うなぎ上りの金価格が示す 世界の常識は「紙幣は信用できない」

月刊エルネオス連載
磯山友幸の≪生きてる経済解読≫
http://www.elneos.co.jp/

1日に発売されました月刊エルネオスに掲載した記事を、編集部のご厚意で転載させていただきます。日経ビジネス時代に「金本位制再び」という特集を執筆しましたが、金価格を基準に株価やドルや商品価格を見ると、世界が違って見えます。

金が買われる二つの理由

 金価格が史上最高値を更新し続けている。七月初めに一㌉=一五〇〇㌦前後だったのが、八月に入って一七〇〇㌦を突破。八月半ばには一八〇〇㌦目前にまで駆け上った。リーマン・ショック前は九五〇㌦前後だったから、三年弱で二倍近くになったことになる。
 なぜ金価格が急騰しているのか。
 一つは、世界的なカネ余りで投機マネーが金にも流れ込んでいることがある。投資対象として株式や債券を買うだけではなく、石油や穀物などコモディティ(商品)を買う流れの一環として金も買われているというわけだ。企業や大学などの年金基金が投資対象にコモディティを組み入れるなど、長期に運用する資金が流入していることも金価格の上昇を支えている。
 金が買われている二つ目の理由は、「安全資産」へのシフトといわれるものだ。世界的な株価の下落など市場が不安定になる中で、株式や債券に比べて安全な資産へ資金をシフトしようという流れが強まっている。
 金が安全資産といわれるのは、歴史的な裏付けがあるからだ。金は古代から価値保存の手段として使われてきた。古来、世界中から金塊を集めることに熱中した皇帝や国王は数知れず。日本でも太閤秀吉など戦国武将が大量の金を軍資金として天守閣に溜め込んだ。金は、世界中で通貨として最も信頼され、通用してきた長い歴史を持っているのだ。
 これまでに採掘された金の総量は、オリンピックプールを升にして三杯分といわれる。いまだに地上に存在する金の現物は“希少”だ。そんな金をいざという時のために持っておこうという人がここへきて世界的に増えているのだから、金価格が上がるのは当然ともいえる。
 その大きなきっかけはリーマン・ショックだった。金融不安が高まった欧米で、金に買いが殺到したのだ。個人でも手軽に買える現物の金として、各国の造幣局が作る一㌉の金貨がある。米国のイーグル金貨やオーストラリアのカンガルー金貨などが有名だ。これらの金貨には形式上、額面はついているが、金の市場価格で売買される。日本でも三菱マテリアル田中貴金属の店頭で、その時々の時価で売買できる。その金貨が一時、店頭から姿を消したのだ。

欧州人の「金買い」遺伝子

 もともと欧州の名家では、戦乱や非常時に備えて自宅の地下倉庫に金貨を保管しておく習慣がある。フランス皇帝だったナポレオンが鋳造させた「ナポレオン金貨」などを代々受け継いでいるのだ。つい数代前の先祖が、他国に占領されたり難民として脱出した経験を持っていた欧州人は、持ち運び可能な非常時用の資産として金を信奉する遺伝子を受け継いでいる。リーマン・ショックやユーロ危機でそんな遺伝子が動き出し、一気に「金買い」へと走ったのだ。
 リーマン・ショック後の金融危機を乗り切るために、米国は大量の資金を供給する金融緩和政策を進めている。QE2と呼ばれる量的緩和第二段などがそれだ。要は大量にドル札を刷りまくっているわけだ。大量の通貨が市場に出回れば、当然のことながら通貨の価値は下落する。ここへきてドル安が急速に進んでいるのはこのためだが、こうした「通貨不信」が金価格上昇に拍車をかけている。
 ドルの価値が下がればユーロや円などの他の通貨が相対的に高くなるのが、これまでの常識だった。ところが、非ドルの主要通貨であるユーロも、EU(欧州連合)加盟国の国家財政危機が表面化してユーロ安となっている。つまり、ドルを売ってもほかに買う通貨がない状態なのだ。
 そんな中でスイスフランと並んで日本円が“安全通貨”として買われ、急激な円高になっている。しかし、日本も政局の不安定さや不景気に加え、東日本大震災が起きたことで、円をどこまでも買い上がれる環境ではなくなっている。そこで伝統的な“通貨”である金に資金が集まっているというわけだ。

日本の庶民だけが金を売却

 七月以降の急速な金価格の上昇は、米国の債務上限問題で米国債がデフォルト(債務不履行)するのではないかという憶測が広まったことが大きい。ドルへの信認低下がそのまま金価格の上昇となって表れた。「金を買う」という行動は「通貨を売る」ことに等しい。ドルで金を買えば、ドルを売っていることになるのだ。
 通貨が信認を失うと、どうなるか。ベトナムが良い例だ。自国通貨のドンがなかなか信認を得られず、国民は稼いだ資産をすぐに米ドルや金に交換する。小さな金の延べ板が貨幣代わりに流通し、不動産取引などでは現金ではなく、その延べ板で決済されることも多い。国を信用しない華僑や印僑と呼ばれる人々の間では、紙幣ではなく金を重視する風土が根付いている。
 あまりにも急ピッチな金価格の上昇に対して、「金相場はバブルだ」という声も聞かれる。だが、世界で国債の信用不安が続き、ドルやユーロの信認が揺らいでいる間は世界の金買い意欲は衰えないだろう。
 金が世界中で買われ、金価格が上昇していることは、「紙幣は信用できない」というのが世界的な常識になりつつあることを示している。ところが、日本人だけはこの常識に反した行動を取っている。
 ここ数年、街中で「金製品買い取ります」という看板やノボリを数多く目にするようになった。実際に、古いアクセサリーや指輪を売ったという人も多い。世界中で金を買い求める人が多い中で、日本の庶民だけがせっせと金を売却しているのだ。昨年は日本だけが金の大量輸出国になった。「通貨の番人」である日本銀行の手腕というべきか。日本人は自国通貨を深く信認していることになる。金を売るということは円を買うことに等しいわけで、そんな日本人の行動も円高を加速する一つの要素といえるだろう。