「丸2年で平均3人目」にほくそえむ霞が関。副大臣・政務官人事が示す民主党「政治主導」の掛け声倒れ

昨日、野田内閣になって初の衆議院予算委員会が開かれました。野党からは、野田内閣が霞が関にコントロールされている、という指摘が繰り返されていました。民主党政権になって、大臣・副大臣大臣政務官の「政務3役」が政策を決める「政治主導」が打ち出されましたが、この2年間で、大臣ばかりか、実務を担うはずの副大臣政務官もコロコロ交代しています。これでは「政治主導」は期待できないのではないでしょうか。

講談社現代ビジネスに掲載した拙稿を編集部のご厚意で以下に再掲します。
オリジナルは→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20202


 まずまずの支持率を集めて好スタートを切った野田佳彦内閣。国民の期待は、内閣を挙げてきちんと仕事をしてくれるかという点に尽きるだろう。党内力学を重んじたバランス型と言われた大臣人事はともかく、実務を担うことになる副大臣大臣政務官の人事は、首相の言う「適材適所」になっているのか。

 民主党政権交代を果たす際、公約の柱に掲げたのが「政治主導」「脱官僚依存」だった。後者の「脱官僚依存」については、今や大きく後退し、鳩山由紀夫・元首相が廃止した「事務次官会議」に似た事務方トップの定例会議が復活している。しかし、前者の「政治主導」については、その旗は降ろしていない。大臣、副大臣政務官のいわゆる「政務三役」がリーダーシップを取って、政策を実現していくという建前が続いている。

 鳩山内閣では、この政務三役を強固なチームとして編成して役所に送り込むことにこだわった。副大臣政務官の人事については所管の大臣に人事を任せ、大臣が自分の手足として使いやすい人物を据えることにしたのだ。野田佳彦・現首相が鳩山内閣で財務副大臣になったのは、藤井裕久財務相の指名だったとされる。藤井氏は自他共に認める野田氏の後見役である。

 そうした「チーム政務三役」に対する霞が関官僚の警戒心は猛烈に強かった。野党時代にそれぞれの分野の専門だった議員を副大臣政務官に据えたこともあり、官僚たちも彼らを無視しては仕事ができなくなったのである。

 自民党政権時代は「盲腸」と陰口をたたかれ、論功行賞のための名誉職と見られていた副大臣政務官民主党政権交代した後は、霞が関に百人規模で議員を送り込むことを想定していたが、これらのポストはその橋頭堡になるはずだった。

論功行賞に副大臣政務官ポストを使った菅

 ひと昔前、霞が関のキャリア官僚は専門性が乏しいと批判されていた。課長や審議官といったポストを一年で転々とするため、いくら優秀な人材とはいえ、知識習得が追いつかなかったわけだ。今では同じ課長ポストに2年以上留まる例も増え、専門性の高い官僚も増加した。

 そんな官僚たちと互角に政策議論をするからには、副大臣政務官もコロコロ人が入れ替わるのでは対応できるはずがない。鳩山内閣では長期間同じ分野を同一の議員に担当させることを想定していたのは明らかだ。

「まさか一年で副大臣を降りることになるとは思わなかった」

 二〇一〇年九月、民主党代表選挙の結果を受けた菅直人第一次改造内閣では、大臣はもとより、副大臣政務官も大幅に入れ替える人事を行った。野党時代から取り組んでいた自身の専門分野での改革に着手した途上だった副大臣(当時)のひとりは、こう言って唇をかんだ。

 菅氏は、小沢一郎氏と戦った代表選を有利に運ぶために、副大臣政務官のポストを支援を約束した議員に事前に約束している、という噂が流れていた。組閣後の人事でそれが明らかになった。民主党政権の基本方針で、「チーム政務三役」の要である、所管大臣に副大臣政務官を選ばせるという手続きもを反故にした。事実上、首相が決めたのだ。菅氏は自民党時代よろしく論功行賞用のポストとして使ってしまったのである。

もっとも入れ替わりが激しい外務省

 野田佳彦内閣はどうか。新たに決まった副大臣政務官の顔ぶれを見れば分かる。鳩山時代の「大臣が選ぶ」という手続きには戻すことなく、党内融和の当て職としてフル活用した印象だ。専門家を配した人事も見受けられるものの、なぜこの議員が、と疑問に感じる人事も少なくない。

 政権交代以降、副大臣政務官に就いた議員はのべ144人(内閣改造で同一人物が別ポストに就任した場合は2人、同一ポストに留任した場合は1人と計算)にのぼる。

 副大臣政務官ポストは今48あるので、民主党内閣2年で平均3人目に突入したということだ。1年を待たずに退任する議員も少なくなかった、ということを示している。

 政権交代以降、同じポストを占め続けているのは松下忠洋・経済産業副大臣ただ1人。2年間交代せずに務めてきた鈴木寛・文部科学副大臣も野田内閣では留任しなかった。財務副大臣財務相と務めた野田首相のように、ポストが変わってもこの2年間同じ分野を担当し続けてきた議員もいないではないが、少数派だ。

 もっとも交代が激しい役所の1つが外務省。民主党政権になって外務大臣は4人目(岡田克也氏→前原誠司氏→松本剛明氏→玄葉光一郎氏)だが、これまで2つある副大臣ポストに名前を連ねたのは8人、3つある大臣政務官も8人に及ぶ。政務3役をのべ20人でたらい回ししてきた、と批判されてもおかしくないだろう。長期的な人的信頼関係づくりが基本の外交分野でこの有り様だ。これでは「政治主導」など実現できようはずもない。

 一方で、民主党内に政府内ポストを渇望している議員が多いのも事実だ。「政権与党にいる以上は、せめて政務官ぐらいはやっておきたい。次の選挙もあるしね」と民主党の当選二回の議員は言う。菅氏が論功行賞に使ったのも、逆に言えば、ポストを欲しがる議員が多かったことの現れだ。

 口さがない自民党のベテラン秘書は「衆院の任期満了まで後2年。その間に内閣改造を繰り返し、政務三役を乱造するのではないか」と笑う。「一週間でも大臣をやれば一生、元大臣の肩書きが使える。選挙では有利になるから」という訳だ。

 そんな自民党時代と変わらない政務三役の短期交代に、霞が関は、むしろ溜飲を下げている。

「役所の言うままに動く政務三役が増えましたね」と霞が関の幹部官僚のひとりは言う。「政権交代したら事務次官全員に辞表を出させるのではないか」との噂に、青ざめていた二年前とは比べ物にならない穏やかな笑顔だ。そんな官僚の表情は、民主党の「政治主導」は掛け声倒れに終わりつつあることを強く感じさせた。