなくなるため、免税事業者との取引を縮小するのではないか、という見方が広がっている。経費処理するのに簡単な課税事業者の店を利用しよう、ということになるのではないかというわけだ。

インボイス制度を導入する財務省の狙いは、結局のところ、免税事業者を減らし、課税事業者に変えていくことにある。免税事業者も売り上げが減っては困るので、自ら課税事業者になって適格請求書(領収書)を発行できるようになろうという動きが出ている。そうなれば当然ながら、国に入る消費税の額は増えるわけで、増税策であることは間違いない。

来年以降、政権を揺さぶる火種になる

消費税「率」を引き上げれば、国民の注目が集まり大きな反発を生む。ところが課税業者を増やす今回のインボイス制度では、なかなか反発が起きにくい。実際にどれぐらい税負担が増えるのかが見えにくいからだ。だが実際に増税負担を被ることになるのはこれまで免税されてきた個人や零細事業者ということになるだろう。もちろん、様々な経過措置や特例措置も設けられているが、事業者の負担が増えることは間違いない。

例えば非課税事業者が課税事業者に転換しても、実際に消費税を納税することになるのはまだしばらく先だ。その負担増を実感し始めるのは来年以降になる。まだ、その全体的なインパクトを予想するのは難しいが、政権を揺さぶる火種になることは間違いない。しかも不満が爆発するのが来年となると、総裁選前に爆弾が破裂することになりかねない。

インボイス制度や請求書や領収書の電子保存など、デジタル化の進展で、徴税漏れは大きく減っていくことになる。加えて、課税業者が増えていけば間違いなく消費税収は増える。国にとってはデジタル化の恩恵は大きい。

「何のためにデジタル化を進めるのか」国民の怒りが蓄積

一方で、国民側からすれば、何のために国のデジタル化を進めるのか、という憤懣ふんまんが蓄積しつつある。マイナンバーカードも「便利になる」と言って普及させる一方で、結局は個人の資産捕捉などに繋げて税収を増やすことが狙いだろう、ということになる。

そんな不満を解消するために、今回の内閣改造では当初、「デジタル行財政改革担当大臣」を新設し、デジタル化が行政コストの削減につながることをアピールするはずだった。総理直轄のデジタル行財政改革本部を設置することで、国が進めるデジタル化は行政改革のための手段なのだということを示す狙いだったのだ。菅義偉前首相がデジタル庁を創設した時に狙いとして示していたのは「縦割りの打破」。デジタル化が進めば行政コストが下がるというのがデジタル庁創設の謳い文句だったのだが、その理念を再度国民に訴えようとしたのだろう。

ところが蓋を開けてみれば、河野デジタル相が新設のデジタル行財政改革担当大臣を兼任することで終わり、斬新さはすっかり消えてしまった。

今後、マイナンバーのミス続発が止まらないまま、国民に不便さを押し付けることになる保険証の廃止に固執し続ければ、岸田内閣の支持率が再び低下を始めることになるかもしれない。さらに、それにインボイス制度への国民の憤懣が重なれば、岸田政権の足元を突き崩す「第2の爆弾」になるに違いない。

岸田政権、ガソリン代補助金をさらに拡大。円安を呼び込む「愚策」をいつまで続けるのか 市場メカニズムに逆らっても

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https://gendai.media/articles/-/116095

15年ぶり最高値更新

夏休みシーズンが終わった9月に入ってもガソリン価格の最高値更新が続いている。9月4日時点のレギュラーガソリンの小売価格は全国平均で1リットル当たり186.5円と16週連続で値上がり。15年ぶりに最高値を更新した前週に続いて2週連続で最高値を更新した。政府はこれに対して石油元売会社に支給する補助金を拡大。ガソリン価格の抑制に乗り出した。

9月7日から拡大された補助金は1リットル当たり17.4円。前の週の9.7円から大幅に増やしたことで、政府は9月末には価格が1リットル180円、10月末には175円程度に下がるとしている。

政府が補助金を出して値上がりを抑える施策を国民の多くは歓迎している。メディアも売り上げが増えない中で燃料費が上がって大変だという運送業者や漁業者などの声を報道、野党からももっと補助金を出せという声が聞こえる。だが、市場で決まる価格を、政府がコントロールすることが、いつまでもできるのだろうか。

ガソリン価格を抑制するために石油元売会社に補助金を出す今の制度がスタートしたのは2022年1月。当初は3月末までの「激変緩和措置」だったが、1月に1バレル=85ドル程度だったWTI原油先物価格がその後、100ドルを大きく超え、1バレル=130ドルに乗せるなど状況が悪化、補助金も打ち切ることができずに延長を繰り返してきた。

国際的な原油価格が落ち着いた2023年1月には補助金の額を抑えたものの、制度自体を止める事はできず、これまでに注ぎ込まれた補助金は6兆円を超えている。本来は2023年9月で制度は廃止されるはずだったが、ガソリン価格の高騰を理由に廃止どころか拡大されているのだ。

この10カ月、WTI価格は1バレル=85ドル以下が続いてきた。にもかかわらず、国内のガソリン価格が下がらなかったのは、為替の円安が続いたからだ。円安のまま、国際的な原油価格が再び上昇を始めれば、国内のガソリン価格は最高値を大きく更新し続けることになりかねない。10月末に1リットル=175円に抑えるという政府の狙い通りに価格をコントロールしようと思えば、どれだけ財政資金を投入しなければならないか分からなくなる。

市場メカニズムへの挑戦

ガソリン価格は、国際的な原油相場と、輸入時の為替がベースで決まる。国際相場は需要と供給の見通しなどによって動く。ガソリン価格が上昇すれば、消費者はガソリンの使用量を減らそうとする。事業者は省エネに努めても補えない分は販売価格に転嫁するが、それが受け入れられなければ売り上げが減る。結果的にガソリンの需要が落ちるので、価格も下落していくと考えるのが市場メカニズムだ。

政府が補助金を出して価格をコントロールしようとする今回の施策は、市場メカニズムに真っ向勝負を挑むものだ。補助金で価格を低く抑えれば、ガソリンの使用量は落ちないので、市場原理が働かなくなる。経済学者の多くがこの施策は邪道だ、という理由だ。また、石油ショック時にエネルギー政策を知る官僚OBも、「この価格抑制政策は将来に禍根を残す」と語る。「石油ショックでエネルギー価格が上昇したから、それを乗り越えるために日本の省エネ技術が花開いた」というのだ。石油に補助金を出してまで利用を促進する政策は、脱炭素、脱化石燃料の国際的な流れからも逸脱する。

さらに、財政資金を投入しての価格統制には、いずれ大きなツケが回ってくる。財政が続かなくなって補助金給付を止めれば、市場価格が一気に上昇することになる。激変緩和のはずだった措置が、逆に激変をもたらすことになりかねない。その時の景気へのインパクトは大きい。価格の上昇が様々なモノやサービスに波及し、インフレが止まらなくなりかねない。そうなれば、消費が大きく失速することになるだろう。

ツケは財政に

また、政府が頑張って補助金を出し続ければ、そのツケは財政に回ってくる。すでに投じた6兆円という金額は、1年間の税収の1割に相当する。そうでなくても財政赤字が慢性化している日本国が大盤振る舞いを続けていて大丈夫なのか。

いやいや「政府の子会社」である日本銀行国債をどんどん買わせればいい、という声も政治家の一部にまだ残っている。だが、日本銀行の財務内容が悪化すれば、通貨の信任を左右する。円安に歯止めがかからなくなりかねないのだ。

価格を抑えようと財政支出していることが、円安にさらに拍車をかけることにつながっているとすれば、自ら足元を突き崩しているのと同じである。

岸田文雄首相は、就任以来、「いわゆる新自由主義的政策は取らない」と言い続け、「市場」を向こうに回す施策をいくつも打ち出してきた。ガソリン代の抑制にとどまらず、電力やガス、小麦粉といった価格を「統制」しようと試みている。そのための過度な財政のバラマキが結果的に円安をもたらしていると見るべきだろう。円安になれば輸入価格はさらに上がり、ますます多額の財政を投入しなければならなくなる。いつまでそんな市場との対決を続けるつもりなのだろう。

岸田内閣は9月13日に内閣改造を行う方針だ。その上で、大規模な経済対策を早急に実行していく、としている。果たして、どんな経済政策を打ち出すのか、国民のウケがいい、価格抑制を次々と打ち出していくつもりなのだろうか。経済政策を担う閣僚の布陣次第では円安に一気に拍車がかかるのではないか。

酪農発祥の歴史を現代につなぐ牛乳の高付加価値化

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https://wedge.ismedia.jp/articles/-/30248

 

 日本における「酪農」発祥の地はどこか、ご存じだろうか。酪農王国北海道で本格的に始まるはるか昔。江戸時代の享保13年(1728年)、インド原産といわれる白牛3頭を、幕府直轄の牧場で飼い、「白牛酪」という乳製品を作らせたとされる。それが現在の千葉・房総で、「日本酪農発祥の地」を謳っている。

 「岩本正倫という幕府の役人が、当時頻発していた飢饉に備えるために栄養価の高い牛乳に着目したそうで、そうした歴史、物語を引き継いでいこうと考えています」

 

 そう語るのは館山市にある「須藤牧場」の4代目の須藤健太さん(30歳)。代表で3代目の父裕紀さんと共に100頭余りの牛を飼う。曽祖父で初代の源七氏が100年前に3、4頭から始めた酪農を発展させてきた。「酪農発祥の地という歴史がこの地にあったから初代も牛を飼うことを決めたのだと思います」と健太さんは考える。

 だが、そんな日本の酪農に今、危機が迫っている。新型コロナウイルスのまん延の影響で学校給食用など牛乳の消費量が減少、「もっと牛乳を飲みましょう」とテレビカメラの前で政治家が牛乳を飲み干す姿も記憶に新しい。需要減少の一方で、世界的なインフレの影響で輸入飼料や光熱費が大幅に上昇。しかし、生乳の価格は政府の方針の影響を受けるなど、そう簡単には上昇しない。コストを吸収できず、急速に経営を圧迫しているのだ。

「長年進めてきた6次産業化が軌道に乗っていなかったら、立ち行かなくなっていたかもしれません」と健太さん。須藤牧場は10年以上前から高付加価値化に取り組んできた。酪農を1次産業で終わらせず、加工品を作る2次産業や、販売サービスを行う3次産業にも進出、1+2+3で「6次産業」というわけだ。

 須藤牧場がブレークするきっかけになったのはアイスクリーム。「ピュアミルク」のブランドで売り出したアイスを作ったのだ。館山には首都圏から多くの観光客が訪れる。そうした観光客の間で人気を博した。夏ならば放牧場で草を食む牛たちをのんびり眺めることもできる。須藤牧場に立ち寄ってアイスを買っていく人たちが増えていった。牧場の一角に直売所も作った。6次産業化に乗り出したわけだ。

 そうはいっても須藤牧場のウリは1次産業。消費者に訴求するには何よりも「ミルクの味」が重要だと健太さんは言う。須藤牧場ではジャージー牛を飼い、「プレミアムジャージー牛乳」として売り出している。ジャージー牛のミルクはコクがあり風味も豊かなので味は抜群だが、牛の出す乳の量がホルスタインに比べて格段に少ない。前述のように共同出荷する場合の価格は決まっているから、ジャージー牛を飼う酪農家は多くない。全国の乳牛のうちジャージー牛は1%に満たないといわれる。

 しかも、須藤牧場のジャージー牛は1頭の牛から搾ったミルクをなるべく混ぜずにボトルに詰める。「牛の個性を大事にしたいから」(健太さん)だ。「牛も日によって体調が違う。健康で元気な牛のミルクは断然おいしいのです」。そのためには当然のことながらエサにも工夫がいる。とうもろこしや穀類のエサの60%は自分たちの畑で自ら育てている。

だが、ジャージー牛乳を収益に結び付けるには自分たちで売る必要がある。そのためには「販路」がいる。そこで観光客も立ち寄る「道の駅」などに置いてもらっている。地元の人たちにも人気だ。フレッシュさを大事にするため、次の配送時に売れ残っているものは賞味期限内でも回収する。それを加工用の原料に回す「循環」を確立することで、無駄を出さず、結果的にコストを下げることを狙っている。

 もちろん、インターネットを使った直販も大きな武器だ。プレミアムジャージー牛乳は900ミリリットルボトルが2本で1889円(税別)と高価だが、こだわりの逸品を求める首都圏在住のお得意さんが定期購入してくれるようになった。

「生シェイク祭り」で進める仲間づくり

 もっとも、すべて自前で製品づくりを行うのは難しい。直売所を多店舗展開する力もない。そこで考えたのが、地元のさまざまなビジネスとの連携だ。例えば、チーズ作りに乗り出す酪農家も多いが、規制も厳しく設備投資も必要になる。だが、周辺にはシェフ自らが手作りチーズを作りたいこだわりのレストランがある。須藤牧場はそうしたシェフに最高のミルクを提供することで、地域全体の活性化につながると考えることにしたのだ。「餅は餅屋の言葉通りです」と健太さんは笑う。そうやって地域全体で南房総産の良質なミルクの消費が増えれば、結果的に地域に酪農を残していけることになる。

 その健太さんの発想が花開いたのが「生シェイク祭り」というイベントだ。房総エリアの飲食店に声をかけ、須藤牧場の牛乳を使ったさまざまな生シェイクをお店のオリジナルとして出してもらう仕掛けを作ったのだ。房総産のイチゴを使った生シェイクや、地元の酒蔵の麹を使ったもの、お米屋さんが作った「おこめ生シェイク」などなど。リゾート地らしいお洒落なシェイクも数多く生み出された。インターネット上に特設サイトを設けて、それぞれの生シェイクを写真入りで紹介。お店のサイトにもリンクを貼った。この取り組みには何と63店舗が参加した。

 酪農を残すためにもう一つ取り組んでいることがある。須藤牧場に全国の学生を受け入れ、教育活動を行っているのだ。「酪農教育ファーム」の認証も得た。実は、健太さんの母が教職免許を持っており、酪農の現場を知ることを通じて子どもたちに「生きる力」を伝えることができる、と考えたのだ。

 小中高校生向けに乳しぼり体験や子牛のブラッシング、バター作りなどを体験できるコースを設定した。子どもたちに直接、酪農という仕事の魅力なども語っている。美味しいソフトクリームを食べて子どもたちは大喜びで帰っていく。酪農を身近に感じてもらうことで、南房総の酪農という文化が保たれていくに違いないと考えている。

 江戸時代から続く房総の酪農を自分の代で終わらせるわけにはいかない─。そんな健太さんの思いが新たなビジネスのアイデアを生んでいく。

金1グラム初の1万円超は、金価格上昇ではなく、円価値の劣化 NYの金価格は下落しているのに

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https://gendai.media/articles/-/115604

国際相場の方向性と大きく乖離

金の国内での小売価格が1グラム当たり初めて1万円の大台に乗せた。8月29日に三菱マテリアル田中貴金属工業の店頭販売価格は1グラム=1万1円となった。その後も上昇を続け8月31日時点では1万95円と最高値を更新し続けている。

ここ数年続いてきた国際的な金価格の上昇の余波かと思いきや、状況は大きく異なっている。ニューヨーク金相場が今年4月に1トロイオンス=2050ドル前後の最高値圏(史上最高値は2020年8月6日の2069.40ドル)を付けるまでは、国内の金価格上昇とほぼ軌を一にしてきたが、ここへきて国際相場の方向性と大きく乖離している。

国際価格が1トロイオンス=1900ドルを一時割り込む中で、国内相場は一気に1グラム=1万円に乗せてきたのだ。国際的に金価格が下落するのと対照的に国内価格は上昇しているわけだ。

NYの金価格が下落している理由は明白だ。米連邦準備制度理事会FRB)が金融引き締めに転じ、その効果から徐々にインフレが収まりつつある。インフレは通貨の価値が下落(モノの価値が上昇)することなので、ドル通貨建ての金価格は上昇してきたわけだが、それが一服してきたということだ。また、金は保有していても金利を生まない。マイナス金利やゼロ金利の時代が終わり、金利が上昇してくるにつれて、金利のつかない金から債券など投資資金が動いていることも、金価格にとってはマイナスに働いている。

金上昇ではなく円下落

そうした国際的な金価格の推移と、日本国内の金価格の推移が大きく乖離し、国内価格だけが大幅に上昇しているのは、金価格が上昇しているというよりも、通貨である円の価値が大きく下落していることを示している。

特に日本国内ではここへきて物価上昇が続いており、インフレが他人事ではなくなってきている。インフレは円の通貨価値の下落だから、円建てで見た金価格は上昇するというわけだ。金の国際価格はドル建てなので、為替が円安になればなるだけ、金価格は上昇することになる。つまり、ドル建ての金価格は下がっても、それ以上に円安が続いているので円建ての金価格は上昇しているわけだ。

金が高くなったと喜んでいるが、実際には円の価値が下落しているのである。

円の価値が大きく下落している背景には、当然のことながら、日本銀行の金融政策と、政府の財政政策が絡んでいる。植田和男総裁は超低金利政策からの出口を模索していると見られるが、実際には金融緩和が継続されている。金利を引き上げたくても引き上げられない状況だと見る識者が増えている。

一方で、物価は上昇が続いている。生鮮食品を除く消費者物価の総合指数は7月に前年同月比3.1%上昇した。1年前の7月もすでに前年同月比で2.4%上昇しており、物価上昇に拍車がかかっている。

政府はこれに対してガソリン価格を抑えるために石油元売会社に補助金を出したり、電力・ガス料金を抑制する助成金を出すなど、必死に物価上昇を抑え込もうとしている。政府が財政支出で価格を抑えているエネルギーを除いた場合の消費者物価指数は前年同月比で4.3%も上昇している。

いわば政府は財政支出で市場機能に抵抗を試みているわけだが、その歪みが金価格に表れていると見ていい。インフレが進む中で金利は引き上げず、財政支出を拡大することで日本政府の財政状態はさらに悪化する。つまり円の通貨価値を毀損する政策を取り続けているわけだ。

今の政策を続けている限り

そうした円の通貨価値の劣化を危惧して富裕層を中心に、円の資産をドルや金に変える動きも続いている。ここ5年ほど富裕層の間では、スイスのプライベートバンクに口座を開いて資産を移す動きが続いていたが、最近ではスイスの口座の資産を金に変える向きも増えているという。絶対的な価値保存には金の信頼性に勝るものはないということだろう。

生命保険会社でもドル建ての年金商品などが圧倒的な売れ筋商品になっているという。将来、ドル建てで年金ももらう仕組みで、仮に猛烈なインフレで円価値の下落が起きたとしても、年金生活が困窮することはない、という考え方だ。富裕層だけでなく、一般の年金商品購入者までが円通貨を見切ることで、さらに円安に拍車がかかるという側面もある。

数年前からあちらこちらの商店街などに「金製品買い取ります」とのぼりを立てた店が目につくようになった。金の指輪などが予想以上の価格になったと喜ぶ高齢者もいる。もちろん、金の円建て価格が上昇すれば、数グラムの金を売却して得られる日本円は増える。それをすぐに使ってしまう、つまり別のモノに変える必要性に迫られているのなら、これも賢い行動だろう。

だが、金を売却して得た円を、金利のつかない銀行預金に置いておくとするならば、円価値の劣化の波をモロに受けることになる。

四半世紀にわたってデフレが続いてきた日本では、多くの国民がインフレの恐怖を知らない。デフレの世の中では通貨をタンス預金して置いても、価値は下がらないどころか、モノの値段が下がって価値が増える。つまり何も行動しないことが正解なのがデフレの時代だ。

一方で、今やってきているインフレの世界は、通貨をそのまま持っていれば、価値がどんどん劣化していく。つまり、通貨の劣化に抵抗するような投資なり、他のモノへの資産転換なり行動をしないと、価値を守ることができない世界なのだ。

政府と日銀が、通貨価値の劣化を容認する今の政策を続けている限り、国内での金価格の上昇は続くことになるだろう。

「中国の反発が想定外だったとは思えない」処理水放出が象徴する岸田内閣の"すべてカネで解決する"蛮勇政治 これから30年以上も補助金を出し続けるつもりなのか

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https://president.jp/articles/-/73428

関係者の理解は得られていないなかでの放出

東京電力福島第一原子力発電所にたまった大量の「処理水」の海洋放出が8月24日に始まった。初回は17日間かけて7800トンを海に流す計画で、2023年度は4回の放出で3万1200トンを放出する。タンクに保管されている処理水の総量は134万トンもある上、日々汚染水は出続けており、海洋放出を続けてもなかなか減少しない。すべてが放出し終わるまでに30年以上かかるとされる。

原発内に残る核燃料デブリを冷やすために使われたり、デブリに触れた地下水などは「汚染水」として地上のタンクに保管され続けてきた。タンクの数は1000基を超え、敷地を埋め尽くして「満杯」が近づいていた。

汚染水は「ALPS(多核種除去設備)」によって核物質が基準値以下まで除去されているが、トリチウムだけは除去できないことから、これを基準値以下になるように大量の海水で薄めて流すこととしたわけだ。

薄めて海に流す処分方法は震災後早い段階から方向性が打ち出されていた。政府と東京電力は2015年に、福島県漁業協同組合連合会に対して、「関係者の理解なしには(処理水の)いかなる処分もしない」と約束していた。魚連は早くから海洋放出を恐れていたわけだ。だが、今回、放出に漕ぎ着けたのは、関係者の理解が得られたからか、というとそうではない。

IAEAの報告書は大きなきっかけになった

政府が、関係者の理解を得るための「手順」を踏もうとしてきたのは確かだ。

国際原子力機関IAEA)の専門家チームが7月に報告書をまとめ、処理水の放出が国際的な安全基準に合致していると結論づけた。このIAEAの報告書が、政府が海洋放出に踏み切る大きなきっかけになったのは間違いない。国際的にも認められた手法だというわけだ。もっとも、IAEAのラファエル・マリアーノ・グロッシ事務局長は、ロイターのインタビューで、「IAEAは(処理水放出の)計画の承認も推奨もしていない。計画が基準に合致していると判断した」と述べ、処理水放出の最終決定は日本政府が行うものだとゲタを預ける形になった。

このタイミングを逃しては海洋放出は実現できないと考えたのだろう。岸田首相は8月20日にALPSを視察、東電の幹部らとも面会した。さらに翌日には首相官邸で全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長と面会、「全責任を持って対応する」と発言して理解を求めた。

坂本会長は「漁業者、国民の理解を得られない処理水の放出に反対であることは、いささかも変わりない」と述べた。岸田首相は福島を訪れていながら、「関係者の理解なしにはいかなる処分もしない」と約束していたはずの福島県魚連とは面会せず、全漁連と会った。「形」を整えることが狙いで、とうてい関係者の理解を得たわけではなかった。

中国の反発が「想定外」だったとは思えない

国内だけではない。諸外国の理解も十分に得られたとは言い難い。7月には欧州連合EU)が福島産の水産物などに課していた輸入規制を完全に撤廃した。これも処理水放出の「好機」と判断したのだろう。だが、輸入規制を続けてきた韓国や中国は理解を示すどころか、むしろ強く反発した。中国の税関当局は、処理水放出の始まった8月24日から、日本を原産地とする水産物を全面禁輸にすると発表した。また、韓国は処理水放出に一定の理解を示したものの、水産物輸入禁止は維持したままだ。結局、十分に「理解」を得ることができていなかったということだろう。

中国国内では塩を買い占める動きが広がっているほか、日本人学校へ石が投げ込まれたり、日本国内へ嫌がらせの電話が大量にかかってくるなど激しい反発が起きている。処理水の海洋放出は安全上問題ない、という理解は十分に広がっていなかったということだろう。

こうした中国の反発に、「大変驚いた。全く想定していなかった」と野村哲郎農林水産相が述べた。処理水放出を検討していた官邸が中国の反発を「想定外」だったとは思えないが、「理解」を得るより、何より「放出ありき」の方針だったのだろう。

理解を得る前に決断を急ぐ岸田内閣の「蛮勇」さ

国内外の反発を押し切ってでも海洋放出に踏み切った岸田内閣の実行力を評価する声もある。事故以降、安倍晋三内閣では支持率に響く「原発」問題などはほぼ棚上げ状態を続けてきた。国民を二分する議論になることが分かっていたからだろう。福島の処理水のタンクが1000基にも達したのは「決断」を先送りしてきたために他ならない。菅義偉内閣も同様の対応だったが、岸田内閣はそうした「懸案」に果敢に取り組んでいると見ることもできる。

本来はこうした難題に取り組むには、国民の「理解」を得ることが最優先なはずなのだが、岸田内閣はこれをしないまま、決断を急いでいるように見える。いわば「蛮勇」を奮っているのだ。

やはり懸案だった安全保障問題もそうだ。防衛費の大幅な増額を決めたが、その財源もいまだに不透明で、国民の理解を十分に得たとは言い難い。

もちろん、理解が得られないまま実行すれば、様々なマイナスが生じる。処理水の海洋放出にしても、安全性への国民の理解が十分に得られていなければ、福島産水産物などの売れ行きに大きな影響が出る。政府はそれを「風評被害」と言っているが、国民が十分に安全性を理解し、安心していないから売れ行きが落ちるのであって、事実無根の「風評」というわけではない。福島県魚連が「理解」を示さなかったのは、国民の理解が十分に得られていないと感じていたからだろう。

全てカネで解決するのが「岸田流」

そんな「蛮勇」を糊塗ことするためか、「風評被害対策」に政府がカネを出すのだという。800億円の基金を活用して、漁業者の支援に資金拠出するというのだ。中国向け水産物輸出額は871億円なので、それを穴埋めできる金額だ。しかも、中国の輸入停止で損害が出た場合、東京電力が「必要かつ合理的な範囲で賠償する」という。売れなくなったものを政府の資金拠出で補うというのである。損が出ないのだから文句は言えないだろう、というところだろうか。

水産物の価格下落を防ごうとして財政を使う一方、物価上昇に対しても補助金を使っている。ガソリンや電気・ガス代金の価格抑制に動いているのだ。防衛費の増額では本来、増税で賄うのが筋だが、それでは国民は生活が苦しくなる国民は納得しない。ならば、財政支出で物価上昇を抑えて国民の生活を助けましょうと全てカネで解決するというのが、どうやら「岸田流」なのだ。国民の理解が得られにくい「蛮勇」のツケを財政支出というカネの力で賄っていると言っていい。

政府が価格をコントロールしようと市場に対峙たいじしても、市場の力に抗うことは難しい。財政支出する財源は無限ではないから、いずれ国家が市場の力に敗北する。日銀が日本円を刷りまくって国債を買えば、財政破綻はしないという理屈を信奉する政治家も自民党内には少なからずいるが、円の総量が増えれば円の価値は下落していく。そうなると、輸入品の物価上昇は止まらない。漁業者を守ろうとしても、漁に出る船の燃料代が賄えなくなるだろう。

科学的な数値の開示を続けることで理解を得る他ない

そんな価格コントロールをいつまでも続けられるのだろうか。処理水の放出は30年以上かかる。その間、漁業者に補助金を出し続けるのか。それとも数年もすれば処理水放出に国民が慣れて、福島産の水産物も元のように売れるようになると考えているのだろうか。

もちろん、処理水の放出以外に問題を処理する方法がない、という現実もある。トリチウムを取り除く技術は十分に確立されていないからだ。だとすると、トリチウムが残った処理水を放出することの安全性を徹底的に説明し、国内外の人々に理解を深めてもらう他ない。取った魚にトリチウムが残留していないか、科学的な分析を進めて、情報を徹底的に開示していくしかないだろう。

その際、「問題ない」ことを証明するために調査すると、検査にバイアスがかかったり、数字に恣意性が働いたりする可能性がある。万が一にも調査で不正などが発覚すれば、それこそ信頼は地に落ちる。純粋に科学的に数値を開示し、国民の安心を勝ち取っていくしか方法はない。

円安効果の訪日ブームは過去最高水準に。一方、貧しくなった日本人は海外に行けず 前年同月比16倍!

現代ビジネスに8月27日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/115373

様相一変

真夏の京都は汗をかきながら観光する外国人で溢れ返っている。新型コロナで観光客が激減していた昨年とは様相が一変した。日本政府観光局(JNTO)が発表した2023年7月の訪日外客数(推計値)は232万600人。昨年7月は14万4578人だったから16倍に増えたことになる。

実は新型コロナ前の2019年7月、ちょうど4年前の7月は299万1189人の訪日客が訪れた。単月では過去最多の人数だった。それに比べると数字上は8割の水準に戻ったことになる。

だが、今年は4年前と大きく状況が違っている。2019年7月の過去最多を牽引していたのは中国からの訪日客で、105万人あまりが訪れていた。もちろん国別では中国がダントツの最多だった。それが今年は中国からの訪日客は31万3300人。最多の韓国の62万6800人の半分、2位の台湾(42万2300人)より10万人も少ない。新型コロナウイルス対策で旅行を制限していたことが大きい。

仮に中国から4年前並みの100万人が日本を訪れていたとしたら、300万人を超えていた計算になり、「過去最高」ということになる。つまり、中国要因を除けば、実質的に訪日客は過去最高水準にあるというわけだ。

中国の解禁

その中国が、ここへきて、8月10日から日本への団体旅行を解禁した。これで中国人観光客が急増すれば、名実ともに訪日客が過去最多を更新する日が来ることになる。年間の訪日客数で過去最多だったのは2019年の3188万人。当初は2020年に予定されていた東京オリンピックパラリンピックの効果で2020年に4000万人を呼び込む算段だったが、新型コロナの蔓延で夢に終わった。

今年2023年は前半が新型コロナによる入国規制が続いていたので、いくら訪日客が殺到しても2600万人から2700万人がせいぜいと言ったところ。今後の焦点は2024年に年間で3188万人を超え、過去最多を更新するかどうかだ。そのためには、2019年に959万人だった中国からの訪日客が1000万人をどれだけ超えてくるかがカギを握る。

大の日本好きが多い台湾は人口2357万人(2020年)。2019年の年間訪日客はのべ489万人だった。単純に計算すれば国民の5人1人(20%)が日本にやってきたことになる。一方で中国の人口は14億人。台湾の10分の1の2%が日本を訪れたとして2800万人、20分の1の1%でも1400万人に達する。

もちろん、中国人観光客は日本国内での「買い物」の消費額が他の国の人々に比べて大きいという点もあり、インバウンド消費に弾みがつくとして期待する声もある。

なんたって「円安」

かつては観光地は中国人観光客の姿が圧倒的だったが、最近は欧米人の姿も多いほか、東南アジアの国々にも広がっている。東南アジア諸国に対してビザ発給要件を緩和したことなども日本旅行ブームに火をつけた一因だが、なんと言っても大きいのが「円安」である。

円が弱くなったことで、アジアからの旅行客から見ても、日本の旅行費用は「格安」になった。また、世界の美味しいものが、おそらく世界で最も安価で気軽に食べられるのが、今の東京に違いない。今後、日本の物価も急速に上昇していく可能性があるが、海外旅行客にとってはまさに「バーゲンセール」状態になっている。中国人観光客が戻ってくれば早速お金を落としてくれるに違いない。

こうした円安による「内外価格差」の拡大で、割安感が増した日本の観光地の高級ホテルや高級レストランなど、外国人観光客の割合が高いところは、一気に価格を引き上げている。高級ホテルの室料の値上がりは特に著しい。それでも外国人から見れば割安と感じているようだ。価格を引き上げることで、従業員の給与も引き上げ、より良いものやより良いサービスを提供する「高付加価値化」につなげるのだとすれば、それは戦略的に正しい。

貧しい日本人

だが、一方で、給与の上がらない業種や企業で働いている日本人にとっては、国内にありながら高級店が雲の上の存在にどんどんなっていく。貧しさを痛感することになる。

そんな貧しくなった日本人の行動を表していると見られるのが、同じJNTOがまとめている「出国日本人数」だ。7月は89万1600人。増えてきたとはいえ、2019年7月の165万9166人の半分ちょっとに戻しただけの水準である。円安が逆に日本人の海外旅行ブームに水をかけているわけだ。

新型コロナ前は、訪日客も増え、出国日本人も増加するという世界的観光ブームの様相を示していたが、今は日本人の海外旅行はまだまだ戻りが鈍い。円建ての航空券価格が以前に比べて高止まりしていることに加え、円安によるホテル代や飲食費などの滞在費の増加で、割高になった海外旅行を敬遠している面が強いのだろう。

2019年に2000万人を超えていた出国日本人数が、それを超えて過去最多を更新するのはいつになるのだろうか。

だから躍起になってマイナンバーカードを作らせようとする…日本を"デジタル後進国"にした本当の原因 民間ではプラスチックのカードは姿を消しつつあるのに

プレジデントオンラインに8月18日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/72900

「我が国がデジタル後進国だったことにがく然」

健康保険証とマイナンバーカードを紐付けして「マイナ保険証」に一体化する政府の姿勢がぐらついている。来年秋に現行の健康保険証を廃止するという政府方針に、野党のみならず与党内からも批判の声が上がり、岸田文雄首相はいったん「廃止延期」に含みをもたせるような発言をした。ところが8月4日に開いた記者会見では、不安払拭に努力するとしたうえで、廃止の方針は当面維持する姿勢を示した。なぜ、そこまで健康保険証廃止にこだわるのか。政府のデジタル化が遅れているのは健康保険証のせいなのか。

「なぜデジタル化を急いで進めるのか」。会見で岸田首相自身がこう説明した。

「国民への給付金や各種の支援金における給付の遅れ、感染者情報をファクスで集計することなどによる保健所業務のひっ迫、感染者との接触確認アプリ導入やワクチン接種のシステムにおける混乱。欧米諸国や台湾、シンガポール、インドなどで円滑に進む行政サービスが、我が国では実現できないという現実に直面し、我が国がデジタル後進国だったことにがく然といたしました」

なぜ保険証は廃止で免許証は継続なのか

コロナウイルス蔓延下で行政が後手後手に回ったのは間違いない。だが、保険証を廃止してマイナ保険証を普及させれば、こうした問題は解決するのだろうか。様々な個人情報をマイナンバーカードに紐付けて国が一元管理しなければ、そうした行政のデジタル化は進まないのか。

岸田首相はさらにこう語った。

「私たちのふだんの暮らしでは、免許証やパスポートが、身元確認の役目を果たします。では、顔が見えず、成りすましも簡単なオンラインの世界で、身元確認や本人確認をどうするのでしょうか。その役目を担うのが電子証明書を内蔵しているマイナンバーカードです。それゆえに、マイナンバーカードは『デジタル社会のパスポート』と呼ばれています」

ということは、成りすましを防ぐために保険証をマイナ保険証に切り替えようとしているということなのか。マイナンバーカードは「便利だ」から作った方がいい、というのがこれまでの説明ではなかったか。

本人確認というのなら、真っ先に運転免許証やパスポートと一体化すればいい。運転免許証は紐付ける方針だが、免許証は廃止されない方向だ。なぜ保険証は廃止で免許証は存続なのか、岸田首相の説明では分からない。国政選挙の投票所で本人確認に使えば、成りすましは防げる。その方が重要ではないか。

いきなり紐付けようとしたから大混乱が起きている

そもそもマイナンバー、つまり個人番号は日本に在住している人はすでに全員に割り振られている。日本に在住する外国人も番号を持っている。デジタル化の前提である個人番号は全員に行き渡っているのだ。マイナンバーカードを作るかどうかは任意だが、番号は全員が持っているわけだ。

また、銀行口座を開設する際や既存の口座でもマイナンバーの届出が義務付けられている。つまり、マイナンバーと銀行口座は紐付けられている。税務申告でもマイナンバーを提出することになっていて、すでにかなりの個人情報はデジタルでつながっていると考えていい。ではなぜ、健康保険証の紐付けがうまくいかないのか。

問題は、いきなりマイナンバーカードと健康保険証を紐付けようとしたために、大混乱が生じていることだ。もともと健康保険の加入者からマイナンバーの提出を受けて、健康保険組合などがマイナンバーと保険証番号を並列して保有する作業を先行していれば、こんな混乱は起きなかったに違いない。

霞が関は「普及率向上」に必死で、本来の目的を見失っている

では、なぜそんなに急いで保険証とカードを紐付ける必要があったのか。岸田首相は会見で「なぜ、マイナカードの早期普及が必要か」と自ら問いを掲げ、こう続けた。「それは、多様な公的サービスをデジタル処理するための公的基盤を欠いていたことが、コロナのときのデジタル敗戦の根本的な原因だったと、政府全体で認識したからです」としている。マイナンバーではなく、カードがないから行政サービスができない、というのだ。

今回の混乱について、岸田首相の側近のひとりは、「マイナンバーカードの普及が目的化してしまったことが、今の混乱につながってしまった」と唇をかむ。霞が関の官僚は「目標」が設定されるとその達成に邁進する傾向がある。美徳ではあるが、一方で本来の目的を履き違えることにつながりかねない。今、総務省やデジタル庁が必死になるのは、マイナンバーカードの「普及率」向上であって、本来の目的であるデジタル化による行政コストの削減ではない。

血税から個人に2万円分のポイントを配ってでもカードを作らせようとした愚策を見てもそれがわかる。クレジットカード会社が入会時にポイントを配るのはカードを作ってもらえばカード会社の利益になるからだ。政府はマイナカードを普及させることで、どうやって2万円を回収しようと考えているのか。

通院を「不便」にしてカード取得者を増やす狙い

マイナンバーカードの普及率が焦点であることは、官僚が原稿を用意したであろう岸田首相の会見発言にも表れている。「国民の皆様の御協力によって、8904万枚、普及率は70パーセントを超えています」と胸を張ったのだ。実際には死亡した人の取得枚数もカウントする一方で、人口は最新を使っていたという「粉飾まがい」も表面化した。何しろ普及率を高くすることが大事だからだ。

おそらく、保険証廃止は、マイナンバーカードを普及させるための「切り札」なのだろう。住民票がコンビニで取れるのは便利には違いないが、せいぜい年に何回かの話。市役所に行って取るのと大差ない。ところが病気になるたび、あるいは通院している人なら、月が変わるたびに提示しなければならない健康保険証が廃止されるとなれば、マイナンバーカードを作らざるを得なくなる。つまり、「便利だから」ではなく、「不便になるのは困るから」カードを作る人が出る。政府はそれを狙っているのだろう。

2016年に登録した人のカードが有効期限を迎える

ではなぜ、2024年秋に廃止なのか。

実は、現在のマイナンバーカードには有効期限がある。カード発行から10回目の誕生日を過ぎると使えなくなる。カードが発行され始めたのは2016年1月なので、早ければ2025年1月以降、有効期限が来るカードが出始めるわけだ。更新手続きをしなければ無効になるので、当然、普及率に影響する。せっかく2万ポイントを配って普及率を上げたのに、期限が切れて失効する人が増えては、普及率は再び低下し、これまでの努力が水泡に帰す。だから、マイナンバーカードを「絶対に必要なもの」にしてしまおうということではないか。

そもそも、デジタル化の目的は何だったのだろうか。菅義偉氏が首相としてデジタル庁の設置を推し進めた時のキャッチフレーズは「縦割りを打破する」だった。

コロナ下の帰国に際してはワクチン接種証明などを事前に登録する「Visit Japan Web」が作られた。ひとつのアプリで全てが終わり、縦割り打破になるはずだった。ところが、羽田空港の「検疫」ではアプリに表示された「QRコード」を機械で読み取るのではなく、正常に登録されたことを示す「緑色」をずらっと並んだ係員が「目視」するというなかなかのデジタル後進国ぶりが繰り広げられていた。数が少ない機械を通すと長蛇の列になるのを避けるための「現場対応」だったのだろう。今は、接種証明が不要になって、「検疫」システムはアプリから削除された。

入国の手続きですら「ワンストップ」にはならなかった

「税関」では、デジタル申告よりも、機内で書いた手書きの申告書を渡す方が早く手続きを終えられる、という状態が今でも続いている。

帰国時の「入国審査」は独自のデジタル化が進み、パスポートを読み取り機に置いて顔認証するだけでゲートが開くようになった。便利になったが、結局、検疫(厚労省)、税関(国税庁)、入国審査(法務省)という縦割り対応は変わっていない。ひとつのQRコードで一度に全てが終わるというワンストップには結局ならなかったのだ。さらに最近は、農林水産省が所管する動物検疫や植物検疫も厳しくなった。もちろん空港自体は国土交通省だ。日本の役所の縦割りの縮図である国際空港の姿はデジタル化でも一向に変わっていない。

本来は行政の縦割りを打破し、手続きが効率化するはずだった国のデジタル化。それがいつの間にかカードを普及させないとデジタル化は進まないという不思議な話になっている。そうこうする間に、民間ではプラスチックのカードはどんどん姿を消しつつある。